ディスカバード・チェック
サブタイトル「ディスカバード・チェック」の説明
以下参照
・ディスカバード・アタック:駒を動かして背後にある駒(クイーン、ルーク、ビショップ)で駒取りをかける手筋である。特に、背後の駒でチェックをかける場合は、ディスカバードチェックという。さらに、動かした駒でもチェックがかかる場合はダブルチェックとなる。ディスカバードアタックの主目的は駒得あるいは手番を得ることである。
-1-
小さな鐘の渇いた音を背後に聞きながら、神屋は喫茶店の中に入った。
神屋は「喫茶・パンドラ」に訪れていた。ある人物からメールで招かれたのだ。この喫茶店の営業時間は二十三時まで。どうやら長い話にはならないようだ。それとも営業時間に関係なく話せるよう、客足が減るこの時間帯を狙って店を借りたのだろうか。
レジカウンターの裏からウェイターが顔を出し、名簿のようなものを見て、「いらっしゃいませ」と丁寧に一礼した。
メールには名を名乗れば案内されると書いてあったので、神屋はウェイターに自分の名を告げた。
「神屋です」
「お待ちしておりました。店内奥、壁の向こうの最深席が予約なされた席になります」
「はい」
短く返答し、店の奥へ進む。客は二組しかおらず、店内は静かだった。自分の足音が目立つ。
奥に進むと二人用のテーブルとチェアがいくつか並んでいた。そしてその一番奧に、彼は座っていた。
「初めまして、宮澤さん」
「来たか。まあ座れ」
神屋を招いた男――宮澤睦は不敵に微笑した。
「お前が神屋聖孝か、概ね鬼頭から聞いた通りだな。自己紹介がてらチェスでもしようか」
「構いませんが、その前に一つ」
「何だ」
「鬼頭火山の居場所を、知っていますか?」
「……俺が聞きたいくらいだよ」
宮澤の低い声と鋭い眼光が神屋の精神を緊張させる。神屋は椅子を軽く引き身構えた。
宮澤は木製のチェスセットをテーブルに広げ、同じく木製の駒を定位置に置き並べた。
「では始めよう」
「お願いします」
先制、白の宮澤はポーンをd4と進めた。それに対し神屋は同ファイル(縦列)のポーンをd5に進め、宮澤は間を開けずにさらにポーンをc4に進める。これは典型的なパターンであり、クイーンズ・ギャンビットと呼ばれる。ルイ・ロペス型の定跡を基盤とした戦い方を好む神屋だったがどちらも極めて基礎的な定跡、クイーンズギャンビットのオープニングもまた何百回と戦ってきた。その程度では当然自信は揺らがない。
そこから、数手で両者悪手なくキャスリング(キングとルークを1回で入れ替えるというルール。これを用い序盤でキング周辺の守りを固めるのが良いとされる)を成功させ、場に駒を展開、戦いの準備を整えた。
チェスでは一般的に駒に点数が振られる(ポーンが一点、ナイトが三点、ビショップが3点強、ルークが5点、クイーンが九点)。この合計点数が相手よりも高いことを、「マテリアルアドバンテージを持つ」といい、マテリアルアドバンテージを持つことは勝率に大きく影響する。ポーンは一見、点数の低い弱い駒であるように思えるが、実際はポーンの一点を損失することは重大な失敗となり得る。チェスではポーンが敵サイドの最深部に達するとプロモーション(将棋で言う成りであり、キング以外の駒に自由に変化する)でき、プロモーションの争いの結果によっては相手の駒の合計点数が跳ね上がるからである。
それを踏まえたうえで犠牲にしていいポーンと犠牲にできないポーンを見定める。ミドルゲームに突入すると、神屋は一気にポーンで敵エリアを進撃した。同時に宮澤も自分の駒を取ったポーンを攻め返していく。
