大人なら自分の言動に責任を持ったらどうですか? ~手柄を横取りしてばかりの上司に「お前の代わりなんかいくらでもいる」と言われて辞めました。今はなぜか戻ってこいと必死に懇願されています~
「また無駄なもの作ってる。
数字しか見てない奴にさ、営業のセンスなんてわかんないでしょ」
私――篠崎涼子がUSBを渡すと、桐生部長がため息とともに言った。
だったらボツにすればいいのに、自分のPCに挿してファイルをコピーする。
「まあ、使えないことはないから使ってあげるけどさ。感謝してよ」
口ではそう言いつつ、午後のクライアントミーティングでは「業界最高水準の分析」と胸を張ってプレゼン。
しかも自分が1から10までやったことにする。
部下の手柄は、自分のもの。
自分の失敗は、部下のせい。
それが桐生部長という人だ。
——この人の成果の正体が私のExcelだって、なんで誰も気づかないんだろう。
***
「篠崎さーん、これもお願いしまーす」
甘い声が飛んできた。
水川玲奈。
営業部のアシスタント。
桐生部長の前でだけ声のトーンが一段上がる人。
「私こういう細かいの苦手で~。篠崎さん得意でしょ? こういう地味な作業」
にこっと笑って、書類をデスクに置いた。
「わかりました」
受け取る。
断っても桐生部長が「玲奈ちゃんの分もよろしく」って言うだけだから。
夜22時。オフィスに残っているのは私だけ。
今日も、家に着くのは0時過ぎだろう。
翌日の昼休み。
給湯室で谷口さんに会った。
管理部の先輩。
この会社で唯一、私の仕事を「仕事」として見てくれる人。
「ちょっと、また桐生の資料作ってたでしょ」
マグカップを洗いながら小声で怒っている。
本気で怒ると声が低くなるタイプ。
「水川からも仕事を押し付けられてるし、たまには突っ返してやりなよ」
それができれば苦労しない。
実行したら、きっと水川は桐生部長に泣き付いて――面倒くさいことになる。
「ねえ、知ってる? 桐生と水川、できてるよ」
「……え?」
「昨日、第三会議室。
予約入ってないのにブラインド閉めて二人でいるの見ちゃった。
変な声もしてたし」
谷口さんが露骨に顔をしかめた。
なるほど。
桐生部長の経費精算で、二名分のディナー領収書がやたら混ざっていた理由がわかった。
「接待費」と書いてあるのに接待先の社名が空欄のやつ。
あれ、全部デートだったのか。
——他人の仕事に自分の名前を使って、自分のデートに会社のお金を回す。
セコい。
この人、ほんとにセコい。
けど告発したって握りつぶされる。
桐生部長はそういうポジションだ。
***
午後のクライアントミーティングに、外部のデータ分析会社の人が同席していた。
瀬尾蓮さん。
三十代前半。
落ち着いていて、言葉を選ぶ人。
数字を扱う人間特有の目をしていた。
丁寧なデータと雑なデータの区別がつく目。
ミーティングの終わりに、瀬尾さんが桐生部長に聞いた。
「この分析、精度が高いですね。
手法にも一貫性がある。設計したのはどなたですか」
桐生部長の目が一瞬泳いだ。
「もちろん自分です」
瀬尾さんは頷いたけど、納得した顔はしていなかった。
帰り際に廊下ですれ違ったとき、瀬尾さんに声を掛けられた。
分析についての質問。
私が手掛けたものだから、すらすらと答えられた。
三ヶ月後。全社ミーティング。
桐生部長が壇上で第三四半期の実績を発表していた。
売上前年比百四十パーセント。
新規獲得は部門トップ。
社長が「さすが桐生くん」と笑い、拍手が起きた。
あの売上の数字、私が組んだ分析がベースだ。
桐生部長がやったのは、資料を持って先方のオフィスに行くことだけ。
まあ、もう慣れた。
ミーティング後、桐生部長が上機嫌で「打ち上げ行くぞ!」と声を上げた。
水川さんが「やったー!」と跳ねている。
私の前を通るとき、桐生部長が言った。
「あ、篠崎さんは来なくていいよ。事務の人が混ざっても話合わないし」
営業部員が五、六人、聞いていた。
誰も何も言わなかった。
水川さんがこっちを見て、口元だけで笑った。
数字を組む人間が「事務」で、それを読み上げるだけのロボットが「エース」扱い。
変な会社だ。
翌週。
桐生部長がデスクに来た。
来期の体制変更。
データ分析を外注化するという。
「篠崎さんの仕事って、パソコンに数字入れてるだけでしょ?
