SEXトラジティ
-1-
リビングに戻った暁の目に最初に映ったのは、ソファに座るトニーの姿だった。
「………………」
暁は立ち止まってトニーの後頭部に強い視線を送った。
悪者の不気味な笑みに潜む秘め事を見破ってやらんとばかりの剣幕だ。
部屋に入った足音を耳にはしていたが、トニーは敢えて振り向かなかった。その表情は爽やかな笑みで満たされている。電源の入っていないテレビの闇を見つめながら、悪魔は不気味に笑みを零す。
暁は立ち止まったまま考えていた。ずっと感じていた疑問について。
……こいつは一体何者なのか。
「教エマス」
「!?」
突然の発声に、暁は肩を微動させた。感じていた直感的な疑問に対する答えを、言葉のやり取りなしで一方的に聞かされたかのようだ。
暁はトニーに徐々に近づいていった。不自然なほどにゆっくりと。
トニーは首だけを動かし、目の端で暁を視界に捉えたが、すぐに前に向き直った。
暁はトニーが微笑しているのを目にして、歯に力を入れた。数学の問題が難しくて解けないときも、暁はそれとよく似た表情を作っていたものだった。
「座ッタラドウデスカ?」
……今ハ誰モイマセン。この言葉が省略されているかのように思わされてしまう言い方だった。
トニーの微笑みは崩れない。
暁は疑いの目を向けつつもトニーの隣に腰を下ろした。二人の間には人一人分が座れるスペースがあった。暁はそのスペースを意識的に作るようにして座った。
暁は両肘を膝辺りにつけて、手の平を顔の前で軽く組んだ。授業中、考え事をするときの姿勢に似ていた。授業中の場合、肘をつくのは膝辺りではなく机となる。
暁の目は、ただじっと一点を伺う。睨むようにして、前だけを見据えていた。
トニーが静かに声を発した。
「教エマス」
繰り返されたその言葉に、今度は動揺しなかった。暁は、上の歯と下の歯に唾液を絡ませ、まるで怪物が獲物に食らいつくかのようにして口を開いた。
「……お前は……誰だ…………」
その声はかすれていた。
悪魔の口角がつり上がる。
二人とも、依然として前を向いたままだ。
「ワタシハトニートイウ者デス。コレカラ暁サント神屋サント……」
「護衛するんだろ? 分かってるよ。俺はそんなことを聞いてるんじゃない。あなたが何者なのか……隠してることがあるはずでしょう」
「隠シテイルコト……デスカ…………」
「…………」
トニーは白に近い金髪を左手で流した。デキモノの一切ないトニーの白い肌が際立つ。
暁は最初の体勢を保ち続けている。
「彼とか予言とか言ってたろうが。二日くらい前の夜に。あれは何のつもりだ」
「アレデスカ」
「……言いやがって……この世の生と死の謎を解き明かしただのなんだの……」
「ワタシハ日本人デハアリマセン」
「知ってるよ。誤魔化すな。話をうまい具合にすり替えようったって、そうはいかないぞ」
「スイマセン」
「判ればいい。とにかくだな、この俺を悩ませる、自分でもよくわからん疑問に対する答えを握ってるのか? それが知りたい」
「握ッテマスネ……」
「まじかよ。いや、なんとなく予想はついていた。初めから変な奴だとは思っていたよ。何を握ってる? どんな秘密だ?」
「知リタイノデスカ?」
「当たり前だろ。俺と彼が会うのは予言の通りだったとか言ってたよな? 予言って誰が予言したんだよ。彼って誰だ?」
「ソレダケデハナイ。ワタシトアナタガ出会ウノモ予言ノ通リダッタ」
「…………」
暁は体勢を崩し、背をソファに勢いよく押し付けた。その衝撃がトニーにも伝わる。
「…………………………」
虚ろな目をぼんやりと空に向けて、暁は放心しかけた。
「予言者ハ上位概念トコンタクトヲ取ルコトガデキマス」
「……?」
「神様ノ言葉ヲ聞ケマス」
「……」
「暁サンハ聞イタコトガアリマスカ?」
「…………ないな」
「ソウデスカ」
ここで会話は止まった。二人は静けさを身に纏い、口を閉じ続けた。
暁は考えるのをやめた。
……あとで考えよう。
心の中で幾度となくそう呟いて……――――――
「よっし、それじゃあさっそく……見てみますか」
「頑張って! 神屋くんっ」
「お前ならできるっ」
「おいおい篠原さん……君も一緒にみてくれよ。さすがに一人でハナからやるのはちょっと……って高木さん。見てないで協力して下さいよ」