そして次第にナイトやビショップによる戦いに進展し、神屋はナイトで宮環の持つメジャーピース(ルークやクイーンのように価値があって、縦横に動ける駒)にフォーク(一つの駒で二つ以上の駒を狙うこと)をかけるも、宮澤はそのクイーンを活用し敵陣地に切り込み、逆に神屋のキングを守る壁となっているピースにフォークをかける。神屋は一瞬動きを止めビショップで宮澤の猛攻を足止めした。
ミドルゲームが落ち着きを見せると、戦況が解ってくる。現在、場の中央を比較的動きやすい駒で支配しているのは白の宮澤、その進行を抑えるように中央にビショップで楔を打った状態にあるのが神屋だった。
チェスでは、先手と後手で勝率が違い、先手の白が高い勝率を持つことになる。高レートのプレイヤーによる対局では、ほとんど白が勝ち黒はドローに持ち込むことができれば御の字と言われることが多い。
経験的に神屋は悟っていた。宮澤は強い。この状況で勝つのは非常に難しく、まず不可能といっても良い程に分が悪かった。
「宮澤さん……この勝負は……」
「待て、神屋。俺はリザイン(チェスで投了すること)は好まん。特に、まだ勝ち目のある対局に自ら幕を下ろすのは……な」
「しかし……」
「神屋、お前には鬼頭の元に辿り着いてもらう。俺にはそれは許されていない。お前に託すほかないのだ。最後まで、戦ってもらおう」
「…………」
神屋はチェスにおいて初めてたった一手のために悩んだ。今までの経験が、打つ手なしと訴えているのにも関わらず、奇跡の一手を模索した。答が出るかもわからない、意味もないかもしれない思考をひたすら続けた。
「……」
投了できないのならば応急措置的な意味合いの強い手を指さざるを得ない。それは経験者ならば誰しもが選ぶ選択肢であり、独自性はない。
宮澤は悪手を打つわけでもなく変わらぬペースで攻め立てた。それに対し、神屋は宮澤のクイーンを払い、時間を稼いだ。
そして、ここで最終的に勝敗を左右することになる一手が神屋によって指されることとなる。
「……!! 何のつもりだ、神屋? そいつは言うまでもなく悪手だが……?」
それは本来ならまずありえない手だった。宮澤のポーンが神屋のナイトを狙っていて、そのナイトを逃がすのが本来の手であったが、神屋はナイトを逃がさず、次で確実に取れる位置に楔となっていたはずのビショップを移動した。これは無駄に駒を取らせる行為にしか見えず、自棄になったようにすら見える手だった。
「……宮澤さん、定跡どおりに指しましたよね。あれは悪手ではないです。しかし、このサクリファイス(自分の駒を犠牲にして、より良い状況を作ること)は僕の好手です」
「……ほう。なるほど、これは見たことのない手だ。一見、無駄な一手だが先を読めば好手。今からナイトを攻撃しても五手以内にメイト、数の暴力ってやつか……。となれば……ルックで手を封じるのが最善手」
宮澤はビショップをルークで取り戦況を整えた。しかし、神屋はまだ手を残していた。
神屋はただでさえ価値の高いビショップを犠牲にした直後にもう一つナイトをサクリファイスに利用した。
「な……! 正気か……?」
「正気ですよ、宮澤さん。むしろ、ここまでの好手はない。さきほどのナイトのサクリファイスと同価値の好手です。僕がざっと図っただけでも八つ程攻め方……いや逃げ方は存在しますが、十手以内にはすべてチェックメイトにできると思います」
実は神屋は宮澤に投了を拒否されたときには、この手を思い付いてはいなかった。むしろ、勝つこと自体が不可能なことであると決めかかっていた。しかし、その後数分の間悩むことで、たった一つ勝てるかもしれない一手を思い付いたのだ。宮澤が定跡を忠実に再現した戦い方をすることは判り始めていた上に、クイーンズ・ギャンビットでオープニングを作ってきたところからも、手堅く攻めるタイプであることは判っていた。そこで、神屋は一つ賭けに出た。勝てる唯一の方法は、宮澤が最善手とされる模範の手を指すことだった。型にはまっているが故にイレギュラーな手に対応できなくなるのだ。神屋は、詰みまでのパターンを脳内で再生し、それしか手がないと確信していた。
