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 (やはり彼女と過ごす時間は居心地が良い)

 ふんわりした微笑を浮かべ、懸命に言葉を選びながら真摯に答えを返してくれるコンスタンツェに頷きながら、イグナーツは久々の安らぎに機嫌が急上昇していた。

 幼い頃から変わらない、おっとりしていて上品な立ち居振る舞い。誰に対しても丁寧に向き合う態度。柔らかく温かい笑顔。漂わせる清澄な空気が好ましく、気付けばイグナーツの方から探して話しかける唯一の女性となっていた。

 もともと大人数に混ざるのが苦手なコンスタンツェは、人に囲まれていることの多いイグナーツに自分から近付いてきてはくれない。さらに最近は避けられているかのようにも思えて、イグナーツは密かに落ち込んでいたのだ。

 (…だが先ほどは、こちらに向かって少しだけ踏み出してくれたように見えた)

 扉から入ってきた時点で即座にコンスタンツェを見つけていたイグナーツは、こちらを見て迷うような素振りをしていたことも知っていた。理由はわからないが嫌われてしまったのなら声をかけない方がいいかと思ったが、コンスタンツェはむしろ話しかけたそうに見えた。

 だからほんの僅かに足取りが乱れたところを見逃さず、それを口実に誘い出したのだ。断られなくて良かった…イグナーツは嫌われていなかったことにホッとしていた。

 「私なんかとお話していて、退屈ではありませんか?」

 会話が途切れたところで、コンスタンツェが不安そうに聞く。それまでも言葉の端々に卑下するような態度があったことが気になり、イグナーツは間髪入れず否定する。

 「心の底から楽しいと思っているよ。コンスタンツェ嬢は私に付き合わされて迷惑だったかな?」

 「そんなこと!…でも、私はその…機知に富んだお話もできませんし、気の利いた答えを返せるわけでもないですし…」

 「通り一遍の軽妙なやり取りなど、貴女に望んではいないよ。自分の考えを伝えるために、もっとも適した言葉を選び抜いて口に出してくれる誠実さを…私は好ましいと思っているんだ」

 コンスタンツェは自己評価が昔から低いが、地頭は良いとイグナーツは気付いていた。

 以前隣国の宗教の話になった時、同じ太陽信仰の国としてコンスタンツェが挙げたのは交流もほとんどない小さな島国だった。それぞれの違いやそれに対する意見など、ゆっくりではあるが深く語るコンスタンツェに驚き聞いてみると、何かを学ぶ際に関連する事柄が出てくるとそちらも調べたくなり、どんどん範囲が拡がってしまい収拾がつかなくなるのだと答えた。それならば学院の勉強を要領良くこなすのは難しいだろう。

 だが表面的な知識ではなく自分の考えもきちんと持ち、時間はかかっても覚えたことは忘れない。これまで何度もそう実感する出来事があったため、イグナーツが楽しく話しているというのは嘘偽りのない事実だった。

 (彼女が自分を愚かだと思い込んでいるのは…思い込まされてきたからだ)

 公爵家のマグダレーネ嬢。イグナーツがコンスタンツェを構うのが面白くないらしく、子どもの頃から二人の間に割り込んできては強引に自分の得意な話題にすり替え、滔々と語ってみせた。

 (マグダレーネ嬢は…確かに会話のテンポは良いし話題も豊富ではあるが、何に関しても知識は浅いし自分の意見もない。知っていることを述べてどこかで聞いたような感想を付け加えるだけ、という印象だ)

 社交の場でひととき歓談するのであれば、広く浅い知識も良いだろう。だが二人でじっくり話をしてみたい、と思ったことは一度もない。

 …そんなことを考えてしまったからか、イグナーツの至福の時間は聞きたくない声によって終わりを告げられたのだった。

 「イグナーツ様!こんなところにいらしたのですね。コンスタンツェ様、独り占めはずるいですわ。同じ幼馴染みとして、私ともお話する時間をくださいませ」

 向けられる視線の角度を計算しているのかのように、完璧な立ち姿と自信に満ちた笑顔のマグダレーネが目の前に現れた。コンスタンツェに対して悪戯っぽく話しかけてはいたが、瞳に込めた威圧感が隠せずにいる。

