テレフォン・ショッキング
遅れて申し訳ありませんでした。
物語の終盤へ向けて、今後もよろしくお願い致します。
携帯電話を片手に部屋を出た暁は、念の為忍ばせておいた部屋の鍵を亜美に電話を掛ける前にポケットから取り出し、鍵穴に差し込み廻した。
中には赤城もいる……念の為だ。
鍵を静かに掛けると――恐らく鍵を掛けたことは中にはバレているだろうが――暁は大きく深呼吸をしてから携帯電話に目を落とした。
このような事態は、想定されていなかった訳ではない。
指定された飲食店。鬼頭と落ち合うことになっていた場所までの道のりは、比較的安全であるという結論は既に亜美を含めた実行班の間でも確認されていたことだ。その移動の九割は電車での其れである。仮に拉致される恐れがあったとしても電車内では不可能だ。
暁は亜美に電話を掛けた。
無機質な筈のコールの音は何だか人間の呼吸のように生生しく聴こえた。勿論、錯覚である。極度の不安は脳を麻痺させる。暁はキツく目を閉じ、一瞬呼吸を止めた。自分一人だけが狼狽える訳にはいかない。先ほどの神屋と高木、冴木の表情を忘れた訳ではない。たとえどんな未来が待ち構えようとも、あれは覚悟している表情だった。
暁はふぅーと息を吐き出すと何もない空間を睨み付け歩き出した。耳に当てた携帯電話からは依然としてコールの音しか聞こえない。
……駄目だ、出ない。
暁は電話を切った。
――電車を降りてからだ。仮に拉致されたとするならば電車を降りてからだ。暁は極めて冷静な思考を巡らせる。拉致以外に何か考えられるか。考えられない。全ての初期条件があるひとつの答えを導き出している。
意味もなく廊下を行き来する暁は、次に宮澤に電話を掛けようとした。
――プルルルルルルルルル。
着信だ。
携帯のディスプレイを食い入るように見つめた。掛けてきたのは、鬼頭のようだ。
暁は立ち止まって、ゆっくりと電話に出た。
「もしもし」
『こちら鬼頭。指定した飲食店前を監視しているがシノハラアミ、トザキアキラの二人の姿は確認できない。異常事態の発生は認められるか?』
暁は唾液を呑みこんだ。
王里神会の手先が亜美たちを待ち伏せしていたとする。それならば鬼頭が敵だったと容易に結論付けられる。では手先が偶然そこにいて亜美たちに出くわしたという可能性は考えられないか。それは――ないだろう。
だとすれば準備が良すぎる。拉致というのはそうそう簡単にできるものではない。辺りは人でごった返しているのだ。拉致されたのならば人気のいないところに誘導されたのは間違いない。
どうやって警戒心の高い亜美と宮澤を誘導したのか。
「こちら実行班。篠原亜美たちと連絡がつかない。異常が発生した模様」
暁は答えながら考えていた。
誘導できるとしたらそれは如何なる条件が必要なのか。神屋や高木はそれについて容易に答えを出していた。即ち、鬼頭火山に裏切られる直前まで従えばいい。鬼頭に誘導され、そこで準備を整えた拉致犯に連れて行かれる。困惑する亜美の顔が暁の脳裏に浮かぶ。
ここまで覚悟した上で亜美と宮澤は、鬼頭を信じて出向いた。
やはり鬼頭火山は王里神会側なのか。いや、この時点で判断を迷っていてはならない。
『そうか。ところで、ひとつ確認したいことがある』
しかしこの男が敵であるか否かについての決定的な判断材料はない。そう、これは全て憶測なのだ。だが暁には、これが憶測かどうかを確認する手段があった。
『君の声を覚えているぞ。トザキアキラだろう』
「ああ」
『そちらが何を考えているかは判らないが、こちらは騙されたと判断する。何か言い訳はあるかね?』
外崎暁は実行班ではない。本来待機班の男が実行班と名乗り電話に出てはいけなかったのだ。亜美たちが鬼頭と無事に合流していれば弁解の余地はあったものの、二人は飲食店前にいないという。これでは弁明の余地もない。鬼頭が敵ならば懐疑心を抱くには持って来いの誤算である。
『シノハラアミを一人で来させようとしたのか……それならいいが、私の知らない第三者が君の代わりに同行していたならば、仮に飲食店前に現れたとしても私が姿を現すとは限らなかったぞ。まぁいい。問題は何故待機班が現れないのかだ』
「こちらも判らない」
『それは私の期待する回答ではない。仕方ない。協力は断念せざえるを得ないな……』
「ちょっと待ってくれ」
暁は姿勢を変えることにした。
「こちらとしては言いたいことがたくさんあるんだ。何故ボイスチェンジャーなど使っている。あんたが鬼頭火山かどうかの……いや神崎冬也なのかどうか判断できない。あんたは色々とずるい」
『私が神崎冬也だという決定的な証拠を提示しないのは当然のことだ』
「それにだ、亜美たちと連絡が取れなくなるとしたら、王里神会による拉致以外には考えられないんだ。それについてはどう考える?」
『それは私も承知している』
「なに?」
『あの場所は王里神会本部ビルからあまり離れていない。だが私もあの近辺にずっと前から潜伏しているのだ。情報を得たい君たちがこちらに来ないでどうする。なにも私は君たちの力が絶対に必要という訳ではないのだ。君たちが暗号から私に辿り着かなかった場合のシナリオも当然備えてある』
「……あの場所は危険ではなかったのか。それをあんたも理解していたはずだ」
『同じことを言わせるな。偶然、という訳ではないがとにかく私はあそこに潜んでいたのだ。私が危険を冒してまで日の光を浴びて君たちにとって安全な場所で落ち合う必要はない。自分たちの立場をわきまえたまえ』
「てめぇ……!」
『君たちが……私に対し懐疑心を抱いているのは想定の範囲内だ。いや、こうなるのが普通だ』
機械の声は、淡々としている。
『もしこのような状況になったら、私を敵だと判断するようにシナリオを定めているのだろう。ふむ、一向に構わない。誓って言うが、私は君たちの味方だ』
それは――嘘だ。
これは嘘つきの常套句ではないか。
「では、こうなったときのシナリオを聞かせてもらう」
『君たちは好きに動きたまえ。待機班と合流できない限り私は君たちと協力できない。もう関わることはない。だが君たちは私が既に伝えた情報を元に作戦を実行しようと企んでいる筈だ。大いに結構。それがうまくいけば、この事件は収まるところに収まるだろう』
「だから、あんたはどうすんだよッ」
『心配しなくても結構だ。この戦争は、どこに向かっていると思う? トザキアキラよ』
突然の問いかけに暁は戸惑った。
『いいかね。この事件はどう転ぼうとも、多くの苦しみを生むことになる。仮に待機班と私が無事に合流できたとしても、それは変わらないのだ』
「どういうことだ?」
『この戦争には……裏がある。私が言えるのはそれだけだ』
そして電話は唐突に切れてしまった。
しばし呆然と立ちすくんでいた暁は、とある人物に通話を発信した。
希望の光は、まだ、消えていない。