4日目―③
夕方になる。あれから前屈みになったりしなければ特に痛みもない。
ただ、昨日は立ったり座ったりする際に無理な力を入れてしまったからか、少し傷が痛くなるところはあった。やはり腹筋は切ったところと違うところであっても筋トレするにはまだ早いようだ。
当たり前と言えば当たり前だが、これ以上悪化しないように自重する。
ここで嬉しいお知らせがあった。まとまった量の便通がある。通常食になってから少し時間が経って心配だったが、これで気持ちが切り替わった。おまけに硬すぎないため力みもない。最も心配だったことが解決し一気に気持ちが楽になった。
特に明日からは特別食。通常より食事の量が増える。これで心置きなく食べられそうだ。
身も心も実際に軽くなりリラックスできる。
お腹がすっきりした分、無駄にお茶を飲んだりしながら時間を過ごす余裕ができた。
のんびりしているとふと思いついた。たしかナースセンターのそばには食事のメニューが貼ってあったはずだ。まだ少し夕食までに時間がある。メニューチェックも兼ねて散歩することにした。
メニュー表を見る。
特別食、明日はマグロカツのタルタルソースらしい。普通食は名もなき素材で、ただ『カツ』とだけ書いてあった。
マグロになるのが特別のようだ。栄養も多い、ざっと数日分見るが普通より平均で200kcal以上ある。基礎代謝よりも多く、1800kcal以上あった。塩分も多めで8.5gもある。
しっかり味がついているのだろう。ふつうに入院してるだけじゃ消費しきれない気もする。余分に消費するためにも今のうちから歩いておかねばならないと思った。
ふとメニューの前に体重計が置いてあるのに気付いた。メニューの前に体重計とはかなり仕組まれている気もするが、この4日、病院食でカロリーコントロールがされているため間食がまったくない。
その上に歩く以上の運動もしておらず、大して動いていないため、おそらく筋力は大きく落ちているだろう。どのくらい体重が落ちているのかと思い、測ってみることにした。
たしか入院前に一度測って、その時が72.3㎏だったはずだ。体重計に乗って数値を見る。減っているはずだと思ったが、まさかの72.4㎏。増えていた。
少なくとも安静にしているはずだし、食事もかなり抑えているはずだ。筋力低下以上に身についているのか。ありえない気がするが、事実は事実。明日の特別食に暗雲が漂う気がする。
もちろん明日は食べる。これは決定事項だ。食欲が出ているのはよいことだ、ただ退院してからどうするか考えないといけないわけだが。
病室に戻ると夕食の時間だった。
お腹がぐるぐるとなっているのは順調に内蔵が機能しているからだろう。
夜は魚の蒸し焼きのように見えた。なんの魚かはよくわからない。ただ昼はそこそこ味がついていたが減塩なのか、塩焼きなどではないようだ。魚本来の味しかなかった。
魚は嫌いではないが、どうしても量が少なめに感じる。もうちょっと身があればとも思う。
だが昨日は胃袋が小さくなっていて食べ切れるか心配したくらいだ。すき焼きもどきは美味しかったが量はきつかった。
怪我的な入院や消化器系でないなら食事は困らないかもしれないが、これは贅沢な悩みのように思えた。
食事が終わったがまだ胃袋に空きがあるのはわかる。ただ薬を飲むと不思議と何か食べようとは思わなかった。ジュースなどもあるが、腹が減ってもなんとなく満たされてはいる。
消化の一助になればとよく噛んで食べているからだろうか。
食事の後には検温があった。術後は初日は36℃台に下がったがそのあとはずっと37℃ちょいが続いている。
腹を切った後だから体がいろいろ修復してるらしく、微熱は普通らしいがなかなか下がらず少し心配にはなっていた。全部が回復とはいかないようだ。
ただ頭はスッキリしているし、熱っぽさも感じない。食後の運動も兼ねた定例の散歩に向かうことにした。
別に時間を決めているわけではないが、朝晩散歩をしている。4日目になると、見知った顔が増えていく。
このフロアは約50人入院できるらしいが、ぐるっと一周見た限りではいくつか電気がついていない空き部屋がある。
昨日は全部屋電気がついていた気がするが、病院は週末に退院する人が多いのかも知れない。考えてみれば、土日休みならリハビリを自宅でしておけば月曜から仕事に復帰しやすいだろう。
退院して翌日から仕事は避けたいと思う。一方で外来診療はないから待機している医療従事者は減っているだろう。単純に考えると、週末スタッフが減るときは退院してもらって患者も減っているのが理想かもしれない。
今日は土曜日だから今日の昼間に退院した人が多いのかもしれない。誰かが迎えにくるにしても、一人で帰るにしても、病院も外の交通機関なども空いているだろう。その方が楽と思えた。
ぐるぐると回遊していると、またきたよこいつと見られているのがわかる。ずっと廊下の椅子に座っている人はこれはこれで日課なのだろう。
病室も手前のベッドの人とは毎回目が合う。よく見ると、1番手前はカーテンが閉じられていないことに気づいた。
手も何か手袋をしているようだ。もしかしたら、何かしてしまいそうな人、例えば点滴を抜いてしまったり、急に体調を崩しそうな人は手前なのかも知れない。
そういえば自分もそうだし、ペースメーカーを入れるなどの手術の人は1番奥のベッドで部屋もナースセンターからは遠い。
部屋の配置も色々と考えられている気がした。
廊下を20周、約2kmほどだが、もう特に疲れることはなくなっている。あるとすれば傷痕のガーゼをつけなくなったので、縫い痕にシャツが少し擦れることくらいだ。
退院をいつにするか聞かれたとき、治りが早く痛みもなさそうだから1日前倒ししてもよいみたいなことを言われていた。
便秘もないし、立ったり座ったり歩いたりくらいだと問題ない。さすがにまだ走ったりはないが、退院を早めても家で過ごして近所のスーパーなどに買い物には行けそうに思えてくる。
今は食事すら勝手に出てくるし、部屋の掃除などもしていない。これだけ歩けるならフロア内でもある程度元気な部類に入れそうだが、そう考えると実生活に戻ろうとするならまだまだ厳しいのかもしれない。
『明日はやっぱり洗濯とか生活面のこともちょっとやってみるかなぁ』などと思えてくる。
実際、電車で通勤となると、駅まで歩いてそこから何十分か電車に乗り、また職場まで歩く。満員電車で動けないこともあるだろうと考える。
手ぶらな状態でこのフロア周回コースを30分歩けるくらいではまだ不十分な気がする。
試しに入院時の鞄に荷物を積めて通勤を想定した歩き方をしてみようかとも思ったが、さすがにここでカバンを持って歩き回っている人は見たことがなかった。
重いものは持つなとも言われていたし自重し、明日洗濯することを決めて手ぶらで歩くことにした。
何人か病室からの視線を感じるが、看護師さんとかは忙しいのか誰も気にしていないようだ。消灯前だがすでに病室内の患者はほとんど出歩いていない。そんな中を黙々と歩き回る。
椅子に座って眺めているおっちゃんの視線を感じ、いつものベッドのおばあちゃんにも見守られながら30分歩き続けた。




