第十五章 罪と熱情(第三話)
屋敷に戻って以来、澄は清志郎と一度も目を合わせようとしない。
その冷たく張り詰めた空気に、清志郎は自分のしでかしたことの大きさを突きつけられる。
やがて、部屋を出て行こうとする彼女の背中に、彼はたまらず澄の手首を掴んだ。
風間医院の屋敷に戻るまで、清志郎と澄は、互いに一言も口を開かなかった。
部屋へ向かう途中、廊下の奥から怒号が響いてきた。
「清志郎!どこ行ってたんだよ!ずっと探してたんだぞ!」
(新太も探してくれてたのか、もしや風間先生も……)
「すまない、新太。ただ庭を散歩していただけなんだ」
「外に出たいなら、誰かに一言伝えてからにしろ!大人なんだから、それくらいわかるだろう、まったく!」
新太の言い方はともかく、言っていること自体はもっともだ。
「反省してるよ、新太。本当に悪かった。心配かけてすまなかったな」
そんな新太とのやり取りにも、澄は一切気を留める様子もなく、清志郎に部屋へ入るよう促した。
「入って」
「あ、ああ……」
部屋に入ると、澄は清志郎にそっと羽織を掛ける。
「お粥、冷めてしまったから温め直してくるわね」
そう言い残し、澄は部屋を出ていった。
一度も清志郎と目を合わせようとしない。
張り詰めた空気に、清志郎の胸は押しつぶされそうだった。
しばらくして、澄が温め直した粥を盆に乗せて戻ってきた。
「手間をとらせたな、澄さん。申し訳ない」
「気にしないで。ゆっくり召し上がって」
そのまま部屋を出て行こうとする澄の背中に、清志郎はたまらずベッドから立ち上がった。
腹の傷が痛むのも構わず駆け寄り、その手首を掴む。
「待ってくれ、話を聞いてほしい」
虚ろな瞳をたたえた澄が振り返る。
いつもの朗らかな笑顔など想像もつかないその表情に、清志郎は激しく動揺した。
(俺のせいだ。澄さんの好意に甘え、中途半端な態度で接し続けた結果が……これだ)
胸が張り裂けそうだ。
この恋を終わらせるのは、あまりにも辛い。
まだ、あの甘い夢の中に浸っていたかった。
しかし、その優柔不断さが彼女を深く傷つけた。
清志郎は静かに決意を固めた。
「本当のことを言うよ。昨晩、眠れなかったのは……澄さんのことが頭から離れなかったからだ」
「え?それって……」
澄の瞳が驚きに揺れる。
「わかるだろ?それくらい澄さんは、俺にとって……どうしようもなく気になる存在なんだ」
「清志郎さん……」
「澄さんも聞かせてくれないか。……俺のこと、どう思ってる?」
「聞かなきゃわからないの?私が、誰にでもこんな態度を取る女に見える?」
清志郎は、首を横に振った。
「確かに最初は同情だったかもしれない。でも、あなたの隣にいるうちに、いつの間にか、ずっと傍にいたいと願うようになっていたの」
「澄さん……」
清志郎は澄の真剣な瞳に見入った。
そこには、今、自分の姿だけが映されていた。
そして、澄は決定的な言葉を清志郎にくれた。
「好きなのよ……あなたが」
澄の瞳から、一筋の涙が零れ落ちる。
互いの心が、同じ想いで繋がっている――それがわかった。
本来なら、これ以上ないほど幸福な瞬間のはずだった。
それなのに、胸を鋭い刃で貫かれるような痛みが走る。
彼女に伝えなければならない。
避けられない、残酷な真実を。
「俺も……俺も好きだ、澄さんのことが。本当は誰にも渡したくない。離したくない。でも……でも、だめなんだ!俺には紗世を裏切ることは出来ない。それに俺を拾ってくれた先生の恩を忘れて、道場を捨てることも出来ないんだ」
(これで終わりだ。これでいい。たとえ一生、澄さんのことを忘れられなくても、俺にはこうするしかない)
「そうよね。あなたは、そういう人だわ。ごめんなさい。あなたを苦しめたわね」
澄は、驚くほど静かにそれを受け入れた。
自分の感情を抑え、清志郎の決断を慈しむように。
清志郎は、顔を見られたくなくて、思わず澄を抱きしめていた。
もう二度としないと、あれほど誓ったはずなのに――。
「ち、違う……悪いのは……俺だ。すべて俺が悪いんだ。澄さんの優しさに甘えて、一度ならず……衝動に身を任せてしまった。ゆる……許してくれっ!今だって……今だって、そうだ!」
「清志郎さん。……泣いてるの?」
「ああ、そうだよ。たった今、かけがえのないものを手放したんだから」
清志郎は歯を食いしばるが、涙が勝手に頬を伝った。
「俺みたいな情けない男じゃだめだ。もっと強い男じゃなきゃ……澄さんを幸せにできない」
「今、そんなこと言わないで。他の誰かのことなんて、考えたくないわ」
温めなおしたはずの粥は、すっかり冷めてしまっていた。
だが、強く抱きしめ合った二人の熱は、一向に冷める気配がない。
ここを出て千凪村に帰ったら、この熱は徐々に冷めていくのだろうか。
それとも、もっと熱く燃え上がってしまうのだろうか。
澄との恋を自ら終わらせたというのに、胸の奥の不安は少しも消えていなかった。
清志郎にとって、それは予想外のことだった。
物語はまだまだ途上にあります。この先の道行きを★という形で支えていただければ幸いです。これからもどうぞよろしくお願いします。
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