婚約破棄を言い渡された日、わたくしは王都を救いました【短編/ざまぁ】
王城大広間は、ため息のようなざわめきで満ちていた。
「公爵令嬢エリザベート・グランツ。そなたの数々の非道、もはや見過ごせぬ。ここに婚約の破棄を宣言する」
壇上の王太子アルフレッド殿下が、勝ち誇った声を張る。
隣で、男爵令嬢リリアが可憐に震えた。涙の粒が光を吸い込み、群衆から同情の吐息が洩れる。
「――そうですか」
わたくしは、ただ一言だけで返した。震えも涙も要らない。あいにく、準備はもう済んでいる。
「では、ひとつだけ手順の確認を。婚約破棄は、王国法第二十二条に従い『証拠の提示』を経て最終決定される――で、よろしゅうございまして?」
ざわり、と空気が揺れた。殿下の眉がわずかに動く。
「証拠なら既にある。リリアが被った嫌がらせの数々、学園での証言書も――」
「その前に、こちらを」
わたくしは白手袋の指で小さな石を掲げた。碧く淡い光を湛える――審問石。虚偽を照らせば濁色に、真実に触れれば清澄に輝く。
もう片手から取り出した銀の円盤は、録音魔石。指を弾くと、鈴のような音と共に会場に声が流れた。
『――「殿下への魅了は一刻ほどで切れます。今のうちに断罪を。公爵家を潰せば、北境は手薄に……」』
膝が軋む音。誰かの息が止まる気配。
声の主は、男爵令嬢リリア。彼女のものとしか思えぬ澄んだ声色。審問石は清澄に光り――記録改竄の可能性は潰えた。
「ま、待って、これは……! 私じゃない、そう、誰かが、ええと――」
リリアがしどろもどろに手を振る。その指輪が、わずかに紫に瞬いた。魅了の触媒。わたくしは視線で近衛に合図を送る。
「近衛副隊長、指輪を」
すっと動いた騎士が、手際よく指輪を外す。審問石に近づけると――どろりと濁色が広がった。会場に、はっきりとした唾棄の音が落ちる。
「魅了魔法、禁術指定の触媒です。出所は、おそらく北境の密輸線。殿下、ここ数か月で王都の警備が薄くなった区画をご存じでしょう? そこを通って、敵国の工作が――」
「黙れ! リリアがそんなことをするはずがない!」
殿下の叫びは空しく壁に跳ね返る。殿下の腰に佩かれた剣が、審問石の光を受けて冷たく光った。
わたくしは溜息を飲み込んだ。ここで怒りをぶつけるのは簡単。けれど、それでは『公爵家の娘』としての仕事を果たせない。
「では、もうひとつ」
わたくしは録音魔石を切り替えた。流れたのは、耳慣れた低い声――宰相補佐ハロルドのもの。
『「公爵令嬢を悪に仕立て上げろ。王太子は温い。魅了で転がせ」』
宰相補佐の顔から血の気が引いた。審問石は、また清澄に光る。近衛が動いた。鎖の音が短く響く。
「……っ、なぜそれを貴様が――!」
「存じ上げていましたから。最初から」
口角を上げた。勝ち誇るためではない。ただ、ここで国を守ると決めた自分に、ようやく追いついた気がした。
「殿下。わたくしは、あなたさまを責めるためにここへ来たのではありません。魅了の痕跡はすでに『解除済み』です。だから――婚約破棄、受け入れます」
会場がざわめいた。殿下の目が見開かれる。リリアは唇を噛み、宰相補佐は鎖の音に肩を震わせる。
「ただし、条件は二つ。ひとつ、北境の警備線に直ちに増援を。もうひとつ、王都の防衛網の再編を行う権限を、当面わたくしに委ねてください。公爵家は動きます。いえ――わたくしが、動きます」
殿下の視線が揺れ、王の御座から低い声が降りた。
「……グランツ家の娘。よくぞここまで整えた。アルフレッド、そなたは北境へ赴け。半年の研修だ。国家を担うとはどういうことか、骨に刻んで学ぶがよい」
「父上!?」
殿下の声がたどたどしくなる。王は厳然と続けた。
「婚約破棄は認める。だがエリザベートの要求も同時に認める。王都の再編は彼女の指揮下、近衛は副隊長セドリックを補佐につけよ」
名を呼ばれた騎士が片膝をついた。鋼の瞳が、わたくしをまっすぐに映していた。
「セドリック・ハートレー、命に従い、エリザベート様をお守りいたします」
「頼もしいこと」
わたくしは微笑みを落とした。リリアは崩れ落ち、宰相補佐は引き立てられていく。魅了の触媒は封印箱に収められ、審問石の光は静かに消えた。
◇
その日の夕刻、王都の外れでわたくしはマントの留め金を外した。西の空が茜に染まり、城壁に新しい風が吹く。
「本当に、受け入れてよろしかったのですか。婚約破棄を」
馬上のセドリックが問う。騎士の声は、鉄よりも柔らかかった。
「もともと、わたくしには王妃の器などございませんわ。仕事のほうが似合っております」
「仕事……王都を救うことが?」
「ええ。今夜、北境に潜む連中は動きます。防衛網をすでに組み替えました。あとは――」
わたくしは空を指さした。ほんの小さな黒い影が、雲の切れ間を過ぎていく。囮の輸送隊。そのさらに裏をかく影。こちらの『お客様』は、もうすぐだ。
「あなたは、怖くはないのですか」
「怖いに決まっております。ただ、それでも前に出るのが『グランツの娘』の役目ですもの」
セドリックが一瞬だけ笑い、そして真面目な顔で手綱を引いた。
「では、私の役目は『あなたの背中を守る』ことですね」
「ええ。頼りにしております、騎士殿」
夜の帳が落ちる。王都の灯りが遠く瞬く。
婚約指輪はもうない。けれど指先は軽い。肩も、呼吸も。
――これでようやく、わたくしの仕事ができる。
◇
後日談は簡単だ。北境の工作線は一夜で潰え、王都の防衛網は組み替えられ、宰相補佐は裁かれた。
王太子は半年の研修を終え、以前より少しだけ『民を見る目』を覚えたらしい。良いことだ。
そしてわたくしは、辺境の拠点に小さな事務所を構えた。窓辺の机、資料の山、その隣に置かれた審問石。訪れる者の嘘と本音を見分け、国境を静かに整えていく。
時々、近衛の騎士が馬を駆ってやって来る。
彼は不器用で、真面目で、紅茶に角砂糖を三つも入れる。
「エリザベート様。次の『仕事』、ご一緒しても?」
「もちろん。――セドリック」
わたくしは名前を呼び、彼は照れくさそうに笑った。
泣き叫んだのが誰だったか、もう思い出す必要もない。ただ、王都は今日も静かに息づいている。
これで充分。わたくしには、これが似合いだ。
お読みいただきありがとうございます。
カタルシス重視の「婚約破棄→証拠提示→静かな逆転」を短編尺に凝縮しました。
面白かったら★評価とブックマークで応援いただけると励みになります。
スピンオフ「王都再編後の小事件」短編もよろしくお願いいたします。
https://ncode.syosetu.com/n8009lb/