孤軍奮闘
「ローウェル男爵令嬢」
突然クロビスの兄である次期アラバスタ伯爵のデイビスに声を掛けられたチェルカ。
「デイビス様、ごきげんようにございます」
チェルカが挨拶をしたにも関わらず不機嫌そうな顔をするだけのデイビスを見て、チェルカは「デイビス、お前もか」と思った。
彼はチェルカがクロビスと婚約を結んだ時から妹のように可愛がってくれていた。
そのデイビスがあからさまにチェルカに対して嫌悪感を示している。
これはもう疑いようがないだろう。
そしてデイビスがチェルカの側に来て、彼からあの“匂い”を感じた。
チェルカは何食わぬ顔で警戒モードにスイッチを入れる。
「お久しぶりですデイビス様。とってもいいお天気ですね」
チェルカがいつもと変わらぬ様子でデイビスにそう言うと彼は無表情でこう告げた。
「何を脳天気な……キミはラビニア様に不遜な態度を取っているそうだね?」
「王女殿下に?そんなとんでもないですよ~。わたしは王女殿下とは一度しかお会いしたことがないんですよ?」
「だがラビニア様はキミに敵意を向けられたと悲しんでおられる」
「どうしてわたしが王女殿下に敵意を向けなければならないんですか?理由がありませんよ」
「理由ならある。どうせクロビスがキミよりラビニア様を大切にすることを妬んでいるのだろう」
「妬んではいませんが、でもこれじゃあどちらが婚約者かわからないなぁとは思っています。どっちの方が大切なのかなぁって」
「ラビニア様とキミとでは天秤にかけるまでもないだろう。クロビスの判断は間違っていないさ」
「そうなんですね。でしたらわたしとしては婚約は解消で構いませんので、アラバスタ伯爵家の方から手続きを執って頂けると有り難いのですが……」
「私もそれが良いと申し上げているのだが、父上が承知して下さらないのだ。逆に私やクロビスをお諫めになる」
「アラバスタ伯爵様はずっとご領地におられるのですよね?」
「ああ、当然だ。アラバスタ伯爵家の当主として領地を統治されておられるのだからな。末の弟と母上も今は領地だ」
「そうですか……」
まぁ社交シーズンではないのだから当然といえば当然か。
今王都に来るのは危険だから、是非そのまま領地に居て欲しい。とチェルカは思った。
「とにかく。キミは自分の立場を理解し、大人しくしていることだな」
「自分の立場とは?」
「所詮は男爵家の娘で、下っ端の魔術師であるということだ」
「(そんな当たり前のこと)もちろん理解していますよ?」
「なら結構。くれぐれも王女殿下とクロビスの邪魔をするなよ」
忌々しそうにそう言って、デイビスは去って行った。
チェルカはその背中を見つめながら思う。
魅了魔法は精神系魔法の中で最も恐ろしい魔法だと。
あんなに優しかったデイビスが人が変わったように敵意を剥き出しにしてきた。
洗脳に近い……いやあれは洗脳だ。
個人の意思を無視して術者に擬似愛情を抱かせ、それを利用して意のままに操るのだから。
でもそれは間違いなく魔法によりつくられた愛情だ。
人が愛しいと思う気持ちを模した魔力を相手の精神に植え付け、術者に深い愛情を持っていると錯覚させるのだ。
本当に、なんと恐ろしい……。東、西の両大陸で古くから禁忌の術と定められ、忌み嫌われるだけの事はある恐ろしい術だ。
この術を用いれば、一つの国を意のままにする事も可能だろう。
そう、今のこの国のように。
この状況に至り、高位資格を持つ魔術師たちはようやく王宮内で起きている異変に気付いたようだ。
とはいっても弱小国家の小さな魔術師団だ、一級魔術師が数名しか居ないのがこの国の現状。
上層部に上級以上の魔術師がいればまた状況は変わったのだろうが。
魔術師長も信頼する上官である副師長ジスタスも一級魔術師。
しかも彼らにはチェルカのように魔力を匂いや何かに置き換えて感知する事は出来ないので、魅了の魔力を未だに感知は出来ていないようだ。
いや、チェルカが特異体質なのだ。
これはギフトと言ってもよいと塾の先生がそう言っていた。
チェルカの魔力感知は特級魔術師並だと。
まぁ感知するだけでそれに対処する力量が伴わないのが何とも悲しいところだが。
特に魅了など精神干渉系の術の魔力は感知し難いらしい。
だからきっと早い段階でチェルカが王女の魅了の事を訴えても誰にも信じて貰えずに、ただの不敬罪として捕えられていただろう。
ましてや婚約者のクロビスが王女に入れ上げてる分、悋気を起こしての妄言と受け止められていた可能性大だ。
チェルカは物語のヒーローのような魔術師ではない。
狡くても保身に回りながら状況を見て対応していくことしか出来ないのだから。
なのでチェルカは今ならばと、慎重を期して内密にジスタスと対話を試みた。
「副師長、最近の王宮内の空気をどう感じておられますか?」
「やはりローウェル君もこの状況をおかしいと思うか?何やら皆が急に第二王女を崇拝し初めて、今やまるで第二王女がこの王宮の主のようだ」
「やっぱりそう見えますか」
「そりゃそうだろう。近頃は議会に王女の私的な発案が議題にあがるくらいだよ?そしてそれを多くの者が盲信的に指示しているということだ」
「国政に関わる事項まで王女殿下の影響力が及んでいるのですね……」
「ローウェル君、キミはこの事態をどう見る?上官だから部下だからとからそんな枠組みを無視して、同じ一級資格保持者としての意見を聞かせて欲しい」
