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日本神話シリーズ

闇の君とよるのさんぽ

作者: 八島えく

 幽霊が出るという怪奇を解決してから数月。

 神武天皇――カムヤマトイワレヒコは、ここしばらく平和な日々を過ごしていた。


 幽霊騒動による犠牲者はゼロ。依頼を持ってきた篠からは、そろそろ季節だからと、一度花見に来ていただきたいと便りがくる。

 騒動後の村はいたって平和で、幽霊の根城にされていた樹はすっかり満開だという。



 イワレヒコの屋敷には、新しい入居者がいた。

 ナガスネヒコ。かつての仇敵で、現在は仕事仲間の、少年だ。



(今夜は望月……だっけ)

 イワレヒコから貰った寝室の縁側から、ナガスネヒコは庭を眺めていた。

 そろそろ逢魔が時になる。陽が沈んで空がオレンジに染まる。


 足をぶらぶらさせながら、ナガスネヒコは太陽を見上げる。

(ようやく夜だ)

 ナガスネヒコは夜が来ることにほっとした。

 イワレヒコと戦った時に受けた強烈な光の影響で、ナガスネヒコは明るい場所がどうも苦手だった。苦手のままは嫌だから克服のつもりでずっとここに残った。最初は一秒だって耐えられなかった。何か月もの時間をかけての訓練で、今はどうにか昼さがりから逢魔が時まで平気でいられるようになっている。


 それでもやっぱり、ナガスネヒコは夜が一番安心した。これからは陽が沈むのを待つだけだと思うと、心に楽しみが生まれて来る。

(……夕飯作るの、手伝ったら迷惑かな)

 夕食を作るのは、たいてい五十鈴姫か高倉下だ。ふたりはナガスネヒコに好意的だから、きっと喜んでくれるだろう。

 イワレヒコのすすめで屋敷においてもらってはいるものの、屋敷内でナガスネヒコを快く思わない者もいる。イワレヒコには忠実に従う久米でさえ、いまだに自分への警戒を怠らない。


(うん、五十鈴とタカクラジなら、何も言わない……よな)

 自分から歩み寄ることも大事だと言い聞かせて、ナガスネヒコは立ち上がる。


 その勇気を打ち砕くかのように――

 カムヤマトイワレヒコというどうしようもない火種が滑り込んできた。


「ナガスネヒコ!」

「…………ぁあ?」

「一緒に来てくれないかっ」

「え、ちょっと待って何だよ!? 引っ張るなぁっ!!」

 イワレヒコはナガスネヒコに有無を言わせない。ナガスネヒコの手を引っ張り、ひょいっと肩に抱えた。

「ぎゃぁっ! ちょっと下ろせ馬鹿っ!!」

「ごめんね、道連れだ!」

 ふざけんな、と吐くのも許されない。ナガスネヒコは廊下から、必死の形相で走ってくる久米を視界の端にとらえた。久米から逃げて来たんだろう。それでどうして僕が巻き添えをくうのだ。


