表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
77/81

第二十八章 戻りし髪飾り(第三話)

三月の肌寒い風が吹き抜ける中、玄庵が神妙な面持ちで到着する。

昨日の今日で傷が癒えるはずもなく、熱に浮かされる紗世の顔色は優れない。

龍之介は二人の邪魔にならぬよう、気遣わしげな視線を残してそっと居間を出ていった。

しばらくすると、玄庵が往診に来てくれた。

龍之介は、邪魔にならぬよう、居間を出ていった。


「気分はどうじゃ、紗世。まぁ、良いわけはなかろうが……。昨日に比べて悪化しておる気はせぬか?」


「はい。昨晩は熱が出て辛かったですけど、熱も下がってきましたし」


「やはり熱が出たか。傷も傷むし、辛かったのう。今はどうじゃ? どれどれ」


玄庵は、紗世の額と首に手を当て確認する。


「まだまだ、熱があるのう。何か口にできたか?」


「えっと……」


「白湯は飲ませたんですけど、粥などはまだ……」


紗世が言い淀んだので、清志郎が代わりに答えた。


「食欲がないか。少しずつでも何か口にせねば、体力が落ち、治るのも遅くなるぞ。さて、では昨日と同じように、傷を洗い、薬を塗っていくぞ。今日も、楽なものではあるまい」


昨日の今日だ。

傷の状態が、風間医院での自分のように、劇的に変わっているとは、とても思えない。

昨日の紗世の治療の様子が、脳裏に蘇える。


(紗世はしばらくの間、毎日あの激痛に耐えなければならない。悪いけど……恨みますよ、道善先生!)


内心のドロドロとした気持ちを押し殺し、紗世を励ます。


「紗世、一緒に頑張ろうな」


「うん」


昨日と同じように、清志郎は紗世の背後に回り、彼女の体を支える。


(紗世は……まだ、俺の腕の中にいる。

もう二度と、失わない)


人生はいつ何があるか、どうなるかわからない。

紗世の傷も、今は大丈夫そうだが、感染症にでもなれば、命を落とす可能性もあるのだ。

清志郎は、何よりも失うことが怖かった。



龍之介と宗真が縁側に腰を下ろすと、庭先から冷えた風が吹き抜けた。

三月も、もうすぐ半ばとはいえ、風が吹き抜けるとまだ肌寒い。

龍之介は腕を組み、家の中へ一度だけ視線を向ける。

どうやら紗世の治療が始まったようだ。

緊迫した声が、微かに聞こえる。


「毎日、ああやって薬を塗るしかないのう」


「まぁ、そうなるな。可哀想だけど、あの傷では……。けど、玄庵先生の腕は確かだよ。こんな小さな村に居てくださるほうが珍しいってもんさ」


宗真も龍之介と同じように、声の聞こえてくる居間の方へ、ちらりと視線を向けた。


「清志郎は、腹を貫かれたのにも関わらず、ピンピンしておるのにのう」


溜息混じりの龍之介の言葉に、宗真は呆れたような顔をする。


「りゅ、龍之介ぇ……清志郎の件が異常なんだよ」


「わかっておるわ。つい、紗世さんと比べてしもうてな、奴に起こったことが現実なのか、よう、わからんようになるんじゃ」


龍之介は、縁側に寝転がりながら、吐き捨てるように言った。

宗真にも、その気持ちは、よくわかる。

初日、清志郎は様子がおかしかった。

自分が体験したことが、現実だったのか夢だったのか、完全にわからなくなり、飲み込まれたのだろう。


(あれから頭を整理する時間なと、殆どなかった筈なのに……清志郎、お前はよくやってるよ。私も、しっかりしなければ)


