Edge of Chaos
“クマ”として再登場した坂本洋平から、神屋は忠告をされた。その神屋に関するエピソードです。書いてて楽しかった(笑)
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時は、初夏が終わり厳しい夏がやってくる兆しを見せた月初――暁が帰省を終え街へ戻り高山竜司との約束を果たし、神屋が王里神会重要関係者リストにある「トザキアキラ」と自身の同級生の「外崎暁」が同一人物であるか確認するために帰郷した日――に遡る。
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八月一日 土曜日 午後六時三十分
辺りはようやく薄く影を差し始めていた。一日中日差しを浴びることが多い情報収集の仕事は神屋にとって些かならぬストレッサーだ。ここのところ毎日のように「シノハラアミ」「トザキアキラ」についての聞き込みである。いい加減、太陽から逃れたかった。
真夏の日の長さにうんざりする神屋であったが、それは夏の暑さよりも、むしろ明るさに対して彼が強い耐性を持っていないからであった。
神屋は真夏でも真っ黒な長袖を着ていることが多々ある。今日も真っ黒な服装で、薄手の上衣まで着ているくらいだ。暑いと思っても、発熱や発汗といった身体面での変化が乏しい体質なのだ。その上、そもそも暑さに強い。数年前の歴史的な猛暑の年も、神屋にとってはさほど苦痛ではなかった。
それよりも彼は幼い頃から、あまり明るい場所が好きな方ではなかった。好んで屋外で運動をしないせいか、運動もできない方ではないのだが苦手だと思われることが多い。屋内で行えるスポーツ、特にバスケットボールに関してはむしろ得意だった。当時は背も高くはなかったから、体格的なアドバンテージがその要因ではない。単純に、神屋は参謀として常に優秀であっただけである。神屋を経由したボールは、神屋が指示した動きをした味方に安全にパスされ、点数に繋がる。サッカーも同じである。味方が多ければ多いほど、チェスのように戦略を立ててゲームに勝てるようになる。
そして屋外ではしゃぐような性格でない上に、小学生、中学生と、服装も地味だった。神屋は暗色を好んで着た。理由は複数あるのだが、ひとつは暁との些細なエピソードがきっかけであった。
小学四年の頃、友人たちが苦労してやっとできることを、神屋は比較的簡単に達成することができた。それが原因で、神屋は友人の輪から少々浮いてしまっていた。子供は成長すれば少しずつ妬むことを覚えていく。自分ができないことを簡単にされてしまえば当然距離が生まれるのだ。神屋はそれでも別段悩んだりはしなかった。自分が手を抜いて目立たぬようにしていればよい。それで円滑に事が進むならば、神屋は自己の優秀さをアピールする必要性も感じなかった。
だが、暁はそうは考えていなかった。暁は当時神屋とそこまで親密ではなかった。その時点では神屋は特に仲が良いグループを持っているわけではなかった。それ故に孤立し始めたということもある。ところが暁は、そんな手を抜くようになった神屋に「なんで手を抜くんだ、自分が本気で何かをできないような友達ならほうっておけよ」と当たり前のように言った。それを契機に神屋は、暁と暁の親友である坂本洋平と仲良くなっていった。
次第にそのグループはメンバーを増やしていった。仲間思いの暁、怖いもの知らずの洋平、頭脳派の神屋、そして更に西島という嫌がりながらもいつも協力的な男子、鳥羽という芸術に秀でた活発な女子、最後に真面目で正義感のある委員長の白崎という女子も仲間に加わった。周りの他のグループは段々と形を変えていったが、暁たちのグループは、暁と神屋が別の中学に行くことになるまで、常に仲の良いグループだった。不思議と中学以降は連絡も取っておらず、すっかり解散してしまったが、特に険悪になったわけではない。思い出す度に、神屋はもう一度全員で何かをしたいという欲求を覚える。ともあれ、暁の一言がきっかけとなり、神屋は手を抜いて何かに取り組むことはなくなった。大人からも注目されるほどに神屋は優秀だった。だからせめて目立つ格好はしたくない、という子供社会でしか通用しないような対策をしたのだ。
神屋は中学に入学してからも、本気で物事に取り組むようにしていた。特にチェスには随分とのめり込んだ。しかしそれ以外の面、例えば外見などでは無駄に派手に振る舞うことは控えていた。今となっては、暗色が気に入ってしまい全身を黒い服で覆っているのだから寧ろ目立つだろうと本人でも感じてはいるが、中学時代に急激に背が伸びてからは、外見が目立つかどうかは気にしないことにしていた。放っておいても目立つことに変わりはない。
