第5話 対峙
吹雪は暗闇の中で、意識が覚醒した。
目の前が真っ暗だ。目を開けているはずなのに。
まだ夢の中にでもいるというのかと思う。
闇の中は静かだった。心地が良い場所。
何もない。苦悩も絶望も感じる事もない。
空っぽも悪いものじゃないと、感じ始める。
「まるで俺自身だな……」
父に指摘されて、初めて気が付いた。
自分には何もない。戦う理由も。頑張る意味も。
空っぽな人間性のまま、毎日を生きていた。
意味のない人生を歩んできた。
目的もなく、只人の足を引っ張るだけの人生を。
「気づかなければ良かった。本気でそう思っている?」
聞き馴染みのある声が、耳に入る。
「美央? どこに居るんだ?」
美央。自分が危険を冒して助けに来た少女。
いや、実際は違う。ただ父の計画を邪魔したかっただけだ。
彼女を助けたいなんて、本心で思っていない。理由に使っただけだ。
「すぐ傍にいるよ。君には見えないけど……」
「ここはどこなんだ? 俺は戦艦にいたはずじゃ?」
「そこは君の意識の中。君は無意識に現実を拒絶して、起きる事を拒否している」
吹雪には直ぐに理解できない。
情報を整理すると、自分はまだ意識を失っているようだ。
いや。自分でも分かる。もう起き上がりたくない。
「少しだけ……。あの人の心に触れたよ」
「ああ。俺もだ」
父はオメガを醜いと語っていた。
それでも自身がオメガとなる道を選んだ。
彼は何か大きな事をしようとしている。
自分にはない、責任や使命感を抱いている。
ならば自分に彼を否定する資格があろうか。
吹雪はその疑問から、現実に戻るのを拒絶している。
「あの人はね。君が苦しむ度に、自分も苦しんでいた」
「思い出したさ。親父はずっと、俺の可能性を閉ざした事を悔やんでいた事を」
「だからその責任を取るつもりよ。彼の本当の目的は……」
自分の過ちを正すこと。それは子供が自由に夢を見られる世界を作ることだ。
その為に傾は今の社会基盤を崩そうとしている。
特定の人間が支配する、世界そのものを壊そうとする。
たとえ悪人と呼ばれても、裏切り者と呼ばれても。
彼は孤独に戦い続けるつもりだ。
「本当に良いの? このままお父さんを行かせて」
「俺と父に絆はない。好きにして、勝手に野垂れ死ねば良いさ」
彼の戦いは上手くいかない。吹雪にはその確信がある。
彼は一人で世界に喧嘩を売った、最悪の大罪人と名を遺すだろう。
そうなれば、吹雪にも悪評が向かう。
もうどうでも良い。何もない自分は、このまま消えてしまいたい。
ここで消えるなら、この先誰がどうなろうと関係ない。
「君は戦う理由がない事に。生きる理由が存在しない事に悩んでいる」
「そうさ。下位互換の人間は、社会に必要ない」
「それは君が、戦う事、生きる事を高貴な事と勘違いしているからだよ」
美央は力強い口調で言った。
「生きる事には立派な理由が必要だと。そう考えている」
図星を言われて、吹雪は言葉を飲んだ。
誰からも感謝されない誕生を得て。
生まれた事自体を、呪っていた。
「吹雪。生きるのに理由なんて必要ないんだよ」
「社会に役立たずはいらない。仕事が出来ないやつは、みんなから嫌われるだろ?」
「それはみんなが勝手に作ったルールだよ。君は周囲の規則に縛られている」
またしても図星だった。
エリートな家系である為、幼い頃から礼儀を叩きこまれた。
社会の役に立つことが、絶対の正解だと教え込まれた。
「君はもっと、自由に生きて良い」
「好き勝手生きたら、迷惑だ」
「自分は苦しむのに。平気で人を傷つける人を気遣うの?」
「気遣いをなくせれば、苦労はしないさ……」
吹雪の根っこに染み付いた本能。
常に人の顔色を窺い、自分が我慢して相手を立てる。
生まれた時から、その性格は滲み込んでいた。
