さらば、世界
恐る恐る目を開けると、そこに朝の食卓はなかった。
見慣れた母の顔もなければ、鼻腔を突き抜ける芳醇なバタートーストの香りもない。
乾いた陽光が吹出物だらけの額に照りつける。
一翔の目前に広がっていたのは、非日常な光景であった。
林立する西洋風の木造建築、レンガ造りのものも多々見られる。
アッピア街道を思わせる石材で舗装された道路、現代日本の舗装技術に比べれば幾分か劣るが悪くはない。その道端に沿うようにの市場ようなものが点々と存在している。
額から吹き出す冷や汗を小汚い紺色のシャツの袖で拭う。
何ヶ月も着回しているからだろうか。すこし臭う。
ざっと辺り一面を見渡した後、街を行き交う群衆に目を凝らしてみたところ、一翔は空いた口が塞がらなかった。
野菜のようなものを売っている市場では
カエル風が店番をしているし、街を行き交うのはウサギ風やオオカミ風といった動物ニンゲンばかりである。
中には自分同様、ホモ・サピエンスのような者もおり少しの安堵を覚えたのも束の間、頬がぴくぴくと痙攣し乾いた笑いが思わず漏れる。
気を持ち直し、深呼吸を一つしてやる。
そして、確信したのである。
──────間違いない。
一翔は自分が今いる場所が異世界であることを認識した。
なにか珍妙なものでもみるかのようなニンゲン達の視線を集めていることに気づき、そそくさと、裸足で羅生門の下人のようにその場から逃走した。