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復讐王子と氷姫  作者: 岩月クロ
本編
1/11

01

 足が、酷く冷たい。痛いくらいだ。

 当然だろう、と理性が嘲笑(わら)う。裸足で冷たい石造りの上を歩いているのだ。指先から、ひんやりとした冷気が出ているような錯覚さえ起きる。

 しかしそれももう少しの辛抱だと、オリビアは知っている。螺旋の階段の行き着く先は、常にひとつだ。

 吐く息は白い。羽織ったケープの留め具を、両手で引き寄せる。気休めにもなりやしないが、しないよりはマシな気がする。気分的に。

 やがて、螺旋階段を降り切った先に、重厚な扉があった。全力で押して入る。普段使う者がいない分、錆び付くのも早いのだ。オリビアが使うようになって、定期的に掃除も始めたから、これでも以前よりかは良い。

 扉の向こうにある物も、変わり映えはしない。薄っすらと埃の被った絨毯と、天窓と、それから、壁という壁にズラリと並ぶ本棚と、そこにギッシリと詰まった書籍だ。絨毯は、これでも綺麗になった方だ。最初なんて、上に乗ることすら躊躇われたくらいだ。本も同様。

 トン、と絨毯の上に乗る。それだけで少し、救われた気持ちになる。

 オリビアは、本棚から数冊の本を引っこ抜いた。今日のお供だ。天窓の下へ足を運ぶ。灯りが無いこの場所では、月の光が唯一、オリビアに使えるものだった。ちょうど部屋の真ん中に腰を下ろして、本を自分の隣にドサリと置く。

「………月が綺麗だ」

 今日の月は水色だ。しかも真ん丸。この世界では、暦を月の色と欠け具合によって判断する。らしい。そう本に書いてあった。多分今も変わっていないはず。

 本が間違っていたら、もうオリビアには真実は分からない。なにせ、彼女にとっては、ここにある本だけが、知識の元となる全てなのだから。

 幸いなことに、まだ読めていない本もたくさんある。時間はたっぷりあるので、いずれ読める本は読み切ってしまうだろうが、あくまでそれは、手の届く範囲での書物という意味だ。新しいものが読みたければ、手の届かない本を取る方法を考えればいい。そうでなければ、復習がてらもう一度読み直してもいい。

 何度も言うが、時間はたっぷりあるのだ。

 オリビアはごろりとその場に転がった。服や手足、髪が汚れるかもしれないが、関係なかった。どうせ元々汚れているし、汚れたからといって気にする人間もいない。

 はー、と息を吐く。

 窓越しに見える月は美しい。

 けれど。

「いつか、何も通さずに見てみたいものだ…」

 叶わぬだろうと思いながら、オリビアは無表情で呟いた。


⚫︎⚪︎⚫︎⚪︎⚫︎⚪︎⚫︎⚪︎⚫︎⚪︎


 オリビアの日常は、淡々と進む。一日という概念は、届けられる食事によって辛うじて保たれている。

 服は一週間に一度だけ取り替えられるので、それもまた、時間の目安になっている。とはいえ、だからなんだ、という話だ。今日が“いつ”であろうと、やることは変わらないし、変えようが無い。

 死なない程度の質素な食事を摂りつつ、ボンヤリと自室を見る。ガラリと空いた空間には、窓ひとつ無い。逃げられることを恐れてか、それとも“見られたくない”のか。

 部屋にあるのは、簡素ながら足が四本揃っているベッドのみ。せめてもの慈悲なのか。この部屋にも絨毯があるのも、救いのひとつである。あとは、こちらも週に一度だけ替えが貰える、掃除道具。

 基本的にここには人は立ち入らないので、そういったものは、全て自分でやる。やらせてもらえるだけ、まだいい。そう思いつつも、つくづく自分をここに閉じ込めた人間は、殺したいのか生かしたいのか謎だ、と思う。

 しかし殺したいのなら、とっくの昔に殺しているはずである。閉じ込めることが可能なら、殺すことはもっと容易なはずだ。

「私を生かして何がしたいのだろうか」

 ついつい溢れる独り言は、自分が声を忘れそうで怖いからだ。まあ、使う場面もありはしないのだが。

 やれやれ、と思いながら、ベッドに潜り込む。身体を動かす時間は決まっている。それ以外の時間に下手に動くと、体力不足を起こして、最悪死ぬ。

 手っ取り早い自殺手段であるが、オリビアはそれをしない。何故なのかは、自分でも分からない。本を読む限り、自分の生活は結構酷いと思う。絶望したっていいと思う。しかし、オリビアには絶望も無い。故に積極的に死のうとも思っていない。かといって希望も無いわけだが。

 つまり、文字通り淡々と過ごしているのだ。

 物心ついた時からこの生活だ。無理も無い、と思う。自分にとって、この生活こそが、“人間の生活”なのだ。

「ああ、もしかして…」

 自然と死ぬ、あるいは故意に自分で死ぬことを、待っているのだろうか。

 ふとそんな想いが過る。

 まあ、それこそ、だからなんだ、という話だ。

 過去に一度だけ、世話係が独り言で零した。娘に対してこの仕打ちとは、と。ここに閉じ込めているのは、どうやら近しい関係にある者らしい。

 しかし、見ず知らずの人間の意向に従う謂れは無いだろう。例え、血が繋がっていようとも。肉親の情など、信じる信じない以前に、知りもしないものだ。例えるなら、伝説の剣と同じ。あったらすごいな。でも普通無いだろう、そんなもの。その程度。