神屋、亜美、高木の三人は暁とトニーのいるリビングに同時に入室した。同時だったのは単なる偶然だ。三人共にリビング前で奇遇にも鉢合わせたのである。
入室してすぐに神屋たちが暗号解読に取り組み始めても、暁はトニーと二人でソファに座ったままだった。
神屋や亜美、高木も何度か暁とトニーに視線を送ったが、声をかけるには至らなかった。自分たちが来ても暁が動こうとしないのは、それだけの理由があるのだと三人は解釈したのだ。
実際には、ただ暁には立ち上がる気力さえ残されてはいなかっただけなのだが。
トニーは背後の話し声を聞いてか、声を発するチャンスを得たと思ったのだろう。暁の方に顔を向け、二人の間に垂れ流しになっていた奇妙な沈黙を破ることにした。
「……宇宙人ヲ信ジマスカ?」
……この気まずい状況を打破するために考えついた質問がそれかよ……さっきの朝食時に空気読めてないの実感しなかったのか……コイツ……学習しろよ……。
暁は呆れた様子で額に手をあてがった。かなりわざとらしい仕草である。
「宇宙人ガイルカイナイカ……日本人ハコノ時代ニナッテモ、ソンナ低レベルナ会話シカシマセンネ」
「………………」
「彼ラハイマス。日本人ハマズソレヲキチント認識スベキダト思イマス」
「……宇宙人……?」
「三浦正トイウ作家ヲ知ッテイマスカ? 彼ノ作品ノヒトツニ『ライト』トイウ本ガアルンデスヨ。光トイウ意味ト正シイナドノ意味ガ込メラレタタイトルナンデス」
「………………」
トニーの言葉を聞いて、暁の中で何かが弾けた。
……トニー……さん……。
「三浦……ただし? 知らないなぁ」
「アノ作品ニ登場スルノハ、惑星アロンドギアス。ソノ惑星ハ地球ノスグ近クヲ回ル、人類ガソレマデ見落トシテイタ惑星デシタ。人類ハソノ星ヲ遠クカラ観察シ始メマシタ。ソコニハ知的生命体ニヨル発展途上ノ文明ガ栄エテイマシタ。彼ラハ言語ヲ持チ、字モ書ケマシタ。タダアマリ火ヲ使イタガリマセン。火ヲ神聖ナモノトシ、特別ナ行事ヲ行ウトキニシカ使イマセンデシタ。植物ヲ利用シテ槍ナドヲ作ッタリシテイルヨウナ状況ナノデ、科学技術ナド全クナイデス。ソンナ彼ラノ星ニ、星ヲ発見シタ天文学者ノ主人公レックスハ夢ト希望ヲ見イダシマシタ。アロンドギアスコソ、人類ニトッテノ楽園ナノダト」
そこまで言い終えると、トニーは暁の顔を覗き込んだ。暁は興味なさげである。しかし、トニーは続ける。
「マサニコノ地球コソ、『ライト』ノ中ノアロンドギアスダト、ソウ思ウノデス。ドウ思イマスカ?」
「……よくわからんな」
「コノ地球ハ、監視下ニアルトイウコトデス。悪ク言エバ、支配下ニアル」
「……宇宙人……が支配してんのか? 地球をか?」
「所詮、宇宙ナンテソンナモンデスヨ」
「そうか……」
亜美が二人に近づいてきた。
「ほら、暁! 宇宙人の話は置いといてさっ! 鬼頭火山、神崎冬也の隠れ場所を見つけよう!」
亜美は元気よく言い放った。
暁はソファから重い腰をゆっくりと上げながら、亜美に尋ねた。
「――――なぁ、宇宙人って、いると思う?」
亜美と暁は至近距離で目を合わせた。亜美は口を半開きにしてこう答えた。
「さぁね」
「そうかよ」
暁は何食わぬ顔をして、金色の髪をいじくった。
『自害していいっすか?』
作詞作曲 高山竜司
生きる意味を捨てた
誰も止めてくれなかった
現実に目をむけても
あっちが逃げてゆく
世界は止まったままだ
歯車を止めたのは
他ならぬこの俺自身
自害していいかい?
呼吸をすることすら煩わしい
自分で掲げた傘が多すぎて
片付けられなくて
膝を抱えて座っていた
光の当たらない陰の中
手を差し伸べられても
視界がかすんでいて掴めない
何度も何度も
差し伸べてくれる人
本当はそこまで汚れてなかった
今気づいたよ
君が俺を見ていてくれたんだな
自害しなくていいよな?
自分自身に確認した光輝く希望
君に会うと心が晴れる
今まで待っていた
君を待っていたんだ
声の聴こえる闇の中
だけど形あるものはいずれ朽ちていく
そうだろ
だから君はいつの間にかもういない
もう二度と幸せを分かち合えない
またここへ戻ってきてしまった
前よりも虚しいのは
君がまだ目に微かに映るから
自害していいっすか?
