神と人
重ね重ね、遅れてすみません。
今回は重要な回ですので、お楽しみに。
八月某日、午後九時
王里神会本部ビル
その部屋の深部は窓側に面していた。狙撃される心配はない高さに置かれた部屋であり、巨大な窓からはいつでも東京タワーが覗いていた。室内は薄暗く、外界では激しく雨が降っていた。
王里神会教祖Kはその部屋から青くライトアップされた東京タワーを眺めていた。窓に映る顔は、銀色の仮面に隠されていた。その仮面の奥で誰が何を考えているのか信者には誰も解ってはいない。
重厚な扉を開き、白いスーツを着た男がその部屋に踏み込んだ。男は痩せた長身で、照明で明るく照らされた廊下を背後に立つ姿は、薄暗い室内から見ると不気味なシルエットとして映った。
「ただ今、帰国致しました」
男は後ろ手に扉を閉め、僅かに掠れた声で言った。この声は現在六十一歳のこの男が、若い頃に酒で潰した独特な声色だった。
「ご苦労、宮澤の様子はどうだ?」
「特には」
「そうか。ところで、宮澤は確かにあのデータを受け取ったのだな?」
「はい。私が直接受け渡しました。その後宮澤睦は急いで日本に帰国したようです」
「よくやった」
Kは無機質な声を室内に響かせた。雨が窓を強く打ち、Kの声はすぐに闇に消えた。
「ありがとうございます。……しかし、まさかあなたがKの正体だったとは、この命令を受けたときは驚きました」
男はKにより唯一正体を明かされた男だった。Kが命令を伝える際、この男にだけはその正体を明かしたのだ。
この男は正式には王里神会とは無関係の人間である。協力の後に確かな地位を得ることを約束された駒なのだ。
「Kの正体が私なのではない。私がKであったというだけだ。人間が見ている私は、この革命のために用意した仮面に過ぎん。私の本質を知るのは私と神だけだ。……もっとも神がいるならの話だが」
そう言い放ったKの表情は、仮面の上からでも判る程の不気味なものだった。雨音が数秒の間隔を空けながら強まったり弱まったりを繰り返していた。
「全てが計画でしたか。もしも、この一件が失敗したときはどうするおつもりで?」
男はずっと気になっていた。Kがどこまでシナリオを用意していたのか。
「失敗など無い。私は真の意味で『敗北したこと』はない。この一件で敗北することは真の意味で敗北するということだ。それはつまり、極めて可能性の薄いことであることの証明でもある」
「……なるほど」
これは本来何の根拠もない自信であるはずだ。しかし、神の如きカリスマを持つ目の前の仮面の男が言う証明は、説得力の有無に関わらず「確定」を示すように思えた。
しかし、Kは低い声で語る。
「強いて言うならば、私のたった一度の敗北は神埼に負けたことだ。小説家としての私には神崎という壁があった。やつと師の元を離れ、宗教の教祖として再会してからは、教祖としての私はやつの前で仮面をするようになった。外見も、声も、性格も、やつの前では変えた。神埼に負けたあの姿を捨てる為だ。神崎は未だに、私がKであると知らないだろう。あるいは、知っていてもどうこうしようとは考えていない。……それが私のたった一度の敗北だ。その後、私の失敗はない。機密データを盗ませたのも、私の計画だ。やつらが過失であると思っている何もかもが私の計画の一部だ。私には、全てが解っていた」
男には完全無欠のKが妙に人間的に見えた。どこか言い訳を言っているような後悔の混じるKの語りには、屈強な精神を持った者でさえ配下に置く神がかった覇気がなかった。
そして、男には疑問があった。機密データが盗まれそれが看破されることも計画だとしたら、「NEW GENERATION PARKでの革命」は失敗するのではないか、あるいはそれこそが計画なのか、男には判別がつかない。
「NEW GENERATION PARKでの革命は止められてしまうのでは?」
男が疑問を口にすると、Kはまた「神」に戻った。目にするだけで判る覇気。仮面の向こうから送られてくる、畏怖を植えつける凍った視線。
「あのような場所で人の命を奪っても、何の意義も生じない。あれはより多くの犠牲者が出るかもしれないという恐怖観念と焦燥感を煽るために指定された場所。止められなければならないのだよ。止められて、初めて計画は完成する。止められるために、機密データなどというものが存在するのだ」
