急展開
-1-
海岸に打ち寄せる波。
暗黒の世界に吹きすさぶ潮風。
一隻の貿易船は、大量の貨物を背負い込み、出航した。
夜中に船を沖合まで出すのは危険だ。
それでも大型の船は、孤独に、漆黒の海へと旅立った。
船内に収められた、沢山の荷物。
そのうちのひとつから、人為的な動きが見られた。
船のスピードは速かった。しかし、波は、結構強い。
そのせいで、巨大な偽装容器から這い出た二人の男は転倒した。
船内はあまりに薄暗かった。
船は、進む。
ゆらりゆらり、異国の地へ向けて。
-2-
カレンダーを見たが、今日が何日か判らなかった。
寝っころがりながら、携帯を手探りで探す。ない。少なくとも、手に取れる範囲には、存在しない。
……別にいい。
気怠いこの夏の昼、起き上がってまで今日の日付けを知りたくはない。
既に、高山竜司の中では、別のことが考えられていた。
篠原亜美。
同じ高校の違うクラスの女子だ。竜司は瞼の裏、亜美の全身を、記憶の限り思い描いた。
背は、自分より低い。
痩せている印象が少しある体。胸は、Cカップくらいだろうか。意外に大きい。
制服のスカートからスラリと伸びた、少し色白な太もも。
黒目がちな、大きな瞳。セミロングの黒髪――
「……?」
いつも、竜司には不思議に思うことがある。
「どうしてだ……」
理屈は判らないが、好きになった女の顔は、何故か浮かんでこないのだ。
――恋は人を盲目にさせる。
この言葉はあながち間違っていない。何故なら、どうでもよくなった途端、その顔を容易に思い描けるようになるからだ。
竜司は数回、恋をしたことがある。
勿論、一度も成熟したためしはないが、しかし、確かにそのときも目は見えなくなっていた。意中の相手の顔面だけが、何故か、どうしてなのか判らないが、映像として頭に浮かんでこない。
だが竜司はにんまりと笑みを作った。
「証拠じゃあないか……亜美ちゃんのことが、好きだという……」
竜司は喉の渇きを覚え、ベッドから立ち上がった。
飲み物を求め階下のリビングに赴き、ウーロン茶を飲んだ――そのはずであり、それは事実であるが何故か竜司には疑問に思えた。
いつの間にか、また自室に戻り、ベッドに倒れている……
喉は潤いを与えられ、その点に関しては満足だ。
しかし、満足できない点は幾つもまだ、己の中からその存在を目ざとく誇張している。亜美。篠原亜美は――これは、恋か。
それにしたって、記憶が曖昧過ぎる。
自分はいつから、亜美を好きになったのだ?
判らないのか……
暑い。
今年の夏は、一際、暑く感じられた。
竜司は意味もなく唸った。意味はないが、意義もない。
暑いからいけないのだ。
クーラーをつけてみた。
また数時間が経過した。
随分と部屋は涼しくなり、竜司は満足した。
このまま寝ていたい気分だが、竜司はそういう男ではなかった。案外、思慮深く、そして律儀な人間である。自分に厳しい者なのだ。気持ちに踏ん切りをつけ、机に向かった。勉強をせねばならぬ。
――この男は、一言で表すなら、孤独なのだ。
だが一様に孤独ではなく、孤高な人格を有した稀な人間である。
竜司はそれを自覚していない。
二時間ほど数学を考えると、またベッドに突っ伏した。勉強が自身を救うことを竜司は把握している。単に受験のためではなく自己の確立のためにも勉学を怠らない。若い世代では立派な部類に属するといっても過言ではなかろう。
竜司はクーラーに感謝した。なかったら勉強などとてもじゃないができなかった。然るに、クーラーのある環境にも感謝した。自分がこのような社会環境に生まれ落ちたことに感謝した。竜司はある意味、かなり大人びている。その辺の大人よりよほど立派だ。毎日、食事にありつけ、静かに眠り静かに目を覚ませる。新しい服を買うことができる。十分に、幸せではないか。少なくとも彼はそう考えている。ニュースで見るような事件の被害者に自分が該当しないことも、その日自分は平和に暮らせたと、運がいいと思えるのであった。だから竜司は幸せなのだ。
――それでも、彼の心のどこかに釈然としないものがある。
それが何なのかはよく判らない。
だが亜美が関係していることだけは明らかだった。
彼女のことを思い出すと、連鎖的に小説のことを思い出した。人間をテーマにした作品である。原稿はどこへやっただろう。探すとすぐに見つかった。何となく読んでみた。
……つまらねえ。
読み終えた感想がそれだった。
第一、文を書くのは性じゃない。
竜司は早くも小説に嫌気を差していた。亜美の気に留めてもらおうと始めたわけであるが、何だか突然ふとどうでもいいように思えた。
なぁにが恋愛だ、くだらねえ。
竜司は原稿用紙をほっぽり出すと、再度眠りに就こうとした。時間が気になった。寝たままの姿勢から見える窓の外の景色は、済んだ水色をしていた。今、何時だ? そういえばこの部屋に置いてある時計は電池が切れ止まったままだ。だから携帯を見なければ時刻は判らなかった。先ほど起き上がった際に、勉強机の上に置かれた携帯をポケットに入れたままだ。取り出して開いた。
八月十九日 水曜日 午後五時二分
「もう夏休み終わるじゃねえか」
竜司は露骨に嫌そうな声を出した。
暁たちが暗号を解いたのが13日、現在は既に19日、まさに急展開、この先どうなるのか、僕等もまだ解っていません。