「妙だ……いつの間に俺はミスをした? お前の駒はルックとクイーン、俺の駒はルック二つにビショップ二つにクイーン……だが気づいたころにはピン(相手の駒を動けなくするテクニック)がなされていた」
「十五手目、ポーンのf3への移動が悪手です。いや、正確には定跡通りの正しい一手でしたが、一八手目の僕のビショップのサクリファイスが結果として一五手目を悪手に変えたことになります。それからビショップがe2に戻った手も悪手です。これは結果論的ですけれど……」
「フッ、俺の負けだ。見事な対局だった。しかし、まさか改新譜を使うとはな」
「いえ、宮澤さんがリザインを拒否なされなければ僕はこんなリスキーな手は出せなかったので、純粋に僕が勝ったとは言えないでしょう」
「いや、勝ちは勝ちだ。お前の資質は解った。今からお前に重要な話をする。よく聞くがいい」
「重要な話……ですか」
神屋は宮澤の目の色が変わるのを感じ取った。
-2-
チェスセットをしまい終えると、宮澤はウェイターを呼びオーダーをした。
「コーヒーを」
「ブラジル、モカ、スマトラ、ジャマイカとありますが、どれがお好みでしょうか」
「スマトラ、ブラック」
「かしこまりました」
神屋は珍しい分類の仕方だと感じた。喫茶店でこのような分類することは少ない。かえって分かりづらいともいえるだろう。しかし宮澤は即座に返答したことから、おそらくこの喫茶店の常連ではないかと予想できる。
「神屋様はご注文はいたしますか?」
「ん、えーと、マンデリンってスマトラでしたっけ。僕も宮澤さんと同じで」
「かしこまりました」
深々と頭を下げ、ウェイターは壁の向こうに消えていった。
「神屋」
宮澤は研ぎ澄まされたナイフのような瞳で神屋を見た。その目は鷹の目を連想させる。神屋は幼い頃、両親に連れられた動物園で見た隼を一瞬想起した。
「はい」
「俺を信用できるか?」
「…………」
神屋は宮澤が何を言っているのか解らなかった。ウェイターがコーヒーを持って顔を出すと、しばし沈黙が訪れた。その間も神屋は宮澤の真意を探っていた。
「王里神会のテロは八月中に実行されるだろう。いいか、機密データがテロの抑止力になるとは限らん。あれはあくまでも時間稼ぎに過ぎない」
「その言い方だと、機密データの正体を知っているみたいに聞こえますが?」
「俺が知っているのは王里神会がどうやってテロを起こすかということだ」
宮澤はコーヒーを一口飲み、ゆっくり息を吐いた。
「鬼頭は自分の居場所だけはどんな手段であっても伝達しないと決めたようだ。万が一にもその伝達が傍受されたら鬼頭の命は危険に晒されるからな。だから、俺が知った情報を鬼頭に伝えるためには、唯一鬼頭の居場所を知ることが出来るお前を介するほかない」
「なるほど……」
神屋は脳内で「どうやってテロを起こすか」という宮澤の言葉を繰り返していた。そもそも、宮澤はそれをどうやって知ったのか。
「どこでその情報を得たのですか?」
「その情報……?」
「どうやってテロを起こすか……です」
「ああ……。弟子からだ」
「弟子? 鬼頭火山……とは別の……ですか?」
「俺には数人の弟子がいた。その内、才能が開花したのは三人。鬼頭火山、それから斎藤という小説家、そして、鬼頭風林という作家だ。どいつもこいつも……妙なことに首を突っ込む大馬鹿者だがな」
宮澤は昔を思い出すように眼を閉じた。
「鬼頭……風林? 確か、国際テロリズムに関する書籍を幾つか書いて……」
