第二十八章 戻りし髪飾り(第四話)
清志郎の布団は、居間に紗世の看病ができるように敷いてあったので、龍之介の布団を拝借することにした。
元々は紗凪が使っていたものだ。
もう、紗凪の残り香など、あるはずもない。
むしろ、いびきの煩い龍之介の男臭さが染み付いていそうだが、それでも清志郎の想いは亡き紗凪へと傾く。
(紗凪……ごめんな。俺、紗世を全然守れてない。あんな辛い思いさせて。先生のことだって、どうすりゃいいのか)
道善とは、あの騒動以来、顔を合わせていなかった。
どんな顔をして、何から話せばいいのか、わからなかった。
(紗凪……なんで死んじまったんだよ。お前が居なくなって、朝比奈家は何かがおかしくなっちまったよ……)
清志郎は、布団の中で体をくの字に折って、現状を嘆いた。
体が重い。
村に帰った途端、こんなことになるとは思っていなかった。
(疲れた……)
ハァと重い溜息をついた途端、泥のような眠りに落ちていった。
――――
誰かに髪を梳かれている気がする。
とても繊細な手で、まるで壊れ物に触るかのように。
任務で疲れている自分を起こさないようにしてくれているのだろうか。
幼い頃、まるで母のように育ててくれたあの方に、よしよしと撫でられているみたいで、心地良い。
とても安心する。
けれど、彼の名誉のために、止めさせなくては……。
変な噂が立っては困る。
「蒼耀様! あれ程、私の部屋に入るのは止めていただきたいと、申し上げた筈ですが」
上体を起こして、内心とは裏腹に、少し厳しめに主に注意する。
「あ、起きちゃった? いいじゃないか。昔はここで一緒に寝たことだってあるんだし」
その悪戯好きで、自由奔放な主は、こちらがいくら真剣に物申しても、右から左のようだ。
「それは、貴方様がまだ幼い頃の話でしょう。もう、大きくなられたのだから、お立場をお考えください」
「そうだねぇ。もう、私の方が背も大きい!それに比べ、清守は全然変わらないね」
気にしていたことを、ズバリと言われてしまった。
外見の年齢は、まだ辛うじて、自分の方が年上に見えるはずなのだが。
「術を掛けられているんですよ。本来、人間の寿命は短く、体がよく動く若い頃なんて、あっという間に過ぎ去ってしまいますから」
「知ってるよ。姉上にでしょ? 実はね、私もその術、使えるようになったんだ」
「え? そ、それは、誠にございますか?」
フフンと蒼耀は、意味深に口角をあげた。
「清守〜。もしかして、あと二歳くらい歳をとりたいなって思ってる?」
「ま、まぁ、その、蒼耀様をお守りする身でありながら、年下というのは……格好がつかないではありませんか。剣術をお教えしたのは、私ですし」
「どうしようかな〜。清守は私の言うことを聞いてくれないからな〜。私だけ聞くのは、不平等だとは思わないか?」
「わ、私がいつそのような? 蒼耀様のご命令には、いつも忠実に従っているではありませんか」
「あれぇ? いつから嘘までつくようになったの? ほらぁ、これ!」
そう言って蒼耀が目の前に突き出してきたのは、先日、くれると言っていた玉石が、誂えられた髪飾りだった。
「ああっ、何かと思えば……また、それですか! 嫌ですよ。武人がそんなのしませんって!」
「じゃ、いいんだ。私より、年下なままで」
「……ひ、卑怯ですよ、そんなの!」
「折角、お互いにとっていい話だと思ったのになぁ……」
蒼耀はクルクルと髪飾りを弄びながら、去って行こうとする。
「ああーっ、うーっ!……お、お待ち下さい、蒼耀様!」
蒼耀は振り返って、満面の笑みでニッコリと微笑んだ。
蒼耀の手が、自分の髪に再び触れる。
丁寧に櫛で梳かし、髪飾りをしっかりと結びつける。
その手は滑らかだが、幼い頃繋いでいた小さい可愛らしいものとは違う。
もう手も、自分より大きいのではないだろうか。
もし、二歳歳を取っても及ばなかったら、四歳は上にしてもらわなければ――。
「ほら、思ったとおりだ。よく似合う。これがあれば、清守は私を忘れないだろう?」
「なくたって、忘れるわけないじゃないですか。有り得ませんよ」
「そうだと、信じてるけど……」
突然、らしくなく下を向き、黙り込んでしまった蒼耀に、焦ってしまう。
「ど、どうされました? ……蒼耀様?」
「ときどき、不安になるんだ」
「……何か、先のことが見えましたか?」
「いや、私に先見の術は、まだ使えないよ。ただ、最近、嫌な夢をみるんだ」
「嫌な、夢?」
「だから、お守りだと思ってさ! 何があっても、私が清守を守ってあげるから」
「それじゃ、反対じゃないですか」
「いいから。本気を出せば、神の私の方が絶対強いだろ!」
「剣術以外では……ですけどね」
「言ったな、清守〜」
「あははっ」
暫くふざけた後、蒼耀から笑みが消えた。
自然と自分も、蒼耀を見つめる。
(嫌な夢?)
