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第二十七章 髪飾りの呪縛(第三話)

静まり返った道善の部屋に、薬湯の匂いが満ちていた。

清志郎は師の枕元に盆をそっと置くと、その表情に固い決意を宿らせる。

「先生、お薬を持って参りました」

その声には、昨日までの迷いを振り払ったような力が込められていた。

静まり返った道善の部屋に、薬湯の匂いが満ちていた。

清志郎は師の枕元に、盆をそっと置く。


「先生、お薬を持って参りました。昨日、お約束した通り、今日からは絶対に飲んでいただきますよ」


「そうだな、約束は破れぬな」


苦笑いする道善を支え、起き上がらせ、薬湯を丁寧に手渡す。


「ん?いつもと違う薬だな」


「先生が玄庵先生を大変ご信頼しているのは承知しております。しかしながら、今日からはこちらの薬を試していただけないでしょうか」


「どうしたのだ、これは?」


「私を治療してくれた医者にもらったのです。失礼ながら、玄庵先生のものより効くのではないかと」


(澄斬姫の配下におる医者か。一体何を企んでおるのやら……)


道善が、薬をじっと見つめ黙ってしまったので完全に警戒されていると察し、すかさず清志郎は胸を張って説明する。


「先生、大変苦い薬ですが、どうかご安心ください。何を隠そう、この薬は昨日、私が先に毒味を済ませております。ご覧の通り、何ともありませんので!」


毒味をしたのは事実だった。

確かに風間の腕は信用に値すると思っていたが、如何せん付き合いが浅い。

どこまで信用していいのか、はかりかねるところがある。

大事な師に、いきなりその薬を差し出すのには気が引けたのだ。


「清志郎、お前という奴は……」


(毒やもしれんとうのに、儂のために飲んだのか)


「な、何ですか?」


道善の言葉の意味がわからずに、清志郎は首を傾げた。


「いや、単純に、お前の気持ちが嬉しいのだよ。では、いただくとしよう」


道善は、清志郎に心中を悟られぬように、薬を飲み干した。


「……えらく苦い薬だな。玄庵の比ではないわ。これを毎日飲まんといかんのか……」


「我慢なさってください。『良薬口に苦し』です。お茶と、金平糖を1粒どうぞ」


「今日はやたら気が利くな、清志郎」


「私も、何度もその不味い薬を飲まされましたので」


「左様か。お前が飲めたとなれば、儂が苦くて飲めんと駄々を捏ねるわけにもいかぬな」


「そうですよ、先生。これも修行だと思ってください」


クスッと笑いながら、清志郎は答えた。

苦い薬を毎日、自分のために調合してくれた新太の顔が浮かぶ。


(本当に俺は、昨日はどうかしていた。考えてみろよ。入院中、皆、良くしてくれたじゃないか。俺が意識がなかった三日間、風間先生も、新太も、澄さんも、必死に助けようとしてくれていたに違いないんだ)


清志郎の心は、紗世との件で既に、ホッコリしていたが、更に温かくなった。


「それはそうと清志郎、昨夜は一騒動起こしたらしいな」


道善の一言で、清志郎のホッコリが急激に温度を失っていく。


「ご、ご存知でしたか……」


「紗世に、お前が居なくなったと泣きつかれたのだよ」


「先生にまで、ご迷惑をお掛けして、申し訳ございませんでした」


清志郎は、頭を下げ平に謝る。

バレていない訳はないと思っていたが、もう言及されてしまうとは……。


「別に儂は何もしておらんよ。おそらく道場の軒下にでも転がっておるから、探してみよと言っただけだ」


「えっ!……せ、先生、いつからご存知だったのですか?」


「お前、子供の頃からフラッと居なくなることが、よくあったではないか。そっとしておいたが、ちゃんと毎回探して、居場所は把握しておったのだぞ、儂は。子供が居なくなったら、探すのは当たり前だろう」


