第二章 とんだ道場破り(第二話)
朝比奈道場では、子供たちが整列し、いつものように礼をして終わる──そのはずだった。
だが、その静けさは、思わぬ来訪者によって打ち破られる。
これが後に剣友となる、高坂龍之介との運命の出会いである。
朝比奈道場では、そろそろ子供たちの稽古が終わる頃合であった。
「よーし、今日はここまで!並べ!」
清志郎の声に応じ、息を切らせながら子供たちが整列する。
本来なら、この後、黙想し礼をして、いつも通り終わるはずであった。
しかし、入口の戸が勢いよくバンっと開けられ、一人の大男が入ってきた。
「朝比奈道場の師範代、榊清志郎殿はおられるか!!」
子供たちは突然の事に驚き、列を崩し後方へ下がる。
(知らぬ顔だ。道場破りか?だが何故うちのような田舎道場に?)
とりあえず、清志郎は子供たちを更に後方に下がらせ、前へ歩み出た。
「榊清志郎は私だが、何用か?」
清志郎は毅然とした態度で答えた。
「儂の名は、高坂龍之介。武者修行で旅をしておる者だ。これも何かの縁かと思うてのう、是非お手合わせ願いたい」
(縁?何のだ?何故、俺の名を知っている?)
清志郎の頭に疑問が渦巻いていると、龍之介の後ろから、申し訳なさそうな顔をして、紗世と鈴が入ってきた。
「さ、紗世さん?」
「清ちゃん、ごめんなさい。断りきれなくて……」
鈴も困り果てた顔をして続けた。
「それに、とんでもない事、言ってるんです」
「とんでもない事?」
清志郎には、仔細がよく呑み込めなくて、龍之介を見やった。
「なに、単純明快な事だ。もし、儂が勝ったら、この紗世という別嬪な娘を我が妻としていただきたい。つまりは、この道場は儂が継ぐという事だ」
龍之介は、不敵な笑みを浮かべて言い放った。
「なっ、なんだとっ!!」
思いもよらぬ勝手な条件を提示する得体の知れない男に、清志郎はふつふつと怒りが湧いてくるのを感じた。
「そんな事、俺の一存で決められる訳がないだろう!ふざけるな!」
「そうかぁ?より強い男が道場を継いでくれた方が、お師匠様も、このお嬢さんも、お喜びになるんじゃねぇかぁ?なぁ、お嬢さん」
龍之介は、あろう事か紗世の肩に手を回し、グイっと引き寄せた。
「ほう、なかなか良い肌触りじゃないか」
「やめて!」と紗世が叫ぶより前に、清志郎の怒声が道場に響いた。
「その汚ぇ手を今すぐ紗世さんからどけろ!叩き斬るぞ!!」
普段の清志郎からは、想像出来ない威圧感に、紗世、鈴、そして子供たちは一瞬身をすくませた。年少の子は怖がって泣き出しそうになっている。
だが、龍之介だけは違った。
紗世を解放しながら、フフっと笑い嬉しそうにしている。
「やる気になったな、榊清志郎」
龍之介から解放された紗世は、鈴の手を引いて一目散に清志郎の元へ行った。
「紗世さん、鈴ちゃん、あの男に何かされたんじゃ……」
清志郎の目は、いつになく真剣だ。
本気で心配しているのが、嫌でも伝わってくる。
こういうところは、本当に清志郎らしいと紗世は思う。
「大丈夫、何もされてないわ。茶屋でたまたま出会って、道場のこと、根掘り葉掘り聞かれて……本当にごめんね、清ちゃん」
紗世の不安で泣きそうな顔は、朝に泣きじゃくっていた姿を思い出させた。
清志郎は、できるだけ優しい表情を紗世に向けて静かに問うた。
「そんなに心配?紗世さんは、俺が負けるとでも思ってるんですか?」
清志郎は、ポンと紗世の頭に手を乗せて言った。
「高坂殿、道場にある好きな木刀を選べ。お相手しよう」
龍之介は満足そうに頷くと、壁に並ぶ木刀の中から一振りを手に取った。
いよいよ始める勝負に、道場は静まりかえった。
皆、正座して固唾を飲んで見守っている。
鈴は紗世の隣で手を合わせて祈りだした。
紗世も同じように手を合わせたが、震える指先は止まらなかった。
一礼をし、清志郎は正眼に、龍之介は八相に構えた。
痺れるような緊張感が漂う。
清志郎の構えには隙がない。
通常の剣士ならば、なかなか打って出られないだろう。
だが、龍之介は構わず遠間からでも打ってくるだろうと、清志郎は予測していた。
あの恵まれた体格を生かさぬ手はないだろう。
「ぬあぁぁっ!!」
案の定、龍之介は豪快な初太刀をお見舞いしてきた。
清志郎は、いなしながらも、しっかりと受ける。
そうしなければ、力ずくで押し斬られるだろう。
(この馬鹿力が!しかも思ったより早いっ)
龍之介の攻撃は、なおも続く。
横への薙ぎ払い、突きと技も多種多様だ。
清志郎は、それらを冷静に受け止めては流していく。
清志郎も隙をみては反撃するが、龍之介の防御もなかなかだ。
決定打にならない。
攻撃の手数は、明らかに龍之介の方が多い。
鈴はじめ、子供たちには、清志郎が押されているように見えた。
この体格差だ。
龍之介の攻撃をかわし続けてはいるが、いずれ……。
だが、紗世だけは違った目線で見ていた。
渾身の全ての攻撃を、ことごとくかわされて、策が尽きているのは龍之介の方ではないのか。
紗世は龍之介の焦りを感じていた。
(清ちゃんは、これを狙っていたんだ。そして待っている。その時が来るのを!)