生きるのも馬鹿げてるが死ぬのも馬鹿げてる
だったら歩いてってやる
どんなに遅くとも
その喉元に食らいつくさ
太陽光の照りつく地面の上
………………
……………………
…………――――――――
「――――………………」
高山竜司は、クーラーの効いた自室で戦慄していた。
己の気持ちをつづった歌の出来映えがあまりに暗く地味なモノであったためだ。
竜司は亜美とのメールのやりとりを思い出しながら、こう囁いたという。
「てかぶっちゃけ自害していいっすか?」
虚しい夏の朝の物語であった。
-2-
照りつける太陽光――――…………
某ショッピングモールの中心部には、天井がガラス張りになった広々とした空間が存在する。
そこには、燃え盛る巨大な恒星からの光輝く光線が容赦なく降り注いでいた。
だが、それはあまり問題にはならない。一階から二階まで突き抜けた広い空間である割には、夏ということもあって、冷房設備による涼しさという名の叡智が空間全体に適度に行き渡っている。涼しい空間で直射日光を浴びるという行為はなかなかに気持ちの良いものであるのか、ここで疲れた足の休憩をとる人は多い。植物を傍らにして腰を掛けられる場所は、ほぼ埋まってしまうほどである。
闇沢征一もまた、広すぎるショッピングモールに足を痛めた一人だと思われたのか、通りすがりの老婆に同情の声を掛けられた。
「ここはホントに広いからねぇ。ゆっくり休んでねぇ」
「……あ、はい」
去っていく老婆の後ろ姿を一瞥しつつ、闇沢は現在時刻を確認した。
……正午ジャスト。
闇沢の目前を沢山の人間が右に左に行き交っていく。夏だというのに長袖長ズボンの者も居れば、危なっかしい程の露出度を誇る薄着を着る若い女も居る。目に映る大概の人間が半袖半ズボンの中、思わず目に止まってしまうような服装をしている人は少なくない。闇沢自身、黒スーツに黒ネクタイと他とは常軌を逸した服装であることに多少なりともの恥ずかしさは覚えていた。
闇沢はこの広間の洋服店のすぐ近くに立っていた。ここは待ち合わせ場所である。待ち合わせ時間は今日の正午。相手がどんな人間なのか知らされていなかった闇沢は、もしや先ほどの老婆がそうなのかもと焦りだした。相手は今回の会談に相当の注意を払っている。今のは「老婆に付いて行け」という高度な誘導であったのかも知れない……。
老婆が接触してきた時間もちょうど正午くらいだったこともあり、闇沢はその可能性を捨てきれなくなった。
少し場所を移動して、老婆の向かった方を見た。
そのときだった。
「麻生さん?」
と背後で声がした。
闇沢はゆっくりと振り返り、相手の顔を見た。
「……麻生さんですか?」
闇沢に声を掛けた女性は、目が点になった闇沢の表情を見て困惑した。
闇沢は突然の事態に声を発することを忘れていた。
「…………あの、ここで待ち合わせを約束していた者ですが……、あなたが麻生さんですよね? 確か黒スーツに黒ネクタイ、そして黒い革靴、ミディアムヘアーの男性、まさにあなたが待ち合わせの相手だと思うのですが……」
闇沢は女性の顔を見つめながら、事前の打ち合わせを思い出していた。この会談の為のシュミレーションは何度も行ってきた。闇沢は体勢を立て直し、女性と正面から向き合った。
女性の服装は殆ど闇沢のそれと変わらなかった。違うのはネクタイをしてないことと、下がスカートだということ、そして、彼女はサングラスを掛けているということだけだ。
全身黒尽くめの男女が立ち話をする光景はそうそうお目にかかれない。過ぎゆく人達は皆、彼らに視線を止めた。
闇沢は言った。
「……ここでは何なので、場所を変えましょう。あ、申し遅れました。私が麻生です……」
黒尽くめの二人は、ショッピングモール内の飲食店で会談を始めた。
店内は薄暗く、テーブルの仕切りが多く、会話を他人に聞かれることはまずない。静かに音楽が流れる落ち着いた雰囲気の店であった。
豪華な料理が女性の前に運ばれたが、闇沢の前に料理が運ばれることはなかった。
「食べないんですか?」
女性は不思議そうに聞いた。
「ああ、今はお腹が減ってないんですよ」
闇沢は水の入ったグラスを触りながら、女性の目を眺める。
サングラス越しでは解らなかったが、女性の瞳はスカイブルーで彩られていたようだ。
これから会談というわけだからサングラスを取ったのか、食事を前にするから取ったのか、闇沢には判断しかねた。
闇沢は勝手な想像を推し進めた。この女性は瞳がスカイブルーであるからサングラスをしているのであって、今回特別にサングラスをしてきたわけではないのかも知れない……。
闇沢は敢えて瞳がスカイブルーであることについては触れないでおこうと思ったが、女性自ら瞳の色について話題を振ってきた。
「似合ってますか?」
「……え」
「本当はこの色、あんまり好きじゃないんです。でも彼氏がうるさくって、この色にしているんです」
……している?