「……」


清志郎は眉を顰め、口を引き結んだ。

よく考えてみれば、わかることだった。

道善は稽古こそ厳しいものの、普段は人情味のある人間だ。

これまで、清志郎を見つけた上で、一人になりたいという気持ちを尊重し、そっと見守ってくれていたのだ。

道善の心遣いに、清志郎は返す言葉がなかった。


「清志郎。あの場所におったということは、お前、また何か一人で抱え込んでおるのだろう」


もはや完全に、見破られている。

腹を刺されたことは、この際、包み隠さず、言ってもいいのかもしれない。

龍之介にだって話したことだ。

だが、道善のために、風間の仕事をすることだけは隠し通したい。

その様なことは不要だと、反対されることは目に見えている。

そうなれば、道善を救うことはできなくなってしまう。


「何をそんなに隠さねばならんのだ。儂にも言えぬのか?」


「私とて、誰にも隠し事など、したくはありません。ただ、何と説明すれば良いか、いざとなると、わからなくなるんです」


「ふむ」


道善は、いきなり清志郎の両肩を、力強く掴んだ。


「先生?」


清志郎は、道善の行動が理解でず、目をバチクリさせている。


「清志郎、肩をやられたというのは、やはり嘘だったのだな」


道善は目を細め、全てを見通しているかのように静かに告げた。


「あっ……!」


清志郎の顔から、サッと血の気が引いた。

完全に意表を突かれ、咄嗟に言葉が出てこない。

自分が口走った出任せを、すっかり失念していたのだ。


「やれやれ、相変わらず、詰めが甘いな。剣は上達したが、したたかさは全く身についておらんな」


「め、面目次第もございません」


「お前らしいと言えば、それまでだが、上手く世渡りしていけるのか、これでは心配だな」


道善の言うことは最もで、清志郎はガックリと肩を落とす。

大人になりきれていないようで、情けなくなる。


(だめだ俺。馬鹿すぎるだろ。こんなんで、道場を、紗世を守っていけんのか……)


すっかり、しょげてしまった清志郎に、道善は観念して、本当のことを言えと問う。

だか、その声は極めて穏やかだ。


「清志郎、本当は何処を斬られたのだ?まだ痛むのではないのか?」


「……実は、脇腹を後ろから貫かれたのです。信じられませんよね。私も正直、死んだと思いました。いや、死んでる筈なんです。けど、今もこうして生きていて……傷も綺麗に塞がっています」


清志郎は、道善と目を合わせることができず、畳の目を見つめたまま、まるで他人事のように呟いた。

道善の顔が、険しく歪む。


「清志郎、誠か?見せよ!」


清志郎は渋々、道善の前で着物をはだけさせ、傷を見せた。

塞がってはいるが、確かに刀傷が残っていた。


「……」


流石の道善も言葉が出ないのか、口を半開きにしたまま沈黙してしまった。

清志郎は、衣服を正しながら、昨日の失態について再度、詫びた。


「今いるところが現実なのか、それとも死にかけてる自分がみている夢の世界なのか、わからなくなることがあって。それで昨日は、あんなみっともない真似を……弁解の言葉もございません」


清志郎は盆を持ち、立ち上がろうとした。


「待て」


去ろうとした清志郎を道善が制す。


「行ってはならん」


「え?」


「行ってはならん、清志郎」


道善のあまりの必死さに、清志郎は戸惑う。


「あ、あの、先生……何か?」


「その医者には……もう、会うな」


「で、でも、治療費は払わないと。それに昨日は行っても良いと……」


「治療費など、どうでも良い」


道善の口から出たとは思えない言葉に、清志郎は困惑した。


「は、はい?払わなくていいって、流石にそういうわけには……」


「いいから、儂の言うことを聞いてくれ」


「先生、どうなされたんです?何故そんなことを?……ああ、あまりに傷の治りが早いからですか?そう、ですよね。普通に考えたら、おかしいですよね。けどそれは、その医者の技術が……」


「そういうことではないのだ、清志郎」


話を遮ぎる道善に、清志郎は呆気にとられた。

その沈黙は、いつまで続いただろうか。

清志郎はやっとのことで、口を開いた。


「そういうことではないって、なら、どういうことなんです?」


「……」


道善は清志郎を止めておきながら、何も答えない。


「先生、その医者は私の命の恩人ですし、約束しましたので……し、失礼します。また、来ます」


清志郎は、そう言い残すと、道善の部屋を後にした。


(先生、俺のことを案じてくれているのですね。でも、俺は後悔したくない。あなたを助けるための道が、たとえ危険でも残されているなら、それに賭けたいんです。死んでほしくない。絶対に、死んでほしくないんです。俺の命に代えてでも……)


彼の心は、もう決まっていた。

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