07
結局。
次に目覚めた時には、彼はいなかった。
執務室に強制連行されたらしい。あとは、怪我人に無理をさせるな、とシャルロッテから苦情が上がったらしい。
「今頃すごい勢いで仕事をこなしているでしょうね。まあそれでは追いつかないくらい、溜まっているのですけどね」
いい気味ですわ、とシャルロッテは鼻を鳴らした。
「貴女も! 無茶をして! 死ぬところだったのよ!」
案の定、彼女は怒っていた。ここで言い訳をしようものなら、説教タイムに突入するだろう。いくら鈍感なオリビアでも、それくらいは分かる。
「…申し訳ありません」
「もう二度としないでちょうだい」
「…でも、殿下が」
「あの程度の危機、自力で対処できるように、兄様が直々に扱き直すそうよ」
そういえば、あの時、率先して剣を振り回していたな、と思う。
「真面目男さんは、文官ではなく、武官でしたか」
「ぶっ」
シャルロッテが飲んでいた水を噴き出しかけて、ごほごほしている。「真面目男…っ、なにその素晴らしいネーミングセンス…っ!」とお腹を抱えて笑っている。
「まさかと思うけど、殿下にもあるの?」
「赤髪男」
「あっははは! ルーヴェンス王国の証も、そうなってしまえば形無しねぇ」
「だって、まだ名乗りを受けていないから…」
赤髪男の名前がリアンというのは、おそらく正しい。しかし、真面目男の方はサッパリ分からない。
「…何してるのかしら、あの男ども」
後で伝えておくわ、とシャルロッテはサラリと爆弾投下を約束した。
「兄様はね、殿下の側近で、業務の手伝いから身辺警護までやる、何でも屋よ。どちらもそつなくこなすから、妹としてはムカつく限り」
「誇らしい、ではなく…?」
シャルロッテはにやりと笑った。何故。
「殿下もようやく正気に戻った上で、別のものにも目覚めたようだし。これで大丈夫ね。私も“根回し”を頼まれたし」
「…何が大丈夫ですか?」
「殿下ご本人から聞くといいわ」
それまではゆっくり休むこと、と言いくるめられて、オリビアはこくんと頷いた。
「少しずつ、リハビリも始めないとね。それから、お披露目は計画的に。噂って大事なのよ、ふふふ」
「?」
ちょっと意味が分からない。が、少しばかりその笑顔に恐怖を覚えたオリビアは、深く追及することを止めた。
「………でも、貴女には本当に感謝しているわ」
「私、ですか?」
「ええ。貴女が目覚めてくれて、本当に良かった。でなきゃ別の意味で、殿下は今頃廃人よ」
そんな鬱陶しいもの、もう見たくないもの。と吐き捨てたシャルロッテの言葉には、それでも殿下への親愛の情があった。
それにしても、目が覚めてから、みんなよく分からないことを言う。
不思議そうな顔をしているオリビアに、シャルロッテは「ここからどう転ぶかは、殿下の努力次第ね。少なくとも逃がす気は無いのでしょうけど」と少しばかり物騒な言葉を吐いた(気がした)。
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オリビアのリハビリが始まった。大勢の取り巻き、もとい護衛に警備された状態で、城内を歩く。一歩歩くだけでもやっとだ。部屋の中でもいいのに、と思ったが、それでは駄目だとシャルロッテが言った。
中庭に差し掛かる。気遣うような視線が投げ掛けられるが、気にすることなく庭に出た。青い空が綺麗だ、と思う。
「さすがはオリビア姫」
コソコソと、そんな声が聞こえた。そう、今日に限っては、嘲笑などは聞こえず、何故かひたすらオリビアに肯定的な言葉が聞こえるのだ。
「アドフォースでは、辛い境遇にあったらしい。なんでも………」
「………そこを殿下が救い出して………」
「ひょっとして、アドフォース侵略は………」
「………身を挺して守るとは、なんと………」
何かが、いろいろと脚色されている気がする。全く違う物語ができそうだ。しかし、否定をするために話し掛けることも億劫だった。
だが、何故急にそんな噂が。
「ふふ…」
斜め後ろから、小さな含み笑いが聞こえた。それで、理解した。なるほど、“根回し”か。なるほど。…なんのための“根回し”だ?
