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エルフ嫁語り  作者: Mac G
15/43

#2

「今夜は眠れそうですか?」


「え?」


 なにか思いがけない方向に話が進みだした。


「いえ、とてもこんなことがあった夜には」


 ノアの手が震えたのを、その手首を握るスパークは察した。


「今夜だけならまだいい。でも、明日は?」


 敵を討ち果たしたとはいえ、うら若き乙女の心に残った傷は計り知れない。悲しみと恥辱は、日々の暮らしのいたる時に、思いもせぬ時に、彼女が心の重しを下ろすことを許さないかのように、彼女の人生につきまとう。


 この時、母であれば「思いっきり泣くといい」と彼女を諭すであろう。心の痛みを洗い癒す水は、涙しかない。だが、この時のスパークがそれを知るはずもなく、それ故にノアには思いもかけぬ方法で彼女の心を立て直そうとしたのだった。


「この男たちにけじめをつけさせるのです。あなたの手で」


 スパークは地面に突き立った槍を抜いて、ノアの手に渡した。


 ようやくノアにも、彼のさせようとしていることがわかってきた。とはいえ、それはあまりにも恐ろしい行いだった。


 他者を傷つけるくらいであれば、自らが傷つく事を選ぶエルフたちだった。


「さあ、あなた自身の手でやってしまうのです。悪夢を消す一番の方法は、それを殺すことです」


「あ……ああ」


 ノアは槍を両手に戴いたものの、いつまでも剣先を男に向ける素振りを見せなかった。勇者は業を煮やしたようで、


「すぐ、済みますから」


 ノアの掌に自分の指を添えて、力づくで槍を握らせる。


 それは、まるで嫌がる女性に無理に言い寄る男のようでもあった。


「そんな、わたしにはとても」


 スパークはノアの背後から、槍での処刑に最も適した構えを取らせる。


 ノアの右手は、肩より上に持ち上げ左手で標的に狙いを定める。槍は四十五度の角度で敵に向かう。


「右手の力で刺し、左手は狙いはずさぬよう握力だけで刃先がぶれないよう固定するつもりで、あくまで右腕全体の力で槍を突くのです」


 ぶるぶると、ノアの手が震える。カチカチと、上下の歯が小刻みにぶつかっていた。


「あなたのような貴人の手を汚すのは悲しいことですが、恐怖を克服するためにはその原因を打ち負かさなければならない」


 もうひとつの方法があるが、それは「忘れること」。このときのノアたちには無理なことだと少年戦士もわかっていたのだろう。


「や、やめろ……」


 逃げるのに精一杯だった兵士が、ようやく背後の二人の挙動に気づいた。


 命乞いをする者を殺す冷酷さをエルフは持ち合わせていない。


「彼はああ言ってますが、本心ではありません」


 抑揚のない声で、スパークはノアの耳もとにささやく。


「本心? 命乞いが本心ではないと」


 だれでも死にたくないというのは本心ではないのだろうか。ノアはスパークの言葉が理解できない。


「彼らはエルフである貴方たちに剣を向けた。理性と恐怖は表裏一体のものです。われわれ、ケントゥリアの騎士は死ぬことを恐れません。だから、敵を殺すこともまったく抵抗がないのです」


 エルフは人間よりも、より一層他者の痛みをおもんぱかる種族だ。狩りさえ、必要最低限に留め、山野の植物を採取して食す。


 人間であっても、他者に寛容である者は多いが、その動機は宗教的信条や良心だけとは限らない。暴力を避ける理由の一つに、想像力が挙げられる。自分が行う暴力が自身に振りかざされた時のことを誰しも想像する。これも一つの理性であるから、人間は無闇と冷酷には成りきれぬのである。


 その想像力が人間以外の生きとし生けるものすべてに対して働くのが、エルフという種族だった。


「戦士殿、ならばあなたは自身の行いを自身に置き換えて恐れることはないのですか?」


「われわれは戦士ですから、いつでも死ぬことは覚悟しています。戦場で死ぬことは特別なことではありません」


「でも、彼らは自分たちが負けるということを想定しないまま、わたしたちを襲ったのではないでしょうか」


「そうかもしれません。ですが、それも長い戦のうちの一つの局面。戦場での油断に等しいものです。油断をすれば死が近付くのは当たり前のこと。兵士の戦での一つの死の形に過ぎません」


 つまり、スパークが言いたいのは、人を殺すことのできる人間は、自分が殺される覚悟をしているはずだということだ。たとえその時が来て、命乞いをしたとしてもそれは心からの言葉ではない。なぜなら、死を恐れる人間は、人を傷つけることも本能的に恐れるものであるからだ。


「彼らも覚悟はできていますよ。だから気にする必要はありません」


 彼自身のこととして語っているが、兵士であれば皆自分と同じように考えていると思っていることがうかがえる。彼以外の兵士がそう思っているのかどうか、エルフであるノアには想像がつかない。戦士の常識はエルフの非常識である。


「なあ、そうだよな、あんた?」


 スパークの言葉通りに、男は憎悪と殺意に満ちた目を向けた。


「ヒッッ」


 その視線に思わず、ノアが気圧される。


「温情を与えるなら、せめて苦しませないように的確に突くことです。その手伝いはしますから」


 一度、大きく槍を引いてから、なんの合図もなく刃先は兵士の心臓を突いた。ノア自身も実感が乏しいほどに、あっさりと絶命させた。


「これで悪夢は終わる」


 ノア自身にけじめをつけさせると言った少年だったが、やはり槍のコントロール、力の加減といい彼がほとんどすべてを成し遂げたようだ。ノアが男を殺したのも建前だけと言っていい。


 そして、やがて森から男性エルフたちも村に帰ってきて、亡くなった老エルフの弔いと、少年戦士たちをねぎらう宴が催された。


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