【女王版】通学路の女王様
本作は「通学路の女王様」の【女王版】です。
同じ出来事を別の視点から描いた【ざまぁ版】もございます。
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どちらから読んでも楽しめますので、ぜひ読み比べてみてください。
【ざまぁ版】通学路の女王様
私には、毎朝の楽しみがある。
愛車のSUVで、近所の通学路を走ることだ。
車を走らせること自体が好きなのだが、この道では、誰もが私に道を譲ってくれる。それが、なんとも気分がいい。
だから、やめられない。
夫が退職金で買ってくれた、ぴかぴかの高級車。車高が高くて見晴らしもよく、何より車体が大きい。
大きな車というのは、それだけで安心感がある。
もちろん、運転する私も安心だ。
今年で六十八歳になるけれど、運転には自信がある。免許を取って四十年以上、無事故無違反なのだから。
もっとも、夫は助手席に乗りたがらない。
「お前の運転は怖い」
新聞から目も上げずに、そう言うのだ。
失礼な話だ。
あの人は昔から、少しばかり神経質なのである。
さて。
私が毎朝通る道は、小学校の裏手にある細い生活道路だ。
車が一台通るのがやっとの道幅で、ところどころに電柱が立っている。
対向車が来ると、すれ違うのが難しい。
だからこそ、運転技術が問われる。
私はこの道を、毎朝堂々と走っている。
今日も前方から軽自動車がやってきた。
若い女性が運転している。
あらあら。
困ったわねぇ。
私はそのまま前へ進んだ。
軽自動車が止まった。
私も止まった。
しばしの沈黙。
向こうの女性が、何やら手を動かしている。
下がってほしい、ということらしい。
なんて図々しいのかしら。
私の車は大きいのよ?
あなたの車は小さいじゃない。
どちらが下がるべきかなんて、考えるまでもないでしょうに。
私は動かなかった。
女性も動かなかった。
その間に、黄色い帽子の子どもたちが何人か、軽自動車の横をすり抜けていった。
身のこなしが軽いこと。
三十秒ほど経ったころ、女性がため息をつき、ゆっくりバックを始めた。
ほら、ごらんなさい。
最初からそうすればいいのよ。
私はにっこり笑って、軽自動車の横を通り過ぎた。
女性が何か言っていたけれど、窓を閉めていたので聞こえなかった。
きっと、お礼を言っていたのだろう。
最近の若い人にも、礼儀を知っている子はいるのね。
感心、感心。
◇
翌朝は、小学生の集団が道の真ん中を歩いていた。
黄色い帽子に、大きなランドセル。
かわいらしいこと。
私は子どもが大好きだ。
だから、通学路では特に安全運転を心がけている。
制限速度は三十キロ。
私は二十五キロで走っている。
実に模範的だ。
ところが、子どもたちがなかなか道を空けてくれない。
困ったものねぇ。
私は軽くクラクションを鳴らした。
プッ。
子どもたちが振り返った。
もう一度。
プップー。
すると、子どもたちは慌てて塀際に寄った。
なんて素直な子たちでしょう。
私は笑顔で手を振った。
子どもたちは誰も振り返してくれなかった。
最近の学校では、挨拶を教えないのかしら。
◇
数日後。
道の角に、黄色い旗を持った老人が立っていた。
交通安全のボランティアらしい。
ご苦労なことだ。
私が近づくと、老人が旗を上げた。
「ちょっと、奥さん!」
私は窓を開けた。
「はい?」
「ここ、朝は子どもが多いんですよ。もう少しゆっくり走ってください」
失礼しちゃう。
「私、ちゃんと徐行していますわよ」
「いや、今、結構な勢いで入ってきましたよね」
「二十五キロです」
「この道幅で二十五キロは速いですよ」
「制限速度は三十キロでしょう?」
「そういう問題じゃなくてですね」
老人は困った顔をした。
まったく。
最近は交通安全のボランティアまで、運転のことを分かっていない。
「それにね、奥さん。ここは通学路ですから、できれば別の道を使ってもらえませんか」
私は耳を疑った。
「別の道?」
「ええ。一本向こうに広い道路がありますから」
「でも、あちらは信号が二つもあるでしょう?」
「ありますね」
「三分も遠回りになるんですよ?」
「三分くらいなら……」
「三分ですよ?」
私は念を押した。
老人は黙った。
どうやら、私の正論に返す言葉がないらしい。
「時間は大切にしないといけませんわ。あなたも、そのお年ならお分かりでしょう?」
私は優しく諭してあげた。
老人は空を見上げた。
きっと、深く反省しているのだろう。
◇
それからひと月ほど経ったころ。
町内会の回覧板が回ってきた。
『通学路における危険運転について』
物騒ねぇ。
読んでみると、狭い通学路を大きな車で走行し、対向車に後退を強要したり、児童にクラクションを鳴らしたりする運転手がいるという。
なんてひどい人なのかしら。
私は憤慨した。
こういう人がいるから、交通事故がなくならないのよ。
さらに読み進める。
『該当車両は、白色の大型SUV。運転手は高齢女性とみられます』
あら。
私と同じね。
でも、私は四十年以上も無事故無違反。危険運転なんて、するはずがない。
世の中には似たような車に乗る人がいるものだわ。
『地域では、この運転手を「通学路の女王様」と呼んでいます』
まあ!
