表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/26

もう一人じゃないから

 狭くて暗い所にいた。怖い。怖い。と目を塞ぎたくなった。

 目を開いても、目を開けても、闇。そして、扉一枚隔てた向こうも、また同様に、闇であるのだ。

 外へと通じる唯一の扉は閉められている。

 ドンドン、と扉を叩く。しかし開かない。いや、開けてはならないと、リル自身がそれを知っていたから、開けられなかったのだ。

 この扉はリルを出さないためのものであると同時に、彼女を守ってくれる最後の壁でもあるのだ。


 リルは賢い。

 賢くて、そして不幸な少女。

 分かってしまう。すべて、分かってしまう。

 分からなくてもいい不幸な出来事の、その隅々までをも彼女は掴み取ってしまう。


「リリアーヌ、絶対、絶対に出てくるんじゃないぞ!! 何があっても、この扉を開けるな!」


 扉の外から兄の声が聞こえた。リルをこのクローゼットに押し込んだ張本人。


 優しい兄。花を愛し、鳥と遊んだ。武術よりも読書が好きな彼はよく妹に、遠い国の物語を語り聞かせた。

 しかし彼は、今、身体中にたくさん傷を覆い、血を流し、背中に深々と矢が刺さっていても、それでも家族を守ろうと必死に戦う。


「ねえ、待って! お兄ちゃん!」


 リルは今にも泣きだしそうな声をあげた。

 扉を開けねば、兄の姿を見ることは出来ない。けれど扉を開けては兄を悲しませてしまう。リルはただ、ぼろぼろ、と涙を零すことしかできない。


「必ず、必ず戻ってくるから。それまで扉は《閉ざして》決して開けてはいけない。いいか……、リリアーヌ、約束してくれ」


「うん、約束。約束するから……。だからお兄ちゃんも約束してください。必ず……迎えに来て……、ください……」


 もう、兄に会えなくなるのではないかという、信じたくない実感が、胸の中に、広がりきって、拭えない。


「ああ、分かった、約束だ!」


「うん……、約束、です。絶対……」


 兄の足音が遠くに消えた。


 ※※※


 はっ、と目が覚めた。

 夢を見ていた。

 まるで“あの日”を丸ごともう一度繰り返したかのような錯覚に陥っていた。

 身体中が汗でびしょびしょだ。故郷を飛び出してから、こんな調子で、安眠できたためしがない。


 多分、きっと、サナライズについて、目的が達成されるまで、こんな風に夢が自分を苦しめる毎日が続くのであろう。しかも厄介なことに、その夢は夢ではない。現実にあった過去の出来事。


「……うっ」


 吐き出しそうになる。胃の中のモノ、そして、胸の中のモノ。

 出てしまえばいっそ楽になるのに。そう思った瞬間に吐き気が引っ込むジレンマ。


「……ふぅ」


 隣を見ると三日前に出会った少年が毛布一枚を身体に巻き付けすやすやと寝息を立てている。

 ああ。無意識にため息が漏れる。


 良かった。

 もう、一人じゃあないんだ。

 そうだった。

 今は一人じゃあないんだった。

 空を見上げれば月が笑っている。もう一人の淋しい夜は来ないはずだ。きっと。

 そうあって欲しい。

 懇願。妄想。


「お兄ちゃん、お姉ちゃん。私、絶対、仇を討つから……だから」

 夜はまだ続く。

「だから……、私に力と勇気をください」


 もう少しだ。目的地はすぐそこだ。

 日が出るころに歩き出そう。こんどまたこの悪夢を見るよりは、きっと早くサナライズの都に着くはずだ。


 太陽に愛された都サナライズ。


 生まれて初めて村を出たリルにとって、都は本の中にしか存在しないものだった。しかし、あと何日もしない内に、自分はそこにいるであろう。そのことにリルはある種の恐怖を感じた。未知への恐怖。

 大丈夫だろうか、自分は、胸に決めたことを、しっかりと、やり遂げることができるのであろうか。


 リルはぎゅっと目を閉じた。春の虫が遠くで鳴いている。少年の寝息もそれに混じる。春の夜の静けさは響いて、少女の心を、きん、と震わせた。


 少女は寝袋から這い出た。

 寒さで静かに震える。たき火は弱弱しく燃え続けている。集めていた乾いた木の枝を、ぽきり、と折ってその中に放り入れる。

 それはすぐにその身を赤く燃やし、当たりを優しく照らす光源へと変わる。

 リルの身体も自然と温かくなる。


 水筒から鍋に水をうつし、火にかける。

 昼のうちに積んでいた香草をその中に入れて、煮出す。とてもお茶と呼べたものではないが、身体を温めるのに味はそう関係ない。


 この少年に黙ったままでいいのか。

 自分が、王都へ向かう、その目的を。


 リルは味のない、匂いだけが良いお湯を口に含みながら考えた。


 きっとこの少年は自分のことを誤解している。

 いや、誤解してくれるように、私は望んでいるんだ。

 もし、この胸の内を知られたら、軽蔑されてしまうに違いないのだから。


 春風は冷たい。

 熱いものが喉を通っていく。胸に落ちた時に、それはとうに体温と同じ熱さに成り下がっているのだが。


 少年の寝顔を見た。

 そして自分の手を見る。

 もう、震えてはなかった。


「明日はきっといい天気、だよね」


 リルは呟いて、月夜にその身を沈めた。

 誰に対しての言葉なのかはわからない。

 しかし、呟くだけなら、そう、自由だから。


 言葉は夜空に浮かび、周囲に柔らかな明かりをばらまき続ける灯火だけは、しばらくの間、小さな音と共に揺れ続けていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