「オリビア姫!」
例の令嬢だ。護衛が止めに掛かるのを、制止する。
「なにか?」
「先日の無礼を詫びたいと………」
詫びたいという割に、その瞳が爛々と輝いているのは何故か。その疑問が間違っていないことは、次の一言で証明された。
「オリビア姫は、リアン殿下と、真実の愛で結ばれていたのですねっ!」
「………は?」
真実の愛?
なんだ、それ。
ぶわりと鳥肌が立った。
「そうとは知らず、私なぞが口を挟むような真似をして、大変申し訳ございませんでしたわっ! ああ、二人の運命は出逢った瞬間から…」
「………待て。いや、待ってください」
「…それは、そう、リアン殿下が幼少時代に偶然オリビア姫をお見かけした時から始まる、愛と奇跡の物語…!」
なんだ、それ…!
いや、まず出逢っていない。確実に出逢っていない。出逢えるはずがなかろうが。
そこ、感動したように目を潤ませるな。嘘だから、嘘しかないから。
おいたわしや、オリビア姫。って、別に不幸だと思ったことはなかったから、読書に明け暮れてたから。
―――なにこれ、怖い。
オリビアは初めて、噂話が害のある怖いものだと思った。
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なんとか理由をつけて令嬢から逃れたオリビアは、そのまま自室に戻ることにした。ダメージが大きすぎた。休ませて欲しい。
しかし、オリビアにしては珍しい切実な祈りは、叶えられることは無かった。
部屋には、赤髪男が待っていた。
「………」
立ち止まったオリビアの代わりに、シャルロッテがつかつかと部屋の奥に進んでいく。
「あら殿下、お仕事は終わったんですか?」
「終わらせた。なんなんだあの量は、俺を忙殺する気なのか」
「では死因は自殺ですね。その状態になるまでサボっていたのは殿下ですから」
赤髪男は押し黙った。
「…お前、最近俺に対するトゲが酷くないか?」
「別にそんなことありませんわ。ただ、私の進言を無視した挙句、勝手に後悔しているような男など、なんて情けないと思っているだけですわ」
今度こそ、完全に静かになった。
弱みでも握っているのだろうか。オリビアの中で、シャルロッテは赤髪男よりも強い、という知識が確定しつつあった。
「…もう、間違えない」
「当然でしょう。この上まだ意地を張るおつもりなら、私が直々に叩き倒しております」
にっこりと素敵な笑顔で言い放ったシャルロッテは、「それではどうぞごゆっくり。無理をさせたら幻滅します」と言うと、一礼して部屋を出て行こうとする。
「行ってしまうの…?」
思わず、オリビアが声を掛けた。シャルロッテは肩越しに振り返り、「それが姫様のためですわ」と妖しく笑った。
パタン、と扉が閉じる。
「………」
「………」
案の定訪れる静寂。
「…とりあえず、座ったらどうだ」
促されて、長椅子に座る。赤髪男は、その隣に微妙な間を空けて、ドカリと腰を下ろした。
「あー…元気そうで、何より、だ」
「はい、お陰さまで」
「………」
「………」
会話が続かない。たっぷり時間を掛けてから、赤髪男が口を開いた。
「…復讐は、もう止める」
その言葉に。
自分の役目は終わったのだな、と思った。
「そうですか。では…今まで、お世話になりました」
「はっ!? ま、待て、どうしてそうなる…!?」
本気で焦っている顔。初めて見る顔だな、と呑気に思う。
「私がここにいるのは、復讐心を満たすためですから、終わったのなら不要です。どうぞお好きにお捨てくだされば」
「………捨てない」
「では、どういたしましょうか」
「………………」
隣で、赤髪男がごくりと喉を鳴らした。思い切り項垂れて、はあー、と息を吐く。
「えー、あー…」
「?」
「だから、その、…あれだ、貴女が生きていてくれて嬉しい」
「それは、ありがとう存じます」
「………分かれよ」
「何をですか」
答えが返ってこない。不思議に思って横を見ると、先程よりも更に項垂れている。どうしたというのか。
やがて、気を取り直したように、居住まいを正すと、真っ直ぐに目を合わせた。
「貴女は弱い。虐げられることに慣れ、自分の意思すらハッキリ出すことさえ躊躇うほど、弱い存在だ」
否定はしない。オリビア自身、それを自覚している。いや、し始めているというべきか。これまでは、その意識すらも無かったのだから。
「だが、そんな貴女が、俺の弱さに応えた。潰れても仕方ない環境で、折れずに生きて見せた。弱音すら吐かず、恨み言も言わず」
