ブラック
亜美は宮澤睦との待ち合わせ場所に足を運んだ。
暁たちと別れ、ひとり人ごみの中にいるとどうにも落ち着かなかった。というより、それは恐怖以外の何物でもなかった。謎の宗教団体に狙われているというのに、外出するのも出来れば避けたい。それがたったひとり、孤独に、一体自分は……何をしているのだろう。
これから死んだはずの鬼頭火山に会いに行く。
これぞ非日常。
何ヶ月か前に会ったときの鬼頭の顔をぼうっと思い出す。彼が妙な失意をその表情に浮かべていた理由が、今は判らないでもない。
人間には第六感というものがある。亜美はハッと顔を上げた。それを間近にしたとき、一番に抱いた印象は、確かな堅実さ。そしてどす黒い力強さだ。
宮澤と思しき男は、その余りある存在感を全く出し惜しみすることなく近付いてくる。
互いに初対面であるが、シックスセンスが互いを引き寄せ、互いを認めさせた。
「君が篠原亜美か」
どこか冷たい、抉り取ってくるかのような視線が、亜美を圧倒した。
二人は軽い自己紹介の後、あらかじめ鬼頭に指示されていた場所へと向かうため、電車に乗った。ほぼ満員だったため、二人はドアの近くで向かい合った。
背が高い。体格も良い。六十八とは思えぬ力強さだ。その辺のヒョロヒョロした若造など、拳一発で沈められそうである。いや、そもそもこの眼光に恐れをなして、潰れてしまうかもしれない。
亜美には知りたいことがあった。果たして宮澤の心中は如何なものか。気が気でないだろうことはうかがい知れる。それを察したかのように、宮澤は静かに口を開いた。
「俺はな、責任を感じている」
電車は動き出した。組んだ腕をそのままに、宮澤は続ける。
「あいつがこんなことになったのは、元はと言えば、俺のせいなのかもしれん……」
「え?」
亜美はまじまじと宮澤の顔を見つめた。七十近い割にはしわの数は少ないように思える。その顔をよく見れば見るほどに、不思議な気分になった。
「因果、というものがある。一見無関係に思える事柄も、その結果には深いところで間接的に影響を及ぼすものだ。年を取れば取るほどに、それが身に染みて解るようになる。あいつとは二十年以上の交流がある。様々なことを教えてきた。あいつをこんな事態の渦中に置かせたことに、俺が無関係とは言えないんだ」
亜美は宮澤の言いたいことを、少しだけ理解した。
宮澤の目は、激しく移り変わる窓の向こうの、どこか遠くへと……
「もしものときは、おれが重荷を引き受けるつもりだ」
宮澤の顔は、ちょっとだけ日本人離れしていた。クォーターか。ロシア人の血が混じっているように亜美には見えていた。
「重荷……ですか」
「でなきゃ、ここにはいない」
重荷とはなんだろうか。そんなことを考えていると、遂に目的の駅へと着いてしまった。電車という乗り物が如何に速いかを再認識させられる。
人の群れに流されるようにホーム降り立つと、途端に鼓動が激しくなった。これから、鬼頭火山に直接会うのだ。変な汗が流れてきそうである。
「あの」
亜美は動揺し、突飛なことを尋ねた。
「鬼頭火山……いや、神崎冬也さんは、本当に生きているんですかね?」
こんな質問が出てきたことに、自分でも驚きながら、ホームの喧騒は、あぁ、鳴りやまない。宮澤は少しの間を置いて、そっと、
「ああ」
それだけ言って、先陣を切って歩き出す。
暑い。
駅の外は、地獄の暑さだった。額、脇、二の腕、股下、つま先。至る所が汗で不快だ。日差しは憤慨したくなるほどにギラついている。下着が蒸れる感触がどうにも不快だ。人の群れの中、突っ立っているのがやけに不快だ。
極度の緊張と暑さからか「冷房の効いた部屋に行きたいですね」などど、状況にそぐわない発言をしている自分に、数秒経って気が付く始末。宮澤の背中を、目を細めて見つめる。
「鬼頭……」
「え? ……いたんですか? 神崎、さんが」
ここはどこだ。人々が歩き回って、まるで取り囲まれているかのような。
亜美は風を感じた。
スカートが少しだけ浮いた。涼しい。その快感が――正気を取り戻させた。