外注のほうが安いし早いよ」
五年かけて作った分析のフレームワーク。
クライアントごとに調整してきた手法。
積み上げたデータの読み方。
全部ひっくるめて「パソコンに数字入れてるだけ」。
「篠崎さんには別のことをやってもらうから。
えーと、ほら、お茶くみとか? って昭和か! ははっ!」
何がそんなに面白いのか。
マトモな指示もないまま、会話が終わった。
直後、水川さんが小走りで来て、桐生部長の腕にぶら下がった。
「桐生さん、今日どこ行きます?
新しいイタリアン、気になっててぇ~」
また会社の金で遊びに行くのか。
2人とも、私のことはもう見ていない。
存在すら忘れているのだろう。
私の仕事が、この会社をどれだけ支えているか、想像もしていない。
というかオフィスでイチャつくな。
……もう、いいや。
帰りの電車でスマホを開いた。
転職先、探そう。
翌週。
桐生部長のデスクに退職届を置いた。
「辞めます」
「あ、そう。まあ、おまえの代わりなんかいくらでもいるし」
引き継ぎ資料はUSBに入れて渡した。
けれど、それはすぐにゴミ箱に放り込まれた。
「こんなの要らないでしょ。外注先がゼロから組めばいいよ」
かちゃん、と軽い音がした。
水川さんが横から顔を出した。
「篠崎さん辞めるんですか? まあ、もともと役立たずでしたもんね~」
にこにこしている。
本人は悪口を言っている自覚さえないのだろう。
「お世話になりました。お元気で」
それだけ言った。
明日からは有休消化だ。
社員証とカードキーを総務に返して、私物を段ボールに入れて、ビルを出た。
五年通った道を振り返りそうになって、やめた。
胸にあったのは怒りじゃなかった。
凪。
もう何も思わない。
愛想が尽きていた。
***
転職先は、セオン・アナリティクス。
小さなデータ分析の専門会社。
以前のミーティングで同席していた瀬尾さんの会社だった。
転職サイトで見つけた求人に応募した。
面接で瀬尾さんが言った。
「あの分析モデル。桐生さんは自分が作ったと言っていましたが、本当ですか。
――貴女の手によるものでは?」
心臓が跳ねた。
「どうしてわかったんですか」
「ミーティングのあと、モデルについて質問させていただきましたよね。
あの時の答え方で分かりました。貴女がやったのだろう、と」
瀬尾さんが少し笑った。
いつもの淡々とした顔に、かすかなおかしみが混じった。
「この会社には、貴女の功績を奪う人間はいない。
ぜひ、安心して力を振るってほしい」
セオンでの仕事は、ブライトスターでやっていたことと基本は同じ。
データを集めて、分析して、レポートにまとめる。
違うのは、レポートに私の名前が載ること。
最初に出したレポートを瀬尾さんが確認して、「的確です」と言った。
それだけのことで、涙が出そうになった。
「この切り口、面白いですね」
「精度が段違いですね。素晴らしい」
桐生部長が五年かけて一度も言わなかった種類の言葉を、瀬尾さんは最初の一ヶ月で全部言ってくれた。
少しずつ、心の傷が癒えていくように思えた。
新しい環境に慣れてきたころ、谷口さんからLINEが来た。
『やばい。月次レポートがめちゃくちゃ。クライアントがキレてる』
桐生部長が外注に出したレポートが、そのまま提出されたらしい。
数字の整合が取れていない。
フォーマットが前月と違う。
分析の切り口が的外れ。
クレームの嵐で、取引を見直すとまで言われたらしい。
1ヶ月後。
『あちこちから文句が来てる。胃が痛い』
クレームは1社だけじゃ終わらなかった。
2社、3社、4社――。
クレーム対応でさらに他の仕事が遅れるという悪循環が起きているらしい。
2ヶ月後。
桐生部長が八つ当たりぎみに外注を切った。
代わりに中途採用を入れたけど、5日で辞めた。
『引き継ぎ資料がないから何もわからないって』
ふうん。
私は用意したのに。
目の前で、桐生部長が捨てたけど。
そのあと別の中途が入ったけど、3日で辞めたらしい。
