パペチュアル・アタック
サブタイトルはチェス用語で相手に同一の着手を繰り返しさせる事を言います。
パソコンのスピーカーから流れていたカノンは鳴り止み。Webページは次の画面を読み込んでいる。まもなく、高木が導いた答が正解か否か、結果を示す画面が現れるはずだ。
そして一瞬の後、スピーカーからはまたカノンの演奏が流れ出した。
「どうだ……?」
暁はパソコンの画面を覗き込んだ。暁の立ち位置からでは照明が液晶に反射して結果が見えないのだ。
「……駄目だ」
神屋は落胆した様子で答えた。
エラー
*キーワードが間違っています。
回数制限 残り二回
画面の上部には「エラー」の文字が表示されていた。第一の案は間違っていたことになる。しかし、一同を注目させたのはそれではなかった。
高木と亜美はほぼ同時に口を開いた。
「回数……制限……?」
エラーの文字の下に赤い文字で表示された《回数制限 残り二回》の文字。
神屋は右手を口元に添えて「うーん」と唸った。
「……どうやら、あと二回しくじってしまうと、僕らにはチャンスがなくなるようだね」
神屋はこの場の誰もが気付いているだろうことを、微笑を浮かべながら言った。この微笑は苦笑でもある。
「間違ったら即失敗じゃなくて良かったと捉えるべきかしら?」
亜美が神屋に皮肉めいた視線を投げつける。
「現時点では……ね。幸い、僕らには第二の答がある」
神屋はそう言いながらカタカタとキーボードをタイプする。今度は「サイゴノトビラハヨルニシカミエナイ」という文を一文字ずつ入力欄に打ち込むパターンである。
しかしこのパターンはあまりに率直だった。それ故、最初は単語ごとの入力をすることに決めていたのだ。それが駄目だった以上、こちらの一文字ずつ入力するパターンに全てを託すことになる。
「一応訊いておくけれど、二回目はこれでいいのかい? これでミスをすると、なかなか肝を冷やす展開になるけど……」
数秒間、沈黙が続く。そして、神屋の言葉に応えたのは暁だった。
「他の案で失敗して、三つ目に一文字ずつのパターンを持ってくる方が肝を砕く展開になる気がするけどな」
続いて高木と亜美も暁の意見に賛同した。
「俺も、さっきのが駄目なら、今度はいけると思う。逆にこれが駄目ならまだチャンスはある。こっちのパターンを後に回したら、リスクが高まる」
「あたしも、これで駄目ならもう何も思い付く自信ないし」
暁は一瞬だけ亜美の表情を見た。いつもと変わらないその表情。普段なら「お前が思い付いた案じゃないけどな」などと茶化すかもしれないが、今の暁にはそれは難しかった。
「……まあ、そうだね。じゃあ、送信するよ……」
カチッ。
無機質な音を立て、神屋の右人差し指がマウスの左ボタンを押した。
エラー
*キーワードが間違っています。
回数制限 残り一回
今回はすぐに画面が切り替わった。結果は一度目と同じ。虚しくも変化したのは残り回数の数字だけである。
「……ッ」
声にならない叫びの余韻を漏らしたのは暁だった。
「これはマズいな」
神屋も今度ばかりは苦笑さえ浮かべなかった。
「どうすんの? これって、結構やばい状況じゃない……?」
亜美は少し焦った様子で神屋に問いかけた。
「間違いなく、僕らは今、窮地に立たされたね。間違ってる可能性も予期していなかった訳ではないんだけれど……」
「えっ! どういうこと?」
「いや、今更危ないと思っていたなんて言い訳するのも申し訳ないけれど、一つだけ引っ掛かっていたことがあったんだ」
神屋は哲学の難問を提示された子供のような様子で、頭を抱えた。
「神屋サント篠原サンガ合流スルコトノ必然性デスネ」
少し離れた所で音も立てずに佇んでいたトニーは全てを見透かしていたかのように言った。神屋は溜息を漏らしながら顔を上げる。
「……そう。もしキーワードが『サイゴノトビラハヨルニシカミエナイ』であったなら、リスクがないとはいえない。篠原さんか暁が拉致されたら暗号の内容が王里神会に漏れる可能性がある。暗号の内容が判れば『キリストの哲学』を入手し、キーワードを見つけないとも限らない。やはり、『僕がいなければ分からない何か』が鍵を握っているのかもしれない。安易に答を出しすぎたか……? しかし、他に答らしきものがあるのか?」
神屋は答の出ない問を発し続けた。「残り一回」という文字が、画面の前の四人にプレッシャーを与える。
同じ頃、暁は妙な感覚に陥っていた。このまま全てが壊れてしまってもいいのではないかという程の倦怠感。鬼頭火山を探すというただそれだけのことなのに、こう幾度も失敗を重ねては、失望にも慣れてくる。暁の心は荒んでいた。