つまり、疑問の答えは後者、失敗こそが成功であるのだ。少なくともKはそれを見据えている。
「その真意は……いかに?」
「機密データを看破すれば革命を止められるというのが間違っている。実際はそう見えるだけなのだ。あれは、攻撃対象を変更できるシステムだが、変更先はたった一つしか無い。当然、それは相手には判らない。あれを使ってどんな場所に対象をすり替えても、そう見えるだけだ。確かに表面上はそうであるように見える。しかしながら、実際には、弾頭は指定した場所には到達しない。そもそもそういったやり方であれが動く訳ではない。『兵器』は極めて小型化されている。それは王里神会によって、ある場所に『手で』運ばれる。そして機密データによる対称地点の変更行為が、兵器の起動抑制機器の機能をオフにする」
「それは……つまりどういうことですか……?」
「機密データは攻撃対象の変更をする。しかし、兵器内のコンピュータはその変更を察知すると、設定されたあらゆるロックを解除するようにプログラムされている。つまり、連中が何もしなければ、本来兵器が起動することはないのだ。兵器は起動できないようロックがかかっている。攻撃対象の変更がコンピュータに伝わらない限り、そのロックは解除されない」
Kは雨の街を見下ろしながら言った。
つまり、現在鬼頭火山と名乗っている者が所持している機密データ――攻撃対象変更プログラムは、その起動により全く異なった働きをする。それはKが兵器と呼ぶものに付随する作動の抑制機器の機能停止であるということだ。鬼頭火山が攻撃対象を変更しようとしたら、それは逆に兵器の起動を助けることになる。
しかし、男にはそのような周りくどく、リスクのある作戦をわざわざ施行する理由が不明だった。
「何の為に、そんなことを?」
Kは笑った。
雨がその強さを増す。
「私は全力で神崎、あるいはその意思を継ぐ『鬼頭火山』を消そうとした。しかし、革命当日までにやつが死んでいないのならば、私は敗北したということだ。ならば、『神崎が勝利すること=Kが勝利すること』という構図を作ればいい。神崎の勝利はテロを止めることだ。止めさせてやればいい。いや、止めたと思わせればいい。そのせいで、その自らの安直な行為と判断のせいで、私の勝利が完成したと知れば、神崎であろうが鬼頭火山であろうが、敗北を認めざるを得ない」
なるほどそういうわけか、と男は内心で笑った。やはり、Kとはいえ所詮人の子であったということである。鬼頭火山の立てた作戦を上回る作戦で勝利することに固執しているのだ。
Kはゲームに勝ちたいという、ただそれだけの人間なのかもしれない。男からすればそれは滑稽であったが、同時にその執着心は神をも恐れていない悪魔の思考であると感じた。
「それでは、まるであなたは、鬼頭火山に勝利する為だけに革命を起こすようでは……」
男は本心を隠し、白々しくそう訊いた。
「言っただろう。私の敗北は、神崎という小説家に敗北したことただ一つだ。私は勝たなければならないのだ。あの敗北さえも、今、完全に勝利するための布石であったと証明しなければならない。そうだ、私は神崎を殺すために全てを計画した。小説家鬼頭火山としての神崎は殺した。だが、やつの意志はまだ抵抗している。やつの論理は、やつの企みは、やつの戦いは、やつの思想は、やつの物語は、まだこの世界で生きている。私は、その全てを殺さねばならない。仮に神崎が死んでいたとしても、それを継ぐ愚か者が居るならばその者を亡き者にしなければ、意味がない」
Kは少々早口になりながら男を睨んだ。
男は仮面で隠された視線を浴びて、動揺した。人間であろうが神であろうが、目の前の仮面の人間は恐ろしかった。味方に置かなければ地獄を見る。
「……で、では、日本をリセットするというのは? それに、兵器が持ち込まれる、ある場所とは?」
Kはその問をふっと鼻で笑い、静かに口を開く。
「日本を支配する。それは第二の目的だよ。王里神会が兵器を持ち込む場所は国会議事堂内部だ」
「……!?」
……今、なんと言った。国会だと?