3ヶ月後。
重要なクライアントが「契約を見直したい」と申し出た。
継続の条件として、過去の案件を検証して「どうして分析の品質がここまで落ち込んだのか」のレポートを求めたらしい。
結果――
大手食品メーカーの市場分析——桐生部長の代表実績。
アパレルブランドの広告効果測定——業界誌で「桐生の分析力」と紹介された案件。
化粧品メーカーの競合分析——社長賞を取ったやつ。
他にもあるが、どれもこれも篠崎涼子という一人の「事務員」の仕事だったことが明るみに出た。
桐生部長はどうにか誤魔化そうとしたけど、匿名で誰かが情報をクライアントにリーク。
契約は打ち切りとなった。
それと同時期に、最初の懇願が来た。
元同僚の田中くんからのメール。
営業部の若手。
「篠崎さん、月次レポートの作り方を教えてもらえませんか。
外注先がまた撤退しちゃって」
ビジネスメールとしての形式になっていない。
つまりプライベートの連絡。
けれど私はべつに田中君と仲がいいわけじゃなかった。
「事務の人が来ても話合わない」の空気で、一緒に笑ってたよね。
話が合わないだろうから、返事もいらないか。
無視。
さらに数日して、水川さんからLINE。
『篠崎さん相談があるんですけど。
最近、仕事で分かんないことがいっぱいあって……。
データのこと教えてもらえたら助かります』
既読スルー。
助ける理由がない。
最後には桐生部長本人から電話が来た。
「篠崎さん、ちょっと——」
声のトーンが違う。
あの頃の偉そうさがきれいに消えていた。
「来期のクライアント対応、やっぱり専門性が必要でさ。
外部コンサルとして戻ってきてくれないかな。報酬はちゃんと出すから」
「代わりなんていくらでもいる、と仰ってましたよね。
大人でしたら、ご自身の言動に責任を持ってください」
電話を切った。
その翌週、谷口さんが電話をしてきた。
「桐生さん、ヤバいよ。マジヤバい」
興奮しながら語ってくれたのは、こんな話だった。
桐生部長の「功績」が嘘ばかりだと発覚したついでに、経理の監査も入ったらしい。
結果、過去の経費精算に不審な支出が大量に見つかった。
接待費名目のレストラン。
ホテル。
バーの領収書。
全部二名分。
接待先の社名は空欄。
全部水川さんとのデートだった。
年間八十万円分。
会社の金。
桐生部長と水川さんの関係が全社に知れ渡った。
会議室でしていたことも、全部。
功績の横取り。
経費の不正。
社内不倫。
3つが同時に出て、桐生部長は失墜した。
営業部長から平社員に降格。
辞めなかった。
いや、辞めるに辞められないのだろう。
この業界は狭いから、悪評はすぐに広まる。
今の会社をクビにされなかっただけ恩情だろう。
一方で、水川さんは辞めた。
「今は夜の店で働いてるみたい」
と谷口さんが言う。
彼女、愛嬌だけはあるからむしろ適職じゃないかな。
電話の翌日。
セオンのオフィスに来客のアポイントが入った。
新規営業。
応接室に入ってきたのは——桐生さんだった。
元営業部長。
今は平の営業。
新しい取引先を取ってこいと言われたんだろう。
くたびれたスーツのポケットから名刺入れを取り出しかけて、私の顔を見て——手が止まった。
「し——篠崎?」
「お久しぶりです」
名刺を差し出した。
セオン・アナリティクス
データ分析チームリーダー
篠崎涼子
桐生さんが名刺を受け取った。
指先が震えていた。
「……なんで、ここに」
「転職しました」
普通のことだ。
合わない場所を出て、合う場所に移った。
桐生さんの顔からゆっくり血の気が引いていった。
「あの……我が社のデータ分析サービスについて説明を……」
声が小さい。
「できるんですか」
人の資料を横取りして、読み上げていただけの貴方に。
「……すみません」
尻尾を巻いて、逃げ帰っていった。
それからしばらくして――
『桐生、懲戒解雇になった』
谷口さんからLINEが来た。
『会社の備品メルカリで売ってたみたい』
は?
