#2
貴族の屋敷だけあって大邸宅と言える広大な敷地だった。窓から外を見る。よく手入れのされた庭園を次から次へと敵の兵士が、屋敷に向かって走ってくる。
階段は数ヶ所ありそれぞれの場所で近衛兵士が防衛線を張っている。
突破されるのは時間の問題。
真紅の甲冑。格好こそは、楓も一端の女騎士のような出で立ちであった。味方の騎士は、日本人から見たトラディショナルな西洋甲冑のイメージ。敵方は無国籍風で、忍者風というか、浪人風というか、迷彩柄のマントをかぶって顔も隠した、特殊部隊のようでもあり暗殺者風でもある装束だった。
次々と倒されていく騎士たち。表を警備していたはずの者たちの姿が見えない。もう討ち取られてしまったのだろうか。見張りの一人が発した苦悶と悲鳴の入り混じった声。惨劇はそこから始まった。敵の矢は正確に騎士たちの体を捉えた。
ひるんだところへ一気に刺客たちが攻め込む。
「そうだ、あれは軍隊と言うより暗殺者たちの行動だ」
騎士たちのリーダーの一人がうめいた。都市から離れた郊外の邸宅ゆえに、周囲は森に囲まれ景観は素晴らしいのだが、木陰に隠れて敵が忍び寄るには絶好のロケーションでもあった。
(本当にわたしに、この人たちを守るような力があるのだろうか)
隣室の子どもたちのことを考えると、楓にも戦士としての自覚が芽生えつつあったと言えなくもない。
サーベルの柄に手をかける。
「東階段、抜かれました!」
老騎士が最期に残る数名の騎士を引き連れて走る。廊下に顔を出せば敵の姿が見える距離だ。
怒鳴り声が聞こえる。敵の声か味方かもわからない。
「キャー」
手薄になった室内に、子どもたちの叫び声が聞こえた。
わたしも無意識にサーベルを抜いた。隣室に続くドアを開ける。それと同時にガラス窓の砕ける音が響いた。
子どもたちは、窓の向こうから敵が室内を覗くのを見たのだった。ここは三階。どうやら敵は一度屋上に上がったらしく、次の瞬間特殊部隊よろしく、縄で吊り下げられた反動で屋内に飛び込んできた。その数五名。
「無礼者!」
気丈にも侯爵夫人が叫ぶ。
もはや、屋内にリリーナ姫を守る戦士はわたし一名のみ。片刃の白人を向け、敵を睨み付けてはみたものの、体は硬直していた。剣術の構えもここ数日に習ったのみだ。
まぶたが痙攣する。内心はパニックの真っ只中にあった。胸部が圧迫されるような息苦しさに吐き気をもよおした。
「カスフール侯、子どもたちを」
「姫!」
マネキンのような甲冑姿のわたしを押しのけて、リリーナが敵の眼前に飛び出した。
剣をかまえたものの、楓には目の前の光景を正視する勇気がない。
「姫、子どもたち‥……グッ!」
目をつむったままでも、カスフール公爵が敵刃に倒れたことを察することができた。
(このままではご家族と姫まで!)
「逃げちゃダメだ逃げちゃダメだ逃げちゃダメだ」
楓は少しオタク知識のある女子高生でもあった。ライトノベル以外にも国内外の青春小説をたしなんでいる。『光の街があるなどということは嘘だ。 世界が一つのかがり火になるなどということはない。 すべての人が自分の火を持ってるだけ、 孤独な自分の篝火を持っているにすぎない』と言ったのは、「エデンの東」で知られるジョン・アーンスト・スタインベックだった。
なぜかそんなことを考えた。次の瞬間、わたしの心の奥底にも篝火が灯った。まとった真紅の鎧甲冑が、窓からの明かりを受けて、さらに色を濃くするように輝いた。
「うわぁぁぁあ!! 吹き飛んでしまえ!」
そう念じると、どこでからともなく熱風が吹き始めた。
「これは……熱い!」
「とうとう、目覚めたのね」
リリーナは察した。「その時」が来たことを。待ち望んでいた祝福の時が来た。
夫人とともにカスフール公爵を抱えるようにして、子どもたちとともに、楓の背後に回り込んだ。
最初は熱風だったものが渦巻き、敵の侵攻を阻む。
しかし臆してばかりいる暗殺者ではない。
暗殺者はこの熱風の壁を突き破らんと、さらに歩みを進める。しかしそれは誤りであった。気づいたときには、渦のただ中にあって先に行くことも後へ退くことも叶わぬ状況となっていた。
やがて熱風は熱だけでなく、最初は蜃気楼だったものがゆらゆらと視界を曲げて最後には目に見える炎を出現させた。
「ぎゃああああ」
それは残酷な拷問のようなものであった。百戦錬磨の暗殺者たちが今はオーブンで焼かれるように炎であぶられている。しかし苦痛は長く続かなかった。
炎の渦はやがて収束して輝きだけが増していく。光の球体に変化していく。そしてその球体も少しずつひと周りふた回りと小さくなり、やがって野球ボール大にまで縮小した。そして……
光の次に轟音。
前方に見える邸の建物が爆発に包まれた。
「なんだ、地震か!?」
各階で戦う騎士たち。敵味方の区別なくいきなりの衝撃に驚愕した。
かなりの数の敵が邸の屋上に取り付いていたらしい。屋根が崩れ落ちるとともに、バラバラと人の体が落下してくる。実に建物の半分が消失していた。このままでは、邸が倒壊するのも時間の問題だ。




