第二十七章 髪飾りの呪縛(第六話)
人は、恐れに呑まれたとき、最も取り返しのつかぬ選択をする。
宗真に呼び出された龍之介は、縁側に腰を下ろし、静かに息を吐いた。
沈黙を破るように、龍之介が問う。
「道善殿と、何を話していたのだ。死のうとした理由は聞けたか」
宗真に手招きで呼び出された龍之介は、縁側に腰を下ろしていた。
「道善殿と、何を話していたのだ。死のうとした理由は聞けたか」
「全部を言葉にできるほど、先生自身が整理できているわけではなかったよ。ある程度は、なんとか聞かせてくれたが……」
「ほう」
「根にあるのは、紗凪ちゃんを斬った罪悪感だ。ただ今回の突発的な行動は、それが理由ではない」
「清志郎のことか」
宗真は、静かに頷いた。
「私たちと同じように、清志郎が澄斬姫と接触したことには勘付いていたそうだ。しかし、今日、あいつの腹の傷を目の当たりにして、完全に動転してしまったらしい」
「死人が何事もなく帰ってきたようなものだからな。常軌を逸しているのは確かだ。だからといってなぁ、それでいきなり死を選ぶか?道善殿ほどの男が。儂には、どうにも腑に落ちん」
「先生は澄斬姫の力が、思っていた以上に清志郎に及んでいることに、恐れを成したようだ。今、村で一番腕が立つのは清志郎だ。清志郎を利用して誰かを殺そうとしているのではないかと……そう思っているような口ぶりだった」
「誰をじゃ?」
「これは私の予想でしかないが、澄斬姫が直接手を下せぬ誰か……つまり、護符の札をもっている者ではないかと」
龍之介は、懐にしまっていた宗真に貰った札を取り出し、口をへの字に曲げた。
「なるほどのう。しかし儀式は滞りなく行われてきたのであろう?澄斬姫は何が不満なのじゃ。個人的に恨みがある者でもおるのか?」
「それが分かれば、苦労しないよ。こちらだって、打つ手もあるというものだ。清志郎が村に帰ってきて接触した札を持つ者は、今のところ二人。道善先生と玄庵先生だ」
「清志郎は、二人の前では正気だぞ」
「そうだな。お二人の可能性は低いと考えていいだろう。その点、私の父は危ないかもな」
龍之介は、数日前の宗真との会話を思い出していた。
「そういえば、ご住職は、澄斬姫と思われる女に、遭遇したことがあったのだったな」
「そうさ。しかも、『その札さえなければ、すぐにでも殺してやるのに』と言われたらしいのだ」
宗真は、苦笑いしてみせた。
反対に龍之介の顔は、強ばった。
「ご住職が儀式を、本当は取り止めたいと思っていることを知ってのことだろうか?」
「それなら、道善先生や玄庵先生も同じではないか?まぁ、寺の住職という職業柄、父は目立ってしまうと思うが」
宗真は腕を組み直し、考え続ける。
「澄斬姫は祟り神であろう?仏に仕える者が気に入らぬのでは?」
龍之介はいたって真面目に言ったというのに、宗真は少し鼻で笑ってから答えた。
「仏が気に入らないか……それで清志郎と気が合ったのかもな」
「おい、冗談を言ってる場合ではないぞ。忙しいことにして、暫くは朝比奈家に来させてはならぬぞ。澄斬姫の力を宿した清志郎には、儂では恐らく抑えられんぞ」
「わかってるよ。父には、ちゃんと伝えておく。すまないが、なるべく清志郎から目を離さないでくれ」
「ああ。しかし、道善殿の件はどう清志郎に説明する?あいつは、もう道善が死のうとしたのは、自分のせいだと思うておるぞ」
「清志郎がそう言ったのか?」
「いや、そういう目をしておった。少なくとも儂にはそう見えた」
龍之介の言うことは本当なのだろうと、宗真は特に理由がなくともそう思えた。
龍之介の観察眼は、なかなかに鋭い。
「……危険だな。真実を今あいつに話せば、全てを背負い込んでしまうだろう。……清志郎が村を去ってから、心配のあまり少々気が触れてしまった、ということにしておこう。『お前が安心させてやれ』とでも言うしかない」
「……酷な嘘じゃが、今はそれしかあるまいな」