男は口を開くことに逡巡した。あまりに大それた計画だ。国会は日本の最重要施設ではないのか。
数秒してようやく言葉が口を出る。
「国会!? それは可能なのですか!?」
「国会の警備は大したレヴェルではない。どこまでいっても『日本』だ。国会の警備において、銃を所持できるのはSPのみだ。王里神会は傘下の議員の協力と武力を行使し、内部に侵攻する。当日、ほとんどの議員は国会に集まる。これは総選挙が近いことも味方した。そこで王里神会は無能な議員と国民に暴露するのだ」
「暴露……?」
「政治家の悪事を……だよ。兵器を使い革命を実行すると脅し、政治上トップに立つ者たちの不正を全て国民に暴露する。当日、当然テレビ局のカメラも入るだろうからな。そして、政府の悪と王里神会の正義を主張する。そこまでが、王里神会の役目だ」
そこまで、とはどういった意味か、男は察しがついていた。Kは王里神会を捨てるつもりなのだ。
「そこまでが……? では、その後は一体誰が……?」
「私だよ」
「……では、K。あなたは王里神会教祖としての立場は取らないということですか」
「今の時代に、武力を使って正義を主張するなど愚の骨頂だ。下らない。現代人はそんなことでは何も思わない。王里神会は政府の不正を暴き、トップの座を空けることが役目だ。信者は、それこそが正義であると疑わないだろうがな。この事件は、王里神会の崩壊と逮捕で、史上最悪の事件として表向きの終焉を迎える」
Kは冷静な口調だった。その目に信者は映っていない。信者はきっと王里神会のやることを正義と信じて疑わないだろう。しかし、肝心の教祖はそれを利用し何か別の企みを持っている。
激しい雨で東京タワーが霞む。
「では、その先には何が?」
「王里神会が全てを暴露した後、王里神会には兵器を起動するボタンを押させる」
「それでは、自爆テロというわけですか、実行役はそれを了承したのですか?」
「そんなものは意味が無い。従順な信者を使うのだ。私を信じた時点で死は克服されている。とにかく起動スイッチを押させればいい。……だが、兵器は起動しない。なぜなら……最初から兵器など存在しないからだ」
「兵器――中性子爆弾が存在しない……?」
男は軽い眩暈を感じた。Kの話す内容が掴めない。機密データが兵器の制御装置の機能停止を行うプログラムであると思ったら、そもそも兵器が存在しないというのだ。
それとも、国会以外の場所にそれが持ち込まれるという意味か。あるいは、本当に兵器の実在の情報が虚偽だとでも言うのか。
「存在するかのように情報を与えている。敵も味方もそれを信じている。ならば問題はない。兵器が起動しなかった理由はこうだ。『王里神会教祖、鬼頭風林が、自らの権威を上げる為に中性子爆弾を入手したと嘘を一部の幹部に伝えたが、それを信じた幹部の一人、鬼頭火山が鬼頭風林の作った中性子爆弾であるように見せかけた模倣品を鬼頭風林の管理下から奪い、さらに唯一兵器が存在しないと知る風林を殺した為、最後まで中性子爆弾が偽物であるとは気付かなかったから』」
K――鬼頭風林は、雨の街を背後に語った。
それは恐ろしく綿密なシナリオだった。つまり、Kのシナリオでは、テロ当日の動きはこうなる。
まず、王里神会が国会に侵入、国会議員を人質に立て篭もり、政治上トップに立つ者の悪事をマスコミを通じて世間に暴露する。その後王里神会は、役目を終え中性子爆弾のスイッチを押す。しかし、兵器は発動しない。何故なら最初から中性子爆弾は存在しなかったから。そこで王里神会は作戦半ばで捕らえられる。これで一つ疑問が生じる。王里神会は何故中性子爆弾が偽物だと気付かなかったか。ここで一つの情報が開示される。それはロシアで殺害された作家鬼頭風林が王里神会教祖であり、彼を殺した犯人が鬼頭火山であるということ。その動機は、教祖としての権威を持つために力を欲した鬼頭風林が中性子爆弾を入手したと嘘をつき、鬼頭火山がその権威を横取りしようとしたため。しかし、中性子爆弾は実際は鬼頭風林の作った模倣品であり、模倣品を奪った鬼頭火山はそれが偽物であると知らなかった。勿論この筋書きは嘘であるが、鬼頭火山は事実として機密データを手元に持っており、その内容は中性子爆弾の制御装置の解除プログラムである。傍から見れば、テロの意志を持って制御プログラムを解除したように見える。これによって事件後鬼頭火山は主犯としての濡衣を負う。
