第二十章 解放の儀(第一話)
明日の退院を控え、清志郎の心は千凪村へ帰る重圧と、この場所を離れる寂しさで揺れていた。
そんな午後の静寂を破ったのは、澄の訪問だった。
しかし、彼女の隣には見慣れない少女が立っており、清志郎は思わず目を瞬かせた。
澄が誰かを伴って現れるなど、初めてのことだったからだ。
午後。
澄は清志郎の新しい着物と袴を手にし、少女を伴って再び風間医院を訪れた。
新太と同じくらいの年頃の突然の訪問者に、清志郎は目をぱちくりとさせた。
澄が誰かを伴って現れるなど、初めてのことだった。
明日退院だというのに、なぜ今になって。
清志郎は戸惑いを隠せない。
「澄さん、この子は?」
「急に連れてきて、ごめんなさいね。彼女は……」
澄がもじもじと気まずそうにしていると、少女が割り込んできた。
「私は燕羽よ!澄様が『清志郎様のお着物をどうしたらよいか、もう私にはわからない!』と、それはもうお困りだったから、私も呉服店にご一緒させていただいたの。だから――」
そこで今度は、たまらず澄が燕羽の発言を遮った。
「つ、燕羽にも選んでもらったから、今度は大丈夫よ!」
燕羽は先程から、にこにこと笑顔を絶やさない。
愛嬌のある人見知りしない少女のようだった。
まるで座敷童のような印象を受ける。
艶やかなおかっぱ頭に、きらりと光る澄んだ瞳には、長い睫毛が生えていて可愛らしい。
「……そうか、燕羽ちゃんにも手を煩わせてしまったな」
年配の女性などが、選んでくれたというのなら安心できるのだが――。
澄と燕羽に悟られぬよう、笑顔を張り付ける清志郎だったが、その不安は拭えきれていない。
清志郎は汗ばんだ手で、澄から包みを受け取り、恐る恐る包みを解いていく。
いくら平静を装っても、その手は微かに震えていた。
(頼む……頼むぞぉ~。また返品なんて言えねぇよ)
包みを解くと、ふわりと淡い麻の香りが立った。
中から現れたのは、深い藍鉄色の着物だった。
光沢を抑えた布地には、かすかに織り目の陰影が走り、角度によってわずかに色が揺らぐ。
派手さは微塵もない。
だが、その落ち着きには不思議と目を引く品があった。
「お!こりゃ、悪くないな。いいじゃないか!いや、俺には勿体ないくらいだ」
清志郎が思わずつぶやくと、燕羽がぱっと笑みを咲かせた。
「でしょ?」
「ああ。燕羽ちゃんの見立ては最高だよ、ありがとな」
「ほらね、澄様。清志郎様には、これくらいが一番似合うのよ!」
(これくらい、とは……)
その天真爛漫な物言いに、清志郎は思わず苦笑いを浮かべる。
澄は慌てて窘めた。
「こ、これ、燕羽!」
「あら、褒めているのよ。一見すると地味だけれど、動くたびに光が生まれる。澄様から清志郎様のお話を聞いてると、そういうものがぴったりなんじゃないかなと思ったの!」
「そ、そうかい?」
思わぬ燕羽の言葉に、清志郎は急に気恥ずかしくなった。
「もう、燕羽ったら。始めからそれだけを言えばよいものを。誤解するような言い方しないの!」
澄は、困った子ねという風に肩をすくめた。
「澄さん、手間を掛けさせて悪かったな。この着物、本当に気に入ったよ。その……大事にするから」
清志郎が礼を述べると、澄は柔らかく微笑んだ。
「どういたしまして。気に入ってもらえて、よかったわ」
清志郎は慈しむように着物を撫でた。
麻の織り目が掌に心地よい。
上質な品であり、洗練された美しさを持つ。
だが、上品な作りであるため、村の中でも違和感なく馴染むだろう。
外では、午後の陽が傾き始めていた。
(明日、本当に村に帰るんだな……明日の今頃は、もう千凪村にいるんだ……)
陽の光に、布の端がふっと光を返した。
その一瞬光るが、すぐに消えてしまう儚い光に、清志郎の心は、なぜだか揺らいだ。
◇
しばらく三人で談笑していたが、日が暮れる前に燕羽は迎えに来た者と共に帰っていった。
賑やかだった部屋は、二人だけが残され、互いの息遣いが聞こえるほど静まり返った。
「あの子、ずっとおしゃべりしてたわね。相手をするのに疲れたでしょう?ごめんなさいね」
「いや、楽しかったよ。もっと早く連れてきてくれたらよかったのに」
「私と二人だけじゃ退屈だった?」
不意に翳った澄の表情に、清志郎は狼狽える。
「そんなことっ!……あるわけないだろ。澄さんが傍にいてくれなかったら、俺は……。本当に世話になった。いつか、この恩を返せるといいんだが……」
言葉にしたい想いは山ほどあるのに、口をついて出るのはありきたりな感謝ばかりだ。
情けなくなり、澄の瞳から思わず視線を逸らしてしまう。
何か一つでも、彼女に返せるものがあるのなら。
そうすれば、この目を逸らさずにいられるものを。
だが、今の自分には何もない。
「気にしないでって、前にも言ったでしょ。私が勝手にしたことだって」
澄は優しく微笑みながら、変わらぬ言葉を清志郎に返した。
その優しさが、返って清志郎の胸を締め付けた。
「あ、……そ、そう、これ。これを受け取ってくれないか。何の価値もないが、今渡せるのはこれくらいしかなくて……」
清志郎はふと思い出したように懐を探り、小さな包みを取り出した。
「これは?」
それは、清志郎は澄に何か感謝の意を示したくて、急いでこしらえた物だった。
だが、何でも手に入るであろう澄に、こんな物を渡してもと躊躇していた物でもあった。
「ちょいと新太に材料を調達してもらってな、澄さんたちが呉服店に行ってくれてる間に作ったんだ。つまんない物だが……」
澄が包みを開くと、中から竹で彫られた小さな根付が現れた。
「この花は、桔梗ね。これを清志郎さんが彫ったの?驚いたわ、器用なのね」
澄はまじまじと根付を見つめ、感嘆の息を漏らした。
素人が急いで作ったとは思えぬほど、見事な彫りだった。
「花については詳しくないが、桔梗は武家の間で『更に吉』『吉が重なる』ってとこから、縁起の良い花だとされている。だから、その花を……」
「ありがとう、とても可愛らしいわ。清志郎さんとの思い出として、大切にするわね」
「……澄さんが、幸せになることを願ってるよ」
その晩、遅くなっても迎えが来るから大丈夫だと言い、澄は清志郎が眠りにつくまで傍にいた。
清志郎は澄の優しい眼差しに包まれながら、静かに眠りについた。
次回、澄斬姫の正体と彼女の目的が明らかになります。




