大人気ない 前編
外交もある程度担う第二王子の妃(正確には、まだ婚約までだが)ともなれば、外交の場に駆り出されるのは、ある種必然のことである。
分かってはいる。理性では。
分かってはいるのだが。
「オリビア姫! 次はあちらへ参りましょう!」
――ああもべったりされると、面白くないと思うのは、男として当然ではなかろうか。
そう、たとえ相手が、今年にようやく齢10となった幼い王子であっても。
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事の発端は、隣国ガードガレー帝国から、“文化交流”を深めるために提案された、互いの国にそれぞれの使者がしばし滞在する、という行事である。
使者は、王家の血を継ぐ者である。暗黙の了解で、そう決まっている。つまり、『貴方の国になら、我が国の大事な王子・姫であっても向かわせますよ。しばらく滞在させたっていいですよ。なにせ、信頼していますから』という証だ。
そうして今回やってきたのが、ガードガレー帝国の皇帝の第一皇子、そして第五皇子である。長兄であるオースティンは、とても落ち着いた性格で特に問題は無かったのだが、歳の離れた弟であるノアは、まだまだ遊びたい盛りであるのか、来て早々に「いろいろ見たい! 案内してほしい!」と宣った。そうして案内役として白羽の矢が立ったのが、オリビアだった訳である。
彼女は、貴賓を案内するには十分な地位と、十分な知識を持っていた。唯一の不安は彼女のコミュニケーション能力であったが、それも込みでノアは気に入ったらしい。……いっそ気に入らなければ良かったものを。
けれども、弁解をさせてもらえるのなら、ノアだって誰でも良かった訳ではない。彼は、本心からオリビアに好感を抱いていた。
嘘偽りない彼女の発言は、いちいち面白かったのである。
「あれは何ですか?」
「噴水です。中央の像は、この国の初代王であるスティーブン=エル=ルーヴェンス王の像です」
「へえええ。あんな風に飾られて、嬉しいものかなあ……」
「故人の想いは分かりかねます」
「オリビア姫なら、嬉しいですか?」
「嬉しいという気持ちは分かりませんが、必要なのであれば厭いません」
万事が万事、このような調子である。イエスマンや、堅苦しい見解を述べる者ばかりの中で、ただ思うことを述べているだけのオリビアの存在は、逆に物珍しかった。
そうして接している内に、この皇子はとうとう恐ろしいことを言い出し始めたのである。
つまり、オリビア姫が欲しい、と。
年齢が年齢なら、求婚宣言だ。しかも、他国の王子の婚約者に対してだなんて、宣戦布告以外のなにものでも無い。
「ただの子供の憧れですから、その辺りは大人になってくださいよ!」
彼の腹心はそう言ったものの、かの王子の機嫌は最高に悪くなったことは、わざわざ明文化するまでもなかった。
それでも、ちゃんと“大人”なので、人を替えるだとか、皇子を追い返すだとか、外交問題レベルになりかねないことは、行わなかった。“大人”なので。
その代償として、かの腹心が数々の理不尽に遭ったわけであるが、優秀な彼は遠い目をしながらも、それに耐え切ってみせたのである。
「姫ー! いらっしゃいますか?」
「あらノア皇子、今日もオリビア姫とお出掛けですか?」
ピンと背筋を伸ばしたノアは、目の前のキラキラ光っているように見える女性を前に、首を傾げた。
「はい、今日は東の庭園を案内してもらう約束をしているんです。ええっと、貴女は……?」
彼女はにこりと笑った。
「私はシャルロッテです、ノア皇子。本日より、オリビア姫と共に、貴方様の案内役を頼まれましたの」
何故、残り二日となったこの時期に、一名追加?