女王様!
なんて素敵な呼び名でしょう!
きっと、運転が上手で堂々としている女性なのね。
ぜひ一度、お会いしてみたいものだわ。
私は回覧板に大きく丸をつけた。
そして、余白にこう書き添えた。
『危険運転は許せません。皆さん、譲り合いの精神を大切にしましょう』
◇
それから数日たった晩のこと。
夕食のあと、夫が珍しく「少し出てくる」と言って立ち上がった。
こんな時間に散歩だなんて。
健康に気をつかうようになったのね。
感心、感心。
◇
最近、娘がうるさい。
週末に孫を連れて顔を出すたびに、同じことを言うのだ。
「お母さん、お願いだから、あの道を通るのはやめて」
「どうして?」
「危ないからよ!」
「大丈夫よ。私、四十年以上も無事故無違反なんだから」
娘は頭を抱えた。
そういえば、孫ももう、私の車には乗ってくれない。
車酔いしやすい子なのね、きっと。
まったく。
あの子も四十を過ぎたというのに、心配性で困ったものだわ。
父親に似たのね。
親子というのは、こういうところまで似るものなのかしら。
◇
それから十日ほど経った朝。
いつもの通学路に入ると、横断歩道の手前に小学生が三人立っていた。
黄色い帽子をかぶった、低学年の子たちだ。
まったく。
最近の子どもは、どうしてこうも周囲を見ないのかしら。
三人はこちらを見て、横断歩道を渡ろうとしている。
私は軽くクラクションを鳴らした。
プッ。
子どもたちはびくりとして、歩道へ下がった。
ほら、ごらんなさい。
ちゃんと車に気づけば、危ないことなんてないのよ。
私は満足して横断歩道を通過した。
その直後だった。
ウゥーッ。
背後でサイレンが鳴った。
ルームミラーを見ると、白バイがぴたりと後ろについている。
あら。
いつの間に。
白い車体に、きらきら光る赤色灯。
私の白いSUVと、色までお揃いだ。
なるほど。
護衛つきだなんて、まるで女王様ね。
私は背筋を伸ばし、少しだけ速度を落としてあげた。
護衛の方が置いていかれては、気の毒ですもの。
『前の白いSUV、左に寄せて止まってください』
拡声器の声が響いた。
あら、休憩かしら。
私は車を止め、窓を開けた。
白バイを降りた警察官が、こちらへ歩いてくる。
「どうなさいました?」
「今、横断歩道を渡ろうとしていた子どもたちがいましたよね?」
「ええ。ちゃんと避けてくれましたわ」
「……避けてくれた?」
「はい。私の車、大きいですから」
警察官は一瞬、黙った。
「横断歩道では歩行者が優先です」
「もちろん、存じていますわ」
「では、なぜ止まらなかったんですか?」
「だって、あの子たちが止まってくれたんですもの」
「車が来たから止まったんですよ。横断しようとしている歩行者がいる場合、車は横断歩道の手前で一時停止して、通行を妨げてはいけません」
私は耳を疑った。
「……はい?」
「横断歩行者等妨害等違反です。違反点数二点、反則金は九千円になります」
「九千円!?」
警察官は違反切符の手続きを始めた。
なんということでしょう!