 イワレヒコは軽々と跳躍し、庭の塀を飛び越えた。

「若っ!!」

 久米の怒号が響いた。

「てめぇ、倍にすんぞ!!」

 何を? とはナガスネヒコは聞かなかった。

 軽いナガスネヒコは、屋敷が視界から消えるまで、イワレヒコに担がれ連れ去られた。




「……で、誘拐した理由を教えてほしいんだけど」

 半眼でイワレヒコを睨み、ナガスネヒコは腹の底の怒りを煮やす。物の怪も人もいない寂しい場所で、イワレヒコは草原の地に正座させられていた。

 眼鏡以外はほとんど黒い男ゆえ、黒衣の君と呼ばれているイワレヒコが、こんなにも小さな自分に座らされているのは妙な光景だ。


 イワレヒコは申し訳なさそうに苦笑する。

「いやね、ほら。さっき久米が追いかけていただろう?」

「ああ、すごい形相だったね。あれなら目だけで異形を射殺せるんじゃないの」

「そうだろう? もともと目つきは悪い方だけど、怒ると拍車がかかるんだよね」

「その久米からどうして逃げてたの?」

「それがね、数月前の幽霊騒動でね。篠から依頼を聞いているときに久米の怒りを買ってしまったのだ」

「へえ。おまえのことだから空気の読めなさが災いでもした?」

「うん。そのあと久米からお仕置き宣言されてね。今はそれから逃げていたんだ」

「数か月も前の宣言から未だに逃げてんの!? いい加減観念してしかるべき罰を受けろよ馬鹿だな!?」

「嫌だよ。最近の久米のお仕置きは何かと磨きがかかってえげつないんだ。前回は私を弓の的にするし、この分だと私の心を折るだろうね」

「……真面目に弓やってる人たちを敵に回すようなお仕置きさせるほど……? どんだけおまえは言葉が軽率なのさ」

「気をつけてはいるんだけどね……。そんなわけで逃げた」

 ナガスネヒコは頭を抱える。

「で? 何で僕がおまえに付き合わされなくちゃならないの?」

「第三者がいれば、久米も簡単に私へ手を出すことはないからね。ごめんね」

「そう、じゃあ帰ろうか」

「私の話聞いてた!?」

「聞いてた。付き合うのもアホらしいし、ここでおまえを差し出せば久米の好感度も上がるだろうし、観念して帰ろう?」

「嫌だってば! 君は久米のお仕置きを受けたことがないからそんなことが言えるんだ!」

「子供か!! 無駄に数か月も粘るなよ!」

「頼むよ一晩! 夜が更けるまででいいから付き合ってくれないか……!? 一晩過ぎたら久米も少しは怒りがおさまるだろうから」

 ねっ!? とイワレヒコは手を合わせてナガスネヒコに希う。これが自分をうち負かそうとした神子だと思うと、肩の力が抜けて来る。

 幼稚な逃げ方をしているイワレヒコを見下ろして、くだらなさを全身で感じながらも、ナガスネヒコは気まぐれを起こしてしまった。

 これだけ必死に頼みこんでいるのだ。もう過去を引きずっていないとはいえ、かつては天敵だった自分に、である。久米のお仕置きとやらのえげつなさは、それほどのものなんだろう。恐ろしいから想像はしないけれど。

 情に流されたな、と自嘲しつつ、ナガスネヒコは黒衣の君の泣き言に付き合ってやることにした。

 

「しょうがないな。今宵だけだかんね」

 ナガスネヒコは、イワレヒコの手を取る。



「夜というのは怖いね」

 屋敷から遠く離れたそこは、周囲を見渡しても何もない。吹き抜ける風がナガスネヒコのローブの裾を揺らす。

「神子でも怖いものがあるんだ」

 からかいのつもりで吐いてみる。イワレヒコは苦笑して答えた。

「そりゃあるさ。たちの悪い物の怪たちがイタズラして来やしないかと、不安になるんだ」

「おまえ、光みたいなものだろ。物の怪は光に弱いんだから、悪意で手出しするわけないじゃん」

「でも怖いんだ」

「おまえホントに神子なの?」

「うん」

 柔和に微笑むイワレヒコに迷いはない。

 ナガスネヒコはイワレヒコに連れられ、二人並んで夜の道を歩いていた。夜というのは逢魔が時並に物の怪が跋扈する時間帯だ。そんな時間の外を、無防備に出歩くなんて普通ならやらない。夜に強いナガスネヒコは、万一物の怪にちょっかいを出されても撃退する程度の力は持っている。イワレヒコも剣技の腕は確かであるし、もともと神子であるから、物の怪の相性はいいだろう。

 

 でも悪戯好きというのはどこにでもいる。きゃきゃっ、と甲高い声を上げて、果敢にもナガスネヒコへ突っ込んでくる小さな物の怪がいた。ナガスネヒコは片手でぺしっと振り払う。


