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朝が始まる

「ハルトさん、あれは何ですか?」


 ウェアスの大地に自分と共に落ちてきた荷物を回収していたハルト。通学カバン。飲みかけのペットボトル。菓子類。雑誌。筆記具ノート。


 ハルトはリルの指さす先を見た。


 木々の隙間から漏れ出る月光によって照らされているものも、ハルトともに空から落ちてきた物だった。

 勉強机、椅子。

 そうだ、この世界に飛ばされる直前は教室で授業を受けていた……、気がする。

 草茂る地面の上に散らばるそれらはすべて自分にとって馴染み深いものたちだった。しかし、その中でひとつ、身に覚えのないものがあった。


「何だ、これは?」


 それは明らかに自分の持ち物ではなかった。ハルトはゆっくりと手を伸ばす。


 地面に転がるそれは細長い七十センチほどの棒に見えた。真黒に見えるそれを手に取ると、想像より遥かに重かった。

 ハルトはその棒で最も握りやすく加工された部分に触れた。木製のそこは何かの皮で人の手に合うように作られていた。必然、ハルトはそこを右手で掴む。そしてゆっくりと今まで決してしたことのない動作でそれを引き抜いた。


 白銀。月光を弾いた。

 軽い音だった。それはあらゆる邪を祓うための神具なのだとしたらあまりにも軽い音でウェアスの空気に晒された。

 目に眩しい。物象を断ち切るためのくろがね。

 鉱物の冷たさは熱を帯びて少年の心を震わせた。

 日出ずる国の輝き。


「……刀?」


 それは日本刀。

 黒い鞘に収められていたそれは今、完全に異世界へ露出した。


「わぁ、綺麗」


 リルが感嘆の声を上げる。


 確かに。と、ハルトも感じた。

 これは単なる武器ではない。ただ人を殺めるための鉄の塊なのだとしたら、この美しさはあまりに冒涜的過ぎた。

 ハルトは自分と、そしてこの刀をこの世界に落とした空を仰いだ。

 目を凝らしても、チキューで見るよりも数段大きい月以外には何も見えなかった。


 だから、ハルトは刀を鞘に納めて、目を閉じた。

 そこに浮かんだのは、遠い記憶だった。


 ※※※


 剣を持ち始めたのは姉の影響だった。


 彼女は日本一強い剣道少女として、ハルトが物心つく頃にはもう日本中のアイドルだった。もちろん桜井春人にとっても姉、『若菜』はヒーローだった。


「なあに? 春人も剣をやりたいの? なら、私がちゃんと春人にカッコいいとこ見せ続けてあげないとね」


 その言葉の通り、若菜は春人の前で負けることは最後までなかった。


 一度だけ、姉が真剣を扱うのをみたことがある。

 それは居合の試斬稽古だった。

 多くの見物人がいるなか、春人と妹は一番前で若菜の姿を見つめていた。「がんばれー」と声を出す妹に、春人は「静かに」と注意した。真剣を抜く、居合の稽古にどれだけ集中が必要なのかわかっているつもりだった。

 しかし、姉は、弟たちの方を見て、にこりと微笑んでくれた。

 それが純粋に、春人にとっては嬉しかった。


 居合道は、剣道とは大きく違う。

 剣道は実際に相手と打ち合うことを前提としているが、居合は仮想の敵を相手に剣を抜かせるよりも早く殺すことを目的としている。抜けば最後、すべてを終えて納刀することができない。それが居合。


 姉の前には四本の青竹が置かれている。

 その剣は骨を断つもの。古来から人の骨の硬さに近いといわれているものが、まだ青々しい竹である。


 若菜が一礼した。

 途端、アイドルを一目見ようと集まった観客人たちのなかにも、ぴんと、張り詰めた緊張が伝わる。


 呼吸。

 やけに大きく道場に響いた。


『一度、刀を抜いたら、最後まで、決して油断はせず、すべてが終わるまで、刀と共に、ただ目的のために、命をかけて』


 軽く、踏み出した、瞬間、抜かれていた刃の輝き。

 激しくはない。優しい火花。

 一、二、と数を読み上げるかのように、次々と竹筒はその等身を低くしていく。

 飛び散る汗の中に、その真剣な瞳を見た。

 走る閃光の中に、その美しい音を聞いた。


 緊、と高く響くのは、納刀の音。

 鞘に剣を納め、一礼。

 若菜が道場を退出するまで、誰も、何も、発することはできなかった。


 春人が鋼の美しさに目覚めた瞬間だった。


 ※※※


 姉がいなくなってから、もう、七年。

 春人はその年月、ただ剣を振り続けた。


 ※※※


「私たちは今この一番大きな大陸『ソクラテカ大陸』の中央東南部にいます。ここからこの川をずっと上っていくとマルキー河という大河に出ます。それを少し上っていけば『晴の国』の都『サナライズ』にたどり着くのです」