「…………あ、その目の色ですか? もしかしてカラーコンタクト?」
「そうです。カラーコンタクト」
雑談は目の色から枝分かれし、五分程続いたが、闇沢が本題に切り出すことによって女性の表情もやや堅くなった。
「……そうですね。じゃあそろそろ本題に入りますか」
そう言って女性は、上品にナイフとフォークを置いた。
闇沢は両手の指を絡ませてテーブルに静かに寝かせた。ある種の緊迫感が二人を包んでいる。
「じゃあまずは……、私の方から質問してよろしいでしょうか」
「えーと、麻生さん。わかっているとは思いますが、こちらが答えにくい内容の質問には意図的に回答できない場合もありますので……」
「あ、はい。大丈夫です。答えられる範囲内で勿論結構です」
「はい、初めに断っておきたかったので……」
「ええ、じゃあまずは……、あのことについてよろしいですか?」
女性は数秒の間を置いてから、こう答えた。
「――――はい。彼は………………間違いなく……」
闇沢は失礼だとは思いつつも、追い討ちを掛けた。
「……間違いなく……」
「…………ええ、間違いないですね」
女性の顔は少し残念そうであった。
「……わかりました。彼は、板垣権三郎氏は、亡くなられたのですね?」
それはまさしく相手の心情を伺うかのような聞き方だ。闇沢が低い声で小さくそう囁くことは、形の上での「残念がる心」を相手の女性に判らせようという闇沢の意志があることを物語っている。慎重に事を進めなければならない立場にあるのは、話を持ち掛けた闇沢の方にあるのだ。
「はい。彼は……、主は……亡くなりました」
「……御冥福を祈ります」
「…………はい……」
二人の間に神妙な気配が流れた。
……ここまでは順調だな。
闇沢は心の中で笑みを零した。
「……詳しいことを……聞かせて貰えますか?」
闇沢の柔らかい口調が女性の警戒心を撫でる。
「はい。勿論」
女性は手提げバックの中から、何枚かの紙を取り出した。全部で五枚ある。それぞれの紙には片面にのみ黒い文字がびっしりと印刷されている。
闇沢は受け取り、内容に目を通し始めた。
「それが私たちが極秘に調査した事件の全容です。大ざっぱに口で説明致しますので、紙に目を通しながら聞いていて下さい」
女性のすらりとした声を聴きながら、闇沢は印刷された文字列を目で追っていく。
「全ての始まりの鍵を握っているのは、アフリカです」
「……アフリカ…………」
「私は主の秘書なので、他の者が知らない主の秘密を知っています。そして、あなたにも彼の秘密をお教え致します」
「……秘書だったのですか…………」
「かなり根本的なところから話しますので、初めは今回の事件とは無関係であるかとお思いになるかも知れません。でも、全ての始まりから話そうと思っている所存です」
闇沢は紙から顔を上げ、女性と見つめ合った。
「是非、お願いします。其方の丁重なご対応に感謝申し上げます」
闇沢は、シュミレーション通りにそう言った。
今回のこの接触に失敗は許されない。
王里神会教祖Kにより直々に極秘任務を命ぜられた、王里神会最高幹部団所属、闇沢の心的負担は想像以上のものだった。
-3-
「時代は十年以上前に遡ります。舞台となる場所はアフリカ。主とそれまで友好関係を築いてきた外国の過激派が、主側の勢力に対して暴動を起こしたのです。ちょうど主が、新商品の銃を視察する為、アフリカを訪れていたときでした」
「視察かぁ……」
「主は取引先と交渉する為、万が一の事も考えて相当の暴力を携えて現地に向かいました。それが別の形で功を成したのです」
薄暗い店内に、外からの雑音はあまり響いてこない。近くのゲームセンターの騒音が、遥か遠方から届いてくるかのように聴こえる。
店内に灯された光はオレンジ色に近い。この色は様々な物を美しく輝かせる効果を持っている。どちらかと言えば清潔な肌の持ち主である闇沢の肌も、普通の光で照らされるより綺麗に見える。最も、闇沢の目の前にいる板垣権三郎の秘書の女性は、どんな光で照らしても変わらぬ美しさを放つであろう。
「銃の取引売買は、小さな町で密かに行われました。売り手の粘り強い交渉の末、主は新商品の銃の購入を取り決めました」
「あっ……ちょっといいですか? あなたは同行されたのですか?」
「いえ、その頃は別の者が秘書をつとめていました……。今、私が話しているのは、過去の書類などから調べた物を中心にしています」
「……そうですか」
……なるほどねぇ。ちっ……なるべく生の情報が欲しかったが、まぁ、仕方ねぇか。
「話を続けます。主は……、実は、そのとき既に騙されていました。取引先と、これまで主と友好関係を保ってきた過激派はグルだったんです」
「ほう」
「銃の取引先は主が死ねば、過激派からの温厚を受けます。そして過激派は、そのまま主の権力を乗っ取ろうと企んでいたのです。主の権力を狙う者はあとを絶たないんです。殺し屋たちとの強力なパイプ……完全武力行使だった過激派にとっては、主の持つ独自のパイプは喉から手が出る程のお宝だった訳です」
「人間の醜い欲……ってやつですね」
「ええ……。過激派は取引が行われた町の住民の格好を扮して、主たちを急襲しました」
「…………」
現時点では、闇沢は今回の板垣の死について、何が理由となるのかまだわからないでいた。この極秘の会談にはボイスレコーダーなどの盗聴器具の使用は禁止ということで合意していた。危険な状況に立たされているのは、闇沢よりも女性の方だった。組織の機密情報を漏洩していることがバレれば、間違いなく処分されてしまう。それを踏まえた上での極秘会談なのである。
……この女。俺が盗聴をしているかどうかなんてどうでもいいと思ってんのか? こいつはボディチェックすらしなかった……。何か企んでいる…………?
