Parasite
ビジネスホテルの一室には初めの三人――暁、神屋、高木――に加え、刑事冴木、そして冴木を介して召喚された男、赤城克弥が集合した。五人は冴木、赤城、高木の三人と、暁、神屋の二人が向かい合うような配置に着いていた。
神屋はずっと警戒するような目で赤城を睨んでいた。赤城はそれを気にも留めない風である。それどころか許可も取らず煙草を取り出して銀のライターで火を点ける。銘柄はラークだった。
暁はその煙草を見て曾祖父の葬式に参加した記憶を思い返した。暁の曾祖父の好んだ煙草もまたラークだった。そして、赤城と同じように鋭い眼をしていた人だったと記憶している。幼い頃に亡くなった曾祖父の顔の細部は、朧気にしか想起出来なかった。棺には誰かがラークも入れたはずだ。だから暁は葬儀を思い返した。あの日の重たい空気と僅かな温かみ。この部屋にも同じようなものがある。
この部屋の温かみは「安心」だ。無論、それは冴木に象徴される。そして重たい空気は赤城、あるいは神屋かもしれない。
「赤城さん、僕が神屋聖孝です。そして隣にいるのが外崎暁、あなたの隣にいるのが高木海さんです。僕らとしてはあなたに関する情報を得たい。あなたとしては好ましくないでしょうけれど」
神屋は敵と交渉するような言い方をした。
「勘違いをするな。俺は何もやましい事はしていない。ただの一般人だ。当然、情報の開示に関しても殆ど問題はない。俺は元新聞記者だ。今は何処の団体にも所属してはいない。ジャーナリストでもルポライターでも、呼び方はなんでもいい。自分では無職のつもりだがな」
赤城はまるで喧騒のような声色で言った。それを聞いて冴木は笑った。
「何が無職だ。しっかり働いてるだろう。自給自足といった方が近いかもしれんがな」
冴木の言葉に、今度は赤城が微笑した。
「俺は自己の手で無から有は創り出さんよ、冴木。俺のやり方を自給自足などと形容するようでは、お前は権力を持って零落したってことだ。俺の扱いには注意するんだな、俺は積極的自由を有している」
赤城は刑事の冴木を前にしても全く動揺した挙措を見せない。本心から動揺などしていないのかもしれない。何が彼をここまで強気にさせるのか、誰も判らなかった。
「冴木さん、元新聞記者の赤城さんと警察のあなたの関係は?」
神屋は赤城の言葉を無視して冴木に問うた。冴木に話を聞いた方が早いと判断したのだ。冴木もまた赤城の牽制に動じずに応える。
「シンパだ。刑事ってのは昔からマスコミとの関係性を重んじてきた。互いに嫌い合ってばかりではない。時に利用し、時に利用される。それらの互いの利用は悪意を持っていない。お互いのために必要な分だけの協力をする。記者は、特ダネを得るために情報を収集して回るわけだがその時に懇意の刑事が居ればそれだけ情報を分けてもらえる可能性が出てくるわけだ。当然俺たち刑事は話していい情報とそうでないものを弁えて記者に協力することがある。俺からしたら赤城は歳は十五ほども上だが昔から縁がある、シンパサイザーの関係だ」
「なるほど。ではもう一つ。冴木さんが彼を選んだ理由は何ですか? 僕もその要因の一つは判っています。彼は何にも所属していないことで、権力による直接的な影響を受けづらい。しかし、それだけではないはずだ。彼でなければいけなかった理由を僕は知りたい」
「簡単な話だ、神屋君。赤城は擬態を得意とする。心の深層では誰にも従わないが、表面的には誰にも従えられる。新聞社に居た時もそうだった。自己を持たないことで、どんな人間にも擬態する。そうやって広い人脈と情報を獲得した。従えていたはずがいつの間にか逆に支配されている、そういう男なのだ。情報を司るマスコミを動かすなら、この男を引き込むしかない。もしも赤城が敵に付けば危険だ。俺は既に赤城が敵に付いている可能性も思案したが、その危険性を踏まえた上で彼を呼んだ」
「つまり、メリットとリスクを天秤にかけた訳ですか……解りました。では赤城さん、単刀直入に訊きます。あなたは敵ですか、それとも味方ですか?」
室内が水を打ったように静まり返った。赤城は数秒の間思考を巡らせた。その行為自体がある種の回答ではある。
「俺は最初に言ったはずだ。信頼とネタを寄越せ……と。それが答だ」
