#3
今では、わたしの兄である秋年 明ことスパーク・アルティミト。彼に命を救われたわたし、秋年 宵子十二才の脳裏に電撃が走った。
わたしの脳内が塗り替えられていく。それはたとえるならばコンピューターのOSを新しいバージョンには書き換えるか如きものだった。このとき、わたしは不意に前世の記憶を取り戻していた。
今まで過ごしてきた人間としての時間。それと並行して前世で過ごした時間の記憶が、わたしの中に同時に存在している。
『お父さん! あの人を追って! 絶対に我が家にお迎えするの!!』
スパークでは呼びづらいから「明」は秋年家の父がわたしの名に倣って漢字を当てた。ケントゥリアの少年騎士は、七歳になると親元を離れて他の子どもらと共同生活をしながら軍学を学んだ。
彼の初陣は他の者より早く十二歳となった。それまで実戦は訓練の一環として郷さとの民に害を加える猛獣の狩猟などを行うことがあったのみだった。
ある日、彼と二人の仲間は馬を駆り、いくつかの国の土地を横断しながら、書状を届ける任務についていた。
そこで遭遇した事件。
~緑深き妖精たちの国~エリスタリアの夏の国で、エルフの住まう森が蹂躙されていた。
「姉様!」
幼いエルフの少女だったクレプスキュールは羽交い締めにされたまま、姉が男たちの前で跪く様から目を背けることを許されず、首とあごに手をかけられ、その方向を直視させられた。目を閉じようとするも、姉の悲鳴に目を開かずにいられなかった。
父たちの不在を狙って略奪者たちは現れた。もともと温厚なエルフの長老たちでは訓練された人買いの隊商と、その雇われ兵たちに太刀打ちできなかった。
「爺様たちが……」
母たちが叫び声を上げ、我が子に手を伸ばそうとするが兵士たちの太い腕が彼女らを組み伏せる。
「傷つけるなよ、値が下がる」
エルフの細い腕を荒縄が縛り上げ、あまりの力に骨折させられる者までいた。捕われた少女の一人が、隙を突いて攻撃魔法の詠唱を行った。
「Kirisake en person som blir uren, blader av vinden」
男たちが手に握る、女性たちを縛る縄を風の刃が両断した。
その勢いは一人の兵士の顔まで切り裂いた。
「グがぁ!」
痛みに顔を押さえるが手の隙間から流血がしたたり。逆上した男は、詠唱を行った若いエルフに斬り掛かり、凶刃が勇気ある少女の背を襲った。
斬り伏せられたエルフにとどめを刺そうとする兵士に、家長の老エルフが短剣でサーベルを受け止めた。
若いエルフならば兵士とも渡り合えるが、老人の短剣では敵の攻撃を二振り受け止めるのが精一杯で、袈裟懸けの一閃は齢三〇〇年を超えたエルフの生涯を閉じるのに十分な致命傷となった。
髪を掴まれ引きずられた姉の悲鳴は消え、くもぐった苦しそうなうめき声に変わった。
「姉様から手を離せ!」
クレプスキュールには、姉が何をさせられているのかわからなかった。しかし、不浄な行為で、姉が誇りを奪われようとしていることだけは理解できた。
エルフは長命だが、クレプスキュールはこの世界に生を受けてまだ十一年しか経っていない。
ただ村を覆い尽くす悪意の奔流に呑まれ、涙を流すのみだった。
姉のノアは二〇年は生きているというが、人間で言えばいまがちょうど思春期のオトメである。人間に比べ、エルフは感情の起伏が乏しいと言われるが、この時期になるとエルフの男と恋をすることもある。
まだそういった相手に出会っていないノアは、こちらの世界の少女で言えば、中学生に上がり立てほどの性の知識しか持ち合わせていない。
学ぼうと思えば学べるものだろうが、牧歌的なエルフの両親はあえて自分たちから娘たちに教育をしていなかった。
ノアは口に押し込まれたものを吐き出そうとするが、力任せに頭を押さえつけられている。
(だれか、助けて!)
ノアは祈った。年長のエルフが祈りを捧げれば精霊が加護を授けてくれる。だが、いまのノアは口と声帯を封じられて、祈りの言葉を唱えることが叶わなかった。
(神さま、お願いです! 姉さまを助けてください!!)
(いやー!)
ノアは首を振り男の腰から顔をそむけようとする。時おり腕を振るっても、拘束は解けない。エルフの腕力は人間の少女と変わるものではなかった。
涙が滲む視界の中で、ノアは地に倒れた友人の姿を見た。仲間の中でもっとも勝ち気な少女だった。祖父が殺され、少女たちの中で唯一蛮族たちに反撃を試みた彼女は強靭に倒れるだけでなく、傷ついた身体にさらなる辱めを受けようとしていた。
「グウッ……」
肘で這うように、男たちから逃れようとするが亀の歩みほどにも前へ進むことができずにいる。
「(エレン!)」
瀕死のエルフを見下ろしていた男が、その身体に覆いかぶさろうとしている。
「やめろ! この……」
「エレン、ノア姉さま」
クレプスキュールは、二人の姿を見ていられなかった。だが、自分だけが現実逃避することを幼い心に潔しとせず、目を開いて今日ここで起こったことを直視しようとした。
「神さま、お助けください」
やさしいノア、ボーイッシュな容姿と性格のエレン。エレンは時おり、攻撃魔法を妹たちに見せてくれた。
「すごーい」
エレンが使えるのもまだ初歩的な、精霊の姿も見えない鎌鼬かまいたちほどの術だった。
彼女の攻撃魔法が練習でなく使われたのは、今日が初めてだった。
エレンは、村中のエルフ女子全員で攻撃魔法を習得しておくべきだったと悔いている。
(神さま、もしあなたが存在してわたしたちの暮らしを見守っているのなら、お願いします。エレンとノア、みんなをお助けください。願いが叶うなら、わたしは喜んでこの命を捧げます)
クレプスキュールは念じ、祈りを捧げつづけた。
その間にも男はスカートにつづいて、エレンのブラウスを破り、彼女の背中が肩甲骨の双丘まで露になった。柔らかな肌を、指先でつっと撫でる。
「ヒッ!」
エレンのうなじの毛が逆立つほどの悪寒が全身を走った。
(エレンが!)
友人が陵辱されようとする姿に、ノアの頭は怒りで真っ白になった。
「やだ、いやだ! 放せ! けだもの……」
哀願にむしろ、サディスティックな情動に駆られた男は、うつ伏せの彼女の身体を返して自分と向き合うよう仰向けにした。
前身を隠そうとしたエレンの顔を叩き、破れたブラウスの残り生地もすべて剥ぎ取られる。
「う、うああ」
もはやエレンの声も嗚咽に変わっていた。
その抜けるような白い肌の色からも知れるように、エルフたちは色素が薄い性質のようだ。




