二人のハムレット
更新遅れて申し訳ありませんでした。
『ハムレット』はシェイクスピアの悲劇。
ハムレットによる復讐が主軸の劇作です。
時は遡り、八月十三日木曜日、午前九時
王里神会テロまで 残り八日
高木宅 リビング
涼しい風が穏やかに室内を廻る。部屋は隅々まで冷気に包まれていた。
暁はいまだ状況を掴めずにいた。ようやく探し当てた鬼頭火山との繋がりの先にあったのは理解のレベルを超えた内容。
09.7.20.Mon
此処に重要な件について記す。
心して読むべし。
既に機密データは看破した。
機密データの内容は、簡略すると、核兵器の弾頭内のコンピュータの目標番号の変更を可能とする手順についての説明であった。
私はそれを理解し、いつでも目標を変更することが可能な立場に現在いる。
機密データには、他にも、<革命>についての詳しい場所、日時が記されている。<革命>とはテロ行為のことだ。
今年、八月二十一日金曜日、東京「NEW GENERATION PARK」にて、前述の核兵器は投下される。
以下に、私とのインターフェースを提示する。
クリック
暁はこれを、もう五回は読み返していた。暁だけじゃない、亜美も高木もそうだ。唯一思考を巡らせていたのは神屋だった。彼は宮澤睦によりロシア政府から中性子爆弾が盗まれた可能性があるという情報を得ていた為、敵の成そうとするものを覆っていた霧が晴れたような心地だった。核兵器とは、中性子爆弾を指すと考えて間違い無い、神屋は確信する。
その様子を冷めた目で捉えていたのはトニーである。神話の世界を描いた絵画に出てくる神職者のような顔つきでただ口角を上げている。彼の笑みは人間のそれではないようであった。
「神屋、核ってあの核だよな? 広島や長崎に投下された、あの核……」
暁は言葉に窮しながら神屋に尋ねた。
「……君たちに話すことがある。僕はここに戻る前、定期連絡ではなく宮澤睦に会っていた」
「宮澤……って鬼頭火山の師匠の宮澤か?」
「そうだ。彼は僕に伝言を頼んだ。鬼頭火山に、兄弟弟子の鬼頭風林が殺害されたことを伝えてくれと」
神屋は静かに語った。閉めきられた部屋に声が響く。
鬼頭風林というワードに高木は反応した。
「鬼頭風林っていうと、ジャーナリストで、作家の、鬼頭風林か。確か十年ほど前から一切メディアには姿を見せなくなった都市伝説のような作家だろ。国際テロリズムの取材中に行方不明になっていると聞いたが」
高木はニュースでその情報を得ていた。しかし、殺害されたとはニュースでは報じられていない。
「鬼頭風林が何者かに殺されたことは、今のところ、宮澤さんとその友人しか知らない。宮澤さんの友人は鬼頭風林の友人でもあった。そういった経緯で、鬼頭風林の死は師である宮澤さんに伝えられた」
神屋が語る中、押し黙っていた亜美が言葉を遮った。
「鬼頭風林は誰に殺されたの? 彼は鬼頭火山との関係性が噂されていた。鬼頭火山と兄弟弟子だなんて初めて聞いたけど、名前からして絶対関係してるって思ってた。つまり、あたしたちが関わってるこの事件に、鬼頭風林も関わっていて、それで殺されたの?」
「そこは定かではないんだ。ただし、鬼頭風林は取材の中である情報を得た。それはロシアから中性子爆弾と言われる核兵器が盗まれたこと。そして、その一件に日本の新興宗教が関わっていること」
「……じゃ、じゃあ、なんでロシアは何にもしないの? 核兵器が盗まれたって、大事件じゃない!」
「ロシアは中性子爆弾を退役させたはずなんだ。つまり盗まれたことが露見するのはまずい。だから、鬼頭風林が誰に殺されたか判らないし、逆に、ロシア政府も王里神会も彼を殺害する動機があったことになる。重要なのはその先だ。鬼頭風林はその情報を友人を介して、宮澤さんに届けた。僕は昨日その情報を伝えられたんだ。だから、ウェブページに記載されている核兵器というのは、中性子爆弾の可能性がある……。中性子爆弾は建築物を破壊することは考えられていない。人を殺すことに特化した殺人兵器だ」
神屋はそう言って暁の方を見た。ようやく話が戻ったが、暁は険しい表情で唸った。
「宮澤睦を信用するならば、そういうことなんだろうな……。まあ、信用しなくてもどうにかなる話じゃないかもしれないが」
