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澄斬姫 ―神殺しの男に背負わされた、復讐の妖刀―  作者: 白杜深月
第一部

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第十六章 仮面たちの思惑(第一話)

命の恩人である澄の優しさに、清志郎は温かい安らぎと、別れがたい切なさを感じていた。

だが彼は知らない。

その慈愛に満ちた瞳の奥で、底知れぬ闇が「償い」の時を待ちわびていることを。

穏やかな時間は、残酷な運命の序章に過ぎなかった。

「やっぱり温め直してくるわ」


澄が立ち上がろうとすると、清志郎はそれを制するように、冷え切った粥を手に取った。


「いいんだ。うん!このままでも、十分美味いよ。卵まで入ってるじゃないか。澄さん、料理が下手なんて嘘だろ?」


構わず粥を口にし、笑顔で美味いと褒めてくる清志郎に、澄は少し困ったように微笑みながら、どこか照れくさそうに視線を落とした。


「嘘じゃないわよ。でも、こうして料理をするのも悪くないと思ったわ」


それは粥を作るとき、自分を想ってくれたからだろうか。

清志郎は、澄の言葉に胸が温かくなるのを感じた。


「きっと、ただやってこなかったってだけで、才能はあるんだよ。それと、そうだ、聞きたいことがあるんだ」


「何かしら?」


「あ、あのさ、俺の着物と袴、今どこにあるのかな?」


澄との時間が、残り少なくなるのは惜しいが、もう終わらせたのだ。

ためらってはいられない。

清志郎は、退院に向けて考えを切り替えようとしていた。

それに澄との時間が長くなれば、その分、別れが辛くなるというものだ。


「……捨てたわよ」


「えっ!?捨てたの?」


粥に向けられていた視線が、驚きとともに澄の方へと移った。


「だって、血まみれで、あちこち破れてたんだもの。もう着られないじゃない」


「……そ、そうか」


「まさか、清志郎さん、あれを着て帰るつもりだったの?」


「ま、まあ……あれしかないし。そろそろ洗濯して、繕おうかなって……」


「えっ!?清志郎さん、お裁縫なんてできるの?」


澄は心底驚いた顔をしている。

男が裁縫だなんて、引かれただろうか。

しかし、ついさっき、澄の気持ちを断っておきながら、縫物を頼むのは忍びなかったのだ。


「下手くそだけど少しね。母が病に伏してからは、家事とかやってたからさ。でも、そうか、もう無いのか。どうやって帰るかな……風間先生、貸してくれるかな」


「やだ、清志郎さん、そんなの私が新しい着物を買ってくるわよ」


「何を言ってるんだ!澄さんには入院費を既に払ってもらってるんだ。これ以上、金を使わせるわけにはいかないよ」


「もう!すぐまた遠慮するんだから。私に任せておいて」


「いや、それは悪いよ……。澄さんの家に古い着物とかないかな?帰るときに着るだけだ」


澄のことだ。

買うとなれば、自分が着ていた物よりも質の良い物を買ってきそうで、清志郎は気がひけた。


「いいのよ。あなたに贈りたいの。……私を思い出してもらえるように」


「澄さん……」


澄の切実な願いがそこにあることを知り、清志郎は拒むことができなくなった。


「ごめんなさい。重たい女だなんて思わないで。ただ、時々でいいから、思い出して欲しい。あなたの記憶の片隅に私を残しておいて欲しいの」


「忘れるわけないじゃないか!澄さんは俺の命の恩人だ。それに……それに、澄さんとの思い出は、俺の一生の宝物だ」


(千凪村に帰っても、未練を断ち切る自信がねぇってのに。思い出の品なんてなくたって忘れられるわけ……)


だが、そんな言葉を口にすることはできない。


「着替えのことを考えるなんて。もしかして、早く帰りたいの?」


「心配なんだ。師範の道善先生のことが。実は、余命幾ばくもないって、医者に言われていて。食事もろくに取らないし。正直、俺には、いつ亡くなっても、おかしくないように思えて……」


入院中に、道善のことが気がかりだったのも本当だ。

自分のいないうちに、亡くなっていたりしたら――そんな不安が頭を何度もよぎっていた。


「そうだったの。退院しても、気が休まらないわね」


「澄さんだって、縁談が立ち消えたわけじゃないんだろ?」


「そうね。あなたがいなくなったら、現実に戻ってしまうわ」


(現実か……ここに来てから、俺はずっと夢の中にいるようだったな。良くも悪くも)


「退院については、今日の診察で、風間先生と相談するといいわ」


「ああ、そうだな」


清志郎には、風間に聞きたいことが、もう一つあった。

澄に相談すれば、きっと彼女は、快く応じてくれるだろう。

だが、それは許されないことに思えた。


「昨晩、眠れなかったのでしょう?お昼まで眠っていいのよ。また、お昼に起こしてあげるから」


昨晩、眠れなかった――澄に口にされて、その理由が蘇り、清志郎は自分の顔が熱くなるのを感じた。


「あ、ああ。そ、そうさせてもらおうかな。今頃になって眠くなってきちまった」


「ふふっ、お休みなさい。清志郎さん」


「お、お休み。澄さん」


清志郎は恥ずかしくて、早々に狸寝入りを決め込んだ。

澄の柔らかい手が、壊れ物を扱うように優しく清志郎の頭を撫で続けてくれた。

恥じらいよりも、切なさが込み上げてくる。

その切なさが、安らぎに変わったとき、清志郎は眠りに落ちた。


(なんだか幼く感じるわね)


清志郎の寝顔を見ながら、ふと澄は思った。


(こんな人が本当に、あの子を殺せたのかしら……)


当初、澄が思い描いていた気質と、清志郎はかなり違っていた。

だが、この目で確認したのだ。

弟を殺した紛れもない証を――あの神殺しの烙印を。

澄にとって、弟は目に入れても痛くないほど、可愛い存在だった。


(どちらにせよ、あなたがいけないのよ。優しかったあの子が、なぜ変わってしまったの!一番傍にいたのは、あなたじゃない!あなたのせいよ!許すことなんてできないわ。今のあなたがどうであっても)


澄は顔を苦し気にしかめて立ち上がり、部屋を出ようとした。


「澄……さん……」


「っ!」


名を呼ばれて振り返るが、清志郎は目を閉じたまま寝息を立てている。

寝言でまで呼ぶなんて――澄の心に一瞬、罪悪感が芽生えそうになる。


(今世の姉上が、あの男に斬首される直前、助けを求め呼んだ名は「清志郎」だった。姉上は神であられたときも、清守をかばい人にまで堕ちた……姉上……いつから愛していたの?この男のことを……)


閉めた板戸を背に、自分にも聞こえないほどの小さな声で呟く。


「お許しください、姉上。姉上のお気持ちを慮ったとしても、私は清志郎を使うわ。そして、償いの名のもと、地獄へ導くの」


澄の瞳は氷のように冷たく、底知れぬ闇を宿していた。

彼女の長年の恨み、そして収まらない人の愚行への嫌悪は、彼女の決意を変えることはできなかった。

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