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彼女と彼の関係 #との関  作者: 六つ花 えいこ
食べたい橘さんと食べ(させ)たい廣井くんの美味しい関係
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09:廣井さん 1

【 嘉一 / ごめん 】

【 嘉一 / めし作れん 】


 授業が終わり、短大の駐車場に停めていた自動車に乗り込んだタイミングでスマホが鳴った。

 夏場の熱気を遮るためにフロントガラスに張っていた銀シートを剥がしつつ、心はOKのスタンプを押すと、文字を入力した。


【 cocoro / なんか用事出来た? 】


 狭い車内で体を捻り、後部座席にシートを置いていると、ブブブとバイブが鳴る。


【 嘉一 / かぜ 】


 送ってこられた二文字だけのひらがなから、嘉一の体調が透けて見えて、心は慌ててハンドルを握った。




***




 ガチャリとドアノブを回す。音を立てないようにゆっくりと玄関扉を閉める。室内は薄暗かった。


 何かのためにと預けられていた廣井家の合い鍵を、お隣生活を初めて一年以上たった本日、心は初めて使った。


「お邪魔しまーす……」


 小さな声で囁く。寝ていたら起こしたくないが、起きていたら心が不法侵入していることに気付いてもらえる程度の音量だ。


 案の定嘉一は気付いたようで、リビングからごそごそと動く音がする。キッチンのある廊下とリビングを隔てるドアを、コンコンと小さくノックする。


「嘉一君。心だよぉ。入ってもいーい?」

「……おん」


 掠れた声に心臓がぎゅっとする。やはり大きな音を立てないように気をつけながらドアノブを回し、リビングに身を滑り込ませた。ベッドに寝転ぶ嘉一が、額の上に片手をあててこちらを見ている。肘をついて起き上がろうとしたため、大きく首を横に振って「駄目」と伝える。


 すり足でベッドに近付く。途中で買ってきた荷物をそっと足下に置く時に、ビニール袋特有のカサカサという音がして、申し訳なくなる。


 嘉一は顔を真っ赤にして、潤んだ目でこちらを見ていた。当然だが、布団の下は寝間着姿だ。


(朝はいつも通りに見えたのに)


 あの時から、本当はきつかったのだろうか。朝食の時に気付けていたら、一人になんてしなかったのにと悔しくなる。


「お熱計ったあ? 吐き気はぁ? お薬飲んでるぅ? ボカリとか、風邪薬買ってきたよぉ。薬剤師さんに一緒に飲むようにって、栄養ドリンクもぉ。おでこ貼るの嫌い? 寒くない? 毛布足すぅ?」


 嘉一の枕元で、心が小さな声で尋ねた。嘉一は熱い吐息をこぼしながら、合間で「ああ」や「いや」と、小さな声で返事をする。


 薬は既に買い置きのものを飲んでいたようなので、栄養ドリンクだけ飲ませる。

 熱は朝測ったきりだというのでもう一度計ると、三十八度七分だった。可哀想で目眩がした。


 嘉一を見ると、布団の中で蹲って、きつく目を瞑っていた。ガタガタと震えるので、布団の中に手をつっこんで、背中をさする。背骨に沿って強くさすっていると、少しずつ嘉一の呼吸が落ち着いてきた。


「寒い?」


 先ほどは「いや」と言われた質問をもう一度すると、嘉一は小さく首を縦に振った。


「ちょっと待っててねぇ。すぐに戻るからねぇ」


 人の部屋から、しまい込まれた冬物の毛布を探し出すのは至難の業だろう。勝手に漁るのも、指示を出させるのも申し訳なくて、心は自分の部屋に飛んで帰った。

 圧縮袋に入れてきちんと仕舞っているだろう嘉一と違い、心は毛布をぽーんとクローゼットに仕舞っているだけだった。

 毛布と、マスク、マフラー、タオルを手に取り、ゴミを捨てたゴミ箱にビニールを被せ、トイレットペーパーを雑に敷き込んで、足早に嘉一の部屋に戻る。


 音に気をつけてベッドに戻ると、布団を剥いで嘉一の背中にタオルを差し込んだ。心が風邪を引くと母が必ずこうしてくれていたからだ。これで、汗をかいても着替える手間がうんと少なくなる。

 ゴミ箱をベッドの横に置く。今のところ吐き気はないようだが、熱が上がるとどうなるかわからない。


 嘉一の耳にマスクをかけ、自分もマスクをする。持ってきていたマフラーを、心は嘉一の首に巻き付けた。いつかは綺麗にたたまれたワンループ巻きだったのに、今はただただ乱暴にぐるぐるとしただけだ。


「――心」


 心の部屋から持ってきた毛布を、嘉一の布団の上からかけていると、嘉一が掠れた声で名前を呼んだ。


「ごめんな……」


「――……やめてよぉ」


 心は顔をぐしゃりと崩した。


 嘉一が弱っているのだから、自分がしっかりせねばと必死に奮い立たせていた心が、一瞬にして萎む。


 ベッド脇に座って、横を向いた嘉一の背をさすりながら、心は涙混じりの声で言った。


「駄目だよぉ。違うよぉ。嘉一君が謝ることなんかなーんにもないんだよお」


 心がひしゃげそうだった。こんなに苦しい時にまで心のことを考える嘉一に、なんと言って気を休めてもらえばいいのかわからない。


 そして、強く思った。


「こんな時くらい、支えさせてよぉ」


(風邪を引いたら、こっちから聞かんでも教えてもらえて、こういう時に一番に駆けつけて、当たり前みたいに支えていい人間になりたい)


 そんな立場がもしあるのなら、心は迷わずその座に飛びついただろう。


「ココ」


 嘉一からそう呼ばれるのは初めてだった。舌に乗せたあめ玉を転がすように甘く、じんわりと心に染みる音だった。


 ポロポロと泣く心に向けて、嘉一が手を伸ばす。


「握って」


 嘉一の背中をさする手とは反対の手で、心は嘉一の手を握った。信じられないほどに熱い手のひらが可哀想で、また涙を流す心に、嘉一が苦笑を浮かべる。


「いて」

「うん」


 心は考える間もなく返事をしていた。

 彼と知り合って、きっと初めて甘えられた。


 心の返事に目を細めた嘉一は、そのままとろとろと瞼を閉じ、眠った。






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