第二十八章 戻りし髪飾り(第一話)
どうして――と顔で紗世が問う。
しかし、それは清志郎自身が叫びたい言葉だった。
意思に反して髪に結ばれた玉石は、まるで呪いのように彼の心をかき乱す。
咄嗟に口からでまかせを並べながらも、清志郎は得体の知れない恐怖に全身が震えるのを感じていた。
「――ねぇ、その、髪飾り……どうして……どうして、また、付けてるの?――」
紗世が何を言っているのか、一瞬、理解が追いつかなかった。
しかし、恐る恐る自分の髪に触れた指先が、硬く冷たい感触を捉えた瞬間、全身の血が逆流するような感覚に襲われる。
心臓が嫌な音を立て、喉がカラカラに渇いていくのがわかった。
(どうして……)
こちらが聞きたいくらいだ。
わざわざ懐から出して、結び直した記憶など微塵もない。
引っかかるのは、あの妙な夢――。
紗世が、まだこちらを泣きそうな、不可解な顔でじっと見つめている。
(まずい……何か、何か言わねぇと)
「あ、こ、これな……髪を結ってた紐が突然切れちゃってさ、とりあえず、代わりに使ったんだよ」
「……本当?」
疑うような、それでいて、信じたいと願うような、揺れる瞳が清志郎を射抜く。
「ほ、本当だよ。紗世は、これを俺が付けるのが嫌だったよな。すぐ、外すよ。代わりの紐に付け替えてくる」
これ以上、追求されたくなくて、すぐさま居間を出る。
(ど、どうなってんだ? 昨日は紗世のことで頭が一杯で、澄さんのことは考えてないぞ。無意識でやったってのか? そんな馬鹿な!)
頭が整理出来ないまま、とにかく自分の部屋に行き、髪飾りを外す。
澄から、お守りだと言って、身につけさせられた玉石。
それは、掌の中で美しく輝き、気味の悪いような代物ではない。
だが、知らず知らずのうちに、髪飾りを持つ手が小刻みに震えていた。
『――私のものという証だ――』
夢の中で聞いた、あの声が頭の中で蘇る。
それはまるで、過去の記憶が呼び覚まされるかのような、強烈な既視感だった。
清志郎は、その声が現実と夢の境界を曖昧にしていることに気づき、恐怖に震えた。
今、手の中にある玉石と、夢の中であの男が選んだ玉石は、そっくりだった。
いや、同じ物だった。
あの男の名は何といったか?
(確か、蒼耀――)
覚えていた。
ただ、本能的に、その名を口にしてはならないような気がした。
◇
髪を結い直し、急いで白湯を沸かし、清志郎は紗世のいる居間へと戻った。
「紗世、遅くなってすまない」
紗世の傍らには龍之介がいた。
彼女の容態が気になって見に来たのだろうか。
「い、居たのか、龍之介……おはよう」
「おう、おはよう。遅いぞ、清志郎。白湯を入れるだけで、どれだけ紗世さんを待たせるんじゃ」
白湯を持ってくるだけなのに、時間がかかったのは――紗世は、さり気なく清志郎の髪を確認する。
もう、あの髪飾りはなかった。
清志郎が嘘をついている訳ではないと思い、紗世は安堵した。
「だから謝ってるじゃないか。そもそも、紗世に言われるなら、ともかく、なんでお前に言われなきゃならないんだよ」
口を尖らせて反論しながら、湯のみに白湯を注ぐ。
龍之介には、何故だろうか。
割と率直に言い返してしまう。
そこに邪な雰囲気は生まれないとわかっているからなのか……。
(人たらしって奴なのかな……道場の門下生もすぐ、奴に懐いてたし。あいつと話してると、どうも本当の自分がわからなくなるんだよな……)
「ぬるくしたつもりだけど、気をつけ……」
紗世に白湯を飲ませてやろうと、まずは抱き起こしたとき、龍之介の視線をまじまじと感じた。
清志郎はそれとなく、あっちを向いてろと、龍之介に目配せする。
勘のいい龍之介は、当然、清志郎の意図に気づいているはずだ。