鬼頭風林はテロやテロ組織についての知識に長け、世界中を取材して回り、濃密な本を執筆する作家として高名だった。鬼頭火山との関係は公表されてはいなかったが、何度かその関係性に関して噂が立ったことがあった作家だ。
「俺には大師がいた。鬼頭信玄という作家だが昭和初期の文豪として活躍した方だ。そして彼の名を継いで作家になったのが鬼頭火山と鬼頭風林。俺の弟子は皆、鬼頭が自殺したと報道された後、連絡を取ることができ一件に関わっていないことが確認できた。風林を除いて……な」
「……つまり、鬼頭風林もまた、この一件に関わっているということですか?」
天井の照明が湯気を立てるコーヒーに映り込む。それを見ながら神屋は混乱する頭を落ち着かせていた。
「風林はロシアで取材活動をしていた。テロ組織とそのパトロンについてな。そして、その最中、知ってはいけない情報を入手し、何者かによって殺害された」
「……殺害っ!?」
「騒ぐな。じきに風林の死は報道されるだろう。死因をどう説明するかは判らんがな。俺は俺でここしばらくロシアにいた。以前ロシア聖教の取材で知り合った知人のもとで日本の様子を伺っていたのだ。正直、神崎が例の一件に何らかの終結を迎えるまでは帰国するつもりはなかった」
宮澤は眉一つ動かさずに語る。しかし、何か思うところがあるのも確かだろう。変わらぬ表情の奥に落胆と疲弊の色が隠れていた。
「宮澤さん、鬼頭風林は一体誰に……? まさかそこで王里神会と関連が……」
「真相は藪の中だ。風林は体に四発の銃弾を受け死んでいたらしい。死体は見てないが俺の友人が直接確認した。それをやったのが、王里神会なのか、テロ組織なのか、あるいはロシア政府なのか……は判らない」
「ロシア政府? なぜロシア政府が鬼頭風林を殺害する必要があるのですか」
「単純な話だ。流出した情報がロシア政府にとって厄介な情報であり、そしてその情報を手にした人間が日本国民に信頼のある作家だったということに過ぎない」
宮澤は神屋の問に即答すると、微かに俯いた。天井の照明が彼の表情に陰影をつける。
クラシック音楽のBGMが神屋の逸る気持ちをいくらか落ち着かせた。
「鬼頭風林が入手したその情報が、王里神会と関係のあるもの……というわけですね?」
「俺の見解では……な。神崎は言っていた。Kが『アレ』を手に入れたのはもう随分と前のことで、それがKと決別した直接的な原因である、と。神崎は『アレ』について何も語らなかったが、今回風林の入手した情報の内容を知ることでそれが何だったのか、予想がついてしまった。それはお前が神崎に会えば知ることになる情報かもしれんが、風林が殺されたことについては俺が教えない限り知ることはできない。俺が神崎に伝言したいのは、鬼頭風林の殺害についてだ。だから、それが伝えられればお前に話すことはもうない。お前がそれ以上の情報を望まなければ……な」
宮澤は神屋に選択の余地を残した。余計な情報を知れば間違った戦略を組むリスクも上がる。しかしその反面、より多くの情報を得ていれば戦略が強化されるのも事実。今の段階でどの情報をどれだけ入手するか、神屋の選択に委ねたのだ。
「僕は打つべき布石はできるだけ早く打つべきであると考えています。これは、あってはならないことですが、もしも僕達が鬼頭火山の隠れている場所に向かったとき、すでに彼が消された後だったら、僕らは何もできなくなる。宮澤さん、教えてください、早急に相手の手を読むためにも……」
「解った。しかし、情報に惑わされるなよ、神屋。全てを疑って、初めて光明は見えるものだ」
「……はい」
「放射線強化型核爆弾、いわゆる中性子爆弾と呼ばれる核兵器。それがロシア連邦から盗まれた」
「……!!」
