閑話 七年前と現在の師弟の会話
ハイラム王国の東の国境騎士団を有する街に、ダイという名の講師が経営する塾があった。
塾の名称は“精霊魔術塾”。
魔力を有する平民の子供たちに無償、もしくは大根一本やジャガイモ一個で魔術の基礎を教えてくれる、少々変わった塾であった。
経営者であり講師であるダイが、老衰の為に逝去したハイラム王妃と交わした約束を守るために開いた塾なのだという。
その講師ダイこそが東、西の大陸でその名を知らぬ者はいないと言わしめる大賢者バルク・イグリードその人なのであるというのはごく一部の人間しか知らない。
その彼の塾の一室で、
今から七年前にこんな会話がイグリードとロアの間で交わされた。
「……男爵令嬢?誰がです?」
「チェルだよ。びっくりだよね☆お母さんが亡くなったから役所が一応、唯一の血縁者である父親に連絡したんだって。そしたらローウェル男爵という貴族だとわかったって」
「チェルカはずっと平民として暮らしてましたよね?」
「うん。男爵の庶子だったんだってさ。それでね、これを機に認知してチェルを娘として引き取るって言ってきたんだ」
「ちょっ、ちょっと待って下さい師匠!だって、師匠が後見人になってチェルカを引き取るってそういう話だったんじゃ……!」
「そうだね。身寄りのないチェルの後見人になるのもやぶさかではないね☆ルンルン☆って思ってたんだけどね~……実の父親が引き取るって言うんなら出しゃ張れないよ~…」
「出しゃ張るもなにもっ、いつも鬱陶しいくらいに出しゃ張りなくせに!それにあなたの職業は大賢者でしょうっ?いくら実の父親だからといっても今まで放置していた人間より師匠の方がよっぽどチェルカの親に相応しいですよ!」
「ぷっ☆職業って……!でも、行政はやはり親権は実父にあると判断したよ。それにボクは一般的にはただの私塾の経営者兼講師にすぎないからね~」
「じゃあもう公表してくださいっ!ばばーんとジャジャーンと、このバルク・イグリードがチェルカの後見人になるって!」
「そんな事したら大騒ぎになるよぉ。ボクに会いたいっていう権力者が有象無象に居るんだから~。落ち着いて塾を営んでいられなくなって、塾を畳まないといけなくなるよ?そうしたらさぁ?ここでしか学べない子達はどーなる?」
「うっ……」
「ロア、この世界で唯一ボクの事をただの“先生”ではなく“師匠”と呼べるキミは、塾が無くなっても精霊界に行って学ぶことも出来るよね。でも他の生徒はどう?貧しくて一般教養しか身につけられない子が無償魔術を学べる所なんてないんだよ?」
「っ……わかってます」
「“血は水よりも濃し”という東方の言葉があるように、行政は血縁者である父親の方にチェルカの親権を認めたんだ。この世界の人間のルールには従わなくちゃいけないんだよ」
「うぅ……いっつもハチャメチャなくせにこんな時だけルールを守れだなんてっ」
「あはは☆そーだよね☆でもさロア、キミも力を付けてきたからこそ解るだろう?ボクたちのような人間こそ、ルールを守り正しく生きなくてはならないって」
「……はい」
「いい子だねロア。さすがボクが五百年生きてキタ中で初めて弟子にしてもイイかナー♡って思えただけの事はあるよ☆」
「くっ……たまに真面な事を言うのがクッソ腹立つ!」
「あははは☆初恋のチェルが遠い存在になるのは寂しいねぇ。チェルがウチの子になったらロアとの婚約も考えてもいいかなぁ~なんて考えてたんだけどなぁ~……」
「くっ……チェルカが貴族の令嬢に……」
「ロアはただの平民ボーイだ☆」
「身分制度なんてクソじゃボケ!」
「ぷっ……☆ロアのお母さん譲りのカンサイ州弁が出てるよ☆」