闇沢は悟られぬよう、紙に目を通しながらそんなことを考えていた。
「部下が敵勢力を殲滅している最中、主は民家などに身を隠したという記録が残っています。主は無傷、部下は大勢死にました。何の罪もない一般市民も多く亡くなりました。敵とは勝負がつかないままになりましたが、主は何とか逃げおおせたようでした。そのとき……主はある拾い物をしました」
「…………?」
「……それが何なのか、はっきりとした記録は残っていません」
「…………」
「ただし、私はそれがなんであるか知っています」
「それは……?」
「まぁ、まだ定かではありませんが……恐らく特定できたかと……」
「…………」
「今回の主の死には、そのときの拾い物が大きく関係していると考えています。結論的に言うと、反逆行為が主を死に至らしめたんです」
「……反逆? 誰のです?」
「拾い物の、です」
「……拾い物とは、人間なのですか?」
「はい。主はアフリカから人間の子供を一人だけ連れ帰りました。その子こそ、主にとって最高の拾い物であり、最大の失敗だったのです」
「……へぇ」
……アフリカの子供か。初耳。こいつはかなりの重要事項だね。
闇沢はわざとらしく頭を掻いた。
女性はナイフを持つと、料理の肉をフォークと合わせて切り始めた。器用な手つきは見る者に大人の女性特有の魅力を感じさせる。緩やかに動くナイフ。光を反射して、鋭さを増した。
「美味しいですか?」
「……食べたいんですか? 頼めば良かったじゃないですかぁ」
果たしてこの世界の誰が考えただろうか。
食材になったこの豚の倫理を。
キラキラと光るソースがかけられた豚の肉片をそれとなく眺めて闇沢はそんなことを思った。
女性は肉を噛みながら、ふと思い出したかのようにして、こう切り出した。
「そういえば、麻生さんは宇宙人を信じますか?」
「…………!?」
突然の事態に闇沢は動揺した。突飛な質問だったからこそ、事件に関係しているのかも知れないと闇沢は思ってしまった。
「いると思いますか?」
「……ぁあ、いるんじゃないのかな?」
「ふーん」
「それは……、また、どうして?」
「いえ、特に……」
「?」
「…………実は……」
……まさか、宇宙人なの? そうなのぉ?
「実はですね、宇宙人はいないかも知れないんです」
「…………あ、そう……」
「私は宇宙人肯定派だったんですが」
「……そうですか……」
「どう思います?」
――――どう思います?
そう言ったときの女性の顔が可愛らしく、闇沢は一瞬だけ呆気に取られてしまった。
女性の年は二十代後半といったところだろうか。ほんのうっすりと、目を凝らさなければ見えない程に薄く皺が走っている顔……。かなり綺麗な方の顔である。闇沢は昔の好きだった高校の教師と目の前の女性が似ていることに、このとき初めて思い至った。
……年齢も近い。彼女は俺が高二のとき二十九だったはず……。
頭の片隅で美化された過去を回想しつつ、闇沢は見つめ合った女性の瞳に飲み込まれていった。
オレンジ色の電灯が、美しく女を包んでいる。
「先生……」
「はい?」
「…………あ! いや、何でもないです」
「何? 先生?」
女性は笑っていた。
闇沢は照れながら、
「何でもないです」
と繰り返した。
「何~~? 何ですかぁ? もう」
「いや、ホントに何でもないんですよ」
「……もう、麻生さんったら」
「ははは」
女性は口にステーキを一切れ放り込んだ。
旨そうに噛み砕いている。闇沢はその仕草をつぶさに観察した。一通り噛まれると、肉は唾液と混ざり合った状態で食道に入る。そして胃に滞在し、消化される。その後、様々な消化を受け、養分を吸収された肉の塊は、摂取から約二十四時間後、排出される。
一体どうしてこんなシステムなのか。
この類の疑問を感じたことのある人間は少なくないはずだ。
闇沢はこの疑問に対する考えを一応持っていた。
……神がそう決めたから。
「あの、私、古代のオーパーツとか世界のUFO現象とかに興味があって、趣味でそういう本買って読んだりしてるんですけど、実は宇宙人はいないんじゃないかなって」
「……へぇ。そういう話、実は興味ありますよ。あなたの話を聞かせて下さい」
「え……、麻生さんもこういう話好きなんですか? 意外と趣味合うかも」
「古代のオーパーツとか、少し知識ありますよ。宇宙人とかもちょっとは」
「へえー、じゃあ趣味合うかも知れないですね」
「……あ、あぁ…………」
「……オーパーツを調べてて思うのは、絶対宇宙人がいるって事なんです。超昔に極小のネジとか見つかってるんですよ? 絶対、発達した文明が地球に飛来してきたんですよ」
「まじっすか……」
「宇宙人はいると考えないと納得できない発見が数多く存在している……これは人類誕生など多くの超絶的な疑問に関係する訳ですよ。無視できない事なの」
「そっ……ですね……」
「ちゃんと私の話聞いてます?」
「あっ……はい」
……どっちなんだ? 宇宙人はいるのかいないのか……。
闇沢は困惑した。
「アフリカの子供によれば、私たちは神様によって創られた物らしいですよ。宇宙人が遺伝子操作して人類を誕生させた訳ではないって」
「アフリカの子供がそう言ったのですか?」
「はい」
……確かに、その方がロマンがあるな。
闇沢は密かに思った。人類の誕生や、地球が築き上げてきた歴史、それらに宇宙人の介入を認めた時点で、どこか薄暗さが漂ってしまう。
俺たちは自然に生まれ、独自に今までの文明を築いてきた! そう胸を張って言う者のロマンを壊すのが、宇宙人の存在なのだ。いや、存在だけならまだ別のロマンを見いだせるだろう。だが、地球外知的生命体の文明が、地球上の未発達な文明に介入していたとしたら、そのロマンは砕け散る。
……結局、俺たちは創られただけでしかない、そんな存在なのか?