「それはつまり、どういうことですか? 我々があなたを裏切らない保証をしろということですか?」
「それは当然だ。だが他にも意味がある。信頼とは、俺がお前らに協力するに当たってこちら側が勝つという保証をしろということだ。負け戦に参加するつもりはない。ここで、絶対に勝利できると断言してみせろ」
「……勝ちます。あなたが協力すれば、必ず」
「ふん……とりあえずはそれでいいだろう。もう一つ、ネタを寄越せ。これは判るだろう。俺はお前らのように正義を根拠に戦うだとか、負けないために戦うなどというくだらない真似はしない。勝つにあたって俺が金を獲得できるシナリオにしろ。俺は記者、ライター、ジャーナリスト、情報屋、そういった役以上のことはできない。つまりそういった職種の人間として報酬を得られるようでなければ協力しない」
「それは当然確約しましょう。それで……味方になることを約束してもらえるわけですか?」
「そうは言っていない」
赤城の挑発的態度に、神屋は眉根を寄せた。眼前の男の真意が掴めない。神屋の無言の圧力を面白がるように赤城は続ける。
「俺は寄生して生きる男だ」
「寄生……?」
「俺は情報に寄生することでしか生きることはできない。事件が起きなければ価値のある情報は生まれない、価値のある情報が生まれなければ、そこに金は生じない。そして俺はその手法以外に収入源を持つつもりはない。より価値のある情報を得られる方に付き、より金になる方に付く。それは一度の決定で決まることではない。俺は都合の良い方に味方し、都合が悪くなれば裏切る」
「それは……敵からも交渉を受けているということですか?」
「さあな、俺には守秘義務がある。仮にそうであってもお前らに話す義理はない」
赤城は顔色を変えない。完全なポーカーフェイスだった。しかし、彼のスタンスを考えれば、王里神会へのアクセスは容易だということだろう。仮に、敵のほうが早く赤城に接触していたとするならば、それは逆に赤城がこちらに勝算を見出したか、あるいは敵のスパイか、いずれかであることになる。
「おい神屋」
突然に声を上げたのは、隣に居た暁だった。
「なんだい?」
神屋は半ば振り返るように首を動かし、暁の方に顔を向けた。だが神屋は暁の返答を待つことなく問題点を悟った。
「暁、人の居ない所で……だ」
暁は不安に青ざめていた。左手には既に携帯電話が持たれている。
「解った」
短く返して、暁は部屋を出た。それを見て神屋は腕時計の時刻を確認した。八時二十三分。亜美と宮澤の身に、何かが起きたのかもしれなかった。
赤城を受け入れるかどうかを判断する前にこちらのトラブルを彼に知られるのは避けたかった。だから神屋は暁に外に出ることを指示したのだ。
赤城の表情は相変わらず変わらない。高木と冴木は僅かに動揺していた。神屋は胸のざわつきを押し隠して何事もなかったかのように言う。
「さて、高木さんはどう思いますか? 彼を、こちらに引き入れるか否か」
神屋は高木に視線を移した。赤城と面識のなかった高木は、彼をどう評価したか。
「神屋、お前の判断に任せる。……だが、一つ考えて欲しい。俺たちが後一日ですべきことを……」
つまり――高木は赤城の介入に賛成だった。神屋にも彼が言いたいことは解っていた。あと一日で赤城に変わる誰かを味方にするか、代替案を用意するか、どちらにせよそういった労力を必要とする。時間が足りないのだ。
「……解りました、赤城さん、もう少しだけ待っていただきたい。さっき出ていった外崎暁が戻ってきたら、最終的なこちらの決定をお伝えします」
「いいだろう、だが、最初に忠告しておこう。お前らは土壇場で怯むことは許されない。それは解っているんだろうな?」
「我々が、怯む……?」
「考えたことはあるか? 宗教を潰すという行為が何を齎すか。お前らが勝てば何人もの人間が救われる。だが、同時に心の拠り所のなかった信者たちの唯一の支えを壊すんだ。何人もの犠牲が出る。この戦いは多くの犠牲者を生まずには終われない。お前らはそれを背負うわけだ。その事に後で怖気づくな。この戦争は、既に手遅れだ」
赤城の言い放った「戦争」という言葉は初めて神屋や冴木の内なる恐怖心を炙り出した。