 リルの細い指が地図に書かれた川を示す細い線をなぞる。


「私の目指す場所が、この王都サナライズです」


「ここからその都までどのくらいかかるんだ?」


 ハルトが尋ねる。

 リルの広げる地図はハルトの世界の地図とは違い、どうやら縮尺が曖昧のようだった。焚火の灯りに頼りながら、二人は顔を突き合わせ一つの地図とにらめっこ。


「今日まで私が歩いてきたペースを保てたら、おそらくあと五日ほどで着くはずです」


 とんとんとん、とリルは地図上で五つの点を指し示す。川の傍らに沿う。行先は川の流れが教えてくれる。


「この小川は、大陸最大の流域面積を誇るマルキー河の支流です。王都サナライズはその河を自然の要塞としているのです。つまりマルキー河まで出てしまえば、もう迷いようがないということです。あと五日です。五日歩けば、この国最大の都へたどり着くことができるのです」


 言いながらリルは思った。都に着くまでにあと五回夜が来る。そのことを思いながら遠くの朝日を眺めてみる。


「遠いのでしょうか。近いのでしょうか」

 自分に、とん、と尋ねてみる。


 小さな少女の旅のその終わりはまだまだその尻尾さえもみせてはくれない。

 家を出た、あの日の月を思い出した。にっこり笑う三日月とそれを恐ろしく思う自分。初めての独り歩き。夜。闇の中。孤独を纏う闇。寂しさのにおいを振りまく夜道が、リルの心を締め付けた。

 あの感覚。きゅっと寂しさが心を掴む、あの感覚を、リルは今思い出した。


「あの……」


 リルは何かを思う前にハルトに声をかけていた。

 ハルトは眺めていた地図から顔をあげリルの顔を正面から見据える。


「ハルトさんは、どう、します?」


「どう、って?」


「グンマーに帰らないといけないですよね」


「ああ、うん」ハルトはこくりと頷いた。「そうだな。帰り方は分からないけど」


 からからとハルトは笑った。

 その笑い声は微かに森の木々を揺らした。

 リルはそんなハルトの横顔を眺める。


「なら、一緒に来ませんか?」ううん、違う、と言ってからリルは小さく首を振った。「一緒に来てくれませんか……?」


 言って、少しの沈黙の後、リルの頬が一気に赤く染まった。落ち着いて考えたら目の前にいる命の恩人は恩人とはいえども知り合ったばかりの異性であったのだ。今までの自分だったら決してしなかったであろう大胆な行為。やはり命の危機にあって精神が疲弊しきっていたのかもしれない。


「……ち、違うんです。あ、あの、サナライズの都まで行けばきっとグンマーへの帰り方も分かると思うんです。あそこはウェアスで一番の大都市ですから、どんな情報でも入ってくるのです。だ、だから……」 小さな声で付け足す。「い、嫌なら、そ、そのぅ、か、か、構わないのですが……」


 嘘ではない。サナライズまで行けばこの少年の故郷への帰り方も分かるかもしれない。それは決して口から出まかせなんかではないのだ。

 でも、リルはそんな理由ではなく、もっと違う理由から、出会ったばかりのこの少年と一緒に歩きたかった。具体的にそれがいったいどんな理由なのか、彼女自身にもよくわかっていないけれど。


 ハルトはそんなリルの目を見た。

 この少女の瞳は、あの少女の瞳によく似ているような気がした。

 ふ、と一息に消し去られる燈火のような瞳だと思った。あたたかく輝いているが何かの拍子に簡単に潰されてしまう強さ。

 ハルトは出来るだけ優しく、自分の想いを発音した。


「こちらこそお願いするよ、リル。君さえ良ければ」


 ――コケコッコー。


 遠くで鶏の声がした。

 ぱぁ、とリルの顔色が明るくなる。リルが初めて仲間を得た瞬間。

 世界はその明るさを取り戻す。暖かな光がウェアスの大地に降り注ぐ。今日の天気はどこまでも透き通った晴れだ。


「こ、これからよろしくお願いします、ね」


 リルにとって久しぶりの 『朝』が始まる。

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