 そのままオリビアは眠りについた。

「―――!」

「――――――!」

 外が騒がしい。

「………ん?」

 オリビアは、うとうとしながら、目を覚ました。喧騒で目を覚ますなんてこと、初めてのことだ。そもそも、物音や人が騒ぎ立てる声なんてもの、初めて聴いた。

「………」

 目は覚ましたものの、オリビアは動かずにいた。下手に動くと体力を消耗して、死んでしまうからだ。

 騒ぎ声は、どんどん大きくなる。しまいには、オリビアの部屋の前で、扉の錠を壊す音がした。この扉は、中からも外からも、自然には開かない。外についている錠を外し、かんぬきを取らなければならない。やがて、乱暴にかんぬきが外され、地面に打ち付けられる音がした。

 この時になって、ようやくオリビアは動いた。動いたといっても、身体を起こして、足を絨毯につけたくらいだ。

 彼女が見ている中、扉が吹っ飛んだ。

「………かんぬきを外したなら、扉を飛ばす意味など無かろうに」

 思わず癖で口から出た独り言は、幸か不幸か、扉が壁にぶつかる衝撃音で、掻き消された。

 扉を潜って入ってきた男は、燃えるような赤い髪をしていた。それよりも深みのある瞳は、冷酷な色を纏っている。

 必要最低限の鎧をつけ、抜き身の剣を手にしている。その剣先から溢れた赤い血が、オリビアの部屋の絨毯を汚した。

 男は、ベッドに腰掛けるオリビアの前でピタリと止まり、彼女を見下ろした。

 まるで虫でも見るかのような目だ。

 オリビアは、そう思ったが、しかしこれといって怒りは湧かなかった。自分が虫であろうと人間であろうと、大して差は無い気がしたのだ。

「お前が最後の王族か」

 おうぞく。

 その言葉に、オリビアは微かに眉を寄せた。自分の持っているものなど、この部屋のベッドと絨毯、それから掃除道具に、勝手に見つけたあの秘密の場所くらいしか無い。“おうぞく”などというものは、持っているつもりは無かった。

「何をしでかし、ここにいるかは知らんが、お前の親兄弟は全て死んだぞ」

 残念だったな、と続けたかと思ったが、空耳だったようだ。しかし、心ではそう言っているだろうから、似たようなものだろう。

 残念。ふむ。…残念?

 オリビアは首を捻った。そういった感覚が、自分の中にあるようには思えなかった。

「肉親が死んでも、無反応か。成る程、アドフォース家の者は、みな心が堕ちていると見える」

 存外、お喋りなのだな、と場違いな感想を抱く。近寄り難い雰囲気を醸している男は、会話すらも拒んでいるように見えたが。会話など生まれてこの方、はい・いいえの返答のみで事足りた身には、難易度の高いものだ。

 心が堕ちる。この言葉はなんだろう。知識を検索し、ヒットする。ああ、闇に染まる。あるいは、性根が腐っている、ということか。しかし、額面的な意味は分かっても、実際にどういう状態なのか分からない。言葉というのは難しい。

「何か言い残すことはないか?」

「………」

 少し考えたが、思いつくことはひとつもなかった。残したいものなど、何も無い。

 答えないことが反抗的に映ったのか、「アドフォース家の人間にしては、強情だ」と褒めているのか貶しているのか判断しかねる言葉を、蔑んだ視線を浴びせられながら、言い放たれる。

 血塗れの剣が、構えられる。

 これが、自分の命を奪うものか。オリビアはしげしげと見つめた。

 積極的に死にたい訳では無いが、積極的に生きたい訳でも無い。だからこそ、動き始めた剣に対しても、何も思うことはなかった。自分を殺すこの男にすら、なんの恨みも無い。

 しかし、その剣は、オリビアの首筋に薄い血の筋を作らせただけで、止まった。

「お前、恐ろしくは無いのか」

 このレベルの問い掛けならば、オリビアにも答えられる。

「はい、別にどうとも」

 淡々と答えると、「何故だ」と更に問われる。それは、難しい問いだ。黙り込むと、男は冷笑した。

「死ぬ方が救いだと思ったのか? そうか。だとしたら、ここで殺すのは止めよう。肉親が全て死に絶えた中で、孤独に生きるが良い。無論、楽には生きさせないから、覚悟しておけ」

 覚悟。それはどういったものだろう。まあ、どうでもいいことである。生きられるならば生きるし、死ぬなら死ぬのだろう。辛いことがあるというなら、それもまた仕方のないことだ。抗ったところで、変わるものではないのなら、受け入れてしまえばいい。

 燃える色を持った男は、乱暴にオリビアの腕を掴み、しかし少し眉を寄せた。

「お前、なんだこの細さは」

「………」

 細い。それは何と比較してだろうか。自分と比較しているのならば、当然である。人体の構造上、仕方のないことだ。

 またも黙るオリビアに、男は「もういい」と苛立ちを募らせた声で吐き捨て、ぐいぐいと引っ張る。

 代わりにどこかで動かない時間を作らなければ死ぬだろうな。そう考えながら、生まれてこの方、歩いたことの無い道を、足早に進む。流れていく景色の先から、風が流れてくる。

 やがて、外に出た。

 ところどころに死骸が転がっているが、静かだ。足をくすぐる草に、オリビアは少しビックリした。絨毯とは違うが、面白い感覚だ。思わず、二度三度と踏みつけてしまう。

 これが外か。心の中で呟いた。




読んで頂き、ありがとうございます!


新連載、短い間になる予定ですが…

よろしくお願いします!

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