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undecided  作者: らきむぼん(raki) &竜司
鬼頭火山篇
9/73

雨のち晴れ

‐1‐


 七月四日土曜日、暁は自宅で暗号と向かい合っていた。昨日から続く雨のせいで、図書館に行くことさえ億劫だった。

 七月三日は収穫はなかった。雨のせいで屋上も使えず、図書室も何やら教師達が会議室に使っていたので、能率が上がらず、結局は自宅で各自、解読となったのだ。

 日が変わって、本日七月四日もまた、前日と同じく、各自で解読となった。暁の住む部屋は特別使いやすいわけではないが、暗号解読の為の資料は最低限揃っている。

「③番『孤ドクなエイ君 猫、注意、隣人、オペラ、自然』……か」

 うまくいけば、数日のうちに四つの暗号を解読出来るはずであった。各自で解読する上で、範囲を絞るやり方に都合が悪くなった為に、三人はそれぞれ別の暗号を解くことになった。暁は③、亜美は④、竜司は⑤と⑥をそれぞれ担当した。

 現在の時刻は六時十三分、室内には雨が窓を叩く音が響いている。

「暑いな……」

 室内の温度は三十五度程まで上がっていると思われる。暁は扇風機の首ふりを止めて、常に自分に風が当たるようにした。

 部屋の中央にある机に目をやると、一冊のノートがある。暁は今日を含めた二日間で答の一歩手前まで来ていた。最初に「ドク」「エイ」がカタカナである理由は単に注目させたいからであると睨んだ暁は、まずそれを変換する作業に入った。しかし、「西」がスペインを意味した②の暗号から、「ドク」「エイ」が「独」「英」を指し、それぞれ「ドイツ」「イギリス」を表していると仮定するまでは至ったが、そこから先はわずかな進歩しかない。

 机の上にあるノートには「孤ドクなエイ君」の文字の後に書かれていた五つの単語のドイツ語訳と英語訳とが書かれていた。


猫 Katze cat

注意 Achtung attention

隣人 Nachbar neighbor

オペラ Oper opera

自然 Natur nature


「あーあ……」

 いつもの調子なら、もう解読出来てもいい頃だった。しかし、それは錯覚かもしれなかった。なぜなら、亜美はともかく竜司でさえまだ答を出してはいないからだ。

 仮に次が最後の暗号だとしたら、どれだけの時間が残されているのだろう。暁は七月十四日から遡るやり方で残り時間を考えた。七月十四日、この日には既に解読を終えていなくてはいけない。次に、今回と次回で終わると仮定したので、単純に残り時間を等しく分けてみた。

 七月九日。この日がタイムリミットだった。だが、実際には暗号は次で最後とは限らない。暁は焦りを感じずにはいられなかった。

 午後七時、突然雨が上がった。さっきまで、激しく窓を叩いていたのが嘘のようだった。

「そろそろ、お金下ろさなきゃな。飯も無いし……。今日の内に出掛けるか……」

 暁の父親は、田舎で小さな会社の社長をしている。社長といっても世間一般にイメージされている社長とは違い、自ら飛び回って仕事をするような社長である。

 暁は、中学一年生のときからこの街に住んでいる。以前からこの街に住んでいた祖母が病気にかかり、その世話と、入院する病院の関係もあり、母と二人でこの街に引っ越してきた。しかし、三年生の頃、祖母は他界した。その後、母親は父親の仕事のサポートの為に田舎に戻った。だがその頃、既に月代学園に合格していた暁は、田舎に戻らずこの街でアパートの一室を借りて暮らすこととなったのだ。一応は父親が社長ということもあり、お金には困らないわけではある。だが暁は、世話になるのは高校生の間だけと決めていた。もちろん、高校生の間にあの事件のことに自らけじめをつけると仮定して……であるが。

 暁は財布と暗号のコピーをズボンの右ポケットに、携帯電話を左ポケットに入れ、アパートを出た。暗号の解読ノートを持って行くか、一瞬悩んだが、荷物になるので置いていくことにした。

 アパートを出て、しばらく歩くと、雨上がりの街の特有の匂いが辺りを満たしていることに気が付いた。確か前にも雨上がりの夜に出掛けたことがあった。あのときは公園に行ったんだっけ……。

 街には誰ひとりいなかった。怖くなるくらいの静けさだ。何の恐怖かといえば……そう、最後の人類になったかのような恐怖、そこはかとない孤独感。何がマイナスの雰囲気を出しているのだろうか……。この空間を自分だけで独占しているという考え方も出来るはずである。それは奇妙な感覚だった。