 「あ、申し訳ありません」コンスタンツェは長年向けられてきた圧を受け、反射的に立ち上がる。「イグナーツ様、私はこれで…」

 引き止めたかったが、マグダレーネがいては心休まる会話に戻ることはないだろう。マグダレーネの方を遠ざけたくても諦めてくれる性格ではない。

 去ろうとするコンスタンツェに近寄ると、イグナーツは小声で聞いた。

 「足は本当に痛めていない?」

 「はい、お気遣いありがとうございます」

 「良かった。ではダンスの時間になったら、お相手をお願いしても?」

 驚いて顔を上げるコンスタンツェに、イグナーツは「後で迎えに行くよ」と囁いた。

 コンスタンツェが頬を赤らめて頷いてくれたのを見届けて、イグナーツはマグダレーネに向き直った。二人の内緒話に明らかに気を悪くしていたマグダレーネが瞬時に笑顔に戻る。

 (少しだけ我慢して、話に付き合うしかないな…。まあ、後に楽しみもできたことだし、これくらい耐えられるだろう)


 腰を落ち着けて話すつもりのないイグナーツが「飲み物を取ってきましょうか」と椅子から離れようとすると、マグダレーネは自分が取ってくると言ってテーブルに向かった。

 逆らわずに壁際で大人しく待つことにする。傍に置かれた飾り台には大きな花瓶…というより壺というべきか…に豪華な花々が美しく活けられており、イグナーツはその台に軽くもたれるようにして立った。

 ──活けられたひときわ大きな花の中には、コンスタンツェの靴に当たって跳ねたのち、近くを早足で通った紳士の靴に蹴り上げられ、そばにいた婦人の扇の縁を経由して飛び込んだブローチが入っているが、誰もそれを知らない。

 (ああ、そういえばコンスタンツェ嬢に飲み物も渡さなかったな。離れた隙にいなくなってしまうのでは、と無意識に心配していたのか…気の利かないことだった)

 夢中で話をしていたせいで喉が渇いていた。マグダレーネが持ってきたワインを受け取ると、隣に陣取ったマグダレーネに形だけ乾杯の仕草をする。

 イグナーツはグラスに口を付けようとして…

 とん、と肩を叩かれた気がした。

 背後に人が立つ余地はない。驚いたイグナーツはグラスを揺らし、中に入っていたワインが飛び出した。

 …そして目の前には、顔見知りの文官の青年、エリックが通りかかったところだった。

 「…っぷはっ!」

 ワインを浴びたエリックは衣服を赤く濡らしてしまったばかりか、口にも入ったらしくむせている。

 「すまない!大丈夫か?ともかく着替えなければ。控え室へ行こう。着替えも用意する」

 ハンカチでとりあえず顔を拭おうとするイグナーツに、エリックは笑って答えた。

 「ありがとうございます。殿下のワインを奪ってしまったようですね…?ん?ワインの仕入先、変わったのかな?味が…」

 ぶつぶつと呟いているエリックを促しながら、イグナーツはマグダレーネの存在を思い出して振り返った。

 「マグダレーネ嬢、申し訳ない。失礼するよ」

 「えっ、ええ!私のことはお構いなく!」

 なぜか既に逃げ腰になっていたマグダレーネを置いて、イグナーツはエリックを控え室に連れて行く。

 「…殿下にお世話させてしまって、すみませ…ん…あれ?なんだか…暑く…」

 …着替えを待っている間に、エリックの体調がおかしくなってきた。

 (まさか毒でも盛られた?私を狙って?マグダレーネ嬢か?まさか…)

 慌てて侍医を呼びながら、イグナーツは混乱していた。先ほどのマグダレーネの様子は明らかに変だったが、エリックに気を取られていたのと逃げる口実ができたことで注意していなかったのだ。

 顔を赤くして苦しげに呼吸するエリックを診察して、侍医はイグナーツに告げた。

 「媚薬ですね」

 「びやく」

 「即効性のうえに相当強力です。わずかに口に入っただけでこれなら、普通に飲んでいたら大変だったでしょうな」

 中和剤を取ってきます、と出て行った侍医をぼんやりと見送り、イグナーツは考える。

 (あの時は喉が渇いていて、警戒もせず口にしようとしていた。薬の類にはある程度身体を慣らしているが、これほど強力なら効果を消すことはできなかっただろう。すぐに効果が現れて、その時隣にはマグダレーネ嬢がいる。おそらく介抱すると言われ、どこかの部屋に連れて行かれていた…)

 身代わりになったエリックと、その原因となった小さな衝撃のおかげで逃れることができたのだ。

 (軽く肩をつつかれたような感覚、あれはなんだったのか。あれがなかったら、間違いなくマグダレーネ嬢に既成事実を作らされ…絶望していたに違いない)

 ──ブローチの重みで活けられていた花が徐々に下を向き、あの瞬間にブローチが落ちて肩に当たったということを、イグナーツが想像できるはずもなかった。

読んでいただき、どうもありがとうございました!

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