久しぶりに帰郷すると、色々と思い出す出来事が多かった。神屋は思う、たとえ視覚を失ったとしても、人間は自分がどこにいるか判るのではないか。もしも目隠しをされて目的地も告げられず、帰郷したとしても、きっと自分が幼い頃を過ごしたこの田舎に戻ってきたと判る。
各々の土地には各々の音がある。各々の香りがある。各々の風がある。
ザザァーン……――
遠くに波の砕ける音が聞こえた。汐の匂いもする。記憶が蘇るのはこの土地の個性が歴史を蓄積しているからだ。どうしても感傷的になる。この想いをしないために、神屋はいままでこの地に戻らなかったのかもしれない。どうして、今回はこの地に戻って来ようと思ったのだろう。
まず、リストに「シノハラアミ」と共に名が載っていた月代学園の生徒「トザキアキラ」が、小学生時代の同級生「外崎暁」と同一人物であるか確認するだけである。実際に訪れなくとも電話で確認が取れることではある。ただし、実際問題として面倒なのは神屋が過去をおよそ消去してしまっていることである。連絡を取る相手もいない。無論いくらでも他人のふりをして情報を聞くくらいのことはできるのではあるが。
神屋には「素性」という情報そのものが極少ない。妹の留学もかなりの苦労を要したほどだ。両親が世界的な数学者でなかったならば不可能だっただろう。両親の交友がそのまま妹の交友として遺ったことが幸いしたのだ。しかし、そもそも妹を国外に出したこともまた素性を隠すための行為である。神屋が謎であり続ければ唯一の家族を「裏切り者」を誘き出す呼び水に使われることはない。両親の死もまた神屋の存在をあやふやにした。おそらく今の神屋は幼少期を暮らしたこの田舎町では忘れ去られているのだろう。ある意味でそれは神屋の思惑が成功していることになる。
汐の匂いを含んだ温い風がハタハタと音を立てて黒衣を揺らした。この香りはとても懐かしい。東京では海沿いの街に出る機会が少なく、似た香りを嗅いだことはしばらくなかった。町に忘れられても、神屋は無意識下で幼き頃のこの町の姿をよく覚えていた。捨てた記憶も、復元されていく。
畢竟、神屋が戻ってきた理由は、このノスタルジーに負けて長居することがなければ実際に訪問するのが手っ取り早い方法だったからだろう。それが合理的な一つの理由だ。深層的には、何もかも忘れて、暁や洋平や他の皆と楽しく生きてきたあの頃に戻りたいと願っているのかもしれない。だが、神屋は決めたのだ。この手で始末をつけなきゃならない敵がいる。
一刻も早く「シノハラアミ」と「トザキアキラ」の情報を集める必要があるが、世界的な新型インフルエンザの流行がどうにも街を停滞させている。この帰郷は一か八かの賭けでもあった。探している人間が暁とは別人の同姓同名の「トザキアキラ」である可能性の方が高いと神屋は思っている。もしも神屋の想像通りこの帰郷が意味のないものであれば、これはただのリフレッシュのための旅だ。自分が故郷の記憶に存在しないことを確かめるだけの旅である。
だがもし、もし「トザキアキラ」が、神屋の知る「外崎暁」なのだとしたら、その時はきっと彼を巻き込まずにいられないだろう。それは、最早神屋の意志とは関係なく、偶然にも暁が事件の深い部分――V事件に関わっているという意味でもある。そして、もう一つの意味として、神屋は淡く願っているのだ。小学生の頃、自分を変えた暁が再びどこか光射す場所に自分を連れて行ってくれるのではないか――と。
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神屋はまるで影のようだった。海岸線の道路の歩道を手足の長い黒衣の男が歩いているのだ。地平線に姿を半分ほど隠した太陽が、辺りを朱く染め上げていた。影の男は波の動きと音に呼応するように不気味に黒衣を揺らす。
暁の家は海辺の道を暫く歩き、民家の立ち並ぶ坂道を上った先にある。比較的自然の多い土地ではあるが暁の家までの道のりは住宅が多く、のどかではあるが緑は少ない。暁の家は民家の連なりの端に建っているので、彼の家では表側には民家、裏側には自然という具合に窓から見える風景が異なる。
神屋は暁の家の構造を珍しいと感じていたので、今でもよく覚えていた。久しぶりに訪問してみたい気持ちもあるのだが、坂道を通るのは少々億劫である。海辺の道を歩きながら、まだ見えぬ坂道に憂いた。
朱い海は、光を分散させてキラキラと光り輝いていた。いい風景だ。神屋は幼い頃から疑問に思っていた。何故、この海にはいつも人が居ないのだろう。厳密には時々人が居るのも見かけることはあったのだが、海水浴のシーズンでも賑わうことはあまりない。
おそらく砂浜が少ないのだ。幅を持たない砂浜が長く続いている。景色を観るのには良いが、海水浴には向かない。毎年、楽しんでいるのは子供くらいだろう。その子供も過疎化で減っている。真夏の夕方に人っ子一人いないのは却って不気味だ。神屋は自分が異形の鬼のように思えてきた。
