02
「リアン殿下!」
外に出るとすぐに、真面目そうな男が、赤髪男に近寄った。殿下、という呼称に、この男は王族であるらしいと知る。この国の王族はオリビア一人だと言っていたから、おそらく他国の王族だろう。
前後の情報を繋ぎ合わせると、この国は、どうやら侵略を受け、陥落したらしい。つまり、この国自体が無くなるのだ。どうでもいいことだが。
「もう! いつもいつも、勝手にいなくならないでくださいよ! こっちは心臓がいくつあっても足りません!―――そちらの女性は?」
「アドフォース家唯一の生き残りだ。捕虜として連れ帰る」
「………殿下、差し出がましくも意見致しますが、復讐はどこかで切らなければ」
「黙れッ!」
命令通り、真面目男は黙った。
ギリ、と赤髪男が歯軋りする音が聞こえる。
復讐。はて、自分はこの男に何をしただろう。いや、することなどできなかったはずだ。では、自分の“肉親”なる誰かが、彼に何かを致したのか。
………別段、知らなくてもいいことのような気がした。知っても知らなくても、何も変わらないし、何も得られない。
物言いたげな真面目男の前で、オリビアは赤髪男に腕を引っ張られながら、考えることを放棄した。
⚫︎⚪︎⚫︎⚪︎⚫︎⚪︎⚫︎⚪︎⚫︎⚪︎
数日後に、赤髪男に再会した。当然のように腕を乱暴に引っ張られながら、移動する。ようやく、数日前に掴まれた時の跡が消えたところだったのに。まあいい。
「今日からここがお前の住処だ」
嘲笑うように言われた部屋は、元の住処よりも随分と快適そうだった。壁は薄汚れているが、石ではないので冷たくなさそうだ。それに絨毯も毛布もベッドもある。おまけに机と椅子なるもの(実物は初めて見た)がついている。それに、鉄格子ではあるが、窓まである。オリビアは眉を寄せた。いいのだろうか、こんな高待遇。
それを正反対に捉えたらしい赤髪男は、ますます笑いを深めた。
「せいぜい、足掻くといい」
何故、足掻く必要があるのだろうか。
疑問が頭をもたげたが、結局口には出さなかった。自分が口にして許されるのは、はい、のみだ。たまに、いいえ、も許されるが、基本は、はい。それも、答えを要求されていない時は、口にしてはいけない。
先程の言葉は、答えろ、とは言われていなかった。その証拠に、赤髪男は部屋にオリビアを押し込めると、扉を乱暴に閉めた。オリビアはそちらに意識はやらずに、真っ直ぐにベッドに向かった。
今のところ三食は得られているが、いつ無くなるかは分からない。だからこそ、動かないようにしなくてはならないのだ。
はー、と息を吐く頃には、オリビアは眠っていた。
次に目を覚ました時には、夕刻になっていた。窓の外を見て、ビックリする。空が赤く染まっていた。これは何かの天変地異だろうか。一瞬焦るが、しかし何かの小説で、夕焼け、という単語が使われていたことを思い出した。これか!
オリビアは納得して頷く。それから、ベッドから這い出た。きょろり、と部屋を眺める。何も変哲の無い部屋だ。オリビアが失ったとしたら、それはあの、時間潰しの道具と、自分の知識の源である書籍だろう。
確かあの部屋も、そう、ちょうどこの辺りに。手を壁に這わせる。カチリ、という音がした。
「………お?」
壁に取っ手が出現した。しばしぱちくりと目を瞬かせた後、躊躇いなく、その扉を横にスライドさせた。現れたのは、地下へ向かう階段だ。元の部屋とは違い、真っ直ぐに下っている。
どこに続いているのだろう。
オリビアは首を傾げつつも、いつもの癖で足を踏み出した。扉を潜り抜けた瞬間に、後ろの扉が自動的に閉まった。壁を触る。開かない。………。
「まずい気がする」
決してまずいとは思っていなさそうな顔だ。どうしたものか、と思ったのは一瞬。すぐに進むことに決めた。
冷たい感覚が足を伝わってくる。これは、こちらでも変わらないらしい。微かに口元が緩んだ。
先に現れたのは、大きな扉。この先に本があればいいな。久々の“期待”を胸に、オリビアは扉を押す。しかし開かない。…錆びているらしい。ぐ、と強く押すと、ようやく少し動いた。
扉を開け切った時には、オリビアは疲労困憊だった。扉の向こうを見て、オリビアは自分の期待が叶わなかったことを知った。開け放った先には、大きな道に繋がっていた。暗いそこは、道の先に何があるのか分からない。異臭がすることを考えると、地下水路か。外に繋がっているかもしれないが、大して興味は無い。多分、動き回っている間に死んでしまう。
オリビアはひとまず、階段の上に戻ることにした。
階段のてっぺんまで来ると、壁に手を這わし、戻るためのスイッチを探す。無い。これも困った。
ぺたんと座り込む。お尻が冷たいが、足先も冷たい。指先を丸め、無理に服の裾に隠れるようにした。
俄かに外が騒がしくなる。怒声が聞こえる。
「女!」
女とは、自分のことか。
「どこにいる! どこに隠れた! いるなら答えろ!」
怒声は聞き取り難かったが、意味は分かった。次いで、何かを蹴り飛ばす音が響く。ご乱心のようだ。
返事をしたらどうなるか、考える余裕も無かった。今、自分の生活を握るのは、赤髪男だ。ならば、答えるだけだ。
「ここにいます」
「………は?」
存外、惚けた声が聞こえた。
「ここに」
「…どこだ?」
「ベッドの脇の、壁の向こうです」
