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(ずいぶん長いことひとりにしてしまった。マリーは怒っているだろうか)
入場した時よりもかなり人が増えており、アルブレヒトはハイデマリーをなかなか見つけられずにいた。
(マグダレーネ嬢と別れた後、何人もの女性に足止めをされてしまったからな…いい加減にあしらえたら良かったんだが)
女性に優しくするのは当然、というのはアルブレヒトの本心だ。女性を敵に回して良いことはない。どんな立場の女性にも分け隔てなく優しくすることで、実際王宮で仕事をするのも快適に過ごせている。
親切の度が過ぎている、あちこちに気を持たせるようなことをして逆に不実だ。そう忠告する者もいたが、遊びで付き合うでもなく守れない約束もしていない。何がいけないのかアルブレヒトにはわからなかった。
(…ああ、でもその態度がマグダレーネ嬢を遠ざけてしまっていたのだな)
美しく機転の利く令嬢を、鑑賞するような気分で見つめていた。マグダレーネの気持ちに気付かず、高貴な女性の方から告白させてしまったのだ。反省しなければ、と思いながらも浮き立つ心が抑えられない。
実家の伯爵家は困窮しているわけではないが、父である伯爵が投機に失敗して余裕のない状態だった。エリックとハイデマリーの子爵家のほうがよほど裕福といえる。
ハイデマリーに対しては、優しくしていたのはアルブレヒトの性格もあるが、実際他の女性以上に思ってはいた。慕ってくれる少女がただ可愛く、いずれ婚約するのも悪くないと考えていた。だから宰相の下に配属されたエリックが仕事に忙殺され、今夜は妹に付き添えないと泣きついて来た時もエスコートを快諾した。
だがこちらから婚約の打診をする気はなかった。ハイデマリーから子爵にねだって申し込んでくる、またはエリックから頼んでくることを期待していたのだ。結婚後の立ち位置を考えて望まれる方が有利と思い、また『友人の妹に惚れ込まれて』婚約となれば周囲の女性たちもアルブレヒトを恨まずにいてくれるのではと期待した。
…婚約で恨まれると思っているということは、それほどに気を持たせていたのだと自覚があるはずなのだが、アルブレヒトが深く考えることはない。
(それにしても、あと一歩のところで…)
マグダレーネと庭園の奥の四阿で熱く語らい、このまま既成事実に持ち込んでしまえば…と休憩室の使用をもくろんでいたところで「思いが通じて嬉しかったですわ。でも今夜の貴方には別にパートナーがいるのですから、あまり放置していては紳士として外聞が良くないでしょう」とマグダレーネは身を翻し、二人の時間はまたいずれ…と囁いて去っていった。
怪しまれないようバラバラに会場に戻る方が良いと言われ、アルブレヒトはこれからの華やかな未来を夢想しながら時間を潰した。公爵令嬢と婚約が成れば伯爵家も安泰だ。それもあちらから望まれてのこととなれば。
時間をおいて会場に戻ろうとしたアルブレヒトは、途中で女性たちに捕まり話相手をさせられた。マグダレーネにこれ以上誤解されたくはなかったが、急に素っ気無く振る舞えるわけもなく、結局いつも通り全方向に愛想を振り撒くことになってしまった。
ようやく女性たちと別れ、マグダレーネに呼ばれる前に話していた友人たちのそばを通ると、何やら話が盛り上がっている。
「…声をかけてみるか?」「では俺が行く」「いや、最初は俺が…おお、アルブレヒト。あそこにいる令嬢、確かエリックの妹じゃなかったか?お前は知ってるだろう?」
友人たちが目で示す方向には、デザートの並ぶテーブルを真剣に吟味しているハイデマリーがいた。
「エリックに連れられてきたのかな。さっき何だかバタバタしているのを見たから、あいつに急な仕事が入って置いていかれたのかも…それにしても可愛くなったなあ」
「以前会った時はまだ幼い感じだったのにな。子爵家は優良物件だし、本気で狙うならエリックを通してきちんと紹介してもらう方が…」
「それがいいんじゃないか」アルブレヒトは急いで口を挟んだ。「ただエリックは忙しそうだから、そういう話は後日にしてやれよ」
自分が連れてきたのだと、ハイデマリーは自分のことが好きなのだと主張することができなかった。ならなぜ放置しているのだと責められるに決まっている。マグダレーネのことはまだ打ち明けるわけにはいかない。