気づけば、もう、日が暮れそうになっていた。
風が冷たくなり、二人の間を吹き抜ける。
紗世の声が聞こえなくなった。
治療が終わったのだろうか。
二人は様子を見に、居間へと戻った。
◇
「清志郎、止血の薬と化膿止めの薬は塗った。儂でできることは、全てしたが、今夜は相当辛い夜になるじゃろう。恐らく熱も出るじゃろう。熱は無理に下げようとしなくて良い。但し、余りにも高熱で耐えられそうになければ、これを飲ませよ。解熱剤じゃ」
「ありがとうございました、玄庵先生。何とお礼を申して良いやら」
「お前も、戻ったばかりで疲れておろうが、今が正念場じゃ。二人とも、お前しか頼れる者がおらん。頼むぞ、清志郎」
玄庵は、清志郎の肩を軽くポンと叩いた。
彼なりに励ましてくれているのだ。
「また明日、様子を見に来る」と言い残し、玄庵と弟子は帰っていった。
二人を見送り、居間に戻ると、ちょうど龍之介と宗真が戻ってきたところだった。
「紗世ちゃん、辛かったろう。よくがんばったね」
紗世は精も根も尽き果てた様子で、横たわっていたが、宗真の言葉に少し、笑ってみせた。
「清志郎、儂たちにできることはないか?」
「じゃあ、すまないが、紗世の布団を持ってきてくれないか?今晩は居間に寝かせて、俺が看病する」
「わかった。任せろ」
龍之介は、紗世の部屋へと向かう。
今晩は眠れない夜になるだろう。
紗世は痛みと熱で一晩中苦しむはずだ。
「持ってきたぞ。この辺に敷けばいいか?」
「ああ、助かるよ」
龍之介が、布団を敷いてくれたので、清志郎は紗世を抱えあげ、布団に寝かせてやった。
こんな疲れ切った紗世の顔を見るのは初めてかもしれない。
「清志郎、道善殿の面倒や飯は、儂と宗真でなんとかする故、お前は紗世さんに着いていろ」
「すまない龍之介、宗真、助かるよ」
「私はこれで一旦失礼するが、明日の朝、また来るよ。朝飯は何か持ってくる。清志郎、道善殿のことは、父上に話しても構わないか?もちろん、他へ口外しないように釘は刺しておくから」
「ああ、構わないさ。ご住職にも、ご心配をお掛けするな」
宗真は寺へ戻り、龍之介も暫くすると部屋を出ていった。
清志郎と紗世は二人きりになった。
紗世が、か細い声で、清志郎の名を呼んだ。
「清、ちゃん……」
「紗世、どうした?大丈夫か?何でも言ってくれ」
「清ちゃんも、昨晩、あまり寝てないでしょ。ごめんね、疲れさせちゃって……」
「あ……」
水が飲みたいか、痛みを訴えるとか、そんな言葉を予想していた清志郎は、不意を突かれて絶句した。
一番辛いはずの紗世が、自分を気遣っている。
この事態を引き起こしたのは、自分かもしれないというのに。
その健気さと芯の強さが、罪悪感に苛まれる清志郎の胸に、温かくも鋭く突き刺さった。
「紗世、何言ってるんだ。紗世は何も悪くないじゃないか。すまない、俺がもっとしっかりしてりゃ……」
「清ちゃん……父上は、父上は……どうして死のうとなんて……したのかな?」
当然の疑問だった。
けれど、それは今の清志郎にとって、最も答えたくない問いでもあった。
心当たりはあるが、それを口にすれば、この優しい娘をさらに深く傷つけることになるだろう。
唇を噛みしめ、清志郎はただ一言絞り出すのが精一杯だった。
「……すまない。俺にも、わからないんだ」
紗世は、軽く首を横に振った。
◇
夜も更けてくると、紗世は浅い呼吸を繰り返し、時折、眉をひそめて身じろぎした。
まるで、悪夢に魘されているようだ。
玄庵の言っていた通り、熱が上がってきた。
清志郎は濡らした布で額を拭き、そっと手を握る。
「……父上……どうして……」
寝言とも、うめき声ともつかぬ声が、か細く漏れる。
少しでも楽にしてやりたい。
だが、汗を拭い、そっと声を掛けて励ますことくらいしか、今の清志郎にはできることがなかった。
それでも清志郎は、一晩中眠らずに、紗世の傍らにいて、看病し続けた。




