終結の時
ゆっくりと歩いて行く夏希。 誰も居ない広場に、ただ夏希の足音が響く。
すっかり日が暮れていた。
広場を囲むテナントから、照明が漏れている。 バルコニーを彩る照明が、静寂の中で瞬きをしているようだった。 凍りついたような空気の中を一人で歩く気分は、決して気持ち良いものではないだろう。 だが夏希は、少し歩いたところで立ち止まった。
「なっ?」
誠が驚いて腰を浮かせた。 忍は眼鏡の奥から辺りを鋭く伺う。 その二人に背中を向けたまま、夏希は声をあげた。
「降参よ! 逃げるのはやめるわ! だから、あたしを迎えに来て!」
「おいおい!」
誠は呆れた顔でため息をついた。 その横で忍は口角をあげた。
「アドリブもきくんだな。 いい女優になれる」
「バカ! あんなこと言っても、おびき出す罠だってことは、誰だって気づくだろうが!」
誠は悔しそうに唇を噛んだ。 もう彼女から一秒たりとも目を離すことは出来ない。
「近くにいるんでしょう? 姿を現したら?」
夏希は辺りを見渡した。 その時、忍が二階に光る反射光に気づいた。
「あそこか!」
気付かないうちに、相手は近づいていた。 だが、忍の銃の射程距離では間に合わない。 反射的に忍は飛び出し、夏希に駆けていった。
「援護する!」
誠は違う方向へ飛び出し、二階の光を追った。
「夏希、伏せろっ!」
「えっ?」
驚いて振り返る夏希に抱きつくように倒れこんだ忍は、同時に発砲した。
遠くでパリーーンというガラスが割れる音がして、次の瞬間、別の発砲音が響いた。
「くっ!」
夏希のうめき声に被さるように、誠の声が響いた。
「忍! あれはフェイクだ!」
と言うと同時に発砲すると、人影が物影で倒れる気配がした。 同時に辺りに潜んでいた警官たちがわらわらと姿を現し、怒号と共に倒れた人影を確保に走った。
一瞬で辺りが急に騒がしくなり、赤いパトランプの点滅灯が会場を彩った。
「おいっ、大丈夫かっ?」
忍の腕に力無く横たわる夏希に駆け寄った誠が、彼女が押さえる手の隙間から漏れ出る鮮血に気がついた。 左腕から伝わり落ちる赤い雫が、タイルの敷き詰められたオシャレな地面に模様をつけている。
「くそっ!」
悔しさをあらわにして、今まさに身柄を確保され引きずられるように連行されていく男を睨みつけた。
「弁償……してよね」
「えっ?」
誠が夏希を見ると、彼女は痛みに顔をしかめながら、それでもニコリと笑った。
「このジャケットワンピース、お気に入りだったんだから……」
「はぁ……なんだよお前は……ホント、変なヤツだな」
肩を落として、安堵とも困惑とも取れるため息を吐く誠。 忍は眼鏡に表情を隠したまま、黙って夏希を抱きかかえていた。
事件は終結した。
逃げた女も神田警部補たちの働きによって無事に身柄を確保され、夏希を狙っていたスナイパーも尋問室行きとなった。
誠は自分の席に深々と座って、報告書を見ていた。 同僚の岡崎が、覗き込むようにそれを見た。
「監視の対象、間違えたんだって?」
からかうように言う岡崎に、誠は口を尖らせた。
「終わり良ければすべて良しだろうが! ったく! 散々な目にあったぜ」
「大目玉食らってたもんな! おまけに一般人に怪我までさせて。 向こうが訴えないって言ってくれて、ホント、お前たちは運が良い! うんうん!」
笑いながら誠の肩をポンポンと叩く岡崎の手を振り払い、誠は手にしていた報告書を机の上に放った。
「対象が外人だってことくらい、教えとけよな!」
そこには、夏希とはずいぶんかけ離れた褐色の肌をした女の顔と共に【加藤・ドリアスノゥ・光代】という名前が載っていた。
「で、相方さんはお休み?」
「ん? いや、聞いてねぇよ。 眼鏡屋にでも行ってんじゃねーの?」
「眼鏡屋は、この間行ったばかりだ」
ふらりと現れた忍がそう言いながら、誠の向かい側の席に座った。 そして引き出しから書類を出すと、淡々と仕事を始めた。 誠は乗り出すようにして、忍に声をかけた。
「彼女の怪我の具合は?」
「たいしたことはない。 かすり傷だそうだ」
「そっか」
誠は肘をついて忍の様子を見つめた。 その視線に気づいたように、忍は手元に視線を落としたまま言った。
「なんだ?」
誠は少し探るように見つめて言った。
「あの時、自信があったのか? 彼女を守れるっていう」
「彼女が俺たちを信じてくれた。 だからそれを受け止めるのも、俺たちの役目だろ」
「自信というよりも、信念を押し通したってやつか。 久々に肝を冷やしたぜ」
そう悪態をつきながら、誠はどこか楽しそうに唇を吊り上げた。 忍は変わらずに仕事を続け、その様子を見ながら、岡崎は肩をすくめて首を振った。