二人の気持ちは通じたが、公爵家の判断はまた別だ。パッとしない伯爵家の息子との婚約は反対されるかもしれない。残念だがうまくいかなかった時のため、ハイデマリーは保険として手元に残しておきたかった。
(こうなると思ったから、マリーをこいつらに会わせないようにしたのに)
ハイデマリーには子ども扱いを続けて、本人にもまだ子どもだと思わせるよう仕向けていた。美しく成長したことを本人にも、他の男にも知られたくなかった。
大輪の花に絡め取られながらも、手放すとなると純粋なハイデマリーを惜しいと思っていたのだ。
友人たちにああ言った手前、すぐにハイデマリーのところに行くわけにもいかなくなった。彼らの関心が逸れた頃に向かうことにして、とりあえず顔見知りの人間を見つけては挨拶に回ることにする。
…何人目かに声をかけた令嬢はアルブレヒトに興奮を隠せない表情を向けたが、それはアルブレヒトに会った喜びではなく、知ったばかりの醜聞を話す相手を見つけたという理由だったようだ。
「マグダレーネ様が王宮騎士に連行されたこと、ご存知?」
「えっ…」
気付くと周囲ではその話題でもちきりだった。公爵家の犯罪…おそらく爵位は剥奪…マグダレーネ嬢は無関係では、いや家族ぐるみだ。さらにマグダレーネ嬢は別件で拘束されたらしい。…耳に入る言葉の断片はどれも不穏なものばかりだった。
(…詳細ははっきりしないが、公爵家が終わったのは確かなようだ。貴族でなくなり名誉も地に落ちたマグダレーネ嬢に縋られては…巻き込まれては、まずい)
アルブレヒトは即座にマグダレーネを切り捨てた。二人の間のことは誰も知らない。マグダレーネがなんと言おうと否定すればいい。自分はハイデマリーとともに夜会に来たのだ。友人と話すため別行動はしていたが…マグダレーネと密会などしていないと。
(マリーに求婚しよう。もともと今夜はその予定だったということにして、だから他の女性など興味はなかったと言えば信じてもらえるだろう。友人たちには成功するまで隠していたと言い繕えばいい…成功しないわけはないが)
そんな思惑を抱き、急いでハイデマリーのもとへ向かったアルブレヒトが見たのは──ハイデマリーと宰相子息のフォルカーが楽しげに話している光景だった。
(なぜマリーと彼が?僕だってほとんど話したことがないのに)
「マリー!」
「…あら、アルブレヒト様。どうされましたか?」
いつもの嬉しそうな『アル兄様』ではない、ひどくよそよそしい返事だった。
「ど、どうって、パートナーを探しに来るのは当然だろう?」
「…パートナー?君が?ずっと令嬢を一人にしておいてか?」
フォルカーの低い声にひやりとするが、ハイデマリーが笑顔で答える。
「アルブレヒト様は兄に頼まれてエスコートして下さっただけですので、別行動でも問題ありませんわ」
「そうか。令嬢を長時間放っておくなど非常識な男だと思ったが、そういうことであれば…私がハイデマリー嬢をダンスに誘うのも、問題ないということだな」
「…」
ハイデマリーは庇ってくれたようだが、それによってパートナーとしてダンスを止めることもできなくなってしまった。そしてハイデマリーは信じられないことに、喜んで誘いを受けている。
「マリー、僕は…」
「アルブレヒト様も遠慮なさらず、親しくされているご令嬢のどなたかを誘われてはいかがですか?」
…ハイデマリーの目にこれまでの恋慕の色はなく、したがってその言葉にも嫉妬や皮肉は欠片も込められていなかった。
ちょうど演奏が始まり、ダンスの時間が訪れる。フォルカーの手を取るハイデマリーを呆然と見送りかけた時、きらきらと輝くものが視界の隅をかすめた。
そばにある窓の外、それは流れるような軌道を描いて風に乗り通り過ぎて行く。正体はわからなかったが、それによりあるものを連想したアルブレヒトはハイデマリーの胸元を見た。
「…マリー、ブローチはどうしたんだ?」
「え?さあ」ハイデマリーは上品に首をかしげて答えた。
「他の花に惹かれて、飛んでいったのではないかしら?」
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