暁は神屋の話にどこか不自然さを覚えていた。しかし、それが一体何なのか解らない。ただ、都市伝説を聞いているような不透明な何かを感じていた。
しかし、暁は無理に自分を納得させ、再び口を開いた。
「……ともかく、鬼頭火山に直接話を聞こうじゃないか」
暁の一言で、部屋に緊張感が走った。メッセージの末尾に記載された「クリック」の文字にはリンクが貼られている。それをクリックすれば何らかのインターフェースが姿を現すはずなのだ。
「オーケー、それが一番早いな。どちらにせよ僕らに出来ることはもうない。後はアンチマターの指示を受けるだけだ」
神屋はそう言って再度ノートパソコンに向き直った。「クリック」の文字にマウスカーソルを合わせる。
「いくよ」
神屋は自らの道を確かめるようにして、左クリックした。
一秒足らずで画面は次のページに切り替わった。そこには十一桁の数列、携帯電話の電話番号が表記され、他の部分は完全な余白だった。
「電話番号だ。高木さん、相手の声をスピーカーで外に出せるような固定電話か携帯ありますか? 僕の携帯だと万が一ってこともあるんで、安全な高木さんのを使わせてもらいたいんですけれど」
「分かった、待ってろ」
高木はそう言うと、壁際の机の引き出しから携帯電話に接続できるスピーカーを取り出した。どうやら予め用意してあったらしい。高木はポケットから携帯を取り出し、スピーカーをイヤホン端子に接続した。神屋はそれを受け取ると、机の上にゆっくり置いた。
「流石、準備がいいですね」
「まあな、それからこれを使え」
高木はチェス盤の置かれた高足のテーブルに置かれたペン立てからペンを一本抜き取ると、神屋に向かって投げ渡した。神屋は綺麗にそれをキャッチする。
「これは?」
「ペン型のボイスレコーダーだ。一応会話を録音しておくといい。スイッチはクリップ部分にある」
「なるほど」
神屋はクリップ部分の小さなスイッチでボイスレコーダーを起動し、高木の携帯の横へ置いた。
神屋は電話番号を慎重にプッシュした。場に緊張が走る。呼び出し音が二度三度と続き、ようやくスピーカーから声が発せられた。
『ようやくたどり着いたか』
無機質な声だった。電話の向こうの相手はボイスチェンジャーを使っている。
「こんにちは、失礼ですが、あなたは……?」
神屋が代表して会話することが暗黙の内に決まったようで、他の人間は一切言葉を発しなかった。
『鬼頭火山だ』
機械音はその名を告げた。その瞬間、誰もが顔色を変えた。
「神屋聖孝です。あなたの作ったインターフェースを通じ、電話をかけました」
『よろしい。盗聴の可能性は?』
「ありません」
『関係者は全て揃っているのか?』
「神屋聖孝、篠原亜美、外崎暁のことでしたら、この部屋にいます。そして、他に二人の仲間が一緒です」
『信用できる仲間か?』
「はい、信用できます」
『了解した。では新しい回線を用意する。次回の交信はその回線を使え』
鬼頭火山を名乗る人物はそう言うと、新たな電話番号を続けた。高木がその番号を手帳に書き込んでいるのを横目に、神屋は口早に質疑を始めた。
「では、早速、今の状況と我々への指針を聞かせてください」
『そのためには条件が二つある』
「条件?」
『一つは、作戦の参加を約束することだ』
「作戦……? 機密データを看破したことで、テロは未然に防げるのではないのですか?」
『事情が大きく変わっているのだ。新たな作戦において、君たちが参加することの約束を条件とさせてもらう』
事情が変わったとは、すなわちどういう意味なのか。その時、暁は妙に嫌な予感がした。機密データだけで戦況が逆転するはずだったとはいえ、それもう一月以上前の話だ。時の経過と共に、敵も当然手を打つ可能性がある。
「少々の時間を」
神屋は携帯電話のマイク部分を手で押さえ、全員の顔を見渡した。
「どうしますか、高木さん」
高木は神屋の言葉に被せるように即答した。
「俺は参加する。トニーもそうだろ?」
トニーはニヤリと不気味な笑みを見せた。
「参加シマショウ」
問題は暁と亜美だった。二人はここで作戦に参加しなければ、解放されるかもしれない。勿論、安全な場所に避難し、事件の解決まで静かにしている必要はあるが。