「のう宗真。清志郎は、医者に傷を治して貰ったと言っておったが、実際はどちらだと思う?」


「それは……医者か、澄斬姫かってことか?」


「ああ」


「お前は、どっちだと思うんだよ」


宗真は、逆に聞き返した。


「わからんから、聞いておるのじゃ」


「……なんだよ、お前らしくもない。私は……澄斬姫だと思っている」


「何故だ?」


「いくら蘭学の名医でも、あの傷の治りは、早すぎる」


「何故、澄斬姫はその医者に力を貸すのだ?」


龍之介の質問攻めに、宗真も参ってしまう。

それがわかれば、苦労はないのだ。


「し、知らないよ、そんなこと。龍之介も、もう少し、清志郎から話を聞き出してくれよ」


ふと、龍之介の頭には、今朝台所で見た清志郎の青ざめた顔が浮かんだ。


「うむ。ところで、道善殿はの方はどうだ?」


「清志郎から託された薬は飲んでくれたよ。だが、先生は死ぬ気でそれを口にしている」


「ん? どういうことじゃ。毒でも盛られていると思い込んでおるのか?」


「ああ。澄斬姫がじわじわと自分を殺すか、化け物にでも変貌させるつもりだと……そう考え、飲んでいる。死にたい気持ちに変わりはないようだ」


「じわじわとな。祟り神ともあろうものが、そんな地味な殺し方をするかの?」


「黒川の件を覚えているか?」


「ああ、隣町の化け物になったという、清志郎の知り合いか?」


「そうだ。私も、あの祟り神が先生をゆっくり殺すために、清志郎に薬を持たせたとは思えない。そんなことをしなくとも、先生の余命はあと少しだ」


「化け物にして、清志郎に斬らせるか? ……そうなったら、儂が斬る」


龍之介は、フッと軽く笑った。


「それは、頼もしいな」


宗真は真顔で、龍之介と目を合わせることもなく、どこか遠くを見ている様子で答えた。



玄庵の治療も終わり、居間からは、清志郎と紗世の会話も聞こえなくなった。

紗世が寝たのかと思い、龍之介が部屋の外から声を掛ける。


「清志郎、入ってもいいか?」


「え? あ、ちょっとだけ待て! 待てよ!」


清志郎の裏返ったような声に、眉を八の字にして、龍之介と宗真は顔を見合わせる。

龍之介は、台所での会話を思い出す。


(せ、清志郎ぉ! お前、ついに、紗世さんと!)


急に、ニヤニヤ仕出した龍之介を、宗真は蔑む一歩手前の目で見始めた。

きっと、やましいことを考えているに違いないと悟ったのだ。


「よし! もう入ってきていいぞ」


龍之介と宗真が、居間に入ると、紗世は眠っていた。

清志郎の手には、手拭いが握られている。

龍之介の目は、点になった。


「清志郎、何をしておったのだ?」


「何って、紗世が汗をたくさん、かいていたから、拭いてたんだよ」


「なぜ、儂らを待たせたのじゃ?」


清志郎は真っ赤になって、龍之介を睨みつける。


「き、際どいところを拭いてたからに決まってんだろ! お前なんかに見せられるか!」


やっと合点がいった龍之介は、余計なことを言う。


「ということは、お前は見たんじゃな」


「はぁ! 見てねぇわ! 見てねぇし、まずいところには、触らんように、細心の注意をして拭いたわ!」


「本当か? お前、本当に男なのか清志郎?」


「どういうことだ! このド助平野郎!」


龍之介の言葉に、殴りかからんとする清志郎を、宗真がなんとか取り押さえ、怒りを鎮めようと説得にかかる。


「清志郎、龍之介のおふざけは、今に始まったことじゃないだろ。大人になるんだ。すぐ、挑発に乗るんじゃない!」


「だっ、だって! だってよぅ、あいつ!」


「龍之介には、私からよくいっておくから、お前は一旦自室で休め。夜中はまた、お前が紗世ちゃんについててやらないと」


「で、でもっ!」


「私も、ここにいるから。紗世ちゃんに何かあったら、すぐお前を呼ぶよ」


宗真にそう諭され、正直、自分の疲労も限界だった清志郎は、一度龍之介を睨みつけ、自室へと向かった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