「こんな性格で生まれたくなかった。こんな家系で育ちたくなかった」
「それが君の本心なんだね? 全てが砕け散って、起き上がるのを拒絶している」
吹雪の根本にあるものは、自己嫌悪だ。
自分が自分でなければ、さぞ幸せだっただろうな。
そんな事を何度も考えた事がある。
自己無価値観が常に脳に張り付いている。
頭痛を感じなかった事がない。
「なら最後に。その答えを求めてみない?」
「求めるってどうやって?」
「もう一度彼と向き合うの。戦えば何かを得られるかもしれない」
優しくて、温かい感触が吹雪の肩に乗っかる。
相変らず視界は暗いままだが、人の温もりを感じる。
「自分の価値を確かめる。それが戦う理由で良いじゃない」
「そんな理由で戦っても……」
「言ったでしょ? 戦うにに立派な理由は必要ない」
美央は戦うのに、生きるのに理由は必要ないと語った。
吹雪は自分の内に秘めた、欲求を思い出す。
「私と特訓をした時。君は一心で考えたはずだよ」
「父を超えたい……。いや、認められたいか」
吹雪は答えに辿り着いた。
戦う理由なんて、それだけで十分だ。
直接対決をして、父に勝利する。
そして自分を認めてもらう。それの何が悪いのか。
吹雪は虚無に吸い込まれそうな意識を、奮い立たせた。
「それが君の、抑えつけらえた本当の望みだよ」
「そうだな。きっとこれが、最初で最後のチャンスだ」
視界に僅かな光が見えた。
吹雪はその光に向かって、手を伸ばす。
「承認欲求か。良いイメージはないが。人が生きるのに、必要なのかもな」
吹雪の意識は覚醒した。
気が付くと戦艦の研究施設で、壁にもたれかかっている。
先に目覚めた美央が、黙って頷いた。
「吹雪。特訓の成果を今度こそ父に見せる時だよ!」
「ああ。行ってくる」
吹雪はサムズアップをして、壁を突き破った。
父親が今どこにいるのか。何故か分かる。
エンジンルームだ。吹雪にはその場所の様子が、見えていた。
その理由は直ぐに分かった。
この船はリアクターを動力にして、動いている。
リアクター同士が反応して、吹雪を導いているのだ。
「よお、クソ親父。動力に手を出して、何をするつもりだ?」
「何故、来たんだ? さっさと逃げれば良いものを」
「アンタを倒しに来たんだ。最初からそれが目的だったからな」
「愚かな……」
傾は躊躇なく、動力となっているリアクタ―を引き抜いた。
戦艦内にアラート音が鳴り響く。
動力を失い、内部の電力送電が亡くなったのだろう。
「なにしてんだ、テメェ」
「この戦艦を街に落とす。愚かな者は、命を使わねば愚かさを理解しない」
「昔、親友が言ってたぜ。命で訴えられることはないってさ」
自分の命も他人の命を使っても、誰にも言葉は届かない。
だから命がけの訴えなど、無意味だと冷めた親友は言った。
自殺もテロも、事象だけが注目される。訴えなど届かない。
「それに計画は上手くいかない。この戦艦には俺の親友が来ているからな」
「たかが十五歳の子供に、何ができる?」
「出来るさ。ユウキなら、やってくれる」
ユウキにはやってくれると思わせる、力があった。
だから自分が今やるべきことに、集中できる。
「親子喧嘩と行こうぜ」
「馬鹿者と言いたいが。少し嬉しいよ」
傾は振り向いて、吹雪と向かい合う。
不意打ちとは言え、先ほどは一撃で気絶させられた。
まともに戦えば、無事では済まないだろう。
「お前は私を超える事を、内心諦めていた」
「ああ。俺は夢も希望も、全てを諦めていたさ」
「だが今のお前から、かつての熱意を感じる。嬉しく思うぞ」
父親の戦い方、信念を吹雪は知っている。
たとえ格下相手でも、油断しない事。
認めた相手には全力で潰しに行くこと。それが父だ。
「俺はアンタと戦い。自分の意味を、もう一度確かめる」
「来い、吹雪! 完全となった父を超えて見せろ!」




