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少し友人たちと話してくるよ──そう言ってアルブレヒトが向かった先には確かに同年代の青年が数人、グラスを片手に談笑していた。
アルブレヒトはハイデマリーの兄、エリックの学友で、現在はともに城で文官勤めをしている。同窓生にしろ同僚にしろ、青年たちもエリックとアルブレヒトの共通の知り合いである可能性が高い。連れて行ってくれたらきちんと挨拶したかったのだが。
「マリー、いい子にしててくれるね?」笑顔で言うアルブレヒトに、ハイデマリーはいつものように「子ども扱いしないでって言ってるのに!」とむくれてみせ、強がってひとりでも平気なふりをした。
(婚約者でも恋人でもないから、紹介の必要はないってことかしら…。お兄様に頼まれたからエスコートしただけで、私みたいな子どもと夜会に来たことを知られたくないのかも…)
飲み物が置かれたテーブルに向かいながら、ハイデマリーは先ほどまで浮かれていた気持ちが急降下するのを感じていた。
王宮で開かれた大規模な夜会。三つ歳上のアルブレヒトと少しでも釣り合いが取れるよう、赤褐色の髪は巻いて片側に流し、シンプルなダークグリーンのドレスを選んだ。童顔をごまかそうと化粧も頑張った。それなのに屋敷に迎えにきたアルブレヒトは「森の妖精みたいで可愛いね」とからかうように褒めてくれただけで、綺麗だとは言ってくれなかった。
…初めて屋敷に遊びに来た時から、アルブレヒトはハイデマリーに優しかった。兄が連れてくる他の友人たちと違い、年上らしくいろいろ教えてくれたと思えば、一緒になってはしゃいでくれたりもした。
ハイデマリーが「アル兄様」と呼んで懐くようになり、憧れるようになるのは必然だった。
淡い金髪にやや垂れ目の、上品で穏やかな顔立ちはアルブレヒトの優しい性格そのままだ。城の女性たちからも人気だとエリックから聞いている。
(お兄様は私の気持ちを知っているから、今夜来られなかった自分の代わりにとアル兄様に頼んでくれたけど、積極的に応援はしてくれないのよね…。自分で努力しろ、ってことだと思うけど)
ハイデマリーの家は子爵家だ。アルブレヒトが継ぐ伯爵家とは政略的なメリットがないわけではないが、父から婚約を打診してもらうのも卑怯な気がして頼むことができない。何より断られてしまったらこの先、どう接したら良いのかわからなかった。アルブレヒトとエリックの間も気まずくなってしまうだろう。もしもそうした事態を避けるため承諾してくれたとしたら、アルブレヒトの優しさにつけ込んだことになってしまう。
妹のように可愛がられているだけで、女性として見てもらえていないのはわかっていた。何かにつけてハイデマリーを幼子のように扱い、からかってみせるのだから。
ハイデマリーは胸元に着けたブローチを見下ろした。蝶をかたどった繊細な金細工のブローチは、以前アルブレヒトがアンティークショップで買ってくれたものだ。
ハイデマリーの誕生日の贈り物となったそのブローチを、先に見つけたのはアルブレヒトだった。以前の持ち主は魔女だったとか、愛用品だったゆえ不思議な力があるとか、店主は怪しげな逸話で売り込んできたが、単純に意匠が優美で目を引いた。古びた印象はまるでなく、石も嵌められていない金色の蝶。若いハイデマリーが気負いなく着けられ、また似合っているとアルブレヒトの方が気に入ったのだ。
『僕の髪の色に似ているね。美しい花に引き寄せられたこの蝶を、僕だと思って着けてくれる?』
『あ、アル兄様!なんですかその、く、口説き文句みたいな…』
『あはは、真っ赤だね。やっぱりマリーには早かったかな?いつも子ども扱いだと不満そうだから、頑張って気障な台詞を真顔で言ってみたんだけどな』
結局からかわれて終わったが、ブローチはハイデマリーの宝物になった。普段使いもしていたが、今夜はアルブレヒトがエスコートしてくれるというのでドレスに合わせている。安っぽさがないので落ち着いた色のドレスにしっくりと馴染んでいた。
今は子ども扱いでも、大切にしてくれていることに変わりはない。友人の妹というだけで町に二人で出かけたり、花やお菓子ではなく宝飾品を贈ってくれるだろうか。アルブレヒトの行動に、ハイデマリーはこの先の変化をどうしても期待するようになっていた。
──アルブレヒトを待っている間は友人を探してお喋りをするつもりだったが、生憎知り合いの令嬢が見つけられない。手持ち無沙汰で手に取った飲み物がワインでもシャンパンでもなく苺の香りの炭酸水だったことに、自分が子どもであることを再認識して軽く落ち込む。
(え…今庭園の方に出て行ったのは、アル兄様?)