実際、龍之介は焦っていた。
これだけ打っているのに、全て正確に受け流され、絶妙な間合いを維持される。
体勢も崩さないので、二の太刀、三の太刀で打ち倒す事も出来ない。
長期戦になり、お互い息が上がってきた。
(儂の剣をすべてかわしきるとは、大した集中力だ……)
激しく打ち合った後、お互い反転し、向かい合った瞬間だった。
龍之介は僅かに隙を作り、清志郎が打ちに来るように仕向けた。
数少ないチャンスを逃すまいと、清志郎は打ってくるに違いない。
龍之介は出鼻を狙ったのだ。
清志郎は龍之介の思惑どおり向かってきた。
龍之介の剣が、清志郎の小手目掛けて走った。
だが次の瞬間、龍之介の小手は虚しく空を斬った。
(なにっ!)
龍之介の予測した位置に、清志郎の小手はなかった。
清志郎は打ちに踏み出すところ、踏み出さなかったのだ。
龍之介の小手はギリギリのところで、清志郎の小手に届かなかった。
後退せぬ抜き技のような形になり、空振りした龍之介の剣は完全に死んだ。
その瞬間、清志郎の身体が一瞬で間を詰める。
清志郎の剣は、ついに龍之介の面を捉えた。
(決まった!)
紗世の心の中で歓声が上がった。
「あ痛たたたた……」
龍之介は、頭を押さえて蹲った。
「ま、参った。いや、見事!儂の負けだ……」
清志郎は、深く息を吐いて、残心を解いた。
「清志郎せんせーい!」
「やったぁ!!」
「すごーい!」
「先生、かっこよかった!」
先ほどまで固まっていた子供たちが、堰を切ったように清志郎の元に集まって、群がるようにしがみついてきた。
「お、おい、これでは動けないぞ」
離せと言っても、なかなか子供たちは言う事を聞かなかった。
「先生、負けちゃうかと思ったよ!」
「先生って、ちゃんと強かったんだね!」
子供たちの無邪気な言葉に、正直すぎるのも、いかがなものかと考えさせられる。
「清ちゃん!」
「紗世さん!」
子供たちはやっと沈黙した。
「清ちゃん、ありがとう。道場を守ってくれて。……それに、凄かったわ。鉄壁の防御が最大の攻撃になったりもするのね」
紗世がにこっと微笑むと、清志郎も一瞬驚いたような表情を見せた後、嬉しそうに微笑み返した。
「さすが紗世先生だ!」
清志郎は声を大にして、ゆっくり言い放った。
「え?どういう事?」
子供たちは首を傾けた。
「お前らは、紗世先生っていう、最高の先生に教わってるって事!」
清志郎の言葉に、紗世は照れくさくなり、思わず俯いた。
清志郎は、龍之介の方をチラッと見ると、子供たちを帰すから、少し待っておくように伝えた。
「礼!」
「ありがとうございました」
子供たちは、清志郎に何度も手を振りながら、元気よく道場を後にした。
「先生、また教えてね!」
「今度は僕も強くなるから!」
賑やかな声が遠ざかると、道場には静寂が戻った。
さて、どうしたものかなと、清志郎は龍之介に向き合って座った。
「高坂殿、お待たせしたな」
「榊殿、完全に儂の負けでござる。色々と無礼な態度を取った事、お許し願いたい」
龍之介は深々と頭を下げた。
龍之介の打って変わった態度に、清志郎は少し拍子抜けした。
「あ、いや……高坂殿の腕前は確かなものでした。私が負けていても決しておかしくなかった。また、この村を訪れる機会があったならば、是非お立ち寄り下さい。道場破りは勘弁していただきたいが……」
清志郎が卒なく事を終わらせようとしたときだった。
「師範代!儂はこの道場が……いや、何よりお主のことが気に入ってしもうた!」
満面の笑みで龍之介が吠え出した。
「暫く、ここに置いて下され!」
「……は?」
ニッと笑って距離を詰め、バンバンと両手で両肩を叩いてくる龍之介に、清志郎は眉間にしわを寄せて固まった。
紗世と鈴は、あっけにとられて、ふたりを見つめていた。