人類の表情が青ざめる様を、闇沢は想像していた。今まであまりしたことのない、気味の悪い想像であった。
「そうであって欲しいものですね。宇宙人を人類の誕生と結びつけてしまったら、何て言えばいいのかな……、希望が持てなくなりますよ」
「希望ですか?」
「ええ、希望というか、何と言うか」
「まぁ、この世界は宇宙人じゃなくて神様が創ったらしいですから、希望、持てますね」
女性はそう言って微笑んだ。
闇沢はまたも、目の前の女性と高校時代の女教師を重ね合わせていた。微笑んだときの表情は、より一層、彼女に似ていた。
……清子。
次第に周囲の音が聞こえなくなるのを、朦朧とした意識の中で感じ取っていた。現実の音が小さくなるにつれて、徐々に大きく響いてきたのは、忘れていた高校時代からの呼び声だった。
-4-
あれは二十年前のことだったか……。
その日は、確かにいつもとは異なっていた。
登校中、行き交う人々の表情は皆、うなだれて見えた。空は暗く、朝だと言うのに太陽は雲の奥に隠れ、姿を見せない。
その日見た夢を今でも覚えている。狼だ。三、四頭の狼が、俺に食らいついてくる夢……。
夢の舞台となった場所は雪山の一角。吹雪いていて、とても寒かった。
歩いても歩いても、雪の道は続いた。それは終わる事なき永遠の苦悩を意味していた。人生に似ている。どこまで行っても、理不尽な不幸は付き物。それが人生というものだ。
雪を踏む俺の足は、既に凍傷を患い、今にも動かなくなりそうだった。感覚などまるで無い。寒さと寂しさ、そして孤独だけを感じ取りながら、山を下り続けた。
どれだけ進んだだろうか。二日か三日は歩いた筈だ。聞こえるのは吹雪の音と、自身の呼吸音、ただそれだけだ。
ああ、喉が乾いた。
しかし、雪を含んではいけない。誰かがそう言っていたのを思い出し、俺は我慢して山を下り続けた。
……これは夢か?
何度そう思ったことだろうか。足を止めて休む度にそう思った。
だって、こんな事、起こる訳ないのだから。
「助け……て……」
歩き始めて五日後、とうとう俺は倒れてしまった。
体は既に寒さを感じていない。それどころか、置かれている状況にはそぐわない暖かさがどこからともなく感じ取れる。まるで全身を厚い毛布でくるまれているかのような感覚だ。俺は雪の上で目を瞑っていた。とても暖かい。吹雪が心地いいくらいの涼しさを持って、肌を撫でた。
……眠い。
だが寝たら死ぬ。それはわかっていた。しかし、すんなりと死を受け入れて目を瞑った理由が、後になってわかった気がしないでもない。
俺は高二のその頃、まさに人生に未練などなかった。
死ぬなら死ぬで、問題はなかった。好きな女もいなければ、俺を必要とする人間もいないように思われた。
そう、人生に興味はなかった。
それにしても、その夢はリアルだった。目を瞑り、吹雪舞う雪の上を横たわって、俺は死を理解したつもりになっていた。
あぁ、なるほど。
これが死か。
――そう、もう少しで安らかに死ねた。あと少しだった。だが、頭上で何かの息遣いを聴いた。
……それは狼だった。
複数の狼が俺に食らいついてきたのだ。俺は両手両足を失い、脇腹から内蔵をはみ出させ、顔の半分を失った。
脳みそが流れ出てくる感覚があった。
皺を形成した白っぽい塊が、顔の右上辺りからズリュッとはみ出てきたのか。
俺は死んだ。死肉をも食い荒さられ、俺は息絶えた。
――――……目が覚めて、悪夢を見た事は理解したが、その内容を思い出す事ができない。なに、別に珍しい事ではない。日常のちょっとした事で、忘れた夢の内容を思い出す事なんか……。
登校中、思い描いていたのは平田清子の顔だった。その年のクラス担任を受け持つ女教師である。
自信を持って言える事がひとつあった。
その学校は共学であったが、学校中を探してみても、清子に適う美貌を持つ女性はいないという事だ。彼女はもう三十路の一歩手前、二十九になるが、その見た目の若々しさには驚かされる。笑ったとき、ほんの少し目尻に皺がよるだけで、それさえ除いてしまえば、彼女の外見から歳を感じさせるものは微塵とない。
その故、多くの男子生徒が彼女に対して淡い下心を込めた視線を送るが、本気で清子を求めていたのは俺くらいのものだった。
彼女は英語の教師だった。
「それじゃあ、闇沢君、ここ訳してみて」
「……はい」
俺は日に日に彼女に、今まで遠目に羨望していたときより大きく増して、彼女に惹かれていった。