 そんな孤独感を打ち消したのは、左ポケットの携帯電話が発した着信音だった。誰からだろう……。

竜司からだった。竜司が電話してきたのだ。出ない理由もないので暁は迷わず通話ボタンを押した。

「もしもし、どうした? 竜司」

「⑥の暗号を解いた」

「ホントか!?」

「ったくよ。鬼頭火山も手抜きが酷いぜ。こんな簡単な暗号に二日も使うとは、自己嫌悪に陥るところだよ」

「何だ、そんな簡単だったのか?」

 竜司は、最悪だ、とこぼした。

「⑥『50=L 100=[1] 500=[2] 1000=M』の答は『CD』だ。おそらくコンパクトディスクを指している」

「何でCDなんだ?」

「アラビア数字をローマ数字に変換すれば終了」

 竜司がそっけなく言った。

「ああ、なるほどな。確かに、意外なほど簡単な解法だな。腹立たしい……」

 暁もまた、何故もっと早く気付かなかったのかと自己嫌悪に陥った。二や五のようなアラビア数字を、ⅡやⅤのようなローマ数字にするだけであるのに。

「①、②で場所が限定されていて良かったな、多分、図書室のCDコーナーにいけば何かしらの収穫は得られるぜ。⑥だけ解いてもさっぱりだ」

 ……!!

「…………」

「暁、どうした?」

「なあ、この暗号って難易度と重要度がリンクしてないか?」

 暁はふと気が付いたことを竜司に話した。

「なるほどな……。確かに①、②は難易度に見合った情報だった。そうかもな」

「だったら⑤が一番重要かもな」

「ああ。正直、⑤は他の答がないと厳しいな。一応やってみるが……」

 ⑤とは「陰になり日向にならず」という暗号のことである。暁も竜司もヒントとなる情報の乏しさには気付いていた。

「そうだな。俺も頑張ってみるよ」

「ああ。頑張れや。期待してる。……じゃあ、この辺で」

「おう。じゃあまた後でな」

 電話を切ると、暁は走り出した。早く用を済ませ、暗号を解くためだ。残りは三つ。今回の暗号も後半戦に入ったことになる。

 明日の朝までには解こう。暁は強く握った掌に決意を込め、雨に濡れたアスファルトの上をひたすら走った。



‐2‐


 午後九時、夜光公園は海底遺跡を思わせる潤いに包まれた空間に変化していた。木々の一本一本が雨を吸い込み、遊具は数え切れない水滴に覆われている。湿った土は、歩く度にじゃりじゃりと音を立てる。そして、蛙の声は一定のリズムを刻みつづけていた。

 暁は簡素な屋根の付いたベンチの、濡れていない場所を探して座った。屋根の外の夜空は晴れていた。この街では星は見えない。故郷では、友人達とよく星空を見た。感傷的な気持ちになるまでには至らないが、懐かしい感じはした。星の代わりに月がやわらかな光を放っていた。

「あと一歩、なのにな……」

 用事を済ませた後、暁は意味なく夜光公園に足を運んだ。しかし、正確には意味がないわけではない。ここに来ると落ち着くという思いがあったのだろう。

 夜光公園にいると自然と亜美のことが思い出される。彼女はもう暗号を解いただろうか。

「亜美……」

「なあに?」

「わっ!!!!!!」

 暁は転びかけて、寸前で踏み止まった。目の前には亜美が立っていた。

「何してんの?」

 亜美は平然と言った。そのため、暁にはその言葉の意味が、転びかけたことに対してだか、こんな時間に夜光公園にいることに対してだか分からなかった。

「なんでここにいるんだよ?」

「よく来るの、あたし」

「へえ……。夜にたった一人は、危なくないか? 気をつけろよ」

「うん。気をつける。それで、暗号解読の調子はどう?」

 調子が良いか悪いかといったら、明らかに後者である。

「耳が痛いね。そっちは?」

「あたしの勝ちね、暁クン」

「と、解けたのか?」

「初めて勝ったー!!」

 亜美が跳びはねている最中、暁はいよいよ焦りが頂点に達した。このままでは足を引っ張ることになる。

「お前が解いてたのって『PXTHRBR あ う え う え う』っていうやつだろ? どうやって解くんだ?」

「あのね、あたし、まずインターネットで調べようかと思って、駄目もとでまんま検索のとこに入力したの。そしたら、間違えて全部アルファベットで入力しちゃってさ。それで気が付いたの。『あうえうえう』は母音かなって」