「暁と篠原さんは……」
神屋が思案しながら、声を掛ける。暁も亜美も意志は決まっていた。
「俺は参加する。足手まといになるかもしれないが、それでも俺は、協力する」
「あたしも。ここで降りる訳にはいかない。最後まで見届けて、シズに真実を話したい」
神屋は彼らの言葉を聞き、仮に自分が不参加を勧めても、簡単に断られてしまうだろうと感じた。暁も亜美も、もはや関係者なのだ。
彼は電話に向かい直し、解答を呈した。
「全員、参加することを約束します」
『承った。では第二の条件だ。作戦当日、私と君達は別行動をする。そこで、作戦当日までにシノハラアミを私と合流させること、それを条件とする』
「篠原亜美……」
その条件に驚いたのは神屋だけではなかった。暁も高木も驚き、そして不思議に感じた。そして何より、亜美が最も驚いていた。
「なんで……あたし……?」
亜美はつい声を漏らしてしまった。鬼頭火山の真意が解らない。
『理由は幾つかある、神崎冬也はシノハラアミを大いに利用した。それを詫びなければならない。その上、命を落としでもしたら、その犠牲は大きい。そして、君達を信用するためだ。我々は互いに何も信ずるところのない状況で協力をせねばならない。その為に、彼女が本人であることの証明と、同時に彼女を通じて信頼を獲得する目的がある』
「……それは人質ということですか? 僕達が味方でない時の為に篠原亜美を管理下に置く、と。そういうことですか?」
『逆だよ、神屋君。そういった意図が無いことの証明だ。君達が私たちを信用しないならば、この条件に従う必要はない。しかし、この条件が呑めないならば、それは逆に、私たちが君達を信用しない理由になるということだ。聡明な君ならば意味は解るだろう』
「……仰ることは解りました。数分の時間を頂きたい。再度、返答します」
神屋は再び携帯電話のマイクを遮った。
「……ということだ。どうする? これは危険かもしれない。アンチマターは信用すべきだが、アンチマターがこの勝負に必死であるのも確かだ。それに、アンチマターは僕らよりも情報を持っている。もしかしたら、あまり戦局が良くないのかもしれない。つまり、何をされるか、判らない。それに、鬼頭火山は王里神会から命を狙われている可能性が高い。そこに篠原さんが一緒にいるとなれば当然リスクが生じる」
暁は胸騒ぎを感じた。亜美が近くから居なくなるかもしれない。そして、万が一、アンチマターが味方じゃなかったり、暗殺者と出くわしたりしたら二度と会うことが出来ないかもしれない。それなのに自分は今、亜美と目を合わせることもできない。
暁は言いようもない不安と焦燥感に駆られていた。
「判らないことだらけじゃないか。神屋、そんな条件はどうでもいい。鬼頭火山は俺達を馬鹿にしてる。信じようなんて思ってない。大体、命を落としでもしたら、って逆に言えば俺達が危険で、鬼頭火山は安全って言い方じゃないか。俺達は、あんな奴の為に苦労してここまで来たのか? 違うだろ。なあ、神屋……」
神屋は暁の眼を見た。酷く不確かな目だった。
暁には馬鹿馬鹿しかったのだ。亜美を危険な場所に送って何か状況が変わるのだろうか。神屋の言うとおり人質に他ならないではないか。暁の目はそう語っていた。無論、誰もがそんなことにはもう気が付いている。
「……ああ」
神屋は返答に窮した。気持ちの上では暁の言うことに賛成だった。神屋自身、対等な立場で情報を分かちたいと考えていたが、妙な条件を突きつけられ、今の状況が不快だった。
しかし、ここで鬼頭火山の条件を表立って拒否してしまっては行き詰ってしまうことも確かなのだ。結論は簡単には出せない。
「大丈夫」
そんな中で静かな室内に小さく声がした。声の主は亜美である。小さく、しかし強い声で、亜美は言った。
「あたし、行くよ。だって、それくらいしかあたしには出来ないでしょ。それに、ここで条件を呑まなければ、あたしたちがここ数日間でやってきたことが全部台無しじゃない。鬼頭火山だって二月も前から動き出して、あたし達と繋がりを保った。それには意味があるはず。意味を、持たせなければいけない。あたしは、大丈夫、だから話を先に進めよ?」