「神屋、お前のせいじゃない。……なぁ、それよりも、俺達がアンチマターと合流したからって、ホントに王里神会のテロを防げるのか? 逆に、アンチマターは俺達を必要としているのか?」
「……僕が思うに、必要なのは君や篠原さんではない。だからといって君達が関係ないとは言えない……それに、僕は君達を守ると約束した」
神屋は少し申し訳なさそうな表情をしてそう言った。暁はそれを聞いて極まりが悪くなり、目線をそらした。
「……そうだな、悪い、変なこと言って。なんにしろ、鬼頭の居場所を知らなければ話は進まないんだよな」
神屋は「構わないさ」と呟き、徐にに立ち上がった。
「みんな、とりあえず解散だ。各自、何か思い付いたら連絡を。僕は用があるから少し外に出るよ。護衛は要らない。帰りはきっと遅いだろうから、先に休んで構わない」
神屋はそう言い終えると立ち上がり、大きく伸びをして部屋を出た。その際に高木は神屋の深刻な表情を一瞬だけとらえた。しかし、声をかけることはできずに、扉は音を立てて閉じてしまう。
「……用って何だ?」
高木が首を傾げながら囁くように言う。
「神屋君に直接訊けば良かったじゃないですか」
「いや……なんだか真剣な様子だったからさ。護衛は要らないって、平気なのかな……?」
「一人じゃないとダメな用事なんじゃないですか? まさか王里神会の会議ってことはないはずだけど……」
亜美が高木の声に応えた。ほぼ同時に暁はトニーの方を向いて視線を合わせる。
「トニー……何か知ってるのか」
暁の問を聞き、高木と亜美もトニーに注目した。
「イエ、何モ。私ハ、暁サント篠原サンノ護衛ガ仕事ナノデ」
「そっか」
興味なげに応え、暁は大きく息を吐いた。
手詰まりだった。何度も何度も同じように追い込まれる。逆に言えば、これまでは追い込まれればそれなりの答を見つけ、次のステップに進めたということだが、今回の失敗で落胆していた彼らにはそのようなポジティブな考え方はできなかった。
暁は提示された問題に集中できないでいた。自分でも私事と解っていながら、亜美との関係の変化に思い悩んでいたのだ。
『いいじゃないか。君は生きている』
『葛藤するくらいに、生を楽しめてるのさ。世の中には、死んだ目をした奴らが腐るほどいる。生を放棄した者たち。プライドも糞もない。そいつらに比べたら、死ぬほどマシだよ』
『暁、全力で生きろ』
神屋に言われた言葉が胸に刺さる。酷しい痛みが暁の息を詰まらせた。
「ちょっと、部屋で考えてきます」
暁は言い終えぬうちから立ち上がり、扉に向かってゆっくりと歩いて行った。
何を考えるために部屋に向かうのか。暁はぼんやりとそんなことを思いながら歩みを進める。十七のキーワードのことか、それとも亜美のことか。ともかく、暁は激しい眠気を感じていた。考えることを脳が拒絶しているようだった。
暁は背に亜美の視線を感じたが、振り返ることなく扉を開け、部屋を出て行った。
大きな部屋には重苦しい空気が立ちこめていた。
神屋は住宅街をゆっくりと歩んでいた。午後八時を過ぎ、辺りは徐々に光を失いつつある。
空には薄く月が姿を見せていた。神屋はこの街に初めて来た頃、月の綺羅びやかな相貌に驚いた。太陽光を反射しただけの明かりが何故ここまで綺麗だと感じるのか。この世のものでないような妖々な月明かりは心に何かを植えつける。懐かしさだろうか、それとも畏怖だろうか、あるいは退廃だろうか――。
この街は心を穏やかにする時と不安にさせる時とがある。月の満ち欠けのように。
思いに耽っていると、神屋は学生とぶつかりそうになり、寸前で身をかわした。
暁や亜美が住む住宅街と違い、この時間になっても人は通行している。いつもは喧騒のない住宅街だ。おそらくこの時間に限って人が多いのだろう。神屋はこの辺りの地理には明るくないが、近くに学校の類があれば人が多くても不思議はない。
しばらく歩き、住宅街を抜けると駅に続く道に出る。自動車の数が増え、街灯や建ち並ぶ店の数々が辺りを明るく照らす。人も多くなりようやくタクシーが目にはいるようになった。
神屋はそこでタクシーを拾い、東京を目指した。ここから東京までは高速道路を使って一時間程だ。おそらく高木宅に帰る頃には夜中になっていることだろう。
「果たして、無事に帰れるか……」
神屋は夜の街を眺めながら思った。
これから合う人物を、神屋は疑っていた。敵か味方か、どちらにせよ強い覚悟が必要な相手である。
夏風を肌に感じ、ふと空を覗くと、暗い闇がすぐそこまでやってきていた。
今回からは僕が3話連続担当しましたが、その3話のホップステップジャンプの「ホップ」の部分ですw
次回をお楽しみに・・・