「なるほど!! その母音を『PXTHRBR』の適当なところに入れれば……」

「うん。それで出た答が『PaXTuHeRuBeRu』つまり『パッヘルベル』」

 暁はここで再度、自己嫌悪することとなった。「XTU」が「っ」を示すというところが盲点だった。とはいえ、簡単な暗号だったことは否めない。

「なあ、パッヘルベルってなんだ?」

 おそらく人名だろうと思いつつ、暁は亜美に尋ねた。

「調べたんだけど、バロック時代のドイツのオルガン奏者みたい。代表作は『カノン』……」

「『カノン』!?」

「どうしたの?」

「光が『カノン』に関して話してて……。だけどそれ以外に今何か閃いたような……」

 確かに何かが脳内を掻き混ぜたような感じがした。重要なのは、その閃きが無から生じたものでなく、既存の情報から作り出されたものであることだ。

「暗号……解けそう?」

 亜美が暁の顔を覗き込んだ。

 暁はポケットから暗号を取り出し、じっと見つめた。そして、その行動に意味がないことを察した。

「違う、これじゃない」

「……何が?」

「家にノートがあるんだよ。五つの単語のドイツ語訳と英語訳がかいてあるノートが」

「ドイツ語訳と英語訳??」

「後で説明する。とにかく、すぐに確認した方がよさそうだ。悪いけど、先に帰るよ」

 暁はそういうと、立ち上がって公園の出口に向かって歩き出した。

「暁!」

 数メートル歩いたところで、亜美に呼び止められた。亜美は何か言いたそうだった。

「な、何?」

「もしこの勝負が終わっても、あたしたちは変わらないよ」

「え?」

 あまりに唐突で、暁には何のことかよくわからなかった。

「暁、こないだ言ってたでしょ。この勝負が終わって、期末テストやって…夏休みになったら、また普通の生活に戻るのかなって」

 思い出した。それは一昨日、図書室で言ったことだった。

「あ、ああ……」

「暁、前は毎日、苦しんでたでしょ。あたしは暁が苦しんでた理由はわからないけど、苦しそうにしてたのは気付いてた。でも、あたしや竜司君と今までよりもたくさん話すようになって、少し元気になったんじゃない? だから、これからも、一緒にいれば、大丈夫だよ。きっと、悲しいこととか、なくなるから」

 亜美が自分のことをここまで気にしていたとは知らなかった。

 馬鹿だな、俺は。亜美の言葉で、心から安心している。今、はっきりとわかった。俺は以前の閉塞した、誰もいない日常に戻って、果てしない苦悩を再び感じるのではないかということに言い知れぬ孤独を、恐怖を感じていたのだ。目の前に手を差し伸べてくれる、大切な人がいたのにも関わらず……。

「……そうだな。今まで心配かけてごめん。それから……、ありがとう」

「……うん!」

「……」

「……」

 何やら、気まずくなってしまった。しかし、空気が悪くなったわけじゃない。妙に恥ずかしくなってしまったに過ぎなかった。次に繰り出すべき最良の言葉が浮かばなかった。心の手が、暴れだした心臓の鼓動を止めんばかりに押さえ付けようとしていた。その様を気付かれないように、ただ必死に平然を装うのがやっとで、どうしたらよいかわからない。

「ほ、ほら! あとは暁だけなんだから、早く暗号解かなきゃ!」

 亜美の方が先に口を開いた。それは、動揺を隠すような口調だった。

 自分から言い出したくせに、何でお前まで照れてんだよ……。

「あ、ああ。それじゃ、また後で……な」

「うん。バイバイ」

 暁は公園を出た。

 世界が微かに明るくなった。踏み出した一歩が軽くて驚いた。しかし、忘れてはいけない、これはまだ途中だ。あの事件の決着は着いていない。だが、このパラダイムシフトは暁にとって、大きかった。この日のことは決して忘れないだろう、そう思った。

 この街の月は、変わりなく黄金色の光を零していた。



 暁は、アパートに帰るとすぐにテーブルの前に座った。テーブルの上には数時間前に部屋を出た時と変わることなく、一冊のノートが広げられている。


猫 Katze Cat

注意 Achtung attention

隣人 Nachbar neighbor

オペラ Oper opera

自然 Natur nature


 閃きの半分はここから来ているはずだった。そして、もう半分は「カノン」という言葉から来ている。

 それから一分も経たない内のことだったろう。突如、道は開けた。

「そうか……!! 答は初めにあったんだ!」

 暁は携帯電話を開き、メール画面を開いた。宛先は亜美と竜司である。しかし、その本文は暗号の答が書かれたものではなかった。その内容は明日、七月五日に学校に集まってほしいというものものだった。

 明らかになった暗号は五つ。暁たちは鬼頭火山の暗号に王手をかけていた。




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