暁は、亜美の目を見ていた。その瞳に陰りはない。しかし、自分はどうだろう。調子にのって協力するなどと言って、すぐに自分の言ったことをひっくり返して、まるで覚悟ができていない。
亜美の目は決意の目だった。その決意に、任せるしか無い。暁は、自分の不甲斐なさに思い悩んでいた。
神屋は二人の様子を見て、何かを思い付いたような表情で、携帯電話の置かれたテーブルに向き直った。
「僕に考えがある。篠原さん、ここは君の覚悟に応じる。ただし、君一人では危険だし僕達に不利だ、僅かでも戦略的な手を使おうと思う」
そう言うと、彼はマイク部分を抑えていた手の平をそっと引く。
「鬼頭火山、僕からも一つ条件を呈示させていただきたい」
神屋は機械的に言った。暁は神屋の様子が変化したことに気が付いた。守りから攻めの体制に変わったのだ。
『聞こう』
鬼頭は会話が寸断されていたとは思えないような自然な返答をした。
「先ほどの条件は了承します。ただし、篠原亜美の他にこちらが自由に選択した誰かを同伴させることを条件とさせてください。その許可が下りれば、協力しましょう」
神屋は亜美の方に向いてアイコンタクトを取った。亜美への最終確認である。
亜美は、それに軽く頷いた。
『神屋君、その条件を呑もう。そこで私から提案したい。君達の中で二つの班を作ってもらう。一つは敵と直接相対する可能性がある実行班、もう一つは作戦当日に私と合流する待機班だ。それぞれに何人所属していても大きな問題ではないが、実行班には能力の高いものをなるべく多く、待機班には実行班に向かない者、そして待機班には必ずシノハラアミを加えること。先ほどの私の条件の内容を以上のものに変更する』
「解りました、同意します。では、実行班と待機班の班員の編成を行う時間をもらえますか」
『よろしい。全て決定した後、先程伝えた回線を用い連絡することとしよう』
鬼頭火山はその言葉を最後に通話を切断した。神屋は溜息を一つ吐き、椅子の背もたれに見を預けた。
室内にまた静けさが戻ってくる。ディスプレイには十一桁の数列。おそらく、もうこの電話番号は使えなくなるようになっているのだろう。
「ごめん、篠原さん。結局君をアンチマターに送ることになってしまった」
神屋は申し訳なさそうに言った。
「いいよ。あたしが頼んだんだし。それより、実行班と待機班はどういう振り分けにするの?」
「ありがとう。……まだ、そこまでは決めてない。しかし君を一人で向かわせるよりは、実行犯の人数が減る方が幾分マシだろう」
神屋はノートパソコンを閉じると、完全に体を向き直した。
「僕は実行班に加わる。唯一の戦力のトニーさんも実行班だ。そこまでは確定でいいだろう。問題は、待機班の同伴者を高木さんにするか暁にするか……だ」
神屋はチェアの上で長い脚を組んだ。当人の意思に任せるつもりのようだった。
暁は高木の顔を覗き込んだ。高木は珍しく複雑な面持ちで立っている。暁には高木が別のことを考えているように見えた。
悩み、そしてついに、暁は決断した。
「俺が亜美に付いて行く」
亜美は意外そうな目を暁に向けた。この時の暁の瞳には少しも曇りはなかった。
神屋は一瞬思案してから、独り言のように呟く。
「……確かに、実行班で行動するよりも、待機班で篠原さんを守る方が向いているかもしれない。しかし問題は、王里神会について精通していない二人が纏まるという点か……」
神屋が決断を渋っていると、不意に高木が口を開いた。
「それは……駄目だ」
高木はあまりに真剣な眼差しで神屋を制した。
「暁が待機班に入ることが……ですよね? 何故ですか?」
神屋にはその理由は思い当たらなかった。確かに問題はあるが、駄目であると完全に言い切れるほどの決定的要因が見当たらない。神屋だけでなく他の人間もまた同様の疑問を感じていた。
「すまん。理由は言えん。しかし、暁を実行班に置いて欲しい。そして、暁もそれに同意して欲しい。頼む」
高木は言い終えぬうちに頭を下げていた。
「た、高木さん。一体何ですか? 俺が実行班に必要な訳って……」
暁は混乱していた。快活な高木がこの時ばかりは真剣に頭を下げている。何が彼をそうさせるのか、皆目検討がつかないのだ。