神屋は本当に鬼になろうとしている。王理神会を滅ぼすと決めた頃は、敵討ちのつもりだった。両親が死んだ理由を調査すると面白いほどに王理神会の足跡が見て取れた。まるで、神屋を舞台に誘うように、両親の死と教祖Kが繋がっていく。いつの日だったか、神屋は気付いた。自己の正当性を超えた憎悪が浸食している。復讐心が芽生えていた。
神屋が勧誘した信者が、幹部会に招かれ、後日警察に逮捕されたことがあった。幹部の誰かの罪を着せられたのだ。警察上層部と幹部会の取引として、一人の犯罪者作り上げ、処罰することで問題を解消したのだろう。取り調べの最中、その信者は舌を噛み切って死んだ。その時、神屋は思った。父も母も、こいつらが殺したのだ、と。
根拠はなかった。しかし、疑念を拭う根拠もない。むしろ、疑いが深まるような情報ばかりが残っている。敵討ちの意志が神屋の心の中で憎悪に進化した。次第に憎悪は復讐心に進化した。もう元には戻れない。内部に潜む復讐心は神屋をより残忍で狡猾な存在に進化させる。
それが鬼だ。神屋を蝕むKの呪いである。
ザァーン……――
波が一際大きな音を上げ、高く打ち上がった。波は、一定の間隔で同じだけの水量を運んでいるように見える。しかし時折、何か因果が狂ったのか、不定期にそのリズムとエネルギーは乱れる。乱れた瞬間の凄まじいエネルギーの放出、それが神屋にとっての鬼への進化だ。
浜辺に打ち寄せる「波」は森羅万象の真理を示すコノテーションだと神屋は思う。
波のリズム謂わば秩序だ。長い時間をかけて変化するが、その時々では同じことを何度も繰り返す。波の姿は謂わばカオスである。水という物質は、細かく姿を変える。一度でも同じ姿の波はやってこない。混沌の極みだ。
コンピュータの発達とともに一つの概念が発見されたという。「秩序」と「カオス」の中間にあるという「カオスの縁」といわれる領域。無秩序なこの世界は一定の秩序を保つ。無秩序と秩序が絶妙にバランスする領域。最も大きなカオスと最も大きな秩序の共存するエリア。ここでは事象の複雑性が最も高まる。静的な状態が過ぎれば事象は拡散しない。逆に、動的な状態が過ぎればそれは早期に破壊される。静的すぎず動的すぎないカオスの縁が、拡散性と安定性を保つことができる状態なのだ。この「カオスの縁」はその複雑な構造故に、突発的に新たなパラダイムを生み出すことがある。
生命が知能を獲得し始めたこと、人類が言葉や火を手にしたこと、農業の発生、工業の発達、情報化社会の抬頭、世界の変動はカオスの縁からの創発ともいわれる。
寄せては返す波のカオスの縁が、神屋を鬼にするか、あるいは別の何者かにするか。それを想うと、神屋は波に飲まれ深海に引き摺り込まれたような感覚に陥った。
深く光の届かない世界に沈む。凍え、次第に音もなくなっていく。無と有の境が判らなくなり、上も下も、判別がつかない。そして闇と同化し、二度と地上には戻れない――――。
ひどく目眩がした。想像するだけで背筋が凍る。それでも、神屋は止まることができなかった。すでに復讐心は綿密に計画を練り、その瞬間を待っている。獲物が罠にかかるのをじっと待っているのだ。
神屋は太陽の方角に視線を感じた。神の視線かと一瞬紛ったが、どうやら人のそれであったようだ。男がこちらを見ている。夕陽の逆光で誰だか判別ができない――否、神屋は忘れられた存在である。あの影はきっと太陽を見ているのだろう。自分を見る意味などないのだ。影が濃く、前と後ろの区別はつかない。
――だが、神屋は妙にその視線に誘われた。丁度浜辺へ降りる階段が近くにあった。神屋は黒衣を翻して、階段を降り、やわらかな砂を踏みしめた。
大地が神屋を呑み込まんとするように靴底を沈めた。
「Edge of Chaos」という語に関してはある小説に「カオスの縁」としてでてきて、関心があったので個人的に調べて取り入れました。まあ厳密に言うと間違った説明があったかもしれないので興味がある人は調べてみてください。
暁と洋平と神屋が作った仲良しグループのメンバーについて。あのメンバーは神屋が最初に暁の家を尋ねた時に、宗教勧誘で訪れたと言って出てきた名前。実際には宗教勧誘はしておらず、暁に語った内容はかなり嘘だったことが今回判る。それから、僕の息抜きで書いたコメディの『放課娯倶楽部』の登場人物も含まれてます。西山と白崎がそうで、彼らの通う私立英高校は如月愛の通う高校として帰郷編で登場しています。つまり西山、白崎、暁、洋平、神屋、如月は同じ小学校の出身ですね。この辺の裏設定は実は前から考えていて今回やっと繋げられました。
次回も今回の続きの時系列です。