第一話 切欠
あの日のことを、何故忘れてしまっていたのか
自分のことが自分で分からなくなる。
でもあの日、私の中で何かが終わった。
ふと、私は人が殺された瞬間を思い出した。
その場所は、誰かの寝室であった。
フローリングの床に、クリーム色の壁
部屋の真ん中より少し西寄りにベットが置いてあった。
入り口は一箇所、入って直ぐ横の壁がクローゼット
のようになっており、少し空いた場所からは男物の服が
飾ってあるようだった。
入口の正面には何かの星雲のようなポスターが飾ってあり、
家具屋調度品に対して何やらアンバランスな雰囲気を醸していた。
入口のある方の壁に本棚があり、どうやら本棚があるため
にベットが少し西寄りになっているようだった。
ベットの後ろには引き違い窓があり、窓を開けると鉄格子が掛かっていた。
2階だから落下防止用のためだろう。
外はもう既に夜であった。
窓には、蔦や草花の刺繍が遇らわれた緑のカーテンが掛かっており、
部屋の片隅に置いてあるテレビの音が外に漏れる事を恐れて
少女がリモコンで音量を下げている様子だった。
「早く見つけ出さなくちゃ。誰か来たら大変」
「警察の人じゃないといいけど。」
少女はそんな事を話し、テレビ台を調べていた。
本棚や引き出しなどの収納スペースを調べ尽くし、
塵や埃が舞っていたため窓を開けただけだったのだが、
少女には私のその迂闊な行動が気に入らなかったらしい。
急かされた私は、窓の位置から周囲を見渡したことにより、
ベッド下に収納スペースがあることに気が付き潜り込んだ。
どうやら大きなクローゼットに目を惹かれ、きづかなかったようである。
ベット下の板に引っ付けてある小さな収納スペースの中に目当ての物はあった。
携帯電話である。見つけた物を取ろうとした途端。
突然、激震が走った。
少女が壁に打ち付けられたのである。
叫ぶ間も無く窓際の壁に押し付けられ、
強い力で両手の自由を封じられてしまっていた。
大男は包丁を持ち出し、少女の脇腹に突き刺した。
包丁からは血がつたい、
首を絞められ息苦しそうにもがく少女、
押さえつけている大男の顔は見えないが、
何故か大男は自分が犯したこの状況を愉しんでいるような、
そんな気がし身震いした。
そして私はその光景を、ベッドの下から覗いて見ていた。
ただただ、大男に見つからない事を願って。
どうか、どうか気づかれませんようにと。
そして非日常的で異常なこの光景に対し、
どこか冷静な部分があったんだと思う。
気付かれたとしてもすぐ動けるように行動している自分が居た。
万が一見つかった時のために逃走経路を想定し、
顔がバレないように髪の毛で顔を少し隠し
髪の毛の隙間からこの状況を眺めていた。
この場から離れた後に行くところを考え、
フードを深く被るために握りしめ、
震える手と声を必死に押し殺しながら、
この男が親友を殺すまでの数分間、
ずっと親友が死に行く様を眺めていた。
床が血溜まりになる、なんてことはなく、
踠いている少女がだんだん暴れなくなり、
口からは泡を出し、体が痙攣し始め、
終に親友は指一本動かなくなってしまった。
そして、それから数分経った後、
徐に男はベットの下に手を伸ばし、
先程私が手にしようとした携帯電話を取り出した。
幸いなことに、私は大男に見つからなかった。
ベットはマットレスが2つありぶ厚い分、
脚の高さが低いタイプのもので、
下は子供が潜りこむので精一杯の高さしかなく、
ベットの短辺部分の方は板で更に少しだけ低くなっている事も相まり、
大男は慣れたように携帯を手にしていたため、
ベッドの下を覗き込むことはなかったのである。
携帯が盗られていない事を確認し、
大男がタバコを吸いにその現場を離れ少し経った頃、
私は窓から逃げ出したのだった。
窓には鉄格子が嵌められてあったが、子供の私には
ギリギリ通れるくらいの隙間であったため、
物音を立てないよう慎重に窓を開け、
排水用のパイプをつたい、一階に降りた。
侵入がバレないよう、ズボンに差し込んでいたサンダルを
取り出し、私は塀をよじ登って脱出した。
家の裏は墓場だったため、人気もない。
普段なら絶対にこんな道を通ったりしないが、
そんなことも気にならないくらい私は一目散に家に帰った。
刺され、首を絞められ殺された親友を置いて。
家に帰った後、心臓が破裂しそうなくらい鼓動が鳴っているのを
聞きながら、私は床に突っ伏した。
手が尋常じゃないくらい震え、
全力疾走したにもかかわらず、
顔からは血の気が引いているが、
心臓の鼓動だけが生き残ってしまっている事を実感させていた。
大男は少なくとも5分は戻らない事を確信していた。
部屋を出る間際にジッポライターで遊んでいたからである。
ジッポライターを鳴らす人は愛煙家だ。
お父さんが言っていた。
ライターを持っている大人には関わるなと。
ライターを持っている人は愛煙家だからという。
健康に気を使わない大人は自分を律することのできない人間か
ストレスや環境など、何かしらの問題を抱えているからだと。
あと、普段の生活でライターが活躍する場所は、
お誕生日か、タバコを吸うくらいしかない、とも。
お父さんの言葉を身に染みて理解し、
タバコなら少なく見積もっても
5分は戻ってこないと考えたのだ。
そして、その考えは正しかったのである。
ああ、あの時、わたしは友を見捨てて見殺しにした。
その記憶が蘇った途端、私は机に突っ伏した。
それは、茹だるような夏の暑い日のことである。
世界史の授業を受けている最中のことであった。
思い出したのはその一部分のみだった。
親友を殺された。確かにそう思ったはずなのに
私は親友の名前が思い出せなかった。
ただ、私の中に確かな気持ちだけが残っていた。
あの少女は私の親友だと。
どうして、見たこともないあの場所にいたのか
何故、大男に親友が殺されたのか、
その事実を思い出した途端、私は机に突っ伏した。
それは、茹だるような夏の暑い日のことである。
世界史の授業を受けている最中のことであった。