ノアはますます首を傾げたが、まあいいや、とシャルロッテに笑顔を返した。
「お手数をお掛けします、シャルロッテ様。今日からよろしくお願いします!」
「ええ、よろしくお願いいたします。……ああ、なんて素直ないい子なのかしら。爪の垢を煎じて飲ませたいわ」
「?」
一瞬、ゾクリと冷たいものが背筋を駆け抜けた気がしたが、目の前には、綺麗に笑うシャルロッテがいるのみである。
気のせいかな、とノアが再度首を傾げたところで、「お待たせしました」と無表情のオリビアが部屋から出てきた。
彼女は、不思議そうな目でシャルロッテを見たが、笑顔のシャルロッテが「リアン殿下の命ですわ」と言うと、納得したように頷いた。
「わ、見たことの無い花があります!」
ノアの顔がパッと輝く。
「それはルフーデの花です。ルーヴェンス王国特有の花です。蜜は非常に甘いといいます」
「舐めてもいいかな」
興味津々な面持ちで、ノアはルフーデの花を凝視している。小さくて細長い花は、摘むと簡単に取れそうだ。
「毒はありませんが……」
一介の皇子に、そのような真似をさせてもいいのだろうか。チラリ、とシャルロッテに助けを求める。「甘い蜜……」と呟きながら、何故か彼女も花を凝視していた。
「シャルロッテ様……?」
本当に、ここの判断を彼女に任せてよかったのだろうか。ふとオリビアは不安になった。
「要するに、バレなければいいのですわ」
「ここだけの秘密、ですね」
ノアとシャルロッテが、にんまりと笑い合う。この二人は、どことなく似通う部分があるな、とオリビアは思った。表情がころころ変わるところとか、オリビア相手に笑顔で接するところとか。
「ただ念の為、そう、念の為ですよ、毒が入っているといけないので、私が毒味をいたします」
澄ました顔で、シャルロッテがそっと花を摘んで、引っこ抜いた。根元に口を付け、ちゅう、と吸う。美味しかったらしい。顔が綻んでいる。
「もう大丈夫ですよね? 確認できましたよね?」
ノアの手がわきわきと動いた。どうぞ、とシャルロッテが微笑んだ直後には、その口には花が咥えられていた。
「甘い!」
驚いて声を出したノアは、キラキラとした眼差しで、手元の花を見た。とろりとした蜜の味が、口の中をいっぱいに広がっていく。
「ノア皇子」
オリビアが、少しばかり困ったような顔で、注意する。
「ルフーデは毒はありませんが、他の植物には、毒を持つものも多くあります。お気を付けください」
「大丈夫です」
口付けた花を、土の上にそっと置きながら、ノアは笑った。
「オリビア姫から教えて頂かなければ、口にしたりしません」
直球な言葉を額面通りに受け取ったオリビアは「それなら良かったです」と返し、その裏の意味を読んだシャルロッテは「この甘さ、誰かさんにも少し分けてもらえないかしら」と手元の花をくるりと回した。それから先の宣言の件を思い出し、「まさか本当に求婚じゃないわよねえ?」と首を捻った。
この一連の出来事は、“秘密”の部分だけぼかされて、確実に王子に報告された。
それがどう働いたかはいざ知らず、少なくとも事実として、次の日――つまり最終日の案内は、“急に体調を崩した”らしいシャルロッテの代わりに、リアンが出てきたわけである。
「僕一人に、リアン殿下のお時間を頂戴するなんて、恐縮です……」
困惑と申し訳なさが入り混じった表情をしているノアにフォローをする者は、残念ながらこの場にはいなかった。とある兄妹が聞いたなら「お気になさらず」と真顔で返したことだろう。
「さあ、今日はどこだ。北館か? それとも南に聳える塔か? 少し離れていいのなら、馬車で湖まで案内するが?」
「え? えええっと……」
ノアは真剣に悩み始めた。あれもいいしこれもいいし、とブツブツ呟いている。
これはしばらく掛かりそうだ、と踏んだオリビアは、リアンの傍まで行くと、「シャルロッテ様は大丈夫ですか?」と訊ねた。リアンは一瞬だけ目を泳がせたが、オリビアがそれに気付くことは無かった。
「病気とは思えないくらい元気だから、貴女は気にしなくてもいい」
「そうですか……それなら良かったです」
いつも元気で、病原菌など跳ね除けそうなシャルロッテが体調が悪いというので、心配だったのだが、リアンが大丈夫というからには、大きな病気ではないのだろう。オリビアはようやく安心して肩の力を抜いた。リアンは複雑そうな顔をしている。
やがて彼は口を開いたのだが、タイミングが悪く、ノアが「降参です!」と叫ぶ方が早かった。
「どこも面白そうで、決められそうもありません。リアン殿下が一番美しいと思う場所がいいです」
そんな訳で、最終日の行き先は、南の塔となった。
シャルロッテは、病気になりました。