 地面にところどころ生えた草が、風に揺られてさわさわと音を立てた。

 月は雲に隠れて光などまるでない。完全な暗闇なのに、ナガスネヒコはイワレヒコを見失わなかった。イワレヒコもまたそうだった。


「夜の散歩って初めてだ」

「そうなの? 怪奇絡みの依頼とかで夜の道を出歩くことが多いんじゃないの」

「うん。怪奇の件だとどうしても夜に動くよ。でも何の目的もなくぶらつくのは、今回が初めてだね」

「へぇ……。散歩とかしないの?」

「陽の出ている間はしたことがある。といっても、暇な時は屋敷でのんびりするのがほとんどだね」

「爺みたい」

「はは……よく言われる」

 ざっ、ざっ、と土を踏みしめる自分の足音と、隣の足音が交互に鳴る。虫の音が響いて来た。

 風だけじゃない、足音に虫の音に、イワレヒコの呼吸でさえ、ナガスネヒコには鮮明に聞こえた。


「不思議だね」

「何が」

「今さ、私はほとんど何も見えてない状態なんだ。目を閉じて歩いてるのと同じようなものだね」

「それでよく夜の散歩決め込もうとか思ったね」

「そうだね。でも不思議と、今は怖くない」

「あまりの怖さに、かえって恐怖が消えたんじゃない」

「いや、君がいるからだろうね」

「……たかが仕事仲間にどんだけ信頼おいてんの」

「仕事仲間だからこそ、さ。君、私の請け負った仕事、何だかんだ言いながらいつも協力してくれるじゃないか」

「仕事だから。別に深い意味はないよ」

「それでもいつも助かっているのだよ」


 ふいに周囲が照らされ始める。空に広がっていた雲が、ふわっと消えて行く。

 雲に隠れていた月が、そっと姿を現した。月光が地に降り注ぎ、イワレヒコの存在をあらわにする。

 月の光程度なら、ナガスネヒコも平気だった。


「……へんなやつ」

「はは、それもよく言われる」


 月光のせいで、イワレヒコの眼鏡のレンズが眩しく反射する。全身ほとんど真っ黒のこの男は、柔和に微笑んで誰かを虜にするのが腹立たしい程に長けている。更に腹立たしいことに、どうやら自分もその虜になっているようだ。


 イワレヒコはいつでも笑う。おかしそうに声を上げて笑うこともあるし、仕事やおべっかのための作り笑いだって平気でする。困ったように苦笑することもあれば、戦場で部下を奮い立たせるためにあえて笑うこともある。たまに、あくどい笑みを浮かべることもあるがこれは純粋に怖い。


 ナガスネヒコに向けられた微笑はそれらのどれでもなく。

 子を見守る父親のような、弟を抱き締める兄のような、安心感を与える優しい微笑みだった。

 月がそう見せるのだろうか。暗闇の中でもナガスネヒコはイワレヒコを視認できるけれど、闇の中ではきっと同じように胸をときめかせるような気持ちにはされなかっただろう。


「……」

「……ナガスネヒコ?」

 ぼんやりと、ぽかんと、自分はどうやら間抜けな表情を浮かべていたらしい。イワレヒコの微笑が消えて、不思議そうにこちらを見つめて来た。

「……あ。うん、何でもない」

 ナガスネヒコは、首を横に振る。見惚れていたなんて、認めたくない。認めたくはないけど、それが事実なら受け止めなければ。


 風は相変わらず吹いている。まだ暖かい季節だが、夜は冷え込む。物の怪の声が少しだけ活発になって来た。本格的に、悪さをしにいくのだろう。夜の安全は、夜を支配する月読の仕事だ。自分たちは、そろそろ帰らなければならない。