この程度で潰れるようなら、以前の生活で潰れていたのだが。むしろふくふく太っていることを見る限り、こちらの生活の方が随分と優遇されている。
戸惑うオリビアを見て、赤髪男は軽く頭を振った。
「…いや、それはきっと、惹かれた一部分でしかないんだ。正直、何故惹かれたのか分からない。分からないが、貴女がいないのは嫌だ」
赤髪男は、目を逸らさない。だからオリビアも、目を逸らさない。
「オリビア。俺の名は、リアン。リアン=ザク=ルーヴェンスだ。どうか俺の妃になって欲しい」
熱を孕んだ瞳を見つめ返し、オリビアは少し考えてから、しっかり頷いた。
「そのお役目、承りました」
「…お役目? いや、確かに、役目だが。なあ、俺が求婚した真意を、貴女は分かっているのか?」
若干、嫌そうな顔をした赤髪男―――リアンに、オリビアは無表情のまま、再度頷く。
「ええ。先の件と併せて考えますと、お妃様問題も、そろそろ佳境に。相手を決めなくてはなりません。しかし面倒なのは嫌。であれば、身近で面倒が少ない者を選んだ方が得策」
「………俺は、貴女に惹かれていると、申し上げたが?」
「ですが、理由が分からないのでしょう。でしたらきっと、吊り橋効果なるものです。この前、本で読みました。危険な状態にあった時の心拍を、恋と勘違いする現象です」
「…本気か?」
「何がですか?」
返事は無かった。しばらく無言になったリアンは、分かった、と小さく呟いた。
「ひとまず、俺の妃にはなるんだな?」
「貴方が望むなら」
「よし。今はその合意だけでいい。貴女自身と心を通わすのは、時間を掛けてじっくり行うことにする」
どことなく据わった目をしている彼に、オリビアは「まず私には通わせるための心がありません」と思ったことをそのまま口にした。
「いずれプレゼントしよう」
疲れた顔で、リアンが答えた。
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「あははははっ!」
「笑うな」
「そうですよ、ロッティ。笑うなんて失れ………ふっ」
「笑うなと言ってるだろう!」
執務室で苛々しながら、鬼の形相で目の前の書類を処理していたリアンは、はあ、と大きなため息を吐いた。
「あれで伝わらないなら、どう伝えればいい…」
「あんな長ったらしい口上を省いて、好きだ、愛していると一言で伝えればいいんですわ。オリビアは人の心に疎い子ですが、分からない子ではありませんもの。殿下は遠回し過ぎです」
なるほど、確かに彼女には遠回しの表現は伝わらなさそうだ。今後伝わるようになることを待つよりも、こちらの攻め手を変えた方が良いだろう。
そこまで考え、疑問が頭をもたげた。
「…ちょっと待て、どうしてお前が俺が話した内容を知っている?」
「………」
にこり、とシャルロッテは笑った。
「それでは殿下、御機嫌よう。私はオリビアの様子を見てきますわね」
「おい、待て。話はまだ…!」
主の止める声も聞かずに、シャルロッテは部屋から軽い足取りで出て行った。
リアンの顔が、彼女の兄に向く。
「わ、私は何も知りませんよ」
「………。………まあいい」
ともあれ、これからなのだ。
リアンは瞳を閉じる。
生きて欲しい。そう懇願した時に流れた涙は、きっと彼女の心から流れたものだ。心が無いなんて、よく言ったものだ。しかし、それを分からせるのは難儀だ。
不器用な彼女を口説く方法を考える。
「私は」
リアンの一の臣下が、口を開いた。
「彼女がここに来た時に、彼女に幸せになれないと言ってしまったのですが…」
「俺もだ。しかし、取り消すべきだな」
久々に、晴れやかな顔で笑った。
「俺は、アレを幸せにするぞ」
最後までお付き合い頂き、ありがとうございます!
これにて、復讐王子と氷姫、完結でございます。
まだまだ書きたい場面もありますので、いずれ番外編とかも公開したいですが…。
そしてそして、今回は復讐王子メインでしたが、氷姫メインの話(本編で書ききれなかった虐げられた理由、等)も書きたいな、とも思っています、が…!
まずはこのお話を気に入って頂けましたら、嬉しい限りです。
(ちょうど完結日がXmasで、ウフフ、と思っていたりします)
本当に、読んで頂いてありがとうございます!
オリビアさん、リアンさんが幸せな道を歩めることを祈って…。
※真面目男さん、実は名前が出てないですかね…!? ジェイムスさんという名前です!