「…さっさと出てこい」
「戻り方が分からず、戻れません」
「………」
壁の前に、気配がした。
「どうやって開ける?」
「壁を前に、左手を上に、右手を下に。左手は窓枠の真ん中あたりの高さ、右手はベッドと同じ高さ。手と手の距離は、ちょうど100センチ程。位置が合っていれば、カチリという音が鳴ります」
少ししてから、カチリという音がした。取っ手が、という追加情報を渡す前に、光が漏れた。目が眩む。反射的に目を細めた。
「………隠れていたら、楽に死ねたのにな」
感情のこもらない声で赤髪男が告げる。死んだ方が良かったのだろうか。よく分からない。ようやく慣れてきた目で、オリビアは赤髪男を見上げた。
「まただんまりか。さっきは話したというのに」
「………」
あれは、答えろ、と言われたからだ。そして今は、答えろと言われていない。
「殿下!」
真面目男が飛び込んできた。
「職務を放棄していかないでください! お陰でこっちがどれだけ困ったと………なんです、その道」
「この女が逃げようとしていた」
「逃げようとしていた?」
真面目男がオリビアを見た。
「…一見すると、そうは見えませんが」
確かに、今のオリビアは、立ち上がって、真っ直ぐに王と向き合っている。
「ふん。なら、本人に直接問うといい。どうせだんまりだ」
「………」
真面目男の呆れた目が、赤髪男に向けられた。はあ、とこれみよがしにため息を吐いて、「姫様」とオリビアの元へやってきた。
「ああっと、まず…そうですね、何をしようとしていたんですか?」
「書物を探していました」
抵抗なく返事をしたオリビアに、赤髪男の顔が不機嫌そうに染まった。真面目男も意外そうな顔をしている。
「書物を? 何故?」
何故、と問われると、分からなくなる。自分は知識を得たかったのか、時間を潰したかったのか。どちらか決めて答えなくてはいけないだろうか。
黙り込んで考えるオリビアに、「ほら見ろ」と赤髪男が嘲笑った。「殿下は少し黙っていてください」と真面目男が窘める。
赤髪男がイライラするほどの時間を空けた後で、オリビアはようやく答えた。
「本を読みたかったから。これまでもそうだったからです」
「…そうですか。この道のことは、知っていたんですか?」
返事は、いいえ、だが、その言葉を口にしていいのか分からない。再び黙り込んだオリビアに、真面目男は、す、と目を細めた。
「質問を変えます。貴女の名前は?」
「オリビア」
「良い名ですね。歳は?」
「………」
「いつから、あの塔に?」
「………」
「何故、あの塔に?」
「………」
「あの部屋には、隠し部屋へ続く道があったのですか?」
「ありました」
「なるほど」
真面目男は、うんうんと頷いた。何をしているんだお前は、という赤髪男の視線を無視して、「では」と彼は続けた。
「オリビア姫、貴方に命じます。ここの殿下の代わりに命じます。この先、私とこの人に対しては、分からないことは分からないと。違うことは違うと。意見や疑問があれば、口にしてください」
「…分かりました」
オリビアは、伝えられたルールを、頭で復唱した。制限を正しく認識し、自分の中のルールを更新する。
「歳は?」
「分かりません」
「何故ですか?」
「いつ生まれたのか知らないためです」
「塔にはいつからいたんです?」
「分かりません。物心がついた時からいました」
急に黙り込むことがなくなったオリビアに、赤髪男は目を見開いた。それから、小さく呻く。
「この部屋の通路は知っていたのですか?」
「知りませんでした」
「探して見つけた?」
「癖で手を当てたら、動きましたので」
「癖?」
「元にいた部屋での癖です」
「ああ…」
短い会話が続いていることに、オリビアは不思議な感覚を味わった。これまで、こんなに他人と話したことはなかった。会話というもののやり方は、これで合っているだろうか。
「オリビア姫、貴女は…ご両親の顔を知っていますか?」
「知りません」
「自分が王族だったことは?」
「知りません」
「元いた場所がアドフォース王国であったことは?」
「知りません」
「アドフォース王国の場所は?」
「中央大陸の最西に位置する、山脈に囲まれた国です。他国との位置関係でいうならば、ルーヴェンス王国の南西、ガードガレー帝国の北西に位置します」
「随分とお詳しい。それは、書物で?」
「そうです」
「ところでオリビア姫、今は何年の何月何日でしょう」
「分かりません」
「どれも?」
「…数日前に、月が青で、満月でした。だから、1月の二週目だと、思います」
初めて、憶測で物を述べた。一気に不安感が押し寄せてくる。オリビアの顔に、その感情が滲み出ている。そんな彼女に、「大丈夫です。合っていますよ。間違っていても怒りません」と真面目男は優しく言う。その顔のまま、赤髪男を見た。
「リアン殿下、彼女は復讐相手としては適さないと思います。最初から怪しかったのです。あんな、誰も近付かないような場所に放り込まれていた姫が、アドフォース家で正当な扱いを受けていたとは思えない。これは、虐げられることに慣れた人間の受け応えですよ」
オリビアさんは、融通をきかせる、ということが苦手です。苦手というか、どういう部分を“曖昧”にすればいいのか、していいのか、知りません。
故に、アウトプットが非常に偏ります。