神は、先見の術が使えずとも、人間より遥かに感覚が優れている。
何か、世の中が乱れる悪い兆しでも、感じとっているのだろうか?
蒼耀の指が、最後にもう一度、髪に触れた。
「私のことを忘れないで。わかったね」
その声だけが、妙に近く、耳元で響いた。
――――
「……きろ、起きるんじゃ、清志郎」
「んっ?」
(誰かが自分を揺さぶっている。この声は、龍之介か?)
「紗世さんの熱が上がってしもうてな。酷く辛そうじゃ」
「なんだって?」
まだ眠気の残っていた頭が、その言葉で一気に覚醒する。
すぐに起き上がり、龍之介と居間に向かう。
「紗世! 大丈夫か? 俺がわかるか?」
「……はぁはぁ、……せ、清、ちゃん……」
(不味い。呼吸がおかしい)
紗世の額には、手拭いが乗せられていたが、触ると、もう生温かくなっている。
額に手を当てると、とんでもない熱さだった。
(怪我した日の晩より、熱が出てるじゃないか)
「今、宗真が、玄庵先生を呼びに行っておる」
「そ、そうか。紗世、玄庵先生が来てくださるまでの辛抱だからな」
そう言って、手拭いを冷たい水で絞り、紗世の額に乗せ直したが、清志郎には、こんなの気休めにしか思えなかった。
(もう少し待っても、玄庵先生が来なかったら、念のためもらっていた解熱剤を使うか)
そう思って、立ち上がろうとしたときだった。
「清、ちゃ、ん……」
紗世が何か言おうとしている。
「なんだ、紗世? 苦しいのか? なんでも言ってくれ」
清志郎は、紗世の弱りきった声をしっかり聞こうと紗世の口元に耳を近づけた。
だが、その彼女から発せられた言葉に、清志郎は息を飲み固まった。
「清志郎? どうした?」
龍之介が、急に動きを止めた清志郎を不審に思い、声を掛けた。
その声に、清志郎は弾かれたように肩を震わせる。
恐る恐る、右手を自分の髪へと這わせた。
指先に触れたのは、自分の髪ではない。
冷たく、硬い、石の感触。
「あっ……」
絶望にも似た小さな声が、清志郎の喉から漏れた。
「……うっ、……また、それ、つけてる……どう、して?」
「ち、ちがっ、違うんだ、紗世……これは……」
(ど、どうして? お、俺が着けたんじゃない! けど、なんて言えばいいんだ!)
「……はぁはぁはぁ……な、何が……はぁはぁ何が、違うの!……清ちゃん、なんて……大嫌い!……あ、あっち、行って!」
「待って、待ってくれ、紗世」
「いや!」
紗世は、布団を被って、完全に清志郎を遮断した。
清志郎は、驚愕の表情をしたまま、身動きが取れないでいる。
その肩に、見兼ねた龍之介の手が置かれた。
「清志郎、紗世さんは儂に任せて、一旦出てろ。これ以上、興奮させると良くない。話は後で聞いてやる」
龍之介の耳打ちに、力なくコクンと頷き、清志郎はフラフラと立ち上がった。
「あの、例の解熱薬……」
それだけ言うのがやっとだった。
「ああ、わかっておる。もう少し待って駄目なら飲ませる。任せておれ」
「……すまない」
清志郎は、音もなく、居間を後にした。