「見てて下さいよ師匠。俺は絶対に大賢者の弟子という異名を大陸中に轟かせて、チェルカを嫁にしますから!」
「イイね☆ その意気だよロア!そうだよ、身分制度の枠組みに囚われないほど強く、そして偉くなればいいんだから~☆」
「俺はやるぞ!」
「フレー☆フレー☆ローア!」
「っしゃあっ!」
と、息巻いた末に父親の元へと移り住むチェルカを泣く泣く見送った、当時チェルカと同じ十三歳だったロア少年。
別れる際にロアは、自身の魔力を込めた水の精霊の加護石のペンダントをお守りとしてチェルカに渡した。
それから一年も経たないうちにチェルカの婚約を知って打ち拉がれる事となり、
さらにその婚約者との関係が良好だと聞き更に打ち拉がれた末に、ロアは精霊界へと修行の旅に出たのであった。
そして七年の歳月が流れたある日、突然チェルカに渡した精霊石が異変を伝えてきた。
何か禍々しい魔力を弾き、チェルカの身を守ったという反応だ。
ロアは自身の魔力を精霊石に込めていたのでダイレクトにその反応が伝わってきた。
そしてその異変を、チェルカの精霊石に加護を与えた水の精霊を介して既に聞き及んでいたイグリードが、急ぎ精霊界から戻ってきたロアに告げた。
「チェルの国で良くない事が起きてるね。チェルは何やら巻き込まれているみたいだよ?どうする?」
「どうするもなにも、助けに行くに決まっているでしょう」
「チェルはもう他人の婚約者だよ?」
「だとしても関係ない。それならばその婚約者ごと助けます。俺はチェルの幸せを守るだけだ」
「泣けるねロア☆漢だね☆健気だね☆まぁその婚約者ごと、というのはどうやら難しいかもしれないね。じつは今ね、チェルの周りでは……」
イグリードは精霊を介して知ったチェルカの国と彼女を取り巻く現状を具にロアに話した。
それを聞き、ロアが怒りを顕にする。
「なんやそれ、ふざけてんのかっ!」
「ね~、なかなか酷いハナシだよね☆それでさ~、どうせ行くならさ、ハイラムに来ているその国の王太子が居るんだけど護衛も兼ねて一緒に帰ってあげてくれないかな?」
「それは構いませんが、俺は今すぐにでも出立したいんですけどね」
「でもどうせ向こうで暴れるんでしょ?それなら王族に随行して免罪符を貰っとく方が後々面倒がなくていいよ?」
「変なところで慎重ですよね師匠って」
「人間と関わっていくって決めた時からね~☆一応ちゃんとしとかないと怖~い女の子がいたからねぇ☆」
その女の子こそが亡くなったハイラムの王妃であるとロアは知っていたので、それ以上は何も言わなかった。
「わかりました。でもなるべく早くでお願いしますよ。こうしている間にもチェルカの身に危険が及ぶかもしれませんから……」
「ハーイ☆なるはやオッケー☆」
「師匠は行かないんですか?」
「ロアが行くならボクは要らないでしょ☆それに、ボクが下手に首を突っ込むとさ、ウチの国も~って王侯貴族どもが仕事を押し付けようとしてきてキリがないんだよ。だからボクはもう何百年も民事不介入って公言してるんだ☆」
「師匠にとっては人間界で起きる事は全て民事ですもんね」
「そそ☆ボクの管轄は人外とかさ、この世界の境界に干渉してくるものとかの相手だからね☆まぁジュリの子孫たちのお願いなら聞いてるけど☆」
「ですよね。でも俺はチェルカに関わる事なら民事だろうが人外だろうが捨ておく気はないですから」
「うん!ロアはそれでいいと思うよ☆」
そうしてロアはイグリードとハイラム王家を介して、王太子アルマールの帰国に随行したのであった。
王太子とその従者たちの帰城に先駆けて先遣として王宮敷地内に足を踏み入れたロアは即座にチェルカの魔力を感知し、そして迷わず彼女の元に転移した。
そこで泣いているチェルカと再会を果し、ロアは怒髪天を突く事になるのであった。