恋の自覚
ギルフォードさんがいなくなると、ジゼルハイド様の視線はさらに書簡の上を滑るようになった。
しばらくジゼルハイド様の膝の上でその様子を私は見ていた。
ついには新しい書簡さえ開こうとしなくなり、「アンネ、休憩しよう」と言い出したので、私はいそいそと机に置きっぱなしになっている書簡を手にした。
ざっと見たかぎり、二十以上はあるかしら。
ジゼルハイド様は積まれた書簡の一番上から読んでいるので、古いものはずっと手付かずのままなのだろう。
「私が内容を読み上げますので、聞いていてください。本を読むのは得意なのです。よく、エルジエル君に寝る前に読んであげましたので」
「エルジエルとは、お前の家族だったか」
「ええ。私の実のお兄様のアンジールと、お嫁さんに来てくれたエリカテーナお姉様の子供で、四歳の男の子です。エリカテーナお姉様は二人目の子がお腹にいるものですから、私がエルジエル君の相手をよくしていたのですよ」
「そうか。アンネの声は、聞き心地が良い。今俺は、非常に眠いが、お前が内容を読んでくれるなら、もうしばらく仕事ができる可能性がある」
「良いですよ。でも、先ほどから私、ずっとジゼ様に抱き上げていただいているのですけれど、重たくはないですか?」
「何も乗せていないぐらいに軽いから、問題ない」
ジゼルハイド様は私を離す気はないようで、腕の中に私を閉じ込めるようにするので、私もあまり気にしないことにした。
大きな揺り椅子だと思えば、座り心地はとても良い。
「ええと、それでは古いものから読みましょうか。一番下にあるこれは……ええと、雷帝閣下が破壊した、氷帝閣下のノースアイランド領境の領壁の修繕費用について。氷帝閣下より、国費で賄うようにとの要求。見積もりは、五十億ルピア……」
「あぁ、却下だな」
「これは、日付が半年ほど前ですね」
「半年前に、小競り合いが起こった。先ほど、ギルフォードが言っていた小競り合いというのは、グロスキエフとイルバトスの領地の者たちが起こす。本人たちもよく喧嘩を。あの二人は、仲が悪い」
「敵対している、ということですか?」
「敵対と言えば良いのか……グロスキエフは、竜体こそ竜人の真の姿であると主張していて、イルバトスは、人間体こそが知能を持った我らの真の姿であると主張している。それぞれの主張に賛同した者たちがその周囲には集まっているのでな、時々喧嘩になる」
「喧嘩ですか……」
「あぁ。意見が合わないのだろう。俺はどちらでも良いのだが、喧嘩になると、互いの土地に攻撃を仕掛ける。困ったことだ。仕方がないので、俺が二人を宥めに……いや、宥めているわけではないが、似たようなものだ。そうだな……宥めに行く」
「陛下自ら?」
「グロスキエフや、イルバトスに勝てる竜人は、俺ぐらいしかいない」
「お強いのですね、ジゼ様」
私が感心すると、ジゼルハイド様はしまった、というように眉を寄せた。
「……聞かなかったことにしてくれ、アンネ。俺は、暴力などとは、その、無縁だ」
「ジゼ様! 王が誰よりも強いということは、誇るべきことですよ。怯えたりしません、私。強いというのは、良いことです」
「……だが、その、……せっかく、俺のことをお前は、おそろしくないと思ってくれているのに」
「ジゼ様の力は……王の力というのは、皆を守るためのものでしょう? 皆を守る力を、おそれたりはしません」
「…………アンネ。…………お前は小さいのに、その心は、俺よりもずっと大きいのかもしれないな」
「そんなことはありませんよ。私だって、小さなことで悩みますもの」
私は手にしていた書簡を丸めて戻した。
あんまりジゼルハイド様が私を熱心に見つめてくださるので、どうにも落ちつかない。
その瞳にうつっている感情が、ーー愛情だったら良いのにと、思う。
けれど、先程ギルフォードさんが言いかけた言葉が、頭の片隅に残っている。
(私と婚姻を結ぶことで、竜人の方々の憂が、なくなるというのは……)
やはり、何か事情があるのかしら。
脆弱な種族だと思われている人族を国に迎え入れなければいけない理由が。
でも、それでも良いと思う。
事情があったとしても、私とジゼルハイド様は出会うことができたのだし。
私はジゼルハイド様のことがーー多分。
(好きなのかもしれないわ……)
すごく一生懸命、私と向き合おうとしてくださっているのがわかるもの。
私を傷つけないように、怖がらせないように、心を砕いてくださっているのがわかるもの。
その事情がなんであれ、私は。
「……アンネ。何か悩みがあれば、言ってくれ。悩みを抱えてしまえば、お前の体調が……いや、体調はもちろん心配ではあるが、できればお前には、明るく笑っていてほしい」
「ジゼ様……」
何かを考えるようにしながらぽつりぽつりと唇からこぼれ落ちるようなジゼルハイド様の言葉には、嘘も誤魔化しも感じられなかった。
期待、しそうになってしまうわよね。
そんなに真っ直ぐな言葉を向けられたら。
「お前の笑顔を見ていると、……心が、穏やかになるようだ」
「はい、ありがとうございます!」
私は笑顔を浮かべた。
ジゼルハイド様が喜んでくれるのなら、できるだけ笑顔でいよう。
いつの間にか心の中に咲いていた小さな花が、大きく育ち始めている。
心が浮き足立って、目にするものが光り輝いて見えるような、不思議な感覚だった。
きっと、これが恋なのだろう。
色々気になることはあるけれど、私はこの大きくて逞しい方が好きだ。
体は私よりずっと大きくて強いのに、どこか繊細さのあるジゼルハイド様が、好き。
自分の気持ちをはっきりと自覚した今、私にもう、迷いはない。
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