「高木サン、デハ、アナタガ篠原サンニ同伴スルトイウコトデスカ? 王里神会ノマークカラ完全ニ外レテイルノハアナタダケ。本来アナタモワタシ同様、実行班ニ不可欠ナ存在ナノデハナイノデスカ?」
気配を殺しているかのような静かな立ち姿で、トニーは突然口を開く。神屋は再び思案した。
「確かに、高木さんは機動力という点において、僕らよりも有利だ。これは実行班に向いているということになる。しかし、高木さんの要望を満たすならば、高木さんが篠原さんの同伴をするということになるが……」
「神屋君、やっぱりあたし、一人で大丈夫だよ。元々、そういう条件だったんだし、仮に人質になるとしても人数が少ない方がリスクは低いんじゃない?」
亜美は眉間に皺を寄せる神屋の表情を見て、説得を試みた。どちらにせよ覚悟はもうできていたからだ。
「それは出来ない。それはあまりに無用心だ。やはり、誰か代役が必要か……」
「代役って言っても、高木さんも暁もトニーさんも神屋君も、実行班に必要なんでしょ?」
亜美からは恐怖心を感じられなかった。本当に一人でも大丈夫だと言っているようだった。しかし不安がないはずはない。神屋は心中では暁が適任と考えていたし、始めからそのつもりで条件を出したのだ。しかし、ここに来て高木が暁を引き止めた。これは神屋にも真意が全く解らない。
「……高木さん、暁が必要な理由は、どうしても言えませんか?」
「ああ。……すまない。これは、重要なことだ。だが、言うわけにもいかない」
「……解りました。聡明な高木さんの言うことだ。ここは暁を実行班、そして、高木さんも実行班に配属しましょう。したがって、ここで味方を増やします」
神屋は何でもないようにさらりと場の皆の想像もしなかったことを言った。
「味方……? 増やす……?」
暁は目を丸くして、オウム返しに応えた。
脳が機能するのにしばしの時間がかかった。暁には神屋の言う「味方」が一人しか思い浮かばなかった。しかし、それはリスクを重ねるということでもある。
「味方って、誰を……だ? まさか」
「ああ。鬼頭火山をよく知る人物、宮澤睦。彼を篠原さんに同伴させる」
神屋はそう言い放った。高木がそれに反応する。
「しかし、俺の意見でこうなっちまったんだからどうこう言える立場じゃないが、宮澤睦が味方なら頼もしいが、もしも敵だったらリスクは跳ね上がるんじゃないか? みすみす敵を自陣へ誘いこむことになる」
「僕は既に彼と接触してる。彼が敵なら既に何らかの影響が出ているでしょう。この状況を見越して泳がせているなんてことも考えにくい。彼は鬼頭火山に会いたがっていた。必ず協力するでしょう」
「なるほど……確かに、適任とも言えなくはない……か」
高木は慎重に考えた。宮澤睦……あるいは彼なら、万が一鬼頭火山が何か決定的な誤りをしたとしてもそれを制することが出来るかもしれない。
高木が納得しかけたところで、今度は暁が疑問を口にした。
「神屋、お前が宮澤睦を信じるなら、俺もそれに応じるつもりだ。しかし連絡は出来るのか? それに、鬼頭火山は俺達にフロムヘヴンを通じて宮澤睦との接触を持ちかけなかった。俺には鬼頭火山が万が一宮澤が敵だったらと考えて連絡を絶ったように思える。そんな相手が待機班として自分と合流することを許すのか?」
「連絡は取れる。昨日、緊急時の為の連絡先を受け取った。問題は鬼頭火山がこれを許可しないだろうということだ。だから、暁、君が待機班に入ればいい」
「……は? 待て、それはどういう……?」
「向こうは僕らを明らかに軽視した態度なんだ。一矢報いてやればいい。鬼頭火山には暁が同伴すると伝え、実際には宮澤さんが同伴する。これで、問題は解決する」
神屋はそう言って微笑した。
「鬼頭火山相手に、ハッタリをかますのか!?」
「少なくとも、今の鬼頭火山は神崎さんほど手強くないよ」
「あの鬼頭火山は、神崎冬也じゃないっていうのか?」
「いや、判らない。ただ、以前ほどの力は無いように感じただけだ。彼は一度自分を殺したんだ。人が変わったとて不思議なことではないさ。……さて、みんな、これを最終決定としていいかい」
神屋の確認に最初に応えたのは亜美だった。
「おっけー……宮澤さんかぁ。ちょっと緊張するけど、きっと上手くやる」