しかし、これでは矛盾は残る。男は声を震わせながら幾らかの質問をした。
「しかし、Kである鬼頭風林は今もここで生きて指示をしている。それはいかにして辻褄を合わせるおつもりですか?」
「Kは仮面をしている。つまり、鬼頭風林が殺された時点で鬼頭火山がKを演じていたということにすればよい。つまり今ここにいる私は、作戦上鬼頭火山ということになる」
「しかし、実際は鬼頭火山はあなたを殺していない。それに決定的な罪は犯していない。全ての法的な罪を鬼頭火山に着せることは不可能では?」
「その為に機密データがある。鬼頭火山は機密データを用いて兵器の起動ロックを解除している。それは実際には意味のないことだ。兵器など存在しないからな。しかし、鬼頭は最後まで本物の中性子爆弾が国会に持ち込まれたと思っており、そのつもりでロックを解除したということになる。それは、立派な重犯罪だろう。そして、正体を隠していたのは私だけであり、鬼頭火山が王里神会に居たことは嘘でさえない、事実だ。他のすべてが嘘であっても、本物の証拠と存在の痕跡さえ提示すれば嘘も真になる」
「それでは、鬼頭風林についてはどうなるのです? あなたもまた犯罪人になってしまいますよ」
「鬼頭風林は鬼頭火山に殺されたというシナリオだ。その後、鬼頭風林は再び現れない。実は生きていましたなどということはないのだ。私は別人として、私の傘下にある者を、政府の空いた席に座らせ、日本を支配する。そして王里神会によるテロは鬼頭風林と鬼頭火山が指揮し、途中で鬼頭火山が風林を裏切った為に失敗に終わった事件として歴史に刻まれる。生まれ変わる私が過去の私である鬼頭風林の評価を気にする必要は全くない」
「鬼頭火山が、当日までに死んでしまったらどうするのですか?」
「王里神会のテロは実行される。しかし、鬼頭火山が死んでいればロックは解除されない。あとは同じシナリオだ。変わるのは、鬼頭火山が何者かによって殺害されたということだけで、あとは何も変わらない。解除ロックを持っていれば、それは主犯である証拠だ。神崎であろうと、それを継ぐものであろうと、中性子爆弾で国会議事堂を攻撃しようとした犯人として捕まれば、遠からず死ぬことになる。かつて神崎に敗北した鬼頭風林という名の私も、本当の意味で死ぬことになる。私は、もう仮面など付ける必要はないのだ。鬼頭風林としての私は、別の人間……いや、神として生まれ変わるのだから」
Kはゆっくり窓に手を触れた。すると雨脚は弱まり、数秒で雨は上がった。それはまるで、神の業のようだった。
「……まるで、チェスのようですね。全て、抜かりなく、何もかも王を取る為の作戦だったというわけですか」
「KはKingでありKnightであったのだ。私は自身を利用し、勝利する。それに、私は信者など最初から捨てるつもりでいた。初めから信用などしていない。現代の日本人に本当にテロを起こす勇気などない。私は上の人間を地に落とす為に下の人間を利用するだけだ。政治家だけではない、初めて私の上に立った神崎の意志もまた、私の手によって地に落とされるべきなのだ」
Kは仮面の下で冷たく笑った。
次回以降、更新がどうなるかちょっとわかりません。
が、2週間後更新、あるいは3週間後更新、もしくは代替作を投じるという三択になりそうです。
ご迷惑をおかけして申し訳ありませんが、来年もよろしくお願いいたします。
よいお年を。