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盲腸で入院してみた話  作者: のろろん
7/22

1日目ー⑦

 点滴が終わるとすぐ看護師さんがやってきた。


「明日手術なんで、下着を変えてください。お風呂も入って体を洗ってください」


 なるほど。健康診断でも前日は風呂に入るだろう。そしてふと体を洗うだけでいいのかと気になった。虫垂炎といえば例の儀式がある。ある部分の体毛を剃ることは常識だと思っていた。


 同時にカミソリを持ってきていなかったことも思い出す。


 風呂に歩いて行く前にナースセンターに寄り、毛を剃る必要があるのかを聞いてみる。さっき、看護師さんが下のフロアにいけないので、必要なものがあったら買いに行ってくれると言っていたこともあり、下の売店に行ってカミソリを買ってきてもらえないかも頼んでみた。


 だが返ってきた答えは予想外だった。


「ヒゲだけ剃ってください」


 そう言われながら引き出しから取り出したカミソリを渡される。


「ヒゲを剃るときはこれを使ってください」


 カミソリがナースセンターにまとまっておかれていたのは笑ってしまった。一般の人は毎回もらえるわけではないだろうが、かなりの数があった。頻繁に使う機会があるのだろうか。


「これ、もらっていいんですか?」


「どうぞ」


 そう言われてありがたくいただくが、それでも念のため聞き返す。


「ヒゲだけでいいんですか? 下は?」


「ヒゲは麻酔時にマスクをしますので剃ってください。それ以外は感染症の関係で今は剃らない方が一般的なんですよ」


 そうなのかと驚く。まぁだからといって剃りたい理由もなく受け入れない理由はない。そうですかと短く答えてシャワー室に向かった。



 シャワー室は2つあった。1つは車椅子ごと入れるようなけっこう広いもの、もう一つは立って入る狭いものだ。狭い方は畳1枚もないが、壁に椅子がついている。


 腹は痛いが立ってここまでこれた者はもちろん後者だ。というか大きな方は電気が消えていた。


 シャワー室には備え付けのシャンプーもあったが、病室に行く前に買ってしまったこともあり自前のものを使う。シャワー室のものは銭湯や安いビジネスホテルにありそうなものだ。


 一瞬リッチな気分になれた気もしたが、買ったものも普通にスーパーにあるような、旅行などに持っていくサイズの小瓶だ。少しはマシかもしれないが中身は似たようなものだった。



 中に入ると、点滴用のカテーテルが濡れないように気を使う。シャワー室は狭いが、壁の腰かけるところを広げるとさらに狭くなった。多少足腰が悪くても座って体が洗えるようだが、結局使わず立ったままシャワーを浴びる。蛇口をひねると適温のお湯がすぐに出るため、熱くなるまで待つ必要はなかった。


 

 上から順に洗い、だんだん下に向かう。前かがみになると圧迫されるようで痛みが少し増すが、つま先まで何とか洗え、動きが制限されるほどではなかった。



 シャワー室は30分単位で予約されているらしいが、30分は連絡があってから終了までは案外ぎりぎりだ。1時間に2人しか入れないのでなんとかなるということは、1日にシャワー室を使える人数はそう多くはないのだろう。


 使用後にはナースセンターに行って、終わりましたと連絡してくださいと言われていた。時期がらか簡単な清掃や消毒があるようだ。すでに20分以上経っているため、急がないといけない。


 この病院はわりと病室の扉、特に大部屋の扉は開けっ放しになっていた。これもウィルスなどに対する換気のためのような気がする。もしくは看護師さん達が病室内の様子を移動ついでに見れるようになっているのかもしれない。



 ヒゲを剃って体を洗い終わり、体を拭く。一番きついのは右足のかかとを拭くときだった。右下腹部の虫垂がかなり攻められる。それを乗り越え、服を着てシャワー室を出た。



 先ほどまでは1人ではなかったためゆっくり回れなかったが、髪を乾かすことも兼ねて、フロア内の部屋を少し見ながらゆっくりと一周してみた。


 検体の検査の部屋や資材置き場、その向こうにあるやたらベッドがあり、わざわざ受付がある部屋は抗がん剤などの理化学治療室だそうだ。そういえばジムにあるようなウォーキングマシーンや自転車をこぐような器具のある部屋もあった。心臓関係の治療をした人がリハビリするらしい。



 そして一番奥の大きな部屋はHCU(高度治療室)だ。入り口を厳重にする意味があるのかはわからないが二重扉になっている。入口に待合室があるみたいでテーブルと椅子がある。その奥の病室部分は鍵付きでよくわからなかった。