「気分が悪くなったかい? ごめん、私が巻き込んだばかりに」

「別に、何でもないよ。むしろ夜の方が調子はいいくらいだから。勝手に巻き込んでおいて謝るなんてしないでよ。おまえは堂々としてればいいのさ」

「……ナガスネヒコ、ひょっとして元気づけてくれてるのかい?」

「だったらなにっ」

 つい声を荒げてしまった。長年イワレヒコのことを恨んでいたせいか、彼に対してまだ素直になれないでいる。

「だったら……そうだね、ありがとう。とお礼を言っておこうかな」

「どういたしましてっ。もう……」

「はは、君にはいつも助けられるね。あらためてありがとう」

「はいはい。わかってるなら、その感謝の念、ぜーったい忘れないでよね」

「うん、覚えてるよ。ずっと」

「あっそ。ならいいよ」


 ナガスネヒコはふいっとそっぽを向く。

 向いた視線の先には、黒々とした物の怪たちの群れがみてとれた。これは本格的に帰った方がよさそうだ。闇に強い自分でも、夜の物の怪の活発さは厄介なことこの上ない。あれらを相手にするのは、面倒だ。


「そろそろ帰ろう。夜が更ける」

「……、わかった。そうしようか」

 イワレヒコは一瞬ためらって答えた。まだ久米のお仕置きが怖いんだろうか。そんな子供じみた理由でここに長居して、万が一のことがあってはたまらない。


 ナガスネヒコはため息をついて、右手にはめた白い手袋を取る。そしてその手をイワレヒコに差し伸べた。


「ほら。大久米に何か言われたら、僕がちょっとはかばってやるから」

「……。……ありがとう。心強いよ」

 イワレヒコが、黒い手袋を取り、その手をつないだ。


「帰るよ」

「うん」



 その後、夜の散歩と称したイワレヒコの逃避は屋敷中に知れ渡っており。

 大久米は他の部下たちをきちんと休ませ、自分だけでイワレヒコの安否を確認し続けていた。いくら強い主人だといっても、万一のことを考えると気が気ではなかったらしく、玄関でナガスネヒコとイワレヒコを迎える久米の顔は、イワレヒコが今まで見た中で一番怖かったという。

 これが、イワレヒコをも怯えさせる鬼の形相か、とナガスネヒコはひとり納得した。この目で睨まれたら、そりゃ逃げたくもなるな。

「あの、大久米」

「何だ」

「えーっと……あの、イワレヒコも反省してるみたいだし……いや反省の欠片もないかも知んないけど……お仕置きってヤツ、少しだけ優しくしてあげてもいいんじゃないかな、とか……」

 久米の視線が一気にナガスネヒコへ注がれる。一瞬ナガスネヒコは萎縮した。

 久米は前髪をかき上げ、数秒の思考ののち、「……考慮はしよう」と妥協してくれた。

「ナガスネヒコが言うなら、こちらも少しは折れなければならないな」

「……とりあえず、ありがとうとだけ言っておくよ」

「いや、こちらこそ礼を言う。若の気まぐれに付き合わせてしまって」

「いいよ、別に」

 じゃあね、とナガスネヒコは、自分の後ろに隠れているイワレヒコの手を引いて寝室まで連れて行く。

 久米が怖いからという理由で、ナガスネヒコはイワレヒコの添い寝にまで付き合うはめになった。

 布団ふたつをぴったりくっつけて二人して横になった。せっかく二枚分の広さがあるというのに、黒衣の君はナガスネヒコにしっかりひっついて離れなかった。――どんだけ久米が怖いんだこいつは。

(まあ、一つ貸しを作れたと思えばいっか。……それにしても間抜けた面してる)

 間抜け面を拝めたからよしとしよう。

 ナガスネヒコは、ふっと笑って、ようやく寝ることにした。

『黒衣の君と闇の君』の後日談となります。イワレヒコ様は周囲を巻き込むのが大変得意です。お近づきの際は充分注意しましょう。そして久米さんのお仕置きはどうなったのやら。

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