中性子爆弾。宮澤の口から予想もしていなかった恐ろしい言葉が発せられ、神屋は耳を疑った。視点が定まらず言葉が出てこない時間が数秒続いた。
「これが事実であると仮定する。それを受け入れなければこの話は進まないのだよ」
「そんなまさか……!、それは国際的な大問題では? そもそもロシアは中性子爆弾を退役させたのではないのですか!?」
「退役させたはずだが、保有している可能性はある。いや、事実保有していたから盗まれた。あるいは、開発技術が盗まれたのかもしれない。だが、そもそも高技術力がなければ製造できないものだ。取り扱いも専門家でなければ難しい。……ともかく、ある個人あるいは団体がそれを保有できる状態になってしまったわけだ」
そう言うと宮澤はmicroSDカードをテーブルの上に置いた。SDカードは透明のビニールに包まれている。
「これが風林の遺体の口内に、正確には舌の裏から見つかった。遺体を確認した友人は俺と風林の共通の友人だったが、その友人に自らの死を示唆していたらしい。もし自分が死んだときは、口内を調べ、そこにあったものを師である宮澤に渡せと言付けをしていたようだ。遺体が燃やされたり回収されたりしたときはどうするつもりだったのか定かではないが、どちらにせよ何らかの方法で俺にメッセージが届く仕組みになっていたのかもしれない」
「そのSDには何が入っていたのですか?」
「先に俺が話したこと、つまりロシアから中性子爆弾が盗まれたという情報だ。……そして、もう一つ」
「もう……一つ……?」
「その一件に、日本の新興宗教団体が関わっているかもしれないという情報だ」
「……まさか……王里神会か……!」
「おそらくは、そういうことだろう」
神屋はコーヒーの液表に映る自身の顔を見た。ひどく狼狽している。まさかそこまでの危険が訪れつつあるとは思いもしなかった。王里神会――否、Kは本気なのだ。
「王里神会が関与してるならば、Kが手にしたという『アレ』というのは、まさか……」
「俺は、中性子爆弾の可能性もあると考えている。……となれば、神崎がKから奪った機密データの中身も自ずと推測できるだろう……」
「……つまり、機密データは『中性子爆弾あるいはそれによるテロ行為』を抑制するもの……ということですか」
「俺には判らん。だが、仮に中性子爆弾の機能停止を可能とする機器、または無効果を可能とする何かだとすれば、Kが動揺したのも不思議なことではない。もしくは中性子爆弾が王里神会の関与する領域に存在するという証拠でも同じことだ。Kにとっては脅威になる。俺の推測が正しいならば、そういったものが神崎の持つ切り札、機密データの正体だろう」
「…………なるほど」
神屋は飲みかけのコーヒーにブロックシュガーを一つ入れて溶かした。それを飲み干すと、目を瞑り宮澤から聞いた話を思い返す。
「宮澤さん」
「何だ?」
「僕は、あなたを疑っていました」
「そうか。別に構わない。むしろ今も疑うべきだ。それくらいの警戒心が必要な時だろう」
宮澤はそう言って、神屋と同じようにコーヒーを飲み干した。
思わぬ返答だったため一瞬動揺したが、神屋は話を続けた。
「僕は、あなたが神崎さんとその仲間による機密データ奪取及び解読の際の情報漏洩をしたのではないかと思いました。三島氏の殺害には、事前に彼らの移動を知っていなければ難しい面があったからです。さらに神崎さんから受け取った指針『フロム・ヘヴン』には、篠原亜美とその協力者である外崎暁の存在が王里神会に知られているという情報をあなたから受け取ったとあります。これもまた、あなたが敵であるならば当然のこと。さらに、篠原亜美にはもう一人の協力者高山竜司という男がいました。しかし彼の存在は王里神会に知られていない。これは、単純にあなたが高山を知らなかったからだと考えました。篠原亜美の存在は神崎さんから聞き、外崎暁の存在は最後の暗号を解き夜光公園に来た人間が篠原亜美ではなく外崎暁だったために知ることができた。しかし、高山竜司の話は誰からも聞いておらず知らなかった……と。僕はこれらのことから推理し、宮澤さんが敵である可能性があると思いました」