 ドラマなどでなんとなく見たイメージを思い浮かべながら通り過ぎる。


 歩く際は腹痛は感じてはいるが、鈍い痛みだけでのたうち回るほどでもなく支障はない。


 フロア1周はまっすぐ歩けば2分ほど、距離にして120m~130mくらいだ。万歩計を使ってGPS機能で測定してみたため間違いない。屋内だから測定は安定しないが、歩数からもだいたいそのくらいだとわかった。


 そのまま数周歩く。よく見ると同じように廊下で何度もすれ違う人がいた。あきらかに患者さんのようだ。一度意識すると気になる。数回すれ違う。


 たしかさっきの入院の説明の中で、1日目は安静ですけど、2日目からは歩いてもらいますからと言われた。お腹を切った直後でも歩けるのかとドキッとしたが、みんなしてますからと言われるとそういうものなのか。


 切り口がそう長くないからか? それともしっかり縫い付けるからなのか。不安もありつつできるんだろうなと思えてくる。



 あらためてすれ違う人を見る。みんなパジャマのようなものか、上から下までのローブのような服(あとから聞いたが手術服)を着ている人が多い。自分のような短パンTシャツはあまりいなかった。


 歩くペースは人それぞれだ。手すりをつかまりながらの人や点滴を運ぶキャリーみたいなものを付けている人もいる。単純に移動しているわけではなさそうで、手術後はこうした運動をしないといけないのかなと思った。


 歩き回っていると、まっすぐ立っているからなのか、動くことで意識がまぎれるのか、それとも痛み止めがさらに聞いてきたのか、ふと気が付くと腹部の痛みは弱まってきている。動くと痛みが和らぐのはどうやら定番のようだ。



 そうこうするうちに髪の毛も乾いてきた。時間も17時半近い。あまり動いて汗をかいたら本末転倒なので病室に戻ることにした。



 着替えた服を整理しているとお茶が運ばれてきた。


 点滴があったので喉の渇きはマシになってはいたが、お茶は飲んでもいいようだ。さらにうれしいことに看護師さんから夕食があることを教えられた。


「もうすぐ食事もありますから。飲み物も自由に飲んでもらっていいです。ただし明日は手術なので明日の朝は午前6時以降は絶食です」


 そう言われた。昨日の夜に食べてからほぼ固形物は食べていない。食べられるなら食べたい。病院食もどんなものなのか、やはり薄味でまずいのだろうか、初めてで楽しみになってきた。



 スマホをいじりながらチラチラと配膳の様子を観察する。ワゴンのくる音が聞こえた。



 きた。お盆が運ばれてきた。器が3つある。少し期待して器の蓋を開けた。


「な、なんだこりゃ?」


 思わず声が出た。お椀の中は3つとも液体だけだった。


 慌ててメニューの札を見ると、『おもゆ』と記載されている。


 おぉぉ、そうきたか。


 確かに明日腹を切る手術前に食事が出るというのは不自然だとは思ったが、それなりの食べ物が出てくると期待していただけにショックが大きい。だが仕方ない。


 しばらく見つめていると看護師さんが配膳と入れ違いで薬を持ってきてくれた。食後に飲む痛み止めだ。もちろん確認する。

 

「食事ってやっぱりこれだけ?」


「そう。すすってください」


 お椀を持って口元に持って行くジェスチャー付きで笑いながらそう言われた。見透かされたようで苦笑する。


 どんなものか。とりあえず口に含んでみた。1つ目はくず湯のようなどろっとした粘り気がある。少し味があるような気もするが、超米粒の見えないお粥。


 おもゆというのはこういうものを指すのか。

 

 2つ目はすまし汁でサラサラだ。3つ目は野菜の煮汁のようだ。鰹節や野菜のかけらすらなかった。


 スプーンもついていたが、食べるというよりはお椀に口をつけてすする、飲むという方が早い。


 食事時間1分以下。 胃袋の叫びは収まったようなかえって強まったような食事だった。スプーンで椀底の最後の一さじを食べて夕食は終わった。


「明日も朝6時前に食事がありますから」


 そう言われるが、これと同じレベルだと思うとあまり楽しみにはできない。周りのかちゃかちゃという食器の音が美味しそうな食事を想像させ、よけいにお腹が鳴った。


 お膳が下がって薬を飲んでも18時半。まだ空はほんのり明るい。夜にすらなっていない。時間は長く感じる。


 さすがにこれではカロリー的にも不足なのか、体温、血圧と痛みの状況などの問診があり、都度点滴もあった。


 横になっているとみぞおち下の痛みの感じ方がまた強くなっていた。もし、今日一日粘って仕事をしていたらこのくらいの時間に退社だろうか。ここから移動して病院に駆け込んだとしても、痛み止めもなく検査も時間がかかっていたはずだ。


 まして明朝から来てくださいだとその間にも症状が悪化するだろう。痛みが強くなるたびに早めに判断してよかったと思えた。


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