さすがに予想外すぎる。
モニター
マウス。
キーボード。
台帳では紛失扱いにして、自分の小遣い稼ぎに使っていたらしい。
『総務の棚卸しで数が合わなくて、調べたらメルカリのアカウント出てきたんだって。
総額12万円』
人の仕事を自分の名前で発表して、会社の経費でデートして、降格されて。
まだ懲りずに、今度はキーボードとマウス。
救いようのない悪人と言うのはこの世にいるらしい。
経費不正の直後にまた不正。
もう会社の恩情も尽きた。
退職金なし。
『段ボール一個持ってビル出てったって。誰も見送らなかった』
それはそう。
さらに翌朝。
ニュースアプリを開いたら、知っている名前が出てきた。
「特殊詐欺 受け子の女を逮捕」
水川玲奈容疑者(二十七)。
高齢女性から現金三百万円を受け取った疑い。SNSで「届けるだけで日給五万」の投稿を見て応募し、詐欺グループに加担したとみられる。
実名。
顔写真つき。
楽して手に入る仕事を選び続けた結果が、闇バイト。
谷口さんからLINE。
『水川の見た?』
『見ました』
少し迷って、もう一行。
『有名人になりましたね』
『ほんとにね』
同情はない。
ただ遠い。
あの頃同じフロアにいた人たちが、もう全然違う場所にいる。
私は自分の場所で、自分の仕事をやっている。
それで十分だと思った。
金曜の夕方。
レポートの最終チェックを瀬尾さんと二人でやっていた。
「ここ、前月比より前年同月比のほうが傾向出ますね」
「確かに。差し替えましょう」
並んで画面を見ながら、グラフの見せ方を直していく。
こういう時間が好きだ。
修正して、保存して、二人で画面から目を上げた。
「お疲れさまでした」
「お疲れさまです」
瀬尾さんが少し間を置いた。
「——篠崎さん」
「はい」
「明日、予定ありますか」
追加のタスクかなと思った。
「特にないです」
「近くに、珈琲がおいしい店を見つけて」
瀬尾さんが画面じゃなくて、こっちを見ていた。
「よかったら一緒にどうですか。
仕事の話じゃなく、です」
そう言ってから、瀬尾さんがほんの少しだけ目をそらした。
データの話をしてるときはどんな数字にもまっすぐなのに。
「……行きたいです」
気づいたら言ってた。
瀬尾さんの顔がちょっとゆるんだ。
冷静なだけじゃない。
困ったような、うれしそうな顔。
「じゃあ、十時に駅の改札で」
「はい」
立ち上がって自分のデスクに戻った。
パソコンの画面に顔がうっすら映っていた。
——笑ってる。
私、嬉しいんだ。
帰り道。
「代わりなんていくらでもいる」
そう言われたけど、違った。
私を必要としてくれる人がいる。
嬉しいな。
明日、何着ていこう。
考えながら歩いたら、足がちょっとだけ速くなった。
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