なんとなく窓から庭園の花を眺めていると、見覚えのある淡い金髪が視界をかすめた。青年たちの方を見るとまだ話を続けていたが、アルブレヒトの姿はない。
話の輪を抜けたなら、自分を探してくれてもいいのに。そう思ったが、もしかしてハイデマリーを探しに出たのだろうか。場慣れしていないハイデマリーが会場内で待つのは肩身が狭く、庭園に逃れたと思ったのかもしれない。
急いで庭園へとつづく扉を開き、ハイデマリーはアルブレヒトを追った。
「…友人の妹ですよ。友人が来られなくなったので、エスコートを頼まれただけのことです」
「あら、そうでしたの。可愛らしいご令嬢でしたから、てっきりあの方と婚約が整われたのかと思いましたわ。…正直に言って、お二人の姿を見た時とても寂しく思ってしまったのです。そして今お話を聞いて…安堵してしまったことも告白いたしますわ」
「マグダレーネ嬢、それは…!」
──ハイデマリーが植え込みの陰から見たのは、アルブレヒトと寄り添い親しく語らう令嬢の姿だった。
(公爵家のご令嬢、マグダレーネ様…私はお話したこともないけれど、男性にとても人気がある方だわ)
華やかな美貌と頭の回転の速さで、見かけた時はいつも男性たちに囲まれ、どんな話題が出ても打てば響くような受け答えをしていた。
兄のエリックは以前「あの令嬢は苦手だ」と言っていたが、アルブレヒトはこれほどまでに親しかったのか。
「アルブレヒト様はどのような女性にも優しく紳士的ですから、皆が好意を持っていただけているのでは、と自惚れてしまうのですわ。私など、他の女性たちと同じようにしか見られていないでしょうに…」
「女性に優しくするのは貴族の男として当たり前のことですが、あなたが他の女性と同じなわけがない。美しく気品があり聡明で、並ぶ者なきご令嬢ですから。好意を持たずにいる方が難しいというものです」
「まあ…嬉しいですわ。けれどそれも、アルブレヒト様の優しさからの言葉ではありませんか?それが怖くて、これまで近付きすぎないよう自分に言い聞かせてきましたのに」
「マグダレーネ嬢…!」
…抱き合う二人の影を見つめながら、ハイデマリーはどこか醒めた気分になっていた。
女性として見られていないどころか、女性と認めていたから優しくしてくれていただけだった。それがアルブレヒトにとってはごく普通の行為で、特別な存在でもなんでもなかっただけ。
(誰にでも優しいのは長所には違いないけど…マグダレーネ様が言うように、私以外にも期待してしまった女性がたくさんいそうね)
長い片思いの終わりなのだから、泣いてその場を駆け去るとか、打ちのめされてその場に崩れ落ちるとか、そうした反応になってもおかしくないはずだった。それなのにハイデマリーは冷静に考え続けている。
(…私も今思えば、兄が連れてくる“他の友人たちと違って”私を見てくれて優しくしてくれるから好きになったのよね。アル兄様にとっては当たり前の行動を、特別扱いしてくれていると勘違いして…。他の女性と接するところを見たことがなかったけれど、見ていたらもっと早く気付けたかしら)
ハイデマリーとは逆方向に去って行く二人を見送りながら、身に着けたブローチをあらためて眺める。
数多の花の間をひらひら飛び回り、最後に目の前で大輪の花に吸い寄せられていった蝶。
僕だと思って、と冗談めかして言われた台詞を思い出し、ハイデマリーは反射的にブローチを乱暴に外した。品物に罪はなく申し訳ないのだが、どうしても気持ち悪さが先に立つ。
…その時のハイデマリーは、やはり平静とはいえなかったかもしれない。勢いのままに腕をふりかぶると、
「…食虫花に捕まっちゃえばいいんだわ!」
えいっ、と庭園の奥にブローチを投げ捨てたのだった。
読んでいただき、どうもありがとうございました!