次いで高木、暁も同意した。
「上手いやり方だ、宮澤睦をぶつければ鬼頭火山が何かを隠していても何かしらモーションを見せるかもしれない。何も分からない状況で鬼頭火山まで騙すとは、まるでハムレットだな」
「宮澤睦……信じるしかない。誰も犠牲にならないためにも……神屋、上手く協力してもらえよ……亜美の安全もかかってるし」
神屋は深く頷いた。「さて」と小さく呟き高木の携帯を手に取る。
「高木さん、次の回線の番号を見せてください」
高木は手帳の一ページを綺麗に破り取ると、神屋に渡した。
神屋は番号を慎重にプッシュして、携帯電話を静かにテーブルに置く。静寂の中、発信音だけが響く。
『こちら、鬼頭』
先ほどと同じ機械の声がスピーカーから響く。
「神屋です」
『話し合いは済んだか?』
「ええ。報告します。篠原亜美の同伴者は外崎暁に決めました」
『そうか、暗号解読の協力者だった者だな。了承した』
特に意見することもなく、鬼頭は神屋の報告を受けた。最初から同伴者が誰であろうと関係なかったのか、あるいは神屋のような思慮深い人間が同伴者であったら何か言うつもりだったのか、誰にも判らなかった。
「我々を実行班と待機班に分けて、どうするつもりなのですか?」
『まだ正確なところは分からないのだよ。この組分けに意味があるか否かも……な。ただ、我々はKの裏をかかなければ勝てない。私はそう思っている』
「裏……ですか」
神屋は鬼頭の言う「裏」という言葉がどこまでの未来を内包しているのか考えた。神崎冬也もKも神がかった強運と未来を書き換えるかのような影響力を持っている。
……果たして、自分はそれにどこまで追いつけるのか――
『“世の中の関節は外れてしまった。 ああ、なんと呪われた因果か、 それを直すために生れついたとは” 私は一人の人間の狂気、一人の人間の不条理な力を消すことに、自らの力のすべてを使わねばならないのだ』
ハムレットの一節だった。父を謀殺され、ハムレットは復讐を決意する。関節の外れた世界、不条理の起きる狂った世界でハムレットは唯一人、正常な理の成すべき裁きを実行しようとする。
鬼頭火山は、Kの狂気を不条理だと、そう言ったのだ。そして、自分がそれを正すための人間であると。
神屋は笑った。それは鬼頭火山に限った話ではない。むしろ神屋の方がハムレットに近い境遇を持っていた。
「鬼頭火山、その台詞は僕の方が似合いますよ」
神屋はただ、冷笑した。
『そうかもしれんな』
鬼頭火山は、無機質な言葉で返答した。神屋の言っていることが、鬼頭には解っていた。
そして、神屋の一言はある人物に確信を抱かせた。
高木海。彼はその言葉で、神屋の復讐心を完全に捉えた。そして自分の判断に誤りがなかったことを理解した。やはり、神屋は復讐をしようとしている。それは、王里神会の壊滅に留まらないだろう。おそらく、Kの殺害、その為に最初に実行班に名乗り出たに違いない。
高木はここ数日で神屋への疑念を募らせていた。神屋を救う為に何が出来るか、ずっと考えていた。しかし、彼を止めるには彼を裏の世界から連れださなければいけない。神屋は既に、普通の若者が生きる世界とは別の世界に生きている。神屋を止めるのには、自分は適任ではない。神屋聖孝の目を醒まさせるには、表の世界に住む人間が差し伸べる手が必要なのだ。
高木は、その為に外崎暁を実行班に加えた。神屋の傍らで、彼が堕ちる前に手を差し伸べられる人間は外崎暁しかいない。二人の信頼と友情に頼る他ない。高木はそう考えていた。
『いずれにせよ、今日は休むといい。こちらも調整がしたい。明日以降本格的に話し合う機会を設けよう。回線は今のものを使えばいい』
「了解しました。では、明日の午前中にでも会議を再開しましょう」
『そうしよう、ではまた……』
鬼頭はそう言って通話を終えようとした。
しかし不意に暁が口を開いた。
「待ってください」
『……』
「外崎暁です。……一つ質問をさせてください」
『なんだね?』
暁は短い沈黙の後、気になっていたことを訊いた。
「あなたは、神崎さんですか?」
暁の表情は険しかった。
「……私は鬼頭火山だ。それ以外の誰でもない」
機械の声は悲しげに言った。