#2
「きゃー!!」
思わず、わたしも悲鳴をあげる。
「おおっと!」
両足で着地したものの予想外に鉄板は柔く、少年少女の体重を受け止めて、ズムッっと天井がひしゃげた。窓ガラスに無数のひびが入り、車内が見えなくなるほど。
わたしの体をかばって着地した彼は姿勢をくずして、車体から転げ落ちた。ボンネットをつたって、アスファルトの地面に背中を打ちつけた。
「痛えぇ」
彼に守られてわたしはどこにも、打ち身など作っていなかった。
彼が立ち上がる。興味深そうに自動車を観察していた。
(これは牛車か馬車か? それにしては牛も馬もいない。自走する籠のようなものか、人足でも中に入っているのかと思えば、それも違うようだ。鉄の塊かと思えば、内部は空洞も多い。叩いてみた手ごたえからして無数の部品から組み立てられた機械であるようだ)
彼が車体から落ちるときに、一度体が離れたはずだが、いつのまにかわたしは彼の腕をしっかとつかんでいる。
「ふぇーん」
小刻みに震えて、か細い声で泣いているわたし。
(こんなものにぶつかられては、成人であれば当たり所によって死を免れることもあるだろうが、この小さな体ではひとたまりもないように思えた。とっさに助けに入ったことは間違いではなかっただろう)
彼はとっさに助けに入った自分の行動が適切であったかどうかを検証しているようだ。そのように興味深く自動車を観察していた。見たところ、車線はこの自動車と歩行者がそれぞれ進み道を分けているのだと理解する。
歩道にもどった彼にみんなの注目が集まるが、誰も言葉をかけない。声をかけられないと言った方が正解だっただろう。
「宵子!!」
父親が叫びながらわたしに駆け寄った。
「怪我はないか!? どこか痛くないか!?」
わたしはこくこくとうなづいている。懐には猫を抱えたまま、顔面は蒼白になっていた。
「はっっぁあ」
父親は声にならない嗚咽をもらした。そのまま力の入らない手で、ぽかぽかと子どもの体を叩き続けている。
父親は落ち着きをとりもどしきれてはいないが、やや冷静になってから彼の方に向き直った。
「%#(‘(’‘%){}|>¥>“☆ДИш……」
彼は首をかしげている。私も父も周囲のものこの奇妙な出で立ちの少年がどこか外国から来た人間で、日本語が完全にわからないのだと思っていた。
しかし、驚くなかれ。彼はこの時片言の日本語くらいは聞き取る語学力を有していたのであった。
それでも普通の日本人が英検4級程度の英語力でもネイティヴスピーカーの幼児の言葉ぐらいは聞き取れるというが、早口でまくしたてられると、なにを言っているのかさっぱりわからないのと同じように、状況は現在の彼のヒヤリング能力のキャパシティを超えていた。
五分経つころには、取り乱していたわたしの父もすっかり平静さを取り戻していた。それと同時に、感謝のまなざしでいたものが、だんだん不審げに変わっていくのがわかる。
このときの彼の格好は、「戦士ですがなにか?」というぐらいのものだったが、今では珍妙ないでたちでいたことが理解できる。
わたしの脳内に電流が走った。人間の神経伝達速度は秒速100メートル程度だという。しかし、雷に打たれたかのように脳細胞を同時進行で情報が駆け巡った。
私の脳内が塗り替えられていく。それはたとえるならばコンピューターのOSを新しいバージョンに書き換えるか如きものだった。このとき、私は不意に前世の記憶を取り戻していた。
今まで過ごしてきた人間としての時間。それと並行して前世で過ごした時間の記憶が、わたしの中に同時に存在している。
わたしの名前は秋年宵子。そして、クレプスキュールでもある。
彼は現代日本の言葉で言うところの勇者。森の人、幼いエルフだったわたしを、姉妹や友人たちを救ってくれた英雄。その名のとおり真名もスパーク・アルティミト。傭兵国家ケントゥリアの戦士。
彼と過ごした僅かな時間。前世のうちに再び会う事はなかったけれど、わたしは彼を神と崇めていた。
彼の中ではどれだけ時間が経ったのかしら。ほんの少し、大人びた面立ちで、背も伸びているだろうか。しかしその姿は甲冑もマントも、そして彼自身の表情もあの日と変わらぬものだった。
そうこうしているうちに、ほかの衆目とは異なる鋭い視線が彼に向けられているのに気付いた。
上から下まで紺色の制服を着た二人の男が、人の群れを縫って現れた。
「ちょっと話を聞かせてもらおうか」
スパーク・アルティミトは警察に補導された。
事故の現場検証をしている間、彼はパトカーに乗せられていた。セダン車の持ち主や通行人から巡査が目撃証言の聞き取りをしている。超人的な跳躍をしたこと、車を飛び越えボンネットを蹴りで破壊したことなどを証言する人たちがいたが、警察官はそれこそ信じられないように首をひねっている。
(なるほど。鉄の籠の中はこうなっているのか、意外と座り心地がいいぞ)
ケントゥリアの騎士は取り乱すということがない。