「私、四十年以上も無事故無違反なんですよ!」
「そうですか」
「ゴールド免許なんです!」
「今回の違反とは関係ありません」
「私の車、大きいんですよ!?」
「それも関係ありません」
なんて融通の利かない警察官なのかしら。
そのとき、横断歩道の向こうから声がした。
「あっ! 女王様だ!」
「女王様、捕まってる!」
「すげー! 白バイだ!」
子どもたちったら。
そんなに私のことが気になるのね。
私は笑顔で手を振った。
「大丈夫よ! ちょっとした誤解だから!」
警察官が静かに言った。
「誤解ではありません」
私はむっとした。
まったく。
最近の若い人は、年長者への敬意というものが足りない。
「本当に、嫌な世の中になったものねぇ。昔はもっと、みんな道を譲ってくれたのに」
すると警察官は、ようやく口を開いた。
「奥さん」
「はい?」
「道路交通法は、女王様にも適用されますので」
……まあ!
この警察官まで、私を女王様と呼んでくださるなんて!
そこで、私はようやく気がついた。
本物の女王様は、私なのだ。
回覧板の危険な運転手は、私の呼び名を勝手に使っている偽物に違いない。
私は少しだけ機嫌を直した。
けれど、帰りの車内で九千円のことを思い出し、また腹が立った。
こんなことなら、最初から子どもたちが道を譲ってくれればよかったのに。
◇
数日後。
今度は回覧板ではなく、署名用紙が回ってきた。
『通学路の時間帯通行規制を求める署名』
平日の朝七時から八時半まで、小学校裏の生活道路を車両通行止めにしてほしい。そう警察に要望するのだという。
なるほど。
あの偽物の女王様を、通学路から追い出すためね。
本物として、見過ごすわけにはいかないわ。
私は喜んでペンを取った。
署名欄はもう、半分以上が埋まっていた。
さすがは我が町内会。皆さん、意識が高いこと。
そして、用紙のいちばん上。
発起人の欄に、見慣れた名前があった。
夫だった。
その下の、署名集めの係のところには、娘の名前もあった。
私は思わず胸に手を当てた。
あの人ったら。
家では新聞ばかり読んでいるくせに、ちゃんと地域の安全を考えていたのね。
あの子も。
家ではあんなに口うるさいくせに、地域のことはちゃんと考えているのね。
感心、感心。
「あなた! 見直したわ!」
居間の夫に声をかけると、夫は新聞の向こうで小さく言った。
「……そうか」
照れているのだろう。
私は署名欄の空いているところに、いちばん丁寧な字で自分の名前を書いた。
◇
年が明けて、規制が始まった。
いつものように通学路へ曲がろうとすると、入り口に看板が立っていた。
『車両通行止め 7:00~8:30』
あら。
今日からだったかしら。
入り口に鼻先を少し入れたところで、私は車を止めた。
目の前の横断歩道を、子どもたちが手を上げて渡り始めた。
ずいぶん、のんびり歩くこと。
まあ、いいわ。
今日は特別に、待ってあげましょう。
女王様というのは、寛大なものなのだ。
最後の一人が渡り終えると、黄色い旗のボランティアの老人が、大通りの車を旗で止めた。
それから、こちらに向かって旗を大きく振った。
「はい、奥さん、下がって! オーライ、オーライ!」
誘導してくださるのね。
なんて親切な方なのかしら。
私は旗に合わせて、ゆっくりと車を下げた。
大通りに戻ったところで、窓越しにお礼を言った。
「ご親切に、どうも!」
窓を閉めていたので、聞こえなかったかもしれない。
でも、きっと伝わったはずだ。
私は一本向こうの広い道路を走った。
信号に二つも捕まった。
三分、遠回りした。
「あなた! あの道が通れなくなったのよ!」
「そうか。よかったな」
「何がよ! 三分も遠回りになるのよ!」
「三分で済むなら安いもんだ」
「あなたまでそんなことを言うの!?」
夫は新聞を畳んだ。
「ところで、お前も署名したんだろう?」
「もちろんよ。危険な運転手を野放しにはできませんもの」
「そうか」
夫は久しぶりに笑った。
「お前にも、ようやく譲り合いの精神が芽生えたんだな」
私は呆れてため息をついた。
まったく、なんてことだろう。
この家は、私以外にまともな人間がいないのよねぇ。
(おしまい)
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
女王様は最後まで女王様でしたね。
本作には、同じ出来事を別の視点から描いた【ざまぁ版】もございます。
女王様の勘違いの答え合わせは、こちらでどうぞ。
【ざまぁ版】通学路の女王様
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