神屋は真剣な眼差しを宮澤に向け、自分の考えたことを一つ一つ説明した。宮澤は最後まで静かにそれを聞いていた。
「なるほど。確かに、今の俺が向こう側に居てもおかしくない人間だということは理解した。俺がお前の立場なら同じように考えるだろう。俺が敵ならば、今俺が話したことの信憑性も揺らぐというわけか。神屋、お前は何を望む。俺が敵でない証拠が欲しいのか?」
「いえ、それでも僕は……宮澤さんを信じます」
「……何故だ? 俺が味方だと証明する術はないぞ」
宮澤は神屋に訝しげな視線を当てた。
神屋は怯むことなく、迷わずそれに返答する。
「宮澤さんのチェスは真実を帯びていた。チェスは嘘を吐かない――僕はそう信じたいんです」
「……ふっ、なるほどな。極めてお前らしい考え方だ。ここはお前の論理に感謝しておこう」
宮澤はそう応えると、微笑した。
それを見て緊張の糸が緩んだのか、神屋は深く呼吸をし、背もたれに身を預けた。木製のチェアがキシリと音を立てた。
二人の会話が終わると、BGMのクラシックも丁度終わり、次の曲に入った。
始まった曲はパッヘルベルのカノン、最早鬼頭火山のイメージが強い曲だった。
「この曲は……」
もう幾度も聴いた曲だからか、神屋は思わず呟いていた。
「カノンか……。神屋、神崎がこの曲を暗号に使った理由を知っているか」
「えっ? いや……分からないです」
「神崎はこの曲を自らの人生に見立てていた。繰り返し似たような音律が重なっていく曲。それは単調だが少しずつ変化する螺旋のような旋律だ。神崎は螺旋の運命の先に幸福の世界を見据えていた。カノンの後にジーグが続くように……な。運命は三つの力に左右される。時と場所、そして意志だ。お前が此処に来たのも、それらが噛み合ったからなのだよ。運命を円環から螺旋に変えるにはそれら三つの力が要る。これが鬼頭の運命論だ」
「……そんな意味があったのですか。だとしたら、最後の問題を解き終えたときは、カノンではなくジーグが流れるのかもしれないな……」
神屋は十七のキーワードで開かれる最後のWebページを思い浮かべた。正解にたどり着くとき、部屋に響くのはジーグだろう。
「……神屋、お前たちは最終問題で躓いているのか?」
「ええ。おそらく、僕と篠原亜美が合流することに意味があるはずなんです。つまり、僕だけが知る情報が鍵ではないかと……」
「……そうか。では最後に、俺を信じると言ってくれたお前に、一つアドバイスをやろう」
「アドバイス……ですか?」
神屋は宮澤は何も知らないとばかり思っていた。その宮澤が突然何かを思いついたように神屋にこう言い放った。
「お前だけが知る情報とは限らない。お前が持ち込んだ情報でもいいのだろう。お前が持ち込んだことによって他の者にも伝播した情報も元を正せばお前だけが知っていた情報ということだろう。合流に意味をもたらすならば、むしろそちらの方が自然だ。お前は神崎から指針を記した文書を受け取ったのだろう? お前が持ち込んだ情報に鍵が隠されているならば、最も怪しいのはそこではないか?」
今回は謎が幾つか明らかになってきて少しは楽しめたのではないでしょうかw
というか、楽しんでいただけたら嬉しいです。
読者さんもわずかだと思いますが、亀更新ながらこれからも続けていくので、完結までお付き合いしていただけると嬉しいです!