気付けば清子の事を考えている。そんな日が何日も続いた。
……ああああぁぁ…………
「――――!!」
彼女への思いが増すにつれて、あの悪夢を見る頻度も増した。
だが、目が覚める度に、どんな内容の夢であったか思い出せない。わかるのは、嫌な夢だということだけだ。
……清子、せいこ、セイコ…………。
俺は彼女に溺れ、悪夢に浸ったのだ。
霞んだ視界に映るのは、意味を見いだす事が出来ない世界。そこにうすらぼんやりと形成される彼女の存在。そして悪夢。
それらだけが、あの時代の俺を占めていたのだ。
ある朝の事だ。太陽の光は無く、外では夏前の雨が降っていた。午前五時、まだ早朝だった。
もう何回見たかも判らぬ悪夢の余韻を微かに残し、俺は家を出た。
「…………」
予感……。
そう呼ぶのだろうか。
雨が降る寂れた道を歩みながら、俺は確かに、今日がいつもと違う事に気付いていた。
言葉では形容できない感覚が、胸の奥で疼いた。
……胸騒ぎがする。
吐く息は熱く、目はせわしなく動いた。胸に小さな痛みが走る。
学校に着くと、信じられない光景に出会した。やはり今日はいつもと違ったのだ。
「……先生」
教室にただ一人、俺の机に寄りかかっていた女は、紛れもなく、清子だった。
まるで俺が来るのを待っていたかのような眼差しだったのを覚えている。
俺は清子と長い間、呆然と見つめ合った。
整った鼻筋、流麗な顎のライン、白くて柔らかそうな肌、ストレートに伸ばした艶やかで茶色がかった髪の毛……。
そして、その瞳。
「闇沢君」
二十年経った今でも、忘れはしない。完璧な容姿、可憐な声音。あれほど長い間互いを見つめ合った事は初めてだった。にもかかわらず、不思議と平静は保てた。
彼女にゆっくりと近づき、止まった。
今日は何かが違うという予感……、恐らく、感じていた予感の正体は目の前にいた。
寄りかかっていた俺の机から離れ、清子は俺に身体を預けた。気付くと、俺は床に膝をついていた。清子から漂う香水の香りが、脳を麻痺させているかのようだ。
……ぁあ、清子。
持っていた荷物はその場で落とした。
知らぬ間に清子を抱き締める恰好となった自分に、俺は気付いていない。
――――ドクン
体の奥底で、太鼓が強く鳴ったかのような音を聴いた。
清子の匂いを存分に嗅ぐ。
地上に天国を見た。
「……闇沢……君」
清子の身体が徐々に下に下りてきた。彼女の柔らかい谷間に、服の上から顔をうずめた。彼女が俺を掴む手に力が一層入った。
清子にキスをした。
…………グオオ……
頭の中で、それは抑揚を持って響いた。低く、何かが唸るような音……。
……まさか……。
肩から服を外し、下にずり下ろした。清子の白い上半身の肌が露わになる。
……グォォッッ!!!!
「ハァッ」
雪……。
何処までも続く、終わりなき白の山道。時々垣間見たのは、白の大地から突き出た黒い岩だ。
そうだった……あの夢は……――――――
清子の首筋に残る、舌の走った、テラテラと光る跡。
俺は吹雪き舞う上空を見た。
「…………!?」
何か、巨大で、黒い物が遥か頭上を横切ったかのような………………。
グルルル……
「あぁ!!」
狼が背後にいた。
逃げねばならない。
「やっ……」
頭が狂いそうだ。
教室に、大人の女性の淫靡な声が響く。
…………
………………
……………………
……あぁぁあ……
「ハァッハァ……」
俺は力尽き、雪の上にうつ伏せになった。寒さは不思議と感じない。吹雪きの音が途切れ途切れに耳に入る。そして何故か暖かい。
気持ちがいい。
「……助けてくれ」
死は目前に迫っていた。
夢の内容がフラッシュバックの如く蘇る。今なら全てを思い出せそうだ。あのあと俺はどうなったんだ?
俺はこめかみに汗を垂らし、夢の続きを追っていた。もう少しで全てが判る。あの悪夢のラストがどんなものであったか……。
狼の唸り声が聴こえてきた。
……思い出せないぞ。どういうことだ。あと少しなのに。
快感はピークに達しようとしていた。
俺は清子の顔を見た。
目は薄く開かれ、口はほんの少ししか開かれていない。まるで雪のように白い肌だ。どうしてももう一度触れたくなった俺は、手を伸ばした。
思わず俺は声に出していた。全てが放出されるその時が迫っていることを。
…………吹雪いている……。
朦朧とした意識の中、それだけはよく感じ取れた。
……狼は……?