「あ、あの、どうして立ち止まっているんですか?」
宮澤は亜美に背を向けたまま動かない。
「あの」
「後ろだ」
「えっ」
バッ――髪がさらさらと、そして奇麗に舞った。
丸く開いたその目に映るは、縦横無尽に歩き回る人間たち。その隙間で、チラチラと見え隠れする黒い何か。
「まさか……」
ドクン、と胸が高鳴った。
食い入るように見つめる亜美は、呼吸を忘れている。
「くそッ」
宮澤は吐き捨てるように、誰に向けてなのか、悪態をついた。
亜美は冷静を保つのに精一杯だった。
黒い何かは、少しずつこちらに歩み寄ってくるようだった。
「宮澤さん。神崎さんが来てます。もしかしたら、違うかもしれないけど」
そして亜美は、遂に見た。
真っ黒なフードの陰に隠れた、顔を。
「うッ」
思わずうめき声が漏れてしまった。黒フードの男の第一印象は、悪人だった。
あまりにもどす黒い顔に見えたのは、影になっているから――だけではなさそうだ。
一瞬遅れて、亜美の脳裏に電流が走る。
やはり神崎冬也は……
いやだがしかし。
喧騒でよく聞こえなかったが、宮澤の声は亜美を脅かした。
「囲まれて……るな」
「!?」
混乱が脳内を這いずりまわる。
宮澤が歩き始めた。人々の中に混じり、消えてゆく。
「宮――澤ッさん――」
喉がからからに乾き、それでも声を絞り出し、何とかそのあとを追った。軽い眩暈がする。
指示された場所は、とある飲食店の前である。そこに着くころには、何だか逆に落ち着いていた。
宮澤の顔色が若干悪くなっていた。彼は黙して話さない。
亜美は歩いただけで息が上がってしまっていた。
「ハァ……ハァ……」
先ほどの宮澤の言葉が気にかかる。囲まれているとは一体どういうことか。亜美は辺りを見回した。こちらを監視するような者は見受けられない。しかし恐怖が引くことはなかった。
しばらくすると、黒いフードを被った男が、よろよろと姿を現した。
亜美はその顔を覗き込んだ。
間違いない。
前に見たときよりやつれているが、
「神崎さん」
息は上がったままだが、亜美は声をかけた。
黒フードの男は、至って無表情だ。なんだか、現実味がない。本当に神崎冬也か?
宮澤はじっと男を見据えている。
突然男は喋った。
「こっちだ」
もはや亜美も宮澤も、男の指示に従うほかない。
男のあとを、ふらつく足取りで付いて行く。
確認しなければいけないことが山ほどある。質問したいことが溢れるくらいにある。それでも、この状況で口を開くことは、何故かはばかられた。気が付いたころには、人気のない寂れた道に出ていた。戻りたい。暁――
「乗れ」
黒フードは抑揚のない声で言う。
目の前には、あらかじめ用意されていたかのような怪しい車。
「神崎。待て。どういうことだ」
「あなたならこの状況がどういうことか判るはずだ」
声も間違いなく、鬼頭火山だ。亜美はもう、絶望していた。
数人の男たちが徐々に集まってきた。
考えなくても判る。
はめられたのだ。
車に乗り、沈黙していた。どこへ行くかも判らない。ただ揺れている。フードの男は乗らなかった。亜美は思った。これは夢なんじゃないのかと。こんな現実はおかしい。何故、どうして。
神崎冬也は敵だったのか!?
馬鹿な。
これでは――終わりだ。
「すいません。宮澤さん。こんなことに、なるなんて、わたし」
「謝るな。君のせいではない。これは想定外というべき事態だ。今は様子を見るしかない」
隣にいた見知らぬ男が「おい」と割って入ってきた。
「お前ら、これからどうなるか知ってるか? お前らはな、死ぬんだよ」
真夏だというのに、亜美の背筋に悪寒が走った。
undecidedの更新としては約ひと月ぶりですね。
『セシルs・メモリー』の更新が前編の終わりを迎えたので、こちらの更新に戻りました。
・・・が、更新速度には自信が無いので、申し訳ありませんが最長3週間ほどの間隔になるかと思いますが、王里神会篇完結までは承知していただけるとありがたいです。
今後もよろしくおねがいします。