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第二十七章 髪飾りの呪縛(第四話)

罪を償う道は、死以外にない。

そう信じ込んだ道善が、己の首筋に脇差を当てた。

しかし、その刃が断ち切ったのは彼の命ではなく、部屋の静寂だった。

愛する娘の悲鳴が響き渡り、彼の罪は、娘の掌から滴る血となって目の前に現れた。

一方、部屋に残された道善は、老いた肩を震わせ、声を押し殺して嗚咽を噛み殺していた。


「紗凪……これが、お前を殺した罰か?儂はどうすればいい?何もかも白状して、清志郎に斬られて死にたいよ。しかし、それでは、清志郎が苦しむな……」


道善は、這いつくばるようにして部屋の隅へと向かった。

そこには、長い間触れることすら避けてきた脇差が静かに横たわっている。

震える手を伸ばし、それを掴むと、まるでその刃が彼の罪を断ち切ってくれるかのように感じた。

脇差で体を支えながら、なんとか姿勢を正し、鞘からその刀身を抜く。

それを震える手で、首に当てようとしたときだった。


「いやぁぁぁ!やめてぇぇぇ!」


紗世の悲鳴が響き渡った。

と、同時に、紗世は道善に飛びかかるようにして、脇差を奪いにかかった。

道善は一瞬、何が起きたのか理解できなかった。

紗世の細い腕が、道善の首に刃が届かぬよう、信じがたい力で刃を握りしめている。

その掌から赤い血が滴り落ちるのを見て、ようやく現実を悟った。


「さ、紗世!」


紗世の掌からは、血が流れるが、刃を離そうとしない。

紗世はきっと部屋に入る際、声を掛けてきただろうに気付かぬとは――。

道善は頭が真っ白になり、固まった。


「紗世ぉー!」


紗世の悲鳴を聞いて、清志郎が慌てて部屋に入ってきた。

目の前の信じられない光景に、一瞬凍りついたが、慌てて二人の間に割り込んだ。


「い、一体、何してっ!は、離すんだ、紗世、血が!」


清志郎は、道善から脇差を奪い取ると、対角側に投げた。


「先生!これは、どういうことですか!」


清志郎が怒りの目を道善に向けると、道善は清志郎が見たこともないような怯えた目をしていた。

紗世と清志郎の声を聞きつけ、宗真と龍之介も駆けつけた。

事態を把握した宗真は、清志郎に告げる。


「清志郎、急いで紗世ちゃんの手当てを。道善先生は私に任せてくれないか」


道善をこのままに、この場を離れていいのか、清志郎は気が気でならなかったが、紗世の出血は酷い。

見るのも痛々しい。


「くっ、頼む宗真。行こう紗世。傷が心配だ。龍之介、お前も来てくれ!」


「わかった」


宗真を残し、三人はその場を離れた。



「紗世、なんてこった。痛むか?痛むよな、こんなに血が……」


「うぅっ、せ、清ちゃん」


紗世は泣き続けている。

だが、それは傷の痛みよりも、父親が自らの命を断とうとしたことへの恐怖と悲しみからだろう。

「父上、どうして……」と、声にならない声で呟いていた。

清志郎は、なるべく清潔そうな布を引っ張り出してきて、龍之介に止血を頼んだ。


「玄庵先生を呼んでくる。それまで、紗世を頼んだぞ、龍之介」


「おう。できるだけのことはしておく。早く行ってこい」


清志郎は、急いで表口を出ると、玄庵の元へと走った。


(くそっ!なんで、こんなことになっちまったんだ。さっきまで、先生と一緒にいたのは俺だ。俺のせいなのか?畜生っ!)


清志郎は、もう訳がわからなかった。

ただ、今やるべきことは、一刻も早く、紗世の傷を玄庵に診てもらうことだ。

それだけを頭に、無我夢中で走った。



道善の部屋、同時刻。

今までにない緊張が張り詰めていた。

道善は下を向いて固まったまま、動けないでいた。


「道善先生、貴方ほどの御方が……。どうして、こんな無茶をなさいましたか」


「……」


宗真の問いかけに、道善は答えない。

いや、答えられない。


「罪悪感、からですか?」


「宗真、お前は……知っておるのか!」


弾かれたように、道善は顔を上げた。


「儀式について知ったのは、つい最近です。例の寄合にも出ました」


道善は心底驚いた顔をした。


「宗岳は、全て話したのか?」


「ええ。なかなか渋られましたがね。紗凪さんのことも……」


宗真は真っ直ぐに、道善を見つめて返答する。


「それで、その面構えか……。強いな、お前たちは」


「そうではありません。私たちは、叔母を犠牲にしたとはいえ、母を逃がすことができました。この村で、先生ほどの重荷を背負った方はいないでしょう」


宗真の目には、道善に対する軽蔑の色は一切無かった。



「先生!玄庵先生はいらっしゃいますか!」


清志郎は無礼を承知で、そのまま上がり込むような勢いで、玄庵の家の表口の戸を勢いよく開けた。


「どうされました?」


切羽詰まった声を聞いて、奥から出て来たのは、玄庵の若い弟子だった。

彼は清志郎の姿を見て驚いた。


「せ、清志郎さん!ご無事だったんですか。行方不明になったって……」


清志郎は息を切らしながら、必死に訴える。


「申し訳ない、俺のことは後で!紗世が大怪我をして大変なんです!玄庵先生は?」


「せ、先生は今、往診に出掛けられておりまして……」


弟子の返事に、清志郎は苦虫を噛み潰したような顔をした。

こんなときに限って玄庵が留守だとは!


「何処へ?いつ戻って来られるんです?」


弟子の知る清志郎は、物静かで理知的な青年だった。

目の前で鬼の形相で迫ってくる男が、息を荒げ、額に汗を浮かべながら叫ぶ姿に、本当に同じ人間なのかと疑った。


「寝たきりの前田家のお爺さんが、熱を出したとかで。危ないかもしれないって、朝から呼ばれて行ったきりなんですよ」


「なんだって!」


(よりにもよって、前田の爺さんかよ!死にそうな患者を放っておけとは言えないじゃないか!畜生っ!)


清志郎の焦りが頂点に達したとき、背後から自分の名を呼ぶ声がした。


「清志郎……清志郎なのか?……生きておったのか?」


清志郎が振り向くと、そこには往診から戻ってきたばかりの玄庵の姿があった。

救世主の登場に藁にもすがるような気持ちで頼み込むが、もはや言葉の整理がつかない。


「玄庵先生!は、早く!紗世が大変なんです!道善先生が死のうとしてっ、それを紗世がっ……ち、血がたくさん出てて……」


「何と!」


道善が自殺を図ったと聞いて、玄庵は眉を寄せ、顔を強張らせた。

唯事ではないと、すぐに理解したのだ。

詳細を聞き出すためには、まずは清志郎を落ち着かせねばならない。


「落ち着け、清志郎。すぐに向かうから、詳しく話してみよ」


その一言に、張り詰めていた糸が切れ、清志郎はその場に膝をつきそうになる。

震える手で玄庵の袖を掴み、暗闇の中で見つけた一筋の光を離すまいとすがった。

我を取り戻した清志郎に仔細を聞くと、玄庵はすぐに朝比奈家へと急いだ。

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