#3
明が宵子の生命の恩人であることから、娘のわがままを父は承諾し、秋年家に好意的に迎えられた。
猫をかばって車にはねられそうになった宵子を、身を挺してかばった明。彼女はどこにも、打ち身など作っていないはずだ。立ち上がりもう一度、自動車を観察した。
(これは牛車か馬車か? それにしては牛も馬もいない)
自走する籠のようなものか、人足でも中に入っているのかと思えば、それも違うようだ。
鉄の塊かと思えば、内部は空洞も多い。叩いてみた手ごたえからして無数の部品から組み立てられた機械であるようだ。
少女が、明の腕をしっかとつかんでいる。
「ふぇーん」小刻みに震えて、か細い声で泣いている。
こんなものにぶつかられては、成人であれば当たり所によって死を免れることもあるだろうが、この小さな体ではひとたまりもないように思えた。とっさに助けに入ったことは間違いではなかっただろう。
明は興味深く自動車を観察していた。見たところ、車線はこの自動車と歩行者がそれぞれ進み道を分けているのだと理解する。
歩道にもどった明にみんなの注目が集まるが、誰も言葉をかけない。声をかけられないと言った方が正解だろう。
「宵子!!」
父親が叫びながら女の子に駆け寄った。
「怪我はない!? どこか痛くないか!?」
彼女はこくこくとうなづいている。懐には猫を抱えたまま、顔面は蒼白になっている。
「はっっぁあ」
父親は声にならない嗚咽をもらした。そのまま力の入らない手で、ぽかぽかと子どもの体を叩き続けている。
父親は落ち着きをとりもどしきれてはいないが、やや冷静になってから明の方に向き直った。
「%#(‘(’‘%){}|>¥>“☆ДИш……」
早口でまくしたてられるが、異世界の言葉で父親がなにを言っているのかさっぱりわからない。
そうこうしていると、ほかの衆目とは異なる鋭い視線が明に向けられているのに気付いた。
上から下まで紺色のおそらくは軍服を着た二人の男が、人の群れを縫って現れた。
「ちょっと話を聞かせてもらおうか」
明は日本の警察に補導された。
事故の現場検証をしている間、明はパトカーに乗せられていた。セダン車の持ち主や通行人から巡査が目撃証言の聞き取りをしている。
(なるほど。鉄の籠の中はこうなっているのか、意外と座り心地がいいぞ)
何人かは車中の明を覗き込んだりもしていた。
「……署へ……移すぞ……」
相変わらず、この国の人間の言葉を完全には聞き取れない。はじめて外国旅行をするようなものだから、いたし方あるまい。
日本の風物は、なにもかもが物珍しかった。
警察官がなにやらレバーを引っ張ったり、肩を揺らしている。ハンドルを回すと車は方向を変えながら、車道に進みだした。
明は籠がどうやって動いているのか不思議だった。
(もしかして、前の席に座る二人と隣の席の男が下で足を動かしているのかと思ったが、べつにそんなことはなかったぜ)
明は取調室に座らされた。甲冑と羽織を取り上げられ、ジャージの上下を貸し出された。青いフードのついている、ニュースでよく見る「あれ」。
「きみ、なまえは?」
おそらく名前を尋ねているのだろう。
「スパーク・アルティミト」
「としはいくつだ?」
(うん? もう一度名前を尋ねたのか?)
「スパーク・アルティミト」
「はあ?」
「いえはどこだ? でんわばんごうは? けいたいでんわはもってるか」
「イエ・ケントゥリア……デンワ? ケイタイ? イオ ノン ソー(わからない)」
「がいこくじんか……」
現場検証でいろいろおかしな目撃証言が集まったらしく、警察官も半信半疑でいろいろ尋ねてきたが、言葉が通じないとわかると、返答を急いてくることもなくなった。
所在無げに明は、警察署の片隅に置かれたソファーに座っていた。無言でいたが、明は目に映るものすべてが目新しく、退屈はしなかった。
(ここは町の治安を司る管理の詰所であるようだ)
ワケあり顔の民間人を伴って警察官が行ったり来たり。
軍の駐屯所より臨場感があるといえよう。平時においては、軍学校の生活は静かで単調なものだ。
軍の敷地で聞こえる声といえば、訓練の号令ばかりだが。ここでは官吏と民間人が大きな声で怒声を浴びせあっている。
(オラ、わくわくしてきたぞ)
窓から西日が差しこむようになった頃、一人の女性警察官が声をかけてきた。
「きみ、おなかすいていない? わかる?」
彼女は、おわんから食べ物を口に運ぶジェスチャーをしてみせた。
(食事をどうするか尋ねているのだな。ほしいといったら、くれるのだろうか)
場所を移して落ち着いて食事をとれる部屋に案内してくれた。白衣を着た若い男が配膳用の金属ケースから陶器の器を取り出した。
ふたをあける。ふわっと湯気が立ち上った。ケントゥリアでは、米食よりジャガイモを食することの方が多い。寄宿舎の食事では大きなパンが配られ、グループごとにそれを手でちぎって分けて食べる。
スプーンもフォークもないが、チョップスティックの使い方は知っていた。海洋国ミズハミシマの食事は箸で行われる。使い慣れないと握るのが難しい。
目の前には女性警察官がいる。明はケントゥリアの名に恥じぬよう、一粒のコメも落とさぬように、細心の注意を払って米を口に運んだ。
(それにしても……)
「かつ丼おいしい?」
女性警察官が声をかける。
「カツドンマイウー」
風が語りかける。うまい、うますぎる。
かつ丼にはおもに卵とじとソースかつ丼があるが、いま食べているのはふわっとした衣に甘じょっぱいソースがかけられたものだった。これは精がつきそうだ。
(クレプスキュールにも食べさせてあげたいな)
故郷に残してきた嫁が気がかりだった。
本国では、自分の出奔はどう処理されたろう。死んだと思われたか、あるいは事故として処理されたのだろうか。
外見からすると、この世界の小学六年生か中学に入りたての年齢に見える明を、いつまでも警察署に留め置くわけにはいかない。
家族とはぐれたか、家出したか、いずれにせよ写真を撮影するのは、登録外国人や旅行者の中から身元を洗うためのものだろう。明はなにをされているのかわからなかった。その晩はなにやら、わけありの児童が生活する施設に身柄が移された。他の児童に紹介されるでもなく、個室で夜を明かした。
ベッドの中で、今後の身の振り方を考える。
「おれは、なんとしてもケントゥリアとアルシェロンへ帰る方法を探さなくてはいけないのではないだろうか」
(しかし、どうやって探せばいいのか?)
「この世界のことを明日から学ばなければならないだろう」