なのに、悪戯っぽく片方の口角を上げるだけで視線を逸らさず、二人の様子をじっと見つめている。
どうぞお構いなく、とでも言いたげな、楽しそうな表情で。
「早く飲ませてやらんか、紗世さんが可哀想じゃろうが」
「――っ!」
二人の密かなやりとりを感知していない紗世は、この間が理解できず、不思議そうな顔をして清志郎の名を呼ぶ。
「清ちゃん?」
「あ、わ、悪い。喉カラカラだよな。今、飲ませてやるからな」
清志郎は仕方なく、顔を真っ赤にして、紗世を抱き寄せ、彼女の口元に湯呑みを持っていく。
「ゆっくり飲むんだぞ」
「うん」
「熱くないか?」
「大丈夫。美味しい」
「そ、そうか、よかった」
清志郎は紗世には優しく声を掛けながらも、彼女の知らないところで、ニヤニヤとこちらを伺っている龍之介を睨みつけていた。
◇
同じ頃、宗真は道善の部屋にいた。
「道善先生、昨晩はお眠りになれましたか? 少し、落ち着かれましたか?」
自分でも、野暮なことを聞いていると思う。
自分のせいで娘が大怪我をしたというのに、眠れるわけがないではないか。
「昨日は……昨日は、見苦しいところを見せたな。皆に多大なる迷惑を掛けた。このとおりだ。申し訳なかった。許して欲しい」
道善はそう言って、頭を下げたが、この場に清志郎がいなくて、よかったと思った。
彼ならば「紗世の心配をするのが、先だろう!」と怒っただろう。
道善は、紗世のいる居間に、様子を見に訪れていない。
清志郎がいるからだろう。
彼が怖いのだ。
罵倒されるからなどではないことは、宗真にはよくわかっている。
昨日のことで理解した。
道善は、清志郎と紗世に真実を話すより、死んだ方が楽なのだと。
真実を知れば、清志郎は怒りに任せて我を失い、道善を斬り殺すかもしれない。
清志郎は、恩義ある師を殺した咎人となってしまう。
そうなれば、朝比奈家は終わりだ。
自分さえ死んでしまえば、真実を知ったとて、怒りをぶつける相手は、もうこの世にいない。
清志郎と紗世は、苦しみながらも、手を取り合い生きていく、そう思ったのかもしれない。
「先生、清志郎より、薬を預かっております。お飲みになられますか?」
「ああ、飲むよ。きっと、じわじわと効いてくる毒が盛られているのだろう?あの祟り神も考えたものだ」
(そうか。道善先生は、この薬に毒が入っていると思ったからこそ、今まで飲みたがらなかった薬を素直に飲むようになったのか。なんと悲しい師弟なのだ)
「私には、これに真に毒が入っているかどうかはわかりません。このまま、毎日、お飲みになるおつもりですか?」
「ああ、そのつもりだ。どの道、もう幾ばくも持たん命だ。清志郎には、少しは効いているようだと伝えておいてもらえないか……」
「承知いたしました」
「……紗世は……紗世は、どうしておる?」
「だいぶ出血しましたが、命に別状はありません。傷は骨にまで達していないとのことでしたが、かなり深いようで……後の生活に支障が出なければいいのだがと、玄庵先生は仰っておられました」
「相当、痛んだのであろうな。儂は、父親も失格だな……」
「も?」
「ああ、剣の師範としても、父親としても、あの子たちに見せる顔がない……」
目の前の宗真に対しても、そうなのだろう。
道善は、ずっと視線を合わせようとせず、俯き加減だ。
「私のような者は、先生に色々と言えた立場にございません。説教は、玄庵先生にされてください。では、私はこれで」
宗真が立ち去ろうとしたときだった。
「……紗世は、何か言うておったか?」
「『父上は、どうして?』と何度も、うわ言のように、呟いていたそうですよ。清志郎は答えられなかったと」
「……」
道善から、返事が戻ってくることはなかった。