「……そうですね……」
ジスタスのその言葉を受け、元々彼に信頼を寄せているチェルカは思い切って打ち明けてみる事にした。
「わたしが昔から魔力を匂いとして感知する能力があるのはご存知ですよね?」
「うん。とても面白いよね」
「ふふ。自分でも面白いと思ってます。クッサイ魔力を嗅いだときは自分の能力を呪いたくなりますけどね~」
「えっ、わ、私の魔力は大丈夫?臭くないっ?」
「副師長のは大丈夫です。なんていうかあの匂いに似てます、人懐っこい犬の匂い」
「それって大丈夫なのっ?犬の匂いって独特だよねっ?」
「大丈夫ですよ。魔術師長の魔力の匂いはもう随分お風呂に入ってない犬が雨に濡れた匂いですけど」
「どちらにせよ犬なんだね……」
「マリナは洗いたての枕カバーの匂いです」
「要するにキミのイメージするところも大きいということだね」
「ふふ。あ、今はそんな話ではなくてですね、今の状況の話ですよ」
「そうだった、それで?」
「今、王宮内にとある魔法の匂いが充満しています」
「とある魔法とは?」
「……魅了魔法です」
「なんだって!?」
禁忌とされる術の名が出て、ジスタスは驚愕する。
そしてチェルカはジスタスにこれまでの経緯を掻い摘んで説明した。
チェルカの話を黙って聞いていたジスタスはやがて大きく嘆息し、チェルカに言う。
「私は自分が情けない……そんな重大な事が間近で起きていたというのに、少しも感知できなかったのですから……。ここに至っての異常さに気付いたのは魔力云々ではなく、人々の行動が目に付いて…だからね。魔術師としてどうなんだろ、それは……」
「そこは気にする必要はないと思いますよ。私が特殊なんです」
チェルカの言葉を受け、ジスタスは胡乱げな眼差しで窓の外を見る。
外には近頃王宮の女性たちの中で流行っているラビニアカラーのアイテムを身につけたメイドたちが群れを成して歩いていた。
各々、髪飾りだったりハンカチだったりポーチだったりとどこかしらラビニアの髪色であるローズクォーツ色の物を持っている。
間違いなく彼女たちも魅了にて洗脳済みの崇拝者で、そしておそらくは王女宮に配属されているメイドたちなのだろう。
彼女たちの中に数名、何度かチェルカに嫌がらせをしてきたメイドもいる。
廊下ですれ違う時わざとぶつかって来たり、食堂でチェルカに聞こえるようにクロビスと王女の仲睦まじい様子を語り、地味な婚約者に付きまとわれてクロビスが可哀想だとか言ってきたり、
ローブにわざとインクをかけてきたりとか。
じつに様々なバリエーションの嫌がらせをされた。
しかしチェルカも魔術師として負けてはいられない。
一度目にわざとぶつかられた時は不意討ちだったためにバランスを崩して転んでしまったが、二度目からは肉体強化の術を掛けてぶつかって来た相手を逆に跳ね飛ばしたり。
遮音魔術をかけてどれだけ悪口を言われても聞こえないようにしたり。
それからインクを付けられても一瞬で清浄魔術で綺麗にしたりとか。
そうやって彼女たちの嫌がらせをやり過ごした。
過剰に仕返しをして、王女宮のメイドを傷付けたと罰せられるのもバカバカしいのであくまでも対処のみでだが。
だけどメイドたちは数が多い分、嫌がらせのバリエーションがじつに豊富で少々辟易としている。
それがラビニアの指示なのか彼女たちが自主的にやっているのかはわからない。
多勢に無勢だろうが何だろうがチェルカは負けるもんかと孤軍奮闘していた。
王女宮は完全にラビニアの手の内に陥落ている。
国王陛下の宮もその可能性が高い。
今、ラビニアは積極的に王女宮を出て王宮で働く者を労っているのだそうだ。
菓子やフルーツを差し入れもしているらしい。
きっとその時に接した者に順番に術に掛けているのだろう。
しかし気になるのは……
「しかし気になるのは王女殿下の魔力の発動源だな……」
ジスタスも同じことを考えたらしい。
ジスタスは今チェルカが考えた事をそのまま口に出した。
「そうなんですよね……王女殿下は魔力量が少ないでしょう?だから魅了魔法を発動できる魔法生物と契約をしているのは間違いないと思うんです。でも多くの人間に術を掛けるにはかなりの魔力量と対価が必要なはずなんですが、一体何でそれを支払っているんでしょうか……?」
「魔法生物に金品での取り引きは通用しないもんなぁ」
「そうなんですよねぇ」
「…………王女宮のメイドや下男の入れ替えが多いのに関係していたりして……?」
「まさかぁぁ~……」
「「…………………………」」
脳裏に過ぎった考えに、二人は同時に身震いする。
「それはもう人の所業ではなくなりますよね。まさかそこまでする人間がいるとは思えません」
「それは一概には言いきれないが……」
言い淀むジスタスにチェルカは言う。
「とにかく、王女殿下に接する機会があっても決して三秒以上目を合わせてはいけませんよ」
「わかってる。瞳術に掛かるのを防ぐためには結局はそれしかないからね」
「はい」
ジスタスはその後、独自でこの状況を打破できる算段を立ててみると言った。
古くからの友人たちを伝手を頼り、なんとかならないかと。
チェルカも自分でも様々な方法を模索するつもりだが、ジスタスのこの言葉は心強く感じた。
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