#2
「エスリストデシス、ウェイン イッシュ ボンボンオースシェシュ(甘い顔をすればこれだ)」
ワイルドエルフたちは特に慌てる様子もない。彼らは身軽なので、本気で追いかければ人間が直線距離を逃げ切るのは無理だ。
楓も決して運動が苦手な方ではない。むしろ、同級生の女子たちの間では足は速い方だ。暴漢に追いかけられた経験は無い。だから前だけを見て一心不乱に走った。
(振り返ればスピードが落ちる)
恐ろしくもあったが、それだけは冷静に考えていた。
楓は頬に風を感じたが、次の瞬間には目の前に人影が立ち塞がった。
しかも、直前に割り込んできたのではなく数メートルの間隔をあけて前に立っていた。高校陸上のエース級選手でもこんなに速く走れない。
「あわああわわわ」
驚きのあまり足がもつれかける。バランスを崩しながら、目前の男と距離が縮まるのを止める事はできない。
つまずきそうになって堪えるが、体が前のめりに。一瞬遅れて、正面のエルフの後に次々と追いついてきた兵士たちが並ぶ。
重心を失った楓は、男に容易に捕らえられた。
今度は両脇を二人のワイルドエルフにつかまれ、有無を言わさず連行される形になった。
「うっ……」
もはや抵抗しても無駄とあきらめ、彼らが引く方向へ自らも進む。
楓が走り回ったのは、彼らの住まう城の広場であった。外観から厳めしい古城と思われた建物の内部はきれいに手入れされていて生活感もある。その一室に楓は軟禁された。監禁というほど悲壮なものでなく、 ぎりぎり客人扱いされているようにも思えた。
ドアの外に見張りの兵士がいるようだが、広い部屋にはベッドや家具もあり、こんな状況でなければ居心地の悪い空間ではなかったように彼女は思った。
それ以来楓は放って置かれた。誰も彼女に話しかけることもない。
「いったい何なのよ? 」
何か危害を加えられる事はなかった。部屋に通されてすぐ、お茶と一冊の本がテーブルに置かれた。毒が入っているとも思わないが、迂闊に口にする勇気もなかった。
ため息をついているうちに、やがて日が暮れた。
「お母さん、心配しているだろうな? 」
太陽が、ゆっくりと他の向こうに消えていく。友人たちは自分の失踪に気づいて、警察に捜索願を出してくれているだろうか。そんなことを考えていると、部屋の明かりもだんだんと暗くなり心細くなっていく。
「寒い……」
楓は両肩を抱いた。心細さだけではない。ベッドの上にあったブランケットを羽織る。
ここは冬の国~廃都シャンドリン。常に気候は冬の中だった。
ちょうど、ドアをノックする音がしてエルフの男女が部屋に入って来た。
女性は食事を、男性は見張りなのか何も手伝わず、かといってわたしを威圧するようなこともなく部屋を見回していた。
エルフの女性を初めて見る楓だったが、昼間より冷静になっていい加減、目の前の事態を現実と認められるような心理状態になっていた。
「人間じゃないのね、あなたたち」
返事は無い。先ほどの彼らの言葉も聞き取ることはできなかったが、英語やフランス語でないのは確かだった。日本のコミックスや小説ほどではないが、ビジュアル的にファンタジー小説の挿絵でよく見たエルフの姿に似ているように思えた。しかし、少し独特の雰囲気を持ってもいるのが、ワイルドエルフたる所以だ。
自分を拉致したときの手際といい動作といい、身体能力も人間ばなれしていた。
「ウィ ゲフト エス デム ギヒューフィ?(ごきげんはいかが?)」
女エルフは、自分に気遣いをしているように聞こえた。ワイルドエルフの特徴はエルフのそれでありながら、どこか普通の人間でもこんな人種はいそうな生活感を感じさせるところが独特だ。決して妖精のような手足がひょろ長く華奢な民族に見えない。
テーブルの上に温かな食事が置かれる。
楓が震えているのに気づき、男は薪をくべ、火を焚いてくれた。
ワイルドエルフ両人の友好的な態度と暖炉の熱で、凍てつく警戒心が少し緩んだ。落ち着いて状況を判断しようと努める気にもなることができた。
「ヴァイト オフネ ヴォラート(遠慮しないで食べなさい)」
会釈して、女エルフが退室しようとする。男も同じように頭を下げて、扉を閉じた。
(おいしそう……だけど)
テーブルに置かれたのは、シチューにサラダ、果物とパン、ティーポット。
(毒なんて入っていないだろうけど)
彼らが自分を拉致監禁すると動機を考える。楓の家族は日本での平均的な収入を得る中流家庭で、会社員の父と、母が近所のスーパーでパートタイムで働いている。
(自分は身代金目的誘拐されるようなご令嬢様ではない)
(お金が取れないとなれば、人身売買とか?)
これならむしろ、両家の子女より自分のようなありふれた若者がターゲットにされる可能性がある。日本でもアジア人だけでなく東欧やロシア系女性の人身売買の例が多いのだ。
みんな大好きな異世界食事シーンを入れてみました。