わからない。うつ伏せになっているので、見える範囲が狭まっている。
「ハァッハァッ」
……ビュオオオォォ……
体の至る所に痛みが走っていることに気付いた。どうやら、狼に喰われているらしい。
脳がドロリと体外にはみ出た。
-5-
王里神会本部ビル五十一階……。
そこには暗い灯りが灯る部屋がひとつだけ存在する。
その部屋は、最高幹部団所属……氷鳥の部屋だ。
今、部屋には氷鳥と男が一人……。
薄暗く、静かな部屋。
氷鳥は、ソファに座って、ゆっくりとした動作で水を飲む。テーブルに置かれたグラスに残るのは、内側の表面についた水滴だけ。
氷鳥の居るリビングの出入り口に、男が立った。暗すぎて、その輪郭すらも掴みずらい。
静かに佇む男は、特徴のない声で言った。まるで独り言のようだ。
「嬉しいなぁ……あの鬼頭火山を殺せるのが僕で……」
佇む男は、暗闇の中、口の両端を吊り上げた。
氷鳥も、男の独り言に流され、会話を始めた。
「私が君を推したんだよ……。君は私が知る中で一番の手練れだ」
「ふん……。それにしても氷鳥君、何故なんだ? 目的の為なら手段を選ばない筈の王里神会様が、どうしてこんな小癪な手を使う」
氷鳥はそれを聞いて笑った。低い笑い声だ。
「小癪だって? 君のような立派な殺し屋に仕事を頼んだにすぎない。小癪ではなくこれが妥当な方法だろう」
「へっ……王里神会ってのは腰が引けてるねぇ~。もう少し大胆にいかないもんかね。いつも殺し屋ばかり利用してよぉ」
「金が余ってるんだ……。それに、なるべく責任は負いたくないからね」
「責任?」
「人を殺す責任さ」
「なに、そりゃちょっとずれてないか? 俺たち殺し屋は殺したくて殺してるわけじゃない。殺しを頼み、望むのはお前ら依頼者だろう。とどのつまり、責任を負うべきはお前らの方じゃないのか?」
氷鳥は暗闇の中、小さな溜め息を吐いた。
「……これはなかなかに議論のしがいがある。殺し屋と依頼者、どちらが悪いか……」
「馬鹿野郎、どっちも悪いに決まってんだろ。ま、殺し屋の俺が言うセリフじゃないけどね……」
「ところで責任とは何だろうか? 左虎君」
「…………さぁな」
左虎はいつの間にか、入り口付近から消えていた。
どこにいるのだろうか。ただ声だけが近くにある。
「氷鳥君、世の中は不公平だろう。だから……責任なんて、そんな言葉は……ただの慰めにしかならんよ。俺の言っている意味がわかるかぁ? わからないか……いや、ある程度はわかるんじゃないか? そうだろ。まぁ……ぶっちゃけると俺自身、何が言いたいのかよくわからんがな」
「…………――――――ということだ。つまり君には、実行係とリーダーの役割の二つを兼ねてもらうことになる」
「……なるほどな」
薄暗い室内。
クーラーが利いているので、夏特有のまとわりつくかのような暑さはそこになかった。
「……成功を祈ってるよ」
さて、これで話は終わりだ、とでも言いたげな後味を残して、氷鳥は口を閉じた。向かい合うソファに座り話を聞いていた左虎は、「さ、お引き取りを」と邪険されているかのようにも感じ取れた。
「……了解、了解しました。…………だが、ふたつばかり文句があるな」
暗闇の中、氷鳥は顔を上げた。
「何だ」
「……まずひとつ。初めにも言いかけたが、どうしてこんな小癪な手を使う?」
左虎の言葉に、氷鳥は眉をひそめた。
「……何だと言うんだ?」
「だからよぉ、どうして殺し屋なんか使う? お前らくらいなら銃くらいすぐに用意できるだろう。銃が扱える戦闘要員もいる筈だ。それにだ……面倒にも鬼頭を捜索して殺そうというが、アイツには妻がいただろう。そいつを人質にとっちまえば話はスムーズに進む。姪もいたんじゃなかったか? 確か」
「……そういうことか。それはあまり意味がないだろう」
「何で」
「少し考えればわかるさ。鬼頭はV事件以来、既に多数の仲間を失っている。わかるか? 命がけなのさ。人質をとったくらいで出てくる筈がない。今回のヤツは本気なんだ。全てを賭けて我々を潰しにくる。死んでいった仲間たちの為ってやつでもあるだろうな。だが……鬼頭は気付いていないんだ。仲間の死は警告だってことに……」
「本当かよ。家族が死んでもいいってか? 奴はそんな薄情な野郎だったのか。僕だったら、家族の命を優先して、さっさと自分から殺されに行くね」
「鬼頭は馬鹿じゃない。きっと家族には既に手を打ってある筈だ。家族旅行に行かせるとかな……」
「……ふぅ。まぁいい。仕事は仕事だ」
「もうひとつの文句ってなんだ?」
「あぁ……、もうひとつは、大した事じゃないんだが。……何故、俺一人にやらせてくれないのか。俺は単独で仕事をするって知ってるだろ」
「今回はなんとしても成功しなければならない。私も会議で相当やり合った。もう少しで殺し屋を複数雇い、協力させようという話が通りかけていたんだ。私が怒鳴り声を上げてなんとか頭の固いお偉いさんたちを黙らせたんだが……。まあ、私は知っている。君が協力を好まないことを。それも踏まえて、どうにか、うちの部下を付けるという事で納得させたんだ。悪くは思わないで欲しい」
氷鳥の話す声を静かに聞いていた左虎は、部屋の出口に向かって歩き出した。
「左虎……成功しろよ……高い金を払っているんだ……」
左虎はドアノブに手をかけた。
「……期限は……わかっているだろうな……」
「…………」
左虎はドアを開けた。眩しい光が部屋に差し込む。
リビングの奥から、氷鳥の低い声が響く……。
「十日……以内だ」
左